291~300
291.
まだ妹がおらず、双子が手をつないで家に帰っていた頃。濃い影が長々と伸びる暑い夕暮れに、双子以外のものが加わることがあった。「覚えてるか?」隼はふと思い出したのだが、どんな姿だったのか忘れていた。「お前は忘れちゃったのか」鶺鴒の視線が自分の隣を見ている気がした。
292.
「ごめん、どいてえ!」叫び声にぎょっとして顔を上げる。だがよく見る前に鶺鴒は薔薇にタックルを喰らってもんどりうって倒れた。直後、燃え盛るオッサンの顔を真ん中につけたでかい車輪が転がって行き「すいませんほんとすいません!」と一本足の古い傘が謝り倒しながら跳ねてった。
293.
珍しく隼と薔薇が一緒に歩いていた。すっかり日が暮れ、あたりは真っ暗だ。数メートル先の街灯の下に、髪をふり乱した落ち武者的な生首が額や切れた首からドバドバ血を流しながら宙を突進してきた。隼が腰を抜かす横で、妹は真っ向から生首に頭突きをくらわせ夜空にすっ飛ばした。
294.
「絶対増えてる」金魚鉢に顔を思いっきりくっつけて薔薇が呟く。妹曰く、底に沈めてある色とりどりのビー玉が増えているというのだ。双子も両脇から金魚鉢を覗きこむが良く分からない。その途端三人の目の前で、ちゃぽん、と緑のビー玉が水中に落ちた。「ね?」上を見ずに妹が言った。
295.
手すりに白い手がぶら下がっている。念入りにネイルアートの施された手だ。四本の指をかけて左右に揺れている。すると日に焼けた浅黒い大きな手がするすると手すりに上って来た。ふたつの手首は仲良く揺れ始めた。「デートかあ…」「羨ましがるなよ」弟は思わず兄の頭をしばいた。
296.
隼は風呂が好きだ。温厚な鶺鴒が苦言を呈するほどの長風呂だ。今日もぬるめのお湯にゆったりと浸かっていた隼は、頭に滴を受けた。外は暖かいはずなのに結露したのだろうかと天井を見上げると、やたら舌の長い人型のなにかがへばりついていて微笑まれた。少し風呂が嫌いになった。
297.
昼間の気温が暖かくなり、桜が満開になった。しかしここ数日風が強く、怖いほどの花吹雪になって視界が桜色に染まる。乱された前髪をかき上げながら薔薇が顔を上げると、桜色の人が踊っていた。よく見るとそれは桜の花びらたちで出来ている。風と遊ぶように数瞬舞って散っていった。
298.
電車内の座席がすべて埋まっていたので、隼はドア脇の手摺に寄りかかった。立っている人も多いが、吊革に空きがある混み具合だ。ふと顔を上げた隼は、そのまま固まった。網棚に骨壷を抱えた老婆が座っていたのだ。真っ黒な眼下から黒い液体を流し始めたのを見て、隼は次の駅で降りた。
299.
必死の形相で男が走っていく。男が一歩を踏み出すごとに、踏みしめた川面が凍りついていく。水の上を陸と同じに走る男は、なにかに追い立てられているように必死で真剣だ。走っていく男を鶺鴒は護岸から静かに見送る。「間違えてるよ」憂いを帯びた囁きが、氷を割る水音に消えた。
300.
心霊スポットとしてよくあげられるのは古戦場だ。だが歴史書に載らないだけで日本で、いや人間が住む大地の上で人血を啜っていない土地などない。鶺鴒が部屋の窓から見下すと、背に矢を突き立てた血塗れの若武者が歩いていく。帰りたいという哀しげな想いを引き摺って。




