611~620
611.
家の電話が鳴り始めた。液晶画面には『鶺鴒ケータイ』と表示されている。兄は出かけていたのだったか。隼は受話器に手を伸ばす。「出るな」静かだがはっきりとした声に驚いて振り向く。兄が怖い顔で立っていた。居間のテーブルを指差す。彼の黒い携帯電話が置いてあった。
612.
手袋をはめると、指先に冷たいものが絡みついた。引っ張り出すと、それは長い、長い黒髪だった。家族の中で一番髪の長い妹のものよりはるかに長い。気味が悪い。隼は必死になって髪を次々手袋から引き抜く。気付くと、到底手袋には入り切らない大量の髪の毛がもさりと山になっていた。
613.
最初は誤配かと思った。だが住所と宛名は間違いなく薔薇宛。簡素な白い封筒と便せん。便せんには「手紙の返事をありがとう」「毎日返事が待ち遠しい」「もし良ければ会いたい」日常の他愛ない内容に加えそんなことが綴られている。誰も覚えのない差し出し人から大体月一通ぐらい届く。
614.
急にせき込み始めた弟に兄が駆け寄った。身を折って隼は呻き声のような異様な声を上げている。鶺鴒が「ごめん」といってから隼の腹を思いきり押した。ぐぼっと喉が鳴る音と共に隼の口からぬめり出たのは一匹のヒキ蛙。げくっと啼いてぎょろりとねめ上げる目玉は人間のものだった。
615.
笛の音が聞こえる。遊園地で聞くような心躍る軽快な旋律。曰く言い難い魅力に隼は窓を開けた。道の向こうから冷たい空気を押しのけるようにして賑やかな笛の音が家の前へやってきた。そして通り過ぎていく。虚ろな目をした痩せた子どもやジャージの若者がぞろぞろと歩き去っていった。
616.
行儀が悪いのは承知で薔薇はコンビニで買った肉まんを食べながら歩いていた。不意に真正面から鴉が飛んできて、驚いて肉まんを取り落とす。三秒ルールと叫びながら、薔薇はおっことした肉まんをひろって口に放り込んだ。頭上でちっと鋭い舌打ち。見上げると鴉が飛び去っていった。
617.
壁に耳がついていた。人間の耳だ。産毛まで生えている。ちょっと触ってみた。暖かい。顔を近付けていた薔薇は一歩下がって周囲を見回す。他に変なもの―例えば目とか鼻は見当たらない。もう一度顔を近付け、ふうっと息をかけてみた。ブロック塀がぶるんっと震えた。
618.
双子達の家の近くに事故が多発する交差点があった。まるで呪われているように車の故障やうっかり事故が起き、誘われるように大人や子供が飛び出す日もある。ある日ひとりの少年が轢かれた。彼の腕の中の猫は無事だった。それからやたらと猫がいるようになり、事故は減りつつある。
619.
鏡の中の自分の顔が笑っていた。だが隼自身は笑っているつもりはない。けれど鏡の中の自分そのものの顔が笑っていると、本当は自分も笑顔なのかもしれないと奇妙な考えが浮かぶ。頬に手を伸ばして触ってみる。唇を引き結び頬は強張っていた。鏡の中の顔は歯を見せて笑っている。
620.
古い映画館が火事になった。放火らしい。小火で済んだが火元の資料室は酷い有様で、色彩豊かな映画のポスターやフィルムが犠牲になった。突如やじ馬の中から悲鳴が上がる。絞られた雑巾のように体を捻られた男が倒れていた。鶺鴒は放火犯の体を捻る何百もの見えざる手から目を背けた。




