031~040
031.
手伝ってと薔薇は鶺鴒に川へ連れて行かれた。雨で増水した川の中央に、何かに引っ掛かったスクーターが水飛沫をあげている。膝上まで水に浸かり、流されかける兄を片手で支えた薔薇が残る片腕で廃棄物を河原へ引き上げた。翌朝、鶺鴒の部屋のベランダに魚が山盛りになっていた。
032.
体育館で納涼映画上映会が行われた。数年前の和製ホラーの火付け役となった映画だったが、夕方に行われることもあってか体育館は盛況だ。電灯が消えただけで歓声が上がり、上映が不自然に停止するなど盛り上がったが、壁一面の無数の顔に気づいていたのは鶺鴒だけだろう。
033.
「鶺鴒さ、よく幽霊が映ってるっていうとこ以外に幽霊見つけるけどさ、今見てるこれはどうなの?」隼が指差すのは古いがテレビで何度も放映される人気のアクション映画だ。いつものぼんやりとした眼差しをテレビから弟、そしてテレビへ戻し「まー、映画もドラマも日常と一緒だよ」
034.
鶺鴒はよく川や池、沼のほとりにいる。素人知識では水場は霊が集まりやすいというが、弩級のみえる人である兄は辛くはないのだろうか。隼も凪いだ水面を眺める。「なんか、いる?」「そりゃあ、いるよ」「どの辺に?」「…」肩のあたりをじいっと見つめてきたので全力で口を塞いで黙らせた。
035.
背後から、ざあっと大粒の雨滴の音が聞こえた。振り向いて黒雲を確認した時には猛烈な通り雨に追いつかれていた。予報にない雨に周囲の人が小さく悲鳴を上げて屋根を求めて走る。薔薇も鞄を掲げて走った。目指すは前方で紫色の長い傘を差して微塵も濡れずに歩く鶺鴒の背中だ。
036.
鶺鴒は、此の世ならざるものを見ていたとしても、基本的に薄らぼんやりしている。だが、それは「相手」による。隼が側溝の板を踏み貫き、なぜか足が抜けなくなった。半泣きの隼の足元、側溝の闇へぐいっと顔を近付けると「離せよ」抜けた足には五筋の爪痕のような切り傷がついていた。
037.
「友達が言ってたんだけど星の寿命とか距離的にいうと、実は織姫と彦星は3秒に1回会ってるんだって」妹が雨雲に覆われた空を見上げる。「いつ、急に会えなくなるか知ってるってことだな」例え消滅が数百億年の彼方でも。「…会えてる?」全て見透かす兄はもちろん、と微笑む。
038.
「お前のクラスに変な机あるよな?」薔薇が顔をあげると鶺鴒が彼女の右目にかかった髪を払った。今薔薇が座る席は新学期以来、その机を使った者は皆怪我をして学校を休む。負傷するのは必ず右目で徐々に酷い怪我になっている。「もう大丈夫だから安心しろ」兄の手には何も見えない。
039.
台所から悲鳴が上がった。鶺鴒はちょうど玄関で靴を脱いでいたところで、隼は和風ホラーゲームの真っ最中。悲鳴の主は薔薇だ。包丁を握ったままスイカを見つめて青褪めている。双子がスイカを覗き込むと、真っ赤な瑞々しい果肉はなく、黒々と艶めく長い髪がうねっていた。
040.
悪夢を見て薔薇は飛び起きた。慌てて枕元の時計を見ると、夢の中とまさに同じ時刻。部屋から飛び出し、玄関へ走る。1階に辿り着くと、鶺鴒が玄関の鍵とチェーンをかけたところだった。次の瞬間、ドアノブが凄まじい音を立てる。ぽかんとする妹に兄は笑む。「夢みたいにならなくて良かったな」