071~080
071.
名前を呼ばれた気がした。兄の声だと思った。振り向くと、兄の背中に鼻をぶつけた。なんでこんなすぐ近くに、しかも背を向けて立っているのだろう、聞こうとした途端「いい度胸だな」地を這うような声で兄が呟き、直後凄まじい耳鳴りがした。直感で逃げていく何者かの悲鳴だと思った。
072.
うだるような暑さだ。外気温が体温より高いのでは冷房に頼るしかない。頑張って28度で耐えていたところを、鶺鴒が唐突に窓を開け放った。熱風が吹きこむかと思いきや、清流の涼風のような素晴らしい風が一瞬舞い込んだ。「残暑見舞いだって」感動する弟妹にいつものように微笑んだ。
073.
嫌なチェーンメールが流行っている。要約すると友人を殺した犯人を見つける為の特殊なメールで転送しないと犯人と見做して殺しに行くという支離滅裂なものだ。気味が悪いが双子も妹も放置していた。不意に隼の携帯が非通知着信。奪うように鶺鴒が出た。「違うよ」優しく答えて切った。
074.
今年も球児達が炎天下に白球を追いかける。暇だし、外は暑いので双子と妹はTVで観戦していた。母校があるわけでもないが感動した。まだ一試合あるが、それぞれ居間から離れる気になり電源を落とす。が、すぐにつく。何度切っても、つく。部屋にはまだ観戦している者がいるようだ。
075.
ぽとんっと、視界の端をなにかが落下した。隼はPSPから顔を上げて周りを見る。「隼!ナルガクルガそっちいった、あー!バカー!」薔薇が悲鳴を上げるが、隼の視線は釘付けになっている。硬直している隼の視線の先を追い、薔薇も固まった。居間のソファで立派な鯛がびちっと跳ねた。
076.
道路工事に伴い小さな神社を移動しようとしているらしい。なんとなく見ているといつの間にか兄がいない。見回すと、端の方で白髭の老人の隣に座って談笑している。話が終わり、笑顔で別れた鶺鴒と共に歩き出す。「呪うつもりだったけど、気が紛れたって」どうせそうだろうと思ってた。
077.
折ったオガラを焙烙に積み燐寸で着火。白い煙が微風に揺れる。「ん!」「え?」手を合わせていた隼が顔を上げ、薔薇が首を傾げる。鶺鴒は手を合わせたまま。「におわない?」「煙?」「違う。なんか臭い、っていうか獣っぽい…むしろフン?」「牛だよ」長居せずにお帰りになるようだ。
078.
隼はあまりの暑さに木陰にへたり込む。喘ぎながらよく見るとそこは神社の鳥居の下だった。トトロが棲みついていそうな巨木の影が落ちかかっている。タオルで汗を拭っていると朝顔柄の着物の裾が目に入った。「暑いですね」返事をしようと顔を上げると、日傘を差した白狐と目があった。
079.
ここ数日、隼の枕元に髪の毛が落ちていた。家族の誰よりも長く、脱色してある。家族全員黒だ。部屋に条件にあう者を入れていない。数本なら偶然もありえるが、その場で抜いたか梳かした程の量だ。暫くして見なくなり、安堵するも鶺鴒が呟く。「全部集めると一人分の鬘が作れそうだな」
080.
小物の位置が変わっている。侵入者が触ったとかではなく、まばたきする前後で違う。鶺鴒は棚を見下ろす。写真立て、眼鏡ケース、土鈴の人形、サンキャッチャー。まばたき。少し位置が変る。まばたき。少し位置が変る。隼が不気味そうに兄を見る。「何してんの」「だるまさんが転んだ」