111~120
111.
電車が急ブレーキをかけた。鶺鴒は薔薇がしっかり腕を掴んでくれたので無事だが、数人が床を転がる。体勢を立て直し顔をあげれば先頭車の窓一面が真っ赤な液体に塗りつぶされている。が、まばたきの後、窓は綺麗になっていた。ざわつく車内に、発車します、とだけアナウンスが流れた。
112.
「轢かれるぞ」鶺鴒が薔薇の腕を引く。見回すが車や自転車の姿はない。すると十字路へ一台のトラックが入ってきた。ばごっ。荷台が轟音を立てて凹む。物凄い音と共にトラックは壊されていく。運転手が悲鳴を上げて車から逃げる。車が唯の残骸と化すとゲラゲラと野太い笑い声が響いた。
113.
ショートカットの黒髪、アニメキャラのシャツ、ピンクのスカート、ふっくらした頬は血の気がなく、半開きの口と白眼のない目は真っ暗な空洞。小首を傾げて隼を見上げてくる。喉を鳴らして後退ると鶺鴒が入れ違いにしゃがみ、飴を差し出した。隼が息を吐くと、少女と飴玉は消えていた。
114.
電車が急停車した。唯でさえ遅延している中、乗客から憎悪に近い空気が湧く。先頭車両に飛来物が巻き付いたのだという。兄弟妹は窓外を眺める。「ビニール袋?」「風速30メートルだって」「流石に台風には勝てないんだな、一反木綿も」窓の外を、真っ白な長方形の物が飛んでいった。
115.
鮨詰め状態の電車から降り、兄弟妹は一息ついた。元凶である台風は既に去り、灰色の雲間から月すら垣間見える。未だ遅延の一因となっている強風によって雲がどんどん左の方へ流れていく。「頑張るなあ」鶺鴒の視線の先を追えば、雲がひと塊り、猛然と右の方へ飛んでいく。
116.
片付中、古い絵本が出てきた。薔薇はつい本を開いた。妖精の冒険を描いた平和な物語。何ページめか。捲った途端、何かが顔に向かって飛んできた。反射的に掴む。だが、掴んでいる「感触」だけがある。指を開くと小さな足音が遠ざかっていった。絵本は白紙になっていた。
117.
鶺鴒が腹痛に苦しんでいる。虚弱なので季節の変わり目は体調を崩す。健康優良児の弟妹を毛布の下から恨めしげに見てくる。「実は悪霊とか妖怪に取り憑かれてるんじゃないの?」笑いながら薔薇が言うと「今日のは、急に涼しくなって暑くなったからだよ」兄は蒼い顔で目を閉じた。
118.
道の真ん中で、なにかがくねくね踊っていた。なんなのかよくわからない。人のかたちをしているようだが、輪郭がはっきりとしないのだ。あえていうならノイズの塊のようなもの。それが、くねくねぐるぐるうねうね踊っている。鶺鴒は陽が落ちて踊るものが消えるまで、見張り続けた。
119.
急に寒くなったせいか、帰宅途中に猛烈な腹痛に襲われ、隼はよろよろと玄関のドアノブを掴んだ。鍵が、かかっている。絶望のあまりその場にしゃがむ。かちゃり。扉が開いた。一気に息を吹き返しトイレへ飛び込む。案の定、落ちついて確認した家には誰もいなかった。
120.
隼が朝起きると、カーテンの下から足が生えていた。ぎゃっと反射的に叫ぶと、寝巻の兄が顔を出す。苛立ち紛れに枕を投げつけてから、鶺鴒と共にカーテンに包まるように窓外を見る。朝霧が一面を覆っていた。霧は陽が昇るまで、拍動するように金や紫、桜色、朱と色を変え続けた。




