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《シェルダン修道所》

 やがて見えたシェルダンの修道所は、アスパーンが想像していたよりもずっと威風堂々とした建造物だった。

 歴史を感じさせる重厚な感じの石造りで、丁寧に掃除されているのか、不潔な印象は無いが、やはり年季のようなものを感じさせている。

 元は白かったのだろうが、『歴史が積み重なった事でこの色になったんだろうなぁ』と思わせる、そんな感じの灰色だった。

 『では、広さは?』と言えばちょっとしたホテル並で、修道所を名乗る以上は生活スペースプラス礼拝堂という造りになる筈だから、なるほど、買出しに二頭引きの馬車が使われるのも無理からぬ、と思う敷地が確保されている。

 とはいえ、周囲に他の建物はなく、小高い丘にポツリと立つその姿は、『シェルダンと言えば修道所』という話の意味を十分に納得させるに足る場所だ。

 要するに、恐らくはこの丘の名前がシェルダンの丘で、そこにある修道所ということなのだろう。

 基本が自給自足なのか、周りには畑などが作られていて、或いはこのままここで信仰が保たれていれば、いずれは立ち寄るものの手によって門前町になるのかもしれない。

「アン!」

 馬の嘶きに気付いたのか、門の前では出迎えるように一人の修道女が立っていた。

 アンよりやや年嵩ではあるが、まだ二十を少し越えたばかりと言った感じの、化粧っ気のない清楚な顔立ちの女だ。

 此処が修道所である事を考えれば当たり前の事だが、彼女はアンの先輩か、或いは上司と言ったところだろう。

 いや、彼ら宗教家には本来、便宜上の上下関係しかないはずだから、言うなれば『先達』と言った所か。

「ヘレン様!」

 アスパーンが手綱を引いて馬車を停めると同時に、立ち上がったアンが馬車を駆け下り、待っていた修道女に駆け寄る。

 駆け寄ったアンが縋りつくように待っていた女の袖を掴むと、様子を察した女はアスパーンたちの方を一瞥してから、再びアンに視線を移す。

「少し帰りが遅かったから表へ出てみたのだけれど……何が有ったのですか?」

「……帰り道に突然、強盗に襲われたんです!そこに偶然、あちらの方々が通り掛って……」

「『助けていただいた』……ということですね?」

「はい、ヘレン様」

「そう。……それは怖かったわね。怪我とかは?」

「……幸い、手当てしていただきました」

 ヘレンと呼ばれた修道女は、アンの首筋に手を伸ばして、シルファーンの巻いた包帯に触れ、怪我の様子を確かめる。

 そして、手当ての出来に満足したのか、穏やかな表情で一つ息をついた。

「大丈夫そうね。とにかく、貴女の身に大きな事が無くて何よりです」

 ヘレンは、最初こそ慌てた様子のアンに驚いていたものの、一応の状態を確認して安心したのか、やや平静を取り戻したようだった。馬車を停めて二人の様子を見ていたアスパーンとシルファーンに視線を移すと、丁寧に長い目礼をしてくる。

 少々居心地が良くない感じではあったが、隣でシルファーンが会釈したのをみて、アスパーンも取り敢えず一礼を返した。

「突然お邪魔して失礼します。私たちは旅の者で、シルファーンと言います。こっちは同行者で、アスパーン。偶然アンさんが盗賊に襲われているところに通り掛かり、お助けした次第です」

 シルファーンが先に馬車から降りて、改めてヘレンに一礼した。

 アスパーンもそれに倣って頭を下げる。

 説明はシルファーンに任せたほうが良さそうだ。

「それは有難うございます。私はこのシェルダンの修道所を預かる、ヘレンと申します。この度は修道所の者を助けていただき、有難うございました」

 ヘレンは相手が森妖精だということに気付いたのか、やや恐縮したようだったが、直ぐにその狼狽を打ち消して礼儀正しく重ねて礼を言う。

「いえ、成り行きと言えば成り行きですから」

 シルファーンもヘレンの様子に気付いたのか、却って恐縮したように僅かに耳が下がった。

 人間より知性に優れると言われる森妖精に対する畏怖は、いまだに人間社会一般に存在する。

 既に妖精の世界を出た森妖精や山妖精、草原妖精などは、都市部を中心に人間社会に同化して生きているが、残念ながら『人間の世界』で生活してきた人ほどその偏見や畏怖は大きい。

 当たり前だ。

 誰しも、『よく解らないもの』は怖い。

 逆に、人間が『妖精の世界』で暮らすのならば、妖精たちに同じような目で見られる事だろう。

 人間の社会に出てきた妖精たちもまた、そういった偏見を躱すために主に都市部でコミュニティを構成しているため、都市部を離れるほど妖精種族全般に対する偏見は大きくなるものだが、今二人が居るセルシアの片田舎で、それを感じさせない程度に気を使ってくれる人間は珍しい。

 シルファーンが恐縮したのは、つまりそういう事だ。

「あのー、ところで、ちょっとお尋ねしたいことが……」

「……はい?」

「ここからバルメースを目指すには、どっちへ行ったほうが?」

 アスパーンは出来るだけ控えめに訊ねてみた。

 感動の再会の腰を折るようで気が引けたが、最優先ではっきりさせておきたかった。

 因みに、バルメースはこの近隣の最大都市で、同時に今居る場所も含めて周辺一帯を治めるセルシアという国家の首都だ。

 数年前に即位した女王の名を冠して、首都の名前をバルメースと改めた。

 因みに、バイメリアという名前で、まだ三十にも満たない若き女王だ。

「バルメースでしたら、水晶の森を左手に見ながら南へ真っ直ぐですけど……成り行きって、そのことですか?」

 ヘレンは修道所からかなり離れた場所に僅かに見える森を示すと、アスパーンたちが最初に向かっていた方向を指し示した。

「……ええ、まぁ。……恥ずかしながら途中で道に迷いまして……」

「……狩人の方々が使う道に迷い込んでしまったんですね。たまにいらっしゃいます、そういう方」

 納得したように頷いたヘレンは、少し考えるように『うーん』と首を傾げてから、訊ねてきた。

「……お二方は、お急ぎなんですか?」

「いや、特に一刻を争う用事があるわけではないですね。寧ろ、そういう用事はこれから作れるようにならなきゃならないんですけど」

 突然の問いに戸惑いながらも、アスパーンは答えた。

「……つまり、『職探し』ということですか?その出で立ちですと、剣の修行をなさったようにお見受けしますが……」

 ヘレンはアスパーンとシルファーンの風体を見て、二人が所謂『普通の旅人』とは少々趣が異なる人間である事を見て取ったようだ。

 街道を通る旅人の場合、帯剣する者自体は少なくはないが、アスパーンのように鎧まで身につけているのは少数派だ。多くの者にとって、剣はあくまで最終手段で、余程の自身がない限り、身軽な方が便利だからだ。

 加えて鎧まで着ている場合は、鎧が必要な職に就いているという者が殆どという事になる。

 つまりそれは、貴族子飼いの代行者――――代理剣士――――や、傭兵や、冒険者といった類だ。まぁ、それらは『厳密に言えば違う』というだけで、一言で言えば『戦士』というほぼ同じ職種に属するのだが。

 アスパーンもまた、自分がそういう存在だという事を特に隠すつもりも無かった。

「えぇ。バルメースで、仕事を探そうと思っているんです。こいつを使った。なんで、バルメースには行かなければいけませんが、今日明日というわけでも有りません。今日は引き返した方が良さそうですけどね」

 思わず苦笑いが出た。

 ショートカットしようとして却って遠回り。

 『急がば回れ』とは、よく言ったものだ。

「なるほど、そういうことでしたか。それで急いではいないと……」

 ヘレンは納得したように再度頷くと、僅かに微笑んだ。

 どうやらヘレンは、アンと自分達が出会ったことをある種の『神のめぐり合わせ』だったと思ってくれたらしい。

 確かに、盗賊に襲われているような場所に通りかかったのが、自分達のような武装した人間でよかったと、アスパーンも思う。

 安心したように頷くヘレンの、聖職者特有の仕草と言うか、噛み締める様にこちらの言葉を聴く様子に、アスパーンは好感を持った。

 どうやら、特に警戒心を抱く必要はなさそうだ。

「そういうことでしたら、宜しければ今晩はこの修道所に一泊なさっては如何でしょうか? アンを助けていただいたお礼と言うわけではないですが、今から向かっても、日暮れまでに次の宿場までは辿り着けないと思いますし。あくまで、お二人が宜しければ、ですが」

 ヘレンは無理強いしないように気を遣っているのか、やや慎重そうに、窺うような眼差しでこちらを見る。

 アスパーンに特に断る理由は、なかった。

 渡りに船とまでは言わないが、途中からは藪の中を歩いて少々疲れていたところでもあるし。

 アスパーンは視線をシルファーンに向けると、彼女が同意するのを確認した。

「……それは、僕らにとっては有り難いですが。宜しいんですか? あまり寄進とか用意できないのですが……」

「いえ。ご寄進目当てで申し上げてるのでは有りませんよ」

 今度はヘレンが苦笑いしながら答える。

「ここは町から歩いて数時間の距離ですし、基本的に辺境の修道所のようなことはあまりしていないのです。残念ながらそのような事をしなければならない場所も有るとは効いてはおりますが……」

「あぁ、それは失礼しました」

 ヘレンにそのつもりは無いようで安心したが、実際に、町と町の間に有る修道所などでは、屋根を貸す代わりに寄進を求められる事も少なくないと聞いている。

 中には不心得なナマグサ者も居て、かなり法外な金額を求められる事も有るらしい。

 とはいえ、それも修道所にとっては貴重な収入源なのだから、あまり無碍にするわけにもいかない。

 慈悲の心とか、そういう人の善意を利用した、悪徳商法の一種だ。

「残念ながらここは宿泊用の施設ではありませんし、空いている部屋を使っていただくことになってしまいますけど、今から町に戻って宿を取るよりはいいかと思いまして」

 ヘレンは、軽く手を振って『気にしていない』という風に愛想良く微笑んだ。

「ここは修道所ですので、期待に沿えるほどのものがお出しできるかは分かりませんが、お食事と夜露をしのげる位の場所はご用意できます。あまり期待されてしまうと、ガッカリされてしまうかも知れませんが……」

「あ、いえいえ。その辺はもう、野宿になるよりは。すごく有り難いです」

 過剰なほどでもないがかなり謙虚で慎重な物言いをされると、却って恐縮してしまう事がある。

 正しく、ヘレンとの会話はアスパーンにそんなむず痒さを感じさせた。

 苦手と言うわけではないが、どうもこの人と会話していると遠慮と気配りを欠かせないような気になってしまう。

 とはいえ、基本的に善意で投げかけられる言葉なので、過度の遠慮も相手に悪い。

 どうにも、距離感を掴みにくい相手だった。

「そうですか? それなら安心しました。では、こちらへどうぞ。アン、貴方は荷物を宜しくね?」

 安堵の溜息をつくと、ヘレンは傍らで会話を聞いていたアンに声を掛ける。

「は、はい、ヘレン様」

「一人で大丈夫?」

「はい、何とか」

 ヘレンはアンとやり取りしながらその足取りを確認し、思ったより動揺などが残っていない事に安心したようだった。

「お二人とも、本当にありがとうございました。私は仕事が有りますので、ここで失礼いたします」

 アンは謝意と共に一礼して、こちらに背を向けた。

 アスパーンとシルファーンもそれに会釈を返す。

 ヘレンは立ち去るアンの背中に向けて、神に感謝を告げるように何かの印を切ると、改めて二人に頭を下げた。

「お二人には改めて感謝を申し上げます。では、こちらの方へどうぞ」


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