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《アスパーンとティルト》

 闇を抜けるにはまだ暫く掛かるようだったが、こちらの明かりが漏れないようにするにはこの距離で一旦停止するしかない。

 開けた場所までの距離は、アスパーンの歩幅にして五十歩、四十メイル(≒メートル)ほど。

 荷物や装備を持って走る時間にして十数秒。

 開けた場所はやや明るくなっていて、炎を中心に複数の何かがウロウロしているのが気配から感じられた。

 少しだけ目で確認できた感じでは、獣と人間と何かの混合物みたいな生き物が何体か、動き回っていた。

 因みに、どいつもこいつも見た目が全く一緒で、全体が確認できない所為か何体居るのかアスパーンには全く解らない。

 少なくとも、八体くらいはいるだろうか。

「……何か、数多くねぇ?」

「……多いですね」

「多いわねぇ」

 眉をひそめて、それが目の錯覚ではない事を確認するティルトの言葉に、アスパーンは真剣に、ラミスはやや呆れたように相槌を打つ。まぁ、ラミスの気持ちも分からないではない。

「中に居たの……一体ではなかったんでしょうか?」

「魔術的な『封印』であった以上、完全には否定できないが、その可能性は低いと思う。……基本的にあの手の魔術装置は、単体にしか使えない」

 ヘレンがカイウスに訊ねると、カイウスは魔術師らしい、慎重ではあるが曖昧な回答を示した。

 どういうわけか、魔術師という人種は、事態が緊迫してくるほど質問に対して曖昧な方向で返事を返す傾向にあるが、カイウスもやはりその類らしい。

 先程から見ていても、どうやらようやくカイウスも事態の深刻さに気付いて、真剣に取り組む気になったらしい。

 明快な回答が出ないという面では実質的な差はないのだが、その前の時点で色々お粗末な事例が幾つか有ったことを考えれば、やる気がないよりは今の方が幾分マシだし、お粗末という点に関しては初動の時点でミスをしたアスパーンも一緒なので、細かく言わない事にする。あまり墓穴を掘りたくもないし。

「つーことは、だ」

「『増えた』ということですね。……どういう方法なのかは解らないけど」

鏡像魔神ドッペルゲンガーという奴なのかもしれん。……或いは、鏡像魔神ドッペルゲンガーを呼び出して、自分の真似をさせたか。……いや、後の方はあまり意味ないか。何の意味が有るのか解らないし」

 カイウスは自分の思考に納得するように頷く。

 確かに、合理的な説明としてはその通りだろう。

「そんな事より、今これから『どうなるのか』と『どうするのか』だな」

「このまま魔界なり何なりへ帰ってくれるなら、それも『アリ』じゃないですか?」

 ティルトの言葉を受け、アスパーンは一応、希望的観測を確認してみる。

 何もせず仲間と魔界へ帰ってくれるなら、メッチェとシェルダンとルーベンの何処にも被害が出ない分だけ『悪くないオチ』だと思う。

 その場合、盗賊についてはまた別の話になってしまうが、魔族についてなら『関わらない』という選択肢は充分に『アリ』だ。

 その後、戻って来ないとも限らないが、こちらからあちらの世界に行くのと、あちらからこちらの世界に来るのでは随分と条件が違うらしく、どうやら『移動する装置』がない事にはこちらに来るのは難しいらしいというのは、一般的にもよく知られていることだ。

 故に、傷を負った魔族があちらの世界に帰るというのは、良く知る話でも有る。

 この場合、呼び出す魔族が居なくなれば、ひとまず安全は確保される事になるので、全員があちらの世界へ帰ってくれるのなら、取り敢えず『これでもう大丈夫』と言える。

「状況的には、魔界へ帰ってくれる分にはいいんだが。『その前にひと暴れ』とか考えられたら厄介だな」

 言いながらも、ティルトが眉根を寄せ、首を傾げる。

「どうしました?」

 ヘレンが、何だか腑に落ちないような顔をしているティルトに訊ねた。

「んー……」

 ティルトは視線を魔族の方へ向けたまま、僅かに唸った。

「ちょっと、腑に落ちないことがあって……」

「何です?」

「いや、ちょっと……」

 ティルトはヘレンの問いに口を濁す。

「……言ってくださいよ。何か気持ち悪いです、そういうの」

 背中がむず痒くなるような気がして、アスパーンはティルトに訊ねる。

 アスパーンに言われて、ティルトは渋々といった感じで口を開いた。

「……壷は、割れてたよな?」

「割れてましたね」

「……割った奴はどうなったんだ? ……死体はなかったよな?」

「有りませんでしたね、確かに」

「……逃げたってのが一般的な解釈なんだろうけど……。足跡が一つしかなかったのが気になってな」

 ティルトが首を傾げる。

 確かに、ティルトの言うとおり、壷が割れていた現場にはあの魔族のものと思われる足跡が一つしか残っていなかった。

「あぁ、それですか」

 だが、アスパーンはそれについてはよく知っていた。

「心当たりが?」

 ヘレンが視線をアスパーンに移す。

「『食われた』んじゃないですかね? 基本的に魔力で生きてるから、壷みたいな発散しない環境では自家生成で永遠に生き続けるんですけどね。それでも、自分の手を食べてるようなものですし、飢えてると思いますよ」

 アスパーンは視線を広場に向けたまま、答える。

「『食われた』?」

 ラミスが気持ち悪そうに口元を歪める。

「人を食うのか?」

 ティルトはあからさまに眉を顰めた。

「全部が全部じゃないですが、結構食べますよ?」

 欲望に忠実な魔族にとって、食事は快楽の一つだ。

 万物に遍く存在するという魔力を糧として生きているとはいえ、或る意味人間もまた、固体化するほどの魔力を含有する集合体である。

 悪食ゆえに木の皮から泥水まで、なんでも構わないのだろうが、目の前に美味しそうなものがあればそれに手が伸びるのはどんな生き物であろうと変わらない。

「……食べるのか……」

 カイウスがげんなりとした表情で呟いた。

 どうやらこの魔術師は、魔族に関する知識が専門ではないらしい。

 人間の持つ知識は生活環境の結集である事から、カイウスにその知識がなかったことについては深く言わない事にする。

 アスパーンの姉兄の一人に関して言えば、魔術知識の分野で造詣が深い『専攻』は何故か『魔術を使っても疲れにくくする食材について』だったりするし。

「『食べ方』にも色々有りますしね。齧る奴も居れば丸呑みにする奴も居ます」

 アスパーンはカイウスに頷きつつも、視線を開けた場所から離さない。

「あの辺にそれらしき形跡はなかったってことは……」

「丸呑みの類ですかね?」

 ティルトの言葉を繋げて、アスパーンは推測した。

「……じゃぁ、もしかして?」

 ラミスがふと、何かに気付いたように広場を指差した。

「……あぁ、その可能性も有りますね。……言われるまで気付かなかった」

 目の前に敵が居たので、全くそれについては失念していた。

「だとしたら、ちょっと厄介かもしれませんねぇ」

 火など囲んでいるから何だか妙だとは思ったが、その可能性もあるのだ。

「え、どういうことですか?」

 今ひとつ事情が飲み込めないらしい、ヘレンが訊ねてきた。

 まぁ、このやり取りだけではそこまで推測が及ばないのも仕方有るまい。

 アスパーンは言葉を選びながら、どう説明するべきか考えた。

 細かい順序は省くとして、結論だけでも先に言ってしまった方が良かろう。

「えーっと、あいつらが、空腹に耐えかねて盗賊を『食った』可能性も有るって事です」

「えぇぅっ!?」

「しーっ、声が大きい」

 ラミスがヘレンの口を僅かに押さえていなければ、居場所がばれたかもしれない。

 ティルトが険しい目で広場の方を確認して、他のメンバーに軽く手を挙げた。

 どうやら大丈夫だったらしい。

「……仲間を呼び出して食わせたのか、食ってから呼び出したのかはどっちでも良いんでしょうけど、食い足りなくて近くに居た奴を片っ端から食ったという可能性は有りますね」

 一般常識なのだが、魔族には暗視能力があるため、火を囲む習慣などない。

 それを敢えて今、していることを考えれば、この推測はかなり高い確率で正解のように思えた。

「そんな……」

 ヘレンが真剣な表情で印を切る。

 ヘレンにも、その推測はかなり正しいものに見えたらしい。

 いかに盗賊とはいえ、死んだであろう者たちに祈りを捧げているようだ。

 盗品に手をつけて中身の魔物に殺されたなら、盗賊の自業自得なのだとアスパーンは思うのだが。とはいえ、もし正解ならばそれに関しては確かに可哀想な話ではある。

 カイウスに至っては、最早絶句といった状況だった。

 確かに、二人の立場と責任からすれば、混乱しても仕方のない状況だった。

「……可能性の話だ。今は一旦それを除いて、今出来る事を考えた方がいい」

「そうです。あくまで可能性の話です。『かも知れない』だけでの思い込みは良くありません。ティルトさんの言う通り、出来る事をしましょう」

「……で、でも」

「僕の知っている情報で、『魔族は人を食う』という事実を言ってるだけです」

 アスパーンはヘレンにそう言ったものの、客観的推測とはいえ『食われた』などと言わなければ良かったと少し後悔した。

 可能性の話にしても、状況的にそれが正しく思えることがヘレンやカイウスは相当ショックだったらしい。このまま対策を考えるには少し落ち着く必要があるだろう。

 尤も、落ち着く必要があるのは、自分にしても同様なのだが。

「……と、言っても、こういう状況だから、あいつらが立ち去るのか、これから何かするのかは解らないのよね。……交代で見張って、少し休憩した方がいいかも」

 ラミスが困ったように言う。

「確かに。思ったよりも動く様子がない。相手がすぐ動いたり、増えたりしないなら、少し間をおいて自分たちのタイミングで行動したほうがいい」

 ティルトが同意する。

 アスパーンもそれには同感だった。

 その間に相手の数が続々と増えるようなら、また動きは変わってくるが、今のところ広場では火を囲んで、ウロウロとしているだけのように見える。一定のリズムでウロウロしてる事を見れば、もしかすると独自の踊りや儀式なのかもしれないが、アスパーンにもそれを判断する知識がなかった。

 アレがより強大な魔族を呼ぶための儀式だとすれば、直ぐにでも何とかした方が良いのだろうが、何となく遊んでいるだけのようにも見える。それ以上の意味があるとは思えない。

「どうするのか見守るにしても、殲滅せんめつするにしても、少し時間を置いた方が良さそうですね……。シルファーンもまだ合流してない事だし、僕が先に監視しますから、皆さんは少し休憩しててください」

「……俺も監視してよう。……ラミスも少し休憩しとけよ。魔族相手なら……」

「……そうね、アタシの魔術が必要でしょうし」

 ティルトがラミスに促すと、ラミスは素直に頷いた。


 ――――魔族に傷を与えるには『魔力』が込められている武器か魔術でなければならない。


 このやり取りからすると、ラミスは何らかの魔術を使えるのだろう。

 風妖精は、シルファーンのような森妖精と同じく、精霊魔術などのエキスパートとして知られているので、恐らくは精霊魔術だろうとアスパーンは当たりを付ける。

 しかし、今の場合はどちらかといえば、休憩させる事でヘレンとカイウスに声をかけて貰うことの方が主眼にあるようだが。

「少し離れましょう。視界に入らないほうが気分転換になるし」

「えぇ……アスパーンさん、直ぐに戻りますから」

「済まない。……僕なりに、考えを纏めておく」

 ヘレンとカイウスが、ラミスに促されて少し離れた。

「当てにしてるよ」

 ティルトはカイウスに初めて慰めのような言葉をかけると、軽く手を振った。

 ティルトにしてもラミスにしても、中々気の回る事だ。

「……シルファーンってのは、お前の相棒か?」

 ティルトがアスパーンの横に並ぶと、訊いてきた。

 アスパーンと同じように、ティルトも視線を開けた場所から外さない。

 その面差しには、プロとしての矜持のようなものすら感じさせた。

「……えぇ。多分ラミスさんもそうなんでしょうけど、精霊魔術を使います。森妖精なんです、彼女」

「なるほど、それはいいな。……突入するにしてもあいつらの魔術を封じる事が出来る」

「……突入、ですか?」

 アスパーンはその単語をやや反駁はんばく交じりに呟く。

 同じ数盗賊が居るのとはワケが違う。

 個人的には絶対オススメしない方法だ。

「このままだと、殲滅せんめつしなきゃならない可能性も有るだろ?」

「……それはまぁ、そうですけど」

 ティルトの言葉に、アスパーンは言葉ほどには頷けずに居た。

 相手の身のこなしなどを遠目から見ても、あの爪も牙も飾りのようには思えない。

 飾りでないというのは要するに、武器になるという意味だ。

「出来れば手を出したくないのは、俺も一緒だけんどな」

 ティルトは苦笑いしながら、腰から水袋をとって一口飲み込むと、アスパーンに向けて掲げて見せた。

 『飲むか?』という事だろう。

 アスパーンは手を振ってそれを断ると、ティルトは残念そうに腰に戻した。

「……ところでお前、あの魔族どう思う?」

「どうって?」

「本当に盗賊を食ったと思うか?」

「…………十中八九。足跡、一つしかなかったんですよね?」

「あぁ、間違いなく」

「わざわざ担いで運ぶ理由があるとは思えません。…………広い場所で火を囲んでるのも、盗賊たちが野営をしてた証拠なんじゃないかと。……魔族の中には、食った奴の持っていた知識や能力を吸収する奴も居ますから」

 アスパーンは、ティルトなら大丈夫だろうと思い、知識の一つを提示する。

 ヘレンやカイウスの居る所では流石に思い留まったが、『食われた』であろう状況を確定するには外堀を埋めるような情報の一つだ。

「わざわざ前の仲間たちを食う為に戻ったってことか?」

 ティルトの問いに、アスパーンは頭を振る。

「『前の仲間』というのは、食われた盗賊の考えです。魔族は食った奴の知識や経験を利用するだけで、そこに前の仲間とかいう意識は無いですから。実際には、何かの弾みで自分の情報を失いでもしない限り、『食った』相手の記憶や感情に影響を受けることはありません。それはただの情報として捉えるみたいです」

「……食った奴の記憶にあった、『人間の集まる場所』を選んで、襲ったというわけか」

「端的に言えば」

「胸糞わりぃ話だな、おい」

 ティルトが溜息をつく。

「……こちらの価値基準、関係ないですからね、あいつら」

 アスパーンも溜息をついた。

「で、次の質問なんだが。お前さんは何でそんな事に詳しいんだ?」

 ティルトはアスパーンの横顔に視線を向けると、今度は別のことを訊ねる。

「……家の実家の近所、魔族多いんですよね。だから自然と」

 そう、ごく自然に身についてしまった。

 僅かにしかめっ面になるのを自覚しつつ、アスパーンは答えた。

「実家、どの辺なんだ?」

「ザイアグロスです」

「……『メリス家領』か!」

 ティルトには直ぐ思い当たったらしい。いささかの驚愕を含んだ声とともにアスパーンを見てきた。

「えぇ、誰も彼も『魔族憎し』で、殺伐とした所です」

 アスパーンは、訪れる人の誰もが魔族への憎しみに満ちている故郷あのまちを思い出して苦々しく呟いた。

 魔族が憎いのは解るが、日常そのものが憎しみで構成されるものに影響を受ける地元民にとってはあまり愉快な話ではない。

 例え、それで産業や生活が成り立っているとしても。

 実際に、それが当たり前のことだと思って長い事生きてきて、数年前、とある事情で暫く旅に出て、初めて『|ザイアグロス(あの町)がおかしいのだ』という結論に行き着いたときは特に不愉快だった。

「でも、『メリス家』がなきゃ、今頃この辺魔族だらけかも知れねぇんだ。そんな事も言ってられなかろう?」

 この島に唯一存在する『魔族が多く出現する特異地帯』を領土とし、魔族と戦っている一族、それが『メリス家』だ。国際的には侯爵待遇で扱われているが、その役目の特殊性故に各国からは『不可侵』とされ、この島に点在する王国間に発生する紛争を未然に調停する事もある武門の一族だった。

 ジークバリア島には他にも幾つかこのような自治を認められた領地が点在するが、その中で最も有名な物の一つが、アスパーンの出身地であるメリス家領ザイアグロスだった。

 余談だが、『メリス領』ではなく『メリス家領』と書かれるのは、実際にはメリス家は独立勢力で、ザイアグロス近辺が何処かの国から拝領した領土でもなければ爵位に遇された事実もないところに由来する。

 言い方は悪いが、『誰の許しもないのに何となくメリス家を中心にやってる』という意味でもある。

「『メリス家』があるから、そんな事になってる可能性も捨て切れませんがね」

 アスパーンは溜息交じりに答える。

「……何か、『メリス家』に思うところでも?」

 アスパーンの口調に不審を感じたのか、ティルトが訊ねた。

 実は、メリス家領に隣接しているここセルシアにおいて、ザイアグロスやメリス家を悪く言う者はあまり居ない。

 既に国際的に認められているということでもあるし、実際にメリス家が魔族を抑えているからこそ生活ができているという信仰のような物がある。

「いえ、ちょっと気に入らないだけです」

「ふぅん」

 ティルトはそれ以上突っ込んでこなかった。

「……あの二人、大丈夫ですかね?」

 暫しの沈黙の後、アスパーンは途切れた話題を繋ごうと口を開いた。

 自分から直前の話題を切り捨てただけに、少し沈黙が痛かったこともあった。

「何をどうするにしても、何かやんなきゃならねぇ事だけははっきりしてるんだ。ラミスも居るし、大丈夫だろ」

 やはり、ティルトの狙いはそこに有ったらしい。

 気が回るという感想は勘違いではなかったようだ。

「ティルトさんは何か、『こうした方がいい』っていうのは有りますか?」

「俺か? ……まぁ、このままあいつらが魔界へ帰ってくれるのが一番ありがたいな。それで、後は盗賊のアジトを探して、とっ捕まえられればギルドに恩も売れる」

「とっ捕まえる、ですか」

「店で確認してみたんだけど、首領らしい奴にはメッチェの方で賞金掛かってるんだよな。そいつを捕まえれば金も儲かるってわけ。お前が捕まえたら折半な」

 アスパーンはティルトの言に、『その場合、貴方が捕まえた場合も折半してくれるんでしょうか?』と訊ねようとして、止めた。

 この感じだと、多分そういうことにはなってない、少なくとも彼の中では。

「……まぁ、お前の物言いだと、食われた可能性、結構高そうだけどな」

 ティルトは残念そうに呟く。

 ヘレンやカイウスとは立場が違う事もあるが、ティルトはティルトで盗賊たちが殺されているだろうということについては全く何の感慨も持っていないらしい。

 強いて言えば、『ちょっと気分は良くない』といった風情だ。

 それが魔族に食われた事に関してなのか、賞金が目減りするか手に入らなくなるという事に関してなのかは、残念ながら推し量れないが。

「……済みません」

「いーって、別にお前の所為じゃない。一応『生死問わず』だし。額は目減りするけどな」

 ティルトは軽く手を振ると、何かに感づいたのか後ろへ視線を飛ばした。

 アスパーンも、それに気付いて視線を動かす。

「森妖精、来たみたいだぜ」

 言われて、背後に意識を移すと、ティルトの言うとおり、遠くの方にほんの微かに人の気配を感じた。

 確かに、その軽い足取りはよく知っているもののそれだ。

(……これが本職って事か?)

 全くとまでは言わないものの、殆ど感じ取れなかった距離にある気配が判別できるティルトの感覚の鋭さに、アスパーンは舌を巻いた。

 あまり考えたくない事だが、万一ティルトがプロの最底辺だとしたら酷い話だ。底辺で尚これほどの感覚神経を持つのなら、盗賊という職種は恐らく、世の中で最も警戒するべき職だろう。

 妖精種族は、ティルトのような草原妖精に限らず、感覚が鋭敏だと言われている。

 実際に、森妖精たる相棒のシルファーンも感覚は鋭敏で、アスパーンも人並みよりは少々鋭敏な感覚を持っている自信が有るが、シルファーンのそれには全く及ばない。

 ティルトもまた、草原妖精であるが故に鋭敏な感覚を持っているのかもしれないが、その鋭敏さが種族的なものなのか職業的なものなのか、アスパーンには判断できなかった。

 それとも、自分で気付いていなかっただけで自分は実は鈍感な方なのだろうか。

 出来れば、そちらであって欲しくはないが。

「他の奴ら連れてくる。そろそろ向こうも落ち着いただろ」

「…………ですね。この間に立ち去ってくれないかと思ってましたけど」

 その間、魔族の方はといえば相変わらずの様子で、奥に居る一匹などは何処から出してきたのか酒と思われる瓶を割って、中身を舐めたりしている。

 『食って』から仲間を呼び出した可能性も五分ほどはあるのだから、あの一匹が、壷から出てきた一匹かもしれない。

「おーい」

 そんな事を考えながら暫く広場の様子を見ていると、メンバーと合流したと思しきティルトが、あちらに聞こえない程度の声で呼びかけてくる。

「……何か決まりました?」

 アスパーンは広場から目を切らないように気を配りつつ、藪の向こうの様子を訊ねる。

「あぁ。やっぱり暫くは様子見だ。念のため二手に別れて盗賊の方を捜してみるって手も有ったが、盗賊より魔族のほうがやっぱり重大な問題だしな」

「でも、ずっとは続けられませんよ、これも」

「取り敢えず夜明けまでだ。夜明けになるまで動かなきゃ、俺がひとっ走りして、援軍を呼んで来ようと思う。奴らは昼間になれば寝るんだろ?」

「……五分って所ですかね……。妖魔ならともかく、魔族になると上級になるほど昼間も行動するようになるんで」

 妖魔というのは、魔族と呼ばれる存在と同種でありながら、本物の魔族とは少々趣が異なり、この世界に現界化して移住する事に成功した、魔力的には人間と大差のない魔族のことである。

 裡に抱える魔力の総量は人間よりやや大きいものの、それを有効に扱う知識と知能が欠けていることが多く、結果的に他の種族に追われて、この世界に居る種族としては最底辺に居る。

 一方で、一般的に魔族と呼称される存在は、妖魔より魔力に対する依存度が高く、詳細の解っていない世界である『魔界』と呼ばれる場所からこの世界に現れる特異な存在だ。

 彼らは妖魔よりも知能が高く、人間よりも魔術の扱いに長じ、基本的にこの世界で欲望の限りを尽くそうという意欲を持っているものが多い。

 広場に居る奴らは、詳細こそ知らないが『封印』されるような奴だ。何かの実験でもなければ妖魔であるとは思えないし、人間を『跡形もなく食って』いるとしたらその時点で妖魔ではありえない。

 妖魔は現界の生物であるが故に、人間を食って魔力を回復するような事は出来ないのだ。

「……あれ、上級なのか?」

「わかりません。少々知ってるからと言って、何でも知ってるわけじゃありませんから。第一、そんなに詳しければ弱点の一つも狙ってさっさと倒しに行きます」

「そりゃそうだ」

 ティルトは残念そうに肩を竦める。

 アスパーンとしても、だからといって、今決まっている意見に異を唱えたいわけではない。

 但し、あまり長い事見張りを続けると言うのは、交代したとしても神経を使うものだし、あまり好ましくなかった。

 加えて、飢えから開放されたとはいえ魔力的にはあまり満たされていなかった筈のあの魔族が、こちらが動かないで居る間に魔力を補強しないとも限らない。

 可能ならば、という条件付だが、駆逐するかこの周りを探索して他に魔族が居ないか探すなど、アクションを起こしたいところだった。

「……幾らか気になるところも有るんですけどね」

「そういうのは、俺じゃなくてシスターとかに言った方が良いんじゃねぇの? 取り敢えず見張り、代わるか?」

「じゃぁ、お願いします」

 とはいえ、依頼主の言う事に異を唱えるのは如何なものか。と考えつつ、アスパーンはティルトと入れ替わる。

 音を立てないように藪を抜けると、二十歩ほどの距離の所でヘレン達が輪を作っていた。

「どんな感じ?」

 合流してきたシルファーンが片手を挙げて挨拶しながら訊いてくる。

 様子を見るに、メッチェの方は特に大きな問題は無かったらしい。

 今の事態を想定していなかった事もあって、助っ人の要請などを頼まなかった所為でもある。後手に回った感もあるが、大騒ぎにして今以上に教会の体面が崩れることを考えれば、仕方なかったと思うことにした。

「何と言うか、妙に人間っぽいと言うか、妖魔の類を見てるみたいだ」

「あぁ、火の回りで踊ってるっていうやつ?」

「うん。……おまけに、多分食った奴の知識なんだろうけど、何処からか酒まで持ち出して」

「……何かホントにゴブリンとかコボルドみたいね……それ」

 シルファーンが苦笑する。

 本来、魔族に人間性と呼べる物の発露があることは極めて稀なケースで、大概の魔族は戦闘意欲の塊のような存在である。何が魔族にそうさせるのかについては諸説があるが、アスパーンには興味がなかった。基本的に問答無用で襲い掛かってくるのだから、仕方ないのである。

「あ、それで、朝まで監視を続けるって話を聞いてきたんですけど……」

 ヘレンに視線をめぐらすと、視線を受けてヘレンはしっかりと頷いた。

「えぇ。アスパーンさんに問題がなければ、そうしようということになったんですけど。わざわざ戻られたという事は、何か問題が?」

「問題と言うか、ちょっと気になることが出来て、皆さんの意見を聞きたいなと思って」

「……で、今度は何が気になるんだ?」

 カイウスが億劫そうに溜息をつく。

 何かにつけて疑問や否定を口にするアスパーンの心配性ぶりに辟易しているのかもしれない。

「…………アレで全部なんですかね?」

「……え?」

「いや、だからどう思うか、意見を聞いてみようかと思って。例えば、こっちもシルファーンが増えたわけですよね? そして、あちらもアレだけの数が居る。……別行動取ってる奴らとか、居ないんでしょうか?」

「このまま監視した方がいいといったのは君だぞ?」

「魔界に帰るならこのまま手を出さないのもアリだ、と言っただけです」

「同じ事だろう?」

「……いや……ちょっと違うわ」

 助け舟を出してくれたのはラミスだった。

「アレが全部だと解っているのなら、確かに『監視を続けた方が良い』というのに結びつくけれど、相手の数が解らない上では『取り敢えず放っておく』というだけだわ。少なくとも、他の場所からメッチェやルーベンに向かわないとも限らないわけだし」

 アスパーンが『あのまま立ち去ってくれるなら』などと言った事も大きな理由では有るが、誰もその可能性について考えていなかったらしい。

 いずれにしても、情報が不足している中での推測の上に成り立っている話なのだ。

「えぇ、だから、『監視をつけた上で放置する』というのは、それはそれでアリだと思うんです。でも、数がまだ確定してないでしょう? ティルトさんを疑うわけじゃないんですが、例えば相手があの広場から空を飛んでいたら、幾らティルトさんでも追跡できないと思うし。そう考えれば、監視を続けるのは、あまり良い方法とは言えないと思うんですよ」

「確かに一理あるが……。だが、あそこに居るのは足跡が残っていた奴とその仲間なんだよな? 別の種類というか、自分に似ていない形の奴を呼ぶようなこと、有るのか?」

 カイウスが懐疑的に訊ねてくる。

 アスパーンが言いたいのはそういうことではなく、『相手の数と場所がまだ確定していない』という方なのだが、上手く伝わっていないようだ。

「えぇと、それについては、有ります。アイツがそうしているかは解りませんけど……」

 訊かれた事に答えないわけにもいかないので、アスパーンは取り敢えず知っていることを答える事にした。

「先刻から、推測ばかりだな」

 カイウスもまた、何か気に入らないらしく妙に突っかかってくる。

 もしかしたら、アスパーンの『上手く伝わらない』という苛立ちが伝わったのかもしれない。

「だからそれは、情報が足りていないから……」

「皮肉かい?」

 カイウスが苦笑する。

 『俺が知らないことをお前が知ってるのが、そんなに楽しいか』という風な物言いだ。

 アスパーンの苛立ちを別の意味で捉えたのか、或いは何か誤解を与えてしまったのかもしれない。

「ちょっと!」

「いや、そういうわけじゃ……。確かに僕のした話ではあるんですが、先刻から、そういう可能性の話で皆さんが一喜一憂してしまっていて、あまりよくない方へ進んでる気がするんです。それよりは何と言うか、もうちょっと……」

 シルファーンがカチンと来たらしく、何か言おうとしたが、アスパーンはそれを制した。

 取り敢えず、ここで激昂してはマイナスしかない。

 アスパーン自身、上手く表現できないのが非常に心苦しいのだ。


――――『相手がどれだけ居るのか判らないのに、このまま監視などしていていいのだろうか?』


 たったそれだけの話が上手く伝わらないのがもどかしい。

 話を混ぜっ返されるのも、そういう意図が伝わっていないからなのだろうが。

「まぁまぁ、ちょっと待ってよ。なんか話がずれちゃってるわ」

 そんなアスパーン達の様子をどう捉えたのか、ラミスが苦笑いしながら間に入ってきた。

「それより、魔族が他にも居るかもしれないっていう話なら、アタシが上空から、他に魔族が居ないか捜してみるっていうのはどう? ほら、アタシはあまり人間サイズの戦闘向きじゃないから、出来ればそういうことでお手伝いしたいんだけど」

 ラミスは背中の羽を見せ付けるように、皆の作る輪の中をくるりと回ってみせる。

 その姿は優雅で、彼女が移動すると僅かに光が尾を引いているような残滓すら幻視してしまうようだ。

 実際に、風妖精はマナと呼ばれる種類の魔力への親和性が高い為、彼女自身が微かに輝いているのだが。

「上空の方とか、上からも見える大雑把な所を捜すのはアタシがやるとして、森の中はティルトに捜させればいいわ。確かにアタシ達、まだあいつらがここに居るのを確認しただけなんだし、それで状況がもう少し解ってからなら、各々の領分で別のやり方も提案できるんじゃないかな?」

「あぁ、そう。そういうことです。それそれ。それが良いです」

 アスパーンは内心で胸を撫で下ろしながら、同意する。

 この風妖精は有り難いことに、アスパーンが伝えられなかった齟齬そごやカイウスの心にあった機微きびを感じながら、上手く話を元に戻してくれたらしい。

 あのまま言い返したりしていたら、余計に話がこじれていたに違いない。

「勿論、決めるのはシスターなんだけど、どうかな?」

「……確かに、仰る通りにするのが良いでしょうか……。後顧の憂いを絶つという意味では、付近を捜索しておくのは、必要な事ですよね?」

 ラミスの問いに、ヘレンは戸惑いを隠せずにいたが、カイウスの方を確認するように見遣って訊ねる。

「……だと思います。それは間違いない」

 カイウスもそれを受けて、頷きながら答えた。

 相手が魔族だろうが盗賊だろうが、この近辺の住人にとって害悪であるのならば、それを取り除いておくのは総ての人にとって利益になる話だ。

「……では、そうしましょう。監視は……アスパーンさん、お願いできますか?」

「そうですね。僕が適任でしょう。じゃぁ、ティルトさんを呼んできます」

 アスパーンはヘレンの指示に頷いて、再び藪の中へ。

 分け入る瞬間、思わず溜息が漏れた。

 藪の中に居るティルトがアスパーンの様子を確認しながら、苦笑する。

 アスパーンは、シルファーンの到着に気付いたティルトの驚異的な聴覚を思い出して、訊ねた。

「……もしかして、聞こえてました?」

「あぁ。少しは。お前、あんなの相手にすんなよ」

 あんなの、とは、恐らくカイウスのことだろう。

「……何か、自信を失いましたよ。思ったように伝わらないもんですね……」

「まぁ、アイツの立場じゃ、お前にあれこれ言われるのはイヤだろうよ。第一、アイツは自分より知識のある奴を素直に認められねぇタイプだし」

「……どういう意味です?」

 『皮肉』といわれた話を思い出して、アスパーンは思わず苦笑して訊ねる。

 その原因について、はっきりとしたことが解らないでいたのだ。

「……お前はザイアグロス出身だから魔族に詳しい。でも、それは本来、魔法使いの管轄だからな。お前、解ってなかったのか?」

「あぁ、それでだったんですね。単なる話の流れかと……」

「まぁ、意地悪は意地悪なんだろうけどな。しかも、アイツはその辺の事情も知らないし。……言ってないんだろ?」

「いや、そりゃ、訊かれませんでしたし、その辺の事情とか」

「まぁ、そういう色んなもんが積み重なって、馬鹿にされたと思ったんだろ。要するに」

 ティルトは苦笑いすると、ニヤニヤとアスパーンの方を見る。

 真意は解らないが、面白い物を見つけた、と言うような顔だ。

「お前はお前で、『何で魔術師なのに知らないんだろう』って感じで、腑に落ちないみたいだし。……アイツの前でもそんな感じだったんだろ、お前?」

 ティルトに呆れられて、ティルトの表情の意味がようやく解った。

 要するに、アスパーンがそれに気付かなかったことがおかしかったのだ。

「……というか、何か急に悪い事した気になってきたんですけど」

 ようやく色々と合点がいって、げんなりした気分になった。

 確かに、言われてみれば、あちらにしてみればカチンと来るような感じの態度だったかもしれないし、ティルトに言われるまでも無く、考えてみれば直ぐに解る事だ。

 目前の魔族のことで頭が一杯で、そこまで気が回らなかった。

「いや、悪いと言うかさぁ……。まぁ、お前にしてみても手一杯だろうし、行き違いだろ、そんなの」

「その割に、何か楽しそうですね」

「あぁ、お前が何の悪意も無く必死で働く事で、自分の出番を奪われてやきもきしてるアイツと、それに全く気付かねぇお前が居る現場が想像できてな。……じゃな」

 ティルトは含み笑いのような、人の悪い笑顔を振りまくと、軽く手を振って藪を抜けた。

 思いがけず会話が弾んでしまったので、そろそろ行かないと流石に怒られる。

「……趣味悪いなぁ」

 しかし確かに、そういう事ならば傍目で見ていたラミスが気を遣ってくれるのも理解できようと言うものだ。

 そう考えてみれば、不思議とあまり悪い気分ではなかった。


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