321~330
321.
ノートを開いたままうたた寝をしていたらしい。首が痛い。しかし、起き上がろうにも体が動かない。ああ久し振りに金縛ってんなあ、目開くし霊的だなコレと隼は冷静に考えた。目の前に青白い女の顔もあるし確実に霊的だ。女はノートをしげしげ見ていたが隼に視線を変え「ここ違うよ」
322.
今日は子どもの日で、立夏で、スーパームーンだ。子どもの幸福を願う日で、母に感謝する日だ。夏が始まる日だ。いつもよりも30%明るい満月だ。薔薇は戦地の母とパソコンで話している。隼はエアコンの掃除。鶺鴒はカルピスをかき混ぜながら白金色の庭で跳ねるうさぎを眺めている。
323.
日中少し雨が降った影響か空は澄み渡り、昨日以上に月がまるくあかるい。「…変身できそう」楽しげな薔薇に鶺鴒は首を竦めて苦笑する。黄金色の狼が白い兎を追って夜空を翔るのを目の端に捉えながら、兄は闇色の眼差しを妹に向ける。「いいけど、服に毛がついたらとってね」
324.
玄関で鶺鴒が困っている。やばいと直感するが一足遅く、兄は振り向く。「なあ、人んちって教えるのってどうなんだろう」確かに、今の世の中住所などの個人情報をみだりに教えるのは危険だ。「たぶん凄くびっくりするだろうし」兄の足元には泥に塗れた金髪のビスクドールが立っている。
325.
家の小さな仏壇に仏飯を備えるのは薔薇の仕事だ。幼い頃、常に餓えていた妹は仏壇のお供えものを豪快に喰らっていた。子孫のすることだからか祟られるとかはなかったが、鶺鴒の目にはお腹(?)をすかせてどんどん希薄になっていくご先祖さま方が見えていて居た堪れなかった。
326.
薔薇が激怒していた。最後の原液で作ったカルピスがなにものかに飲まれたと。薔薇の飲食物を奪うようバカな人間は防人家にいない。間違いなく人外だ。放たれる殺気に家中から人外の気配が消える。翌日一升瓶に入った不思議な甘い飲み物が薔薇の部屋に置かれていた。物凄く美味だった。
327.
道路の向こうで結婚式をしていた。花嫁は既にお腹が大きく、とても幸せそうに笑っている。支えるように抱きしめる新郎も喜びが溢れ返るような笑顔。「あの三人幸せになれるよ」不意に鶺鴒が呟いた。「なんで?」「四人目と五人目が、この家族なら幸せになれるって順番待ちしてるから」
328.
河川敷に人だかりができていた。兄を引っ張っていくと誰かが昂奮して「人面魚だ!」と叫ぶのが聞こえた。本能的に足を止めると逆に鶺鴒は人をかき分けて進んでいく。「覚えてろよ」食べ物を口に含んだような声。「忘れるよ」兄の静かな声がして、白い鯉に似た魚が川に投げ入れられた。
329.
涼しいと寒いの間の陽気で、半袖からつきでた腕が凍えている。勢いよく伸びた若芽やピンクや黄色の花々も少し縮こまっているように見える。猫を抱いて暖を取る鶺鴒が窓辺から何かに言う。「少佐、気持ちは分かるよ。最近亜熱帯化著しいよな。でもだからっていつまでもはさ…」
330.
「でもさ本当に隕石が地球にぶつかることになったら、どうにもならないよね」泣きじゃくる父にBOXティッシュを投げつつ薔薇はまじめな顔で言う。鶺鴒はいつもの穏やかな笑み。「人間が起こしたんじゃないことは人間とは関係なくどうにかなるんだよ。俺達はたぶん偶然生きてるんだ」




