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《異変》

「お二人とも、ちょっと宜しいでしょうか?」

 こちらもある意味予想通り、ある意味予想外にヘレンに声を掛けられたのは、夕飯が終わって食器を片付け終えた後だった。

「はい? なんでしょう?」

 アスパーンは返事をしながら、来るべき物がきたような気がしていた。『やはり』とまでは思わなかったが、食事の前の出来事から、漠然とした予感はあったのだ。

 現金な事に、お腹が膨れると人間ちょっとした不安は忘れてしまうようで、食事が終わる頃には修道所の面々はアンが食事に遅れたことなど無かったかのように平静を取り戻していたのだが。

 人目を気にする話なのか、ヘレンは『こちらへ……』と僅かに語尾を濁し、二人を部屋へ誘った。

 通されたのは、応接室らしき部屋だった。

 特に豪華な調度品があるわけではないが、一応それらしいテーブルセットと、何処かから貰った物らしい、青が綺麗に映えるティーセットが用意されている。

「少し長くなるかもしれませんので、先ずはお茶でもどうぞ」

 食後のお茶を勧められると、それに口をつけた直後にヘレンが口を開いた。

「実は…………お伺いしたい事があるのですが」

「はい、何でしょう」

 躊躇いがちな、しかしやや性急なヘレンの口調に、少々緊迫した物を感じ取り、アスパーンは直ぐにカップを置く。

 本来、お茶を飲みながら聞くような話ではないのだろう。

「先程、アンを助けていただいた時、盗賊は何か奪って行きましたか?」

「……何か?」

 シルファーンがアスパーンと同じように、しかし比べ物にならないほど優雅にカップをソーサーに置くと、首を傾げる。

 アンはシルファーンの言葉に僅かに頷くと、伏し目がちに溜息をついた。

「夕飯の時、アンが遅れてきたのは見ていらっしゃったと思うのですが……。アンには荷物の整理をお願いしていたんです」

「……えぇ。確かに、そんな事を仰っていましたね」

 シルファーンが相槌を返す。

 ヘレンはシルファーンの声が落ち着いていることに安心したように、視線を上げた。

 シルファーンが凄く落ち着いて見えたことで、自分がやや平静を失っている事に思い至ったような、そんな仕草のようにアスパーンには見えた。

「ところが、確認してみたら、どうやら荷物が幾つか足りなかったかららしいのです。お二人が収めてくれるまでに馬も暴れたそうなので、その時落としたものなのか、それとも盗賊に奪われたものなのか、出来ればはっきりさせておきたくて……」

「なるほど、アンさんはそれを思い出したり探したりして、遅くなったと」

 シルファーンが納得したように頷いた。

 確かにそれなら、先程の出来事にも納得がいく。

 アスパーンは自分の記憶を探ってみたが、これといって彼らが手にしていたものに馬車の中から奪ったものがあったような記憶は無かった。

「……僕は、どちらかと言うと荷台の辺りより御者台の方に当たったんで、これといって奴らが何かを奪っていったようには見えなかったですね……。あぁ、でも、懐に隠したとか、そういうのまで行ってしまうと、ちょっと解らないけど……」

 アスパーンの記憶にあるのは、せいぜい御者台に居た男のナイフとか、その風体くらいで、後は馬を抑えてばかりで特に何も覚えていない気がする。

「いいえ、無くなったのは、あまり懐に入るようなものではないらしいです」

「そういうことなら、私の方には心当たりが結構あるわね……。後ろの方は人数もいたし、私の技量じゃ追い払うのに手一杯で、奪われたものを取り返すよりも追い払う事が優先っていうつもりだったから……。何か、鏡とか、ツボみたいなのとか、持っていたような気がするわ」

 ヘレンの困りきった表情を見て、何か大切な物だったらしいことに気付いたシルファーンは、僅かに眉根を下げながら、『しくじったなあ』と言う感じで肩をすくめる。

 とはいえ、自分達とて二人で相手をしていたのだ、偶然近くに居ただけの自分達に過剰な期待をされるのも困りものだし、そこはヘレンも良く解っているだろう。

「鏡と……ツボ……ですか?」

 ヘレンはシルファーンの言葉を受けて、僅かに反応する。

「……えぇ、手のひらより少し大きいくらいのサイズの……いや、アレはブラシだったのかな……? ツボの方は流石に見間違いではないと思うんだけど」

「そうですか……」

 ヘレンの溜息が、諦めたような、覚悟したような、そんな複雑な色を帯びる。

「……何か、大切なものだったんですか?」

 思わず、訊ねた。

 ヘレンは少しだけ意外そうにアスパーンの表情を窺うと、小さく頷く。

「……この修道所は、町からかなり離れた所にあって、小さいながらも神職に当たるものが居る場所です。……町から些か厄介な依頼を受けたり、魔族や悪魔に由来する品の呪いを解く仕事を請け負う場合があります」

 へレンがためらうように、そこで言葉を切る。

 それが二人の所為ではないとはいえ、多少なりとも不満の匂いが混じらないかと気にしているようだ。

「つまり、盗られたのはそういうものだった、と……」

 アスパーンの言葉にヘレンは答えなかったが、表情を見ればそれが肯定であるのは明白だった。

 シルファーンが、傍らでピクリと眉根を寄せる。

 アスパーンはそのヘレンの無言が『あまり事情を話して良いものか』という躊躇の表情である事に気付いたが、アスパーン自身も態度を決めかねていた。

 修道所の仕事そのものは、聞いて『なるほど』と納得の行くものだ。

 思わぬところから抱えてしまった厄介事を解決する。

 確かに世の中には、大なり小なりそういう仕事をしている人が居るはずなのだ。

「……お二人は、これから剣で身を立てるおつもりなんですよね?」

「えぇ。剣くらいしか取り得が無いもんで」

 正確には、バルメースを目指してそこで冒険者になるつもりだった。

 仕官という手も有るには有るのだが、シルファーンと一緒に旅をしている時点でそういうつもりもない。

「……宜しければ、暫くご逗留いただいて、私に協力していただけませんか? あくまで、御都合が宜しければですが」

「……なるほど、取り戻すつもりなんですね?」

 アスパーンはヘレンの意図に気付いて、訊ねる。

 盗賊に盗られたからと言って諦めたり、放置したりしておくわけにはいかない品なのだろう。

 ヘレンは無言で頷いた。

(……どうする?)

 アスパーンが視線を送ると、シルファーンはそれに気付いて『どうしたものかしらね』とでも言うような、困惑した仕草を僅かに示す。

 アスパーンとシルファーンが無言で、そんな視線のやり取りしていると、ヘレンは堰を切ったように口を開いた。

「あの、御協力いただけるのでしたら、きちんと仕事として給金をお支払いしますから」

 今までのおっとりとしたようにすら感じた口調が、やや早口になる。

 それだけ切迫しているという事なのかもしれない。

(あまり捨て置きたくはないなぁ……他生の縁とも言うし)

 アスパーンはシルファーンに再び視線を配る。

 どうしたら良いか決めかねていた。

 バルメースに行くという当面の目的が、その前の段階で頓挫する可能性がでてきたのだ。

 乗りかかった船だけに放って置けないという気もするが、それは感情の問題であって、本来これからであろうと、他人の厄介事を解決する事で生活しようという身にとってみれば、感情に流されているかのような対応をするのは如何な物なのかと思うのだ。

 視線の先のシルファーンは自分と同じような顔をしていたが、自分より幾分、心配そうな雰囲気が強かった。

(仕方ないか……)

 シルファーンの表情を見て、アスパーンは決めた。

「大丈夫、お手伝いしますよ。乗りかかった船ですし、僕らがもっとしっかりしていれば、奪われた物というのも奪われなかったかも知れない訳ですから」






 条件面の話し合いはそれほど難しくなかった。

 先ず、依頼の全体としては、品物の行方を確かめる事と、可能ならばそれを回収する事。

 加えて、相手がこの近隣を荒らす盗賊であるなら、可能な限りそれを駆逐すること。

 給金は基本的には日当制で、上手く問題の品の回収に成功したら、礼金として色をつけた金額を貰うことになっている。

 謝礼全体としての金額は、相場からすれば少々安いほどだが、それは修道所という場所の性質上、止むを得まい。

 計算上は長引くほどに得をするわけだが、二人としても長引かせる気は更々無い。

 それは業界全体としての不文律でもあると聞いているのだが、今回の場合は、どちらかと言えば二人が『お人好し』である事に起因する。

 拠点は修道所にし、食事や宿泊の面倒は修道所で見てくれることになった。

 基本的に襲撃を受けた場所から今日二人が向かうはずだった隣の宿場までの間を中心に盗賊のアジトを探して、場合によっては町で情報収集する可能性もあり。

 相手がもし賞金の出ている盗賊の場合、品物を取り返す他に出た賞金は二人のものにして構わない。

 大雑把に言えば、こんな所だ。

「で、問題の品物なんですけど」

 シルファーンが、最終確認の為にようやくそれを切り出した。

 やけに深刻そうだったので、何となくためらっていたのだが、それを訊かない事には探しようも無い。

 最大の目的はあくまで『町に置くには厄介だから』という理由で預かる事になっているという、盗まれた品物の方なのだ。

 ヘレンは観念したように一回溜息をつくと、気が重いというのが明らかに伝わってくる声で答えた。

「……ツボです。中に『魔力を持った生き物』が入っていると聞いています」

「は?」

「『魔力を持った生き物』です」

「……えーと……」

 シルファーンが思わず目を丸くする。

 そりゃそうだ。

「もうちょっと、何か、こう……」

 『何かはっきりした事は無いのか』と訊こうとしたのを遮るように、ヘレンが口を開いた。

「それが、判らないんです。でも、『そのまま町に置いておいて、何かが有ってからじゃ遅いから』という事で、お預かりすることになった品物です」

 ヘレンの方も困惑気味だったが、彼女の方は『一旦請け負った仕事だ』という義務感からか、シルファーンほど対処に困っている風ではない。

「中身が大した物でない可能性は?」

 アスパーンは念のため、確認する。

 ヘレンがアンに運搬を任せるくらいだから、先に『どの程度のものか』を確認している可能性について念を押したのだろう。

 ヘレンはそれについても、残念そうに頭を振った。

「ゼロでは有りませんが、期待するのもおかしな話ですし、何より、これは当修道所の信用の掛かる問題ですから……。御理解頂けるかは解りませんが、『銀の月の女神ルーリエン』の教会は、大陸まで見据えても必ずしも大きな規模の教会では有りません。近隣の町の方と共存していくためには、そこに存在する事のメリットが重要なのです」

「……つまり、『安心して危険なものを預けられる場所』というメリットですか」

 当事者でない以上、そういう存在の正否を問う資格は無いが、事情としてそういう存在が必要なのはアスパーンとて知っている。

 故に、それ以上は何も言わないことにした。

「……しかし、ツボの中身が問題だとすると、それはそれで問題ですね」

 代わりに口を開いたのはシルファーンだった。

「と、申しますと?」

「あまり最悪のケースは想像したく無いのだけれど、町が拠点の盗賊の場合、町の中で開けられたり、売り捌かれたりしたら大変なことになるんじゃないですか? 聞いた所だと、そういうのを取り仕切っている『ギルド』っていうのが有るんでしょ? 開けたり、買い取ったりしないように連絡しておいた方が良いんじゃないですかね?」

「『ギルド』に連絡……確かに、そういうのはスピード勝負だな」

 シルファーンが気付いた事を、アスパーンも首肯する。

 『ギルド』と言うのは、色んな職業毎に、登録員の職能を保証したり、品物を流通させる為に仲介したりする職業組合のことだ。

 今回の場合、盗られたツボを買いそうな相手としては、商人の組合なんていうところも存在するが、遺跡で魔法の品々を売り捌く役割をする『盗賊ギルド』も存在する事を考えれば、そういう所には連絡しておいた方が良い筈だ。

 大抵は町長など、町の中心人物に話をすれば一括で済む話の筈なので、手を打つのが早いに越した事は無い。

 シェルダン修道所の信用問題に関わるとはいえ、この事件について近隣の町に何の連絡もしないのは、もっと大きな問題を抱えることになるからだ。

「……そうですね。それは直ぐにでも連絡を取ったほうが良さそうですね」

 ヘレンも同様の意見らしく、思い至らなかった自分にやや動揺したように口元を歪めた。

「そのようですね。馬は、先程アンさんが利用していた二頭だけですか?」

「いいえ、後は普段農耕用にしているのが二頭……」

「万が一を考えて、僕とシルファーンが別れて護衛します。それなら移動中にまた盗賊に狙われても、貴方がたを逃がすことくらいは出来ますから。近くに連絡した方が良い町は、二箇所だけですか?」

 『来た方向』と『向かう方向』に町があることを考えれば、最低でも二箇所だ。

 途中で道が分岐でもしていれば、更に増える筈だった。

 中身の危険性を考慮すると、その町を中心に更に隣の町へと連絡網を広げる必要があるだろうが、抱えている人員と修道所の信用を秤に掛ければ、先ずは隣町で十分だろうし、あまり正体が解らないうちに規模を広げても限が無い。

「ええ。後は、何をして置いたら良いでしょう……何か思い当たりますか?」

 先程のシルファーンの指摘が当を得た事から、多少の信頼を得たらしい。ヘレンは自分の対応に不備が無いか、こちらに訊ねた。

 取り敢えず、アスパーンに思い当たる節は無く、シルファーンに視線を送ると、彼女もそれ以上は何も無いようだった。

「思い当たる所には連絡した方が良いですが、行動の遅れも痛いところです。万が一を考えれば体裁を考えている場合ではないですし、盗賊に襲われるなんて不備の事態を考えれば仕方ないですよ。出来る事はやったと何処かで見切りをつけるしか有りません」

「……そうですね」

 ヘレンはそれで気持ちを固めたのか、席を立って居住まいを正した。

「では、こんな時間から直ぐで申し訳ありませんが、お願いします」

「えぇ、こちらこそ」

 アスパーンはヘレンの言葉に頷いて、自らも席を立った。

 初めての依頼、初めての仕事。

 その筈なのに、特に気持ちが沸き立つような事も無かった。

 しなければならない事をするのが先決だったからだ。

 でも、そういうものなのかもしれない。

 他人の厄介事を解決し、金銭に変えるということは。

 そういうことなのかもしれない。



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