681~690
681.
カラスがいる。電線に。壁の上に。路上の自転車、スクーターに。カラスカラスカラスカラスカラス…ほんの数メートル四方の空間が艶やかな黒に埋め尽くされていた。無言の黒い鳥の群れが放つ圧力にさしもの鶺鴒も踵を返して逃げ出した。背後からゲラゲラ大笑いする声だけが追ってきた。
682.
髪を梳かそうと鏡を覗いた薔薇は唖然とした。後ろ姿が映っているからだ。薔薇は鏡を見ているのに、だ。滅多に見ないが、自分の後ろ姿だということぐらいは分かる。こういうときは鶺鴒を呼ぶべきだと思い、振り向く。視界の端に振り返ろうとする自分が見えて、薔薇はダッシュで逃げた。
683.
一軒の家の前にパトカーが止まっていた。近所のおばさまたちの会話によれば、ここ数日異臭が酷く、家人の応答がないらしい。ふと隼が視線を上げると二階の窓辺に立つ人影がサッとカーテンを引いた。後に一家無理心中という小さな記事を見つけた。死後2週間経っていたという。
684.
その公園は学校の校庭のように遊具がなくだだっ広いだけなのにも関わらず球技禁止で殆ど人がいない。閑散としたグラウンドの真ん中で、カラフルなピエロがパントマイムをしている。練習中かと薔薇が横目に見ていると、ピエロは何もない空間をまるで梯子があるかのように登っていった。
685.
「ねえ遊ぼう」袖をひかれて振り向くと、目が真っ黒な空洞になった男の子が立っていた。髪はベタベタで肌も服も薄汚れている。鶺鴒はそっと男の子の指を外す。「向こうでなら皆喜んで遊んでくれるよ」優しくいって頭をひと撫でする。男の子は首を左右に振り、地に滲みるように消えた。
686.
「隼、帰ろう」はっと顔を上げると、鶺鴒が目の前にしゃがんでいた。にっこり笑って炭酸飲料の缶を渡してくる。隼は素直に缶ジュースを貰って飲んだ。飲んでから兄の差し出す手を取って―なぜそんなところにいたのか―古木の巨大な洞から出た。「おかえり」缶はすっかり赤錆びていた。
687.
リビングで映画を見ていると、コツコツ窓を叩く音。鶺鴒がカーテンを開くと燕尾服を着た蛙が立っていた。シルクハットをとり、優雅に一礼する。「今年の夏もよろしくお願いいたします」けろけろけろけろ。草むらに潜む無数の蛙が一斉に鳴くと、燕尾服の蛙はポンッと煙になって消えた。
688.
泥に汚れたぬいぐるみが落ちていた。女子高生が鞄にぶら下げそうなカラフルなクマっぽいぬいぐるみ。次の日隼が通りかかると電柱に背を預けて座っているような姿勢だった。その次の日ぬいぐるみをカラスが突いていた。腹から赤黒いワタが引き出されたように見えて、足早に通り過ぎた。
689.
兄の鶺鴒は体が弱い。特に季節の変わり目は体調を崩しやすい。今日のようにちょっと冷え込むと、もこもこの靴下を履き、長袖の腕を摩りながらブランケットに包まっている。隼は窓を閉めてやろうと顔を上げ、凍りついた。窓の外に陣取った巨大な顔がうそ寒い吐息を家に吹きこんでいた。
690.
家の中の匂いが違う。玄関を開けた薔薇の全身に緊張が走った。崩れそうな崖の際に立った時に似た感覚。ゆっくり靴を脱ぎ居間へ一歩踏み出した瞬間、吊られていた額から外れたガラス板が薔薇めがけて宙を舞った。鞄で叩き落とすと、ガラスの砕ける音と一緒に舌打ちが確かに聞こえた。




