241~250
241.
大食いの妹は、毎年立派なチョコを父と兄達に配る。一カ月後の三倍返しの為だ。早速食べ始めると、窓を叩く音。見に行った薔薇が誰かと話している声。暫くして戻ってきた彼女の手には箱。「鶺鴒にだって」「誰から?」「知らない…受け取るなら、来月取りに来るって」「返して」「ん」
242.
隻腕の猫・伊庭が何かを訴えるように鳴く。鶺鴒は愛猫の後について二階へ上がった。無人の筈の両親の部屋。室内に向かい、君影が悪鬼の如き形相で威嚇している。開いたドアから伸びるシルエットは、蛾のような巨大な翅を生やした人ぐらいのもので、ガタガタ震えて体を丸めていた。
243.
トイレに鍵がかかっていた。さっき通りかかった居間に兄も妹もいた。両親は家にいない。また「なにか」が入っているのだ。隼は嘆息しながらドアをノックした。するとドンッとまるでドアになにかが体当たりしたような音。ノブがガチャガチャ回る。後ずさろうとした瞬間、「開けろ」
244.
火の玉が浮いている。色とりどり、十個ばかりが、そこを通る以外に家に帰る術がない道にだ。脇をすり抜けるのも怖い。だが幸い少し経つと一番遠くの赤いのを先頭に空へ舞い上がっていった。「やっぱりリーダーは赤なんだな」実は一番怖いのは鶺鴒だと腰を抜かしながら隼は思った。
245.
蕎麦屋へ三人で入った。混雑する時間帯のためか、額に汗した店員がざるそばが載ったトレーを掲げたまま「相席でもよろしいですか?」「全然大丈夫です」「ではお座敷へ。失礼します相席お願いしてもよろしいですか。ありがとうございます」店員が去ったそこには湯呑だけがあった。
246.
鶺鴒といるとつい彼の視線を追う。昼間の電車。人は疎らで間をあけて座る事が出来る。兄の闇色の眼差しが空席に一瞬留まった。薔薇の目には空席にしか見えない。見上げると、兄は少し眉を寄せて微笑み「座らないならしっかり吊革掴んで」直後、急停車。人身事故のアナウンスが流れた。
247.
疲労困憊の鶺鴒が帰ってきた。足が攣っているらしく玄関で靴も脱げずに身悶えている。主に薔薇が担ぎあげて居間に運ぶ。暖かい部屋でぬるめの緑茶を与える。ひと心地ついた兄によると迷子を送り届けにいったそうだ。コートのフードから、目に痛いほど真っ赤な羽根が一枚落ちた。
248.
通りすがりの家の中から、楽器の演奏が聞こえてきた。薔薇には音を聞いただけで楽器の種類が分かるほどの知識はないが、打楽器か管楽器か弦楽器かぐらいは分かる。たぶん、ヴァイオリンかな、と胸の内で呟く。「ヴィオラよ。ヴァイオリンの仲間の」低く透き通る女の声が耳元で囁いた。
249.
ドアチャイムが鳴った。偶然そばにいた隼は、深く考えずドアを開けて固まった。「ちょっと休ませてもらえませんか」「あ、はい」ごくナチュラルに言いながら、さっさと上がり框に座られたので頷くしかなかった。十分ほど座って休んだ二宮金次郎像は丁寧にお礼を言って去っていった。
250.
ドアチャイムが鳴った。出迎え好きの猫は動かない。薔薇はカメラで外を確認する。誰もいない。首を傾げてソファに座ると、再び鳴る。確認するが、いない。薔薇は君影を連れて玄関へ。鳴った瞬間ドアを開けると、君影が生垣に突進した。数十秒後、愛猫は小さな帽子を咥えて戻ってきた。




