261~270
261.
アスファルトに跳ねる雨滴が、白い煙のように立ち上る。靴に水が染み込み始めている。顔を上げると、水煙の中に犬が一匹座り込んでいる。びしょ濡れで、首を下げてじっとしている。犬の視線の先には花束。鶺鴒は一度通り過ぎて戻ると、傘を半分さしかけた。雨が止むと犬の姿が消えた。
262.
水の中がキラキラと光っている。金色の清らかな光だ。太陽光を跳ね返しているのとは違って、光源が水の底にある。「…なんだか笑ってるみたいだね」手すりに顎を乗せて薔薇が呟くと、鶺鴒がぎょっとして声を上げた。「聞こえんの?」「ううん、なんとなく…笑ってるの?」「大爆笑」
263.
突然鶺鴒が不愉快げに顔を顰めた。異臭を嗅ぎ取ったような、心底厭そうな顔で「うー」と唸りつつソファに倒れた。苦しげに「危ない」と呟くので、隼は逃げ、薔薇は窓を開けて高速で飛来したものを迎撃した。真っ二つに割れて落ちたのは絵馬。黒いインクで「死ね」と書き殴られていた。
264.
明け方チャイムの鳴る音を聞いた。けれど鶺鴒も隼も薔薇も猛烈に眠かったので、放置して眠った。もしかしたら帰宅した父が鍵を忘れたのかもしれないが、知ったことではないと思って。翌朝、新聞を取りに出た鶺鴒が変な声を上げた。見に行くと、玄関前にこんもりと灰が山になっていた。
265.
寝室の窓の外を横切っていく女の子が見えた。スキップしているのか、サイドテールがぴょんぴょん跳ねる。隼は音を立てて青褪める。鶺鴒は窓を開け「楽しい?」と呼びかけた。女の子はぴょんと跳ねて窓枠に手をかけると、元気よく「うん!」と答え、再び電線の上へ戻って跳ねて行った。
266.
普段白い顔を更に白くして鶺鴒が帰宅した。弟妹が肩を貸しながら部屋に連れていく中訊ねた。「どっち?」「…降りてくれなくて」一瞬躊躇ってから鶺鴒が微笑む。薔薇は火を噴きそうな憤怒の眼差しで背中を見た。途端ドダダダと足音が駆け下りていき、同時に鶺鴒の顔に血の気が戻った。
267.
今日もいつもと変わらぬ顔で、鶺鴒は膝の上の伊庭を撫でている。薔薇がTVをつけた。普段にぎやかな音を発する薄い筐体からは静けさが流れてくる。「にぎやかな日だな」静かな呟きに薔薇は兄を見、すぐにTVに振り向く。きっと瞑目する人々の数だけ今日はにぎやかな日なのだ。
268.
「置いていったら?」居間のソファでまどろんでいた薔薇は、優しい声に目を開けた。そっと首を曲げると、床にぺたりと座った鶺鴒が微笑んでいる。笑みのかたちに細められた夜色の眼の先には、なにも見えない。「ね、光が見えただろ。あそこにいるの貴方の赤ちゃんでしょ…さよなら」
269.
スリッパが片っぽしかない。見回すが落ちていない。二匹の猫はソファの上にいる。まあいいか、と廊下へ振り向くと扉が開いた。一つ目一本足の生き物が突っ立っていた。「あ、スリッパお借りしました」ソイツは履いていたスリッパを片方に添えると、窓からぴょんっと出て行った。
270.
森の中、白い木が一本あった。夢だな、と隼は悟り始めていた。よく見ると、洞から赤と黒の斑の腕が手招きしている。いつものヤバイ感じが、今回はしなかった。だから招かれるままに歩み寄って、手を握った。そっと優しく手が握り返した瞬間、腕はすうっと肌色に染まって、目が覚めた。




