301~310
301.
桜の花びらが落ちていた。誰かが桜の枝でも持ちこんだのだろうか。鶺鴒は花びらを追って二階へあがった。辿り着いたのは親の寝室。滅多に帰らない両親の部屋のドアを開け、桜色の導を辿って和箪笥を開いた。桜の大枝のまわりで酔っ払った小さい人々が笑っていたので、そっと閉めた。
302.
珍しく面白がるような笑顔の鶺鴒が、頬杖をついてなにかを見守っている。隣に座って兄の見ている方向を見てみるが、やはり何も見当たらない。「やっぱちょっと羨ましいよなあ」思わず隼が呟くと、似ていない双子の兄は満足そうに笑う。「悪いこともあれば、良いことにも繋がるんだよ」
303.
おかっぱ頭の女の子が電柱の陰から顔を半分だけ出してこっちを見ている。薔薇は厭な予感に貫かれ立ち止まった。こういうのは基本的に兄の領分だ。見える方にしろ追われる方にしろだ。反撃も逃走もできるよう身構え続けていると「兄にすべきだった」ソレは呟き電柱の影に消えた。
304.
今日の予報は午後から雨。今にも降りそうな曇天だが、幸運なことに鶺鴒を見つけた。彼は「雨に当たらない男」だ。晴れ男というわけではない。だが朝から土砂降りとか、台風直撃でないかぎり、鶺鴒は雨に降られない。薔薇が駆け寄ると兄は微笑む。「隼が雨を連れてくる前に帰ろうな」
305.
「黙っていてくれませんか」氷の鈴を振る様な怜悧な印象を与える声。門扉の向こうには鶺鴒の首から上しか見えない。「彼女を傷つけるつもりはありません」「俺はいいけど…世の中は厳しいよ」「分かっています。では」黄色い帽子をかぶった幼稚園児がきびきびと歩き去っていった。
306.
薔薇がいつも通り抜ける公園のベンチに中年男性が寝ている。顔に新聞を被って爆睡する彼の腹の上に、鴉が一羽降り立った。鴉は徐にくちばしを、中年太りの腹に刺した。鴉のくちばしにはハンバーガーを咥えられていた。男性の腹には傷一つなく、鴉はハンバーガーを咥えて飛び立った。
307.
優しい笑顔の若い女性が、杖をついた男性が横断歩道を渡るのを手伝っていた。道行く人は感心したような眼差しを向ける。隼も思わず見ていると、道路の向こう側から鶺鴒が怖い顔で歩いてきて、女性の耳元にそっと顔を寄せた。瞬間、女性は凄まじい雄叫びをあげて走り去った。
308.
駅前で売っていた鶏の腿肉の誘惑に耐えきれず、薔薇はてらつく肉を齧りながら帰路についた。半分食べ終えた頃、視線を感じて振り返る。黒い犬と目が合う。正確にはコートを着た人の体に犬の頭がついている。「失礼あまりに美味しそうだったもので」礼儀正しく腰を折り、去っていった。
309.
街灯の周りに虫が集まっている。リンプンを散らす大きめの蛾も何頭か見受けられた。隼が灯りの輪に踏み込んだ瞬間、ペタペタペタという軽い音が体の横から上へ移動した。灯りが一瞬陰る。反射的に見上げると、着物姿の老婆が電柱に四つん這いになり、舌を伸ばして虫を絡め取っていた。
310.
傘の骨が一本曲っている。乱暴に扱った覚えはないが、薔薇は力が強い。ふと拍子に曲ったんだろう。けっこう気に入っていた緑色の傘を差しながら、少し悲しい気持ちになった。雨の跳ね返りで膝下を濡らしながら歩くうち、頭上でぐちりっと音がした。見ると曲った骨はどこにもなかった。




