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しかし感情の種とは性質も抑制の可不可も関係なく、気付いた時にはもう発芽していたり無意識の形に変質していたりもするから性質が悪い.4

 迷惑賃ではないが、ハルとルルは適当にアウターを見繕ってそれぞれで購入した。

 ハルは可愛らしい黄色のパーカーを。ルルは落ち着いた水色の、無地のシャツと青のカーディガンを。

 選択のチョイスは、やはりまちまち。こんなところにも、二人の性格は現れる。

 古着屋を出ると、ハルのお腹が鳴き始めた。朝食を取ったとは言えそれももう数時間も前の事だ。時計の短針は間もなく正午の手前に差し掛かろうとしていた。

「ちょっと早いけどお昼にする?」

 そんなルルの提案に、嬉しそうに頷くハル。分かりやすいのを隠そうともしないのが実に彼女らしい。開けっ広げられていて壁を感じないのは魅力的なのだが、こうしている間も鳴き続ける腹の虫に恥じらう様子も見せない事だけは、同性として少し問題視した方が良いのだろうか。

「はい! はい! 私クレープが食べたいです!」

「それは御飯の後で」

 その堂々とした挙手を御してゆっくり下ろさせるのもルルの仕事である。

「じゃあたまには屋台物で」

「いいね」

 無難な選択肢で欲求を誤魔化せる程の器用さも、ハルにはない。好き放題、自分の希望を陳情して、恥ずかしげもなく場を動かしてしまえる。少人数大人数も問わずにそれが出来るハルの大胆さは、人を集める事が出来る人徳だろう。

 いや、人徳があってこそ、人が集まるのか。

 近くに最近話題の屋台があった。吹き抜けを通って五番街に出、中央通りを真っ直ぐ行くと、ストリートに並ぶ様々な店の間に紛れ、その屋台が現れる。

 簡単に言えば、そこはサンドイッチの店だ。ただ、パイプのように太い金串に突き刺さった巨大な焙り肉の塊を、客の目の前で切り落として自家製のパンに挟むパフォーマンスが受けたようで、エリアが発行する地元誌のちょっと前の特集に掲載された事もある。勿論味も折り紙つきで、昼時とあれば、例え平日でも客を切らす事はない。休日に至っては、ちょっとした行列が出来上がる程だった。

 トッピングは、ケチャップに、マヨネーズ、それから甘辛のソース。シンプルだがそれがまた飽きが来ないと言われて受けが良い。本日のオススメは、休日に増える女性客に合わせた、蜂蜜を使った甘口のハニーソースだ。メインメニューとは対照的な黄金色のこってり味のソースは嗅覚にも働き掛けて、道行く人々の食欲を誘う。

 奔放でありながら、ハルは大衆よろしく期間限定や新商品といった肩書には驚く程弱い。そんなハルは迷わず、屋台の番台越しに、日変わりのハニーソースを注文した。

「じゃあ私はケチャップで」

「無難なチョイスねぇ、お姉さん」

「そういう気分なの」

 はっきりと言い切る。実を言うと、この屋台ではトッピングによって値段が微妙に異なる。ルルがケチャップを選んだのは、言わずもがなそれが理由だった。

「でもハルって意外とミーハーよね」

「そうかい?」

 豪快に切り落とされる肉塊も、すっかり街の風景に馴染んだものだ。今でもそこそこの列が出来上がっているが、地元紙に載った当初はなぜこんな街中にアトラクションの列が? と言われる程で、冷やかしに出張った人集りだけでもちょっとした行楽の一環のようだった。

「お待たせしましたー」

「待ちました!」

 にこやかな女の子の店員から差し出されたサンドイッチを受け取るハル。嬉しそうに目を輝かせているが、真っ先にかぶりつく事はしない。ルルの分が来るのを待っているのだ。

「いいよ、先に食べて」

「ううん。待つよ」

 ルルの言葉にはっとして、表情を引き締める。今にもかじり付きたい衝動を抑えて、ルルが注文した分が来るのを待っている事を、養殖した毅然な態度で悟られまいと隠している。

 だが、肝心のルルにはそれが手に取るように伝わってしまう。

 ルルは、そんなハルが可愛くってたまらなくなる事がある。

 最初に会った時から、表情のよく変わる、可愛らしい子だと思っていた。なんと言おうか、その時は、まるで子供のように庇護欲をくすぐる子だな、と感じていたのだ。今でもそれは変わらない。自分の周りをちょこちょことくっ付いて回っている様子などを見ていると、ルルは時々、この子のぬいぐるみが欲しいと感じるようになった。

 だがふとした拍子に、それとは真逆の情に苛まれる事が、最近になって増えていた。

 今はそうではないが、時折、遠目に見ているハルが、堪らなく煩わしく見えてくる事がある。

 極端に言って、視界から、消えて欲しい……否、そこまでの不条理を覚えた事はないか。だが教室で楽しそうにしている彼女を見ると、どういうわけかあの笑顔が堪らなく鬱陶しく思えて、消し去りたくなる。気さくで、大袈裟に動いて笑う悪意のないハルの表情が、泥を飲み込んだように気持ち悪くなる。

 能天気に笑って、なにがそんなに楽しいんだ、と。

 だが、そんな気持ちに気付いた時は角も容易く、しゃんとして我に返る。

 まるで眼の上の膿が引っこ抜けたように元の自分に戻るのだ。

 恥ずかしくなって、戻るのだ。

「お待たせしましたー」

 ハルが待って幾刹那といった具合で、ルルの分のサンドイッチが出来上がった。真っ赤なケチャップが油と肉汁で光る肉の上にこんもりと、これでもかと盛られていた。

 メニューはいくつかあれども、それぞれの違いは基本的にソースだけだ。そのため、どれにも決まってパンの中に、青々としたレタスやぷりっとしたトマト、そして、挽肉のルーが仕込まれている。パンの生地は通常のライ麦を使ったものでなくもちっとした食感のナン。肉汁が滴り落ちずに留まるのはこのためだ。

「では、いっただっきまーす!」

「いただきます」

 少し歩いた場所にあるベンチに揃って腰掛け、ハルが大口を開けて頬張り付いた。

 濃い味付けのルーが肉とナンの間の空気を席巻して、非常に美味い。ルー自身は絶妙に調整された量で盛られているため、自己主張をし過ぎず、ナン自体の甘みを損なう事もなかった。レタスもトマトもよく冷えている。特にこってりした中にあるトマトなど、程良い甘酸っぱさで以って異彩を放っており、その相性の良さを誇らしげに後付けしている。

 なるほど話題にもなろう。そんな久しぶりの味が、どこかとても愛おしく感じた。

「ふふっ」

 唐突に、ルルが含み笑った。次の一口を狙っていたハルは動きを止めて、隣で微笑むルルを、不思議そうに見やる。

「どしたの?」

「ほっぺた。ほら、ソース付いてるよ」

 ルルが自分の頬っぺたを突いてからハンカチを取り出す。それでごしごしと拭いてやると、ハルは少し煩わしそうにしながらも甘んじて受け入れた。丁寧に拭き取ると、ハルの頬からその手が離れていく。

「エヘヘ、ありがと」

 そう言って、ハルは破顔した。子供じゃあるまいしと思ったところで、結局はハルの事なので、羞恥などこれっぽちも感じていないのだろう。それどころか、自分の分のサンドイッチを差し出して、

「はい、お礼にあーん」

「え? あ……」

 こんな事を言ってくる始末。

 今一度、自分達の置かれた立場と状況を考える。

 ベンチに座って、一緒にお昼を食べながら、お口をハンカチで拭いて上げて、そのお返しとか言って、はいあーんだった。

(な、なんかこれじゃあ……)

 この状況を悟る。

 まるでデートじゃあないか。

(な、なんという事!?)

 気付かなきゃ良かった。なにも気にせずあーんしてもらえば良かった。

 だがそう感じてしまった以上はもうこの思考の束縛からは逃れられない。

 あーんしちゃうのだ。ハルのサンドイッチを。食べかけを。しかもこれ間接キスじゃん。

 しかも一緒のベンチで。しかも往来の真中で。しかも白昼堂々。

 しかし夜なら良いのか。んなわけあるか。

 じゃあなぜすぐ行かない、嫌なのか? そうでなくてただただ恥ずかしいではないか。

 だが、ハルのあーんから続くこの間はもう限界まで来ていた。

 ここで断れるのか。ハルのこの嬉しそうな笑顔をぶっ潰してしまえるのか。考えろ、考えろルル。可愛らしい愛しのハルちゃんが待っている。食べかけが待っているんだ。恥かし過ぎる状況で、食べられるのを待っているんだ。だが羞恥に耐えられないかもしれないじゃないか。だがそれをぶっ潰さないための臨界点はもう目前だ。行くか行かないか。やるかやらないか。やっちまうのか? おい?

「あ……」

 意を決して、小さく口を開ける。顔が熱い。赤くなり過ぎて頭がまともに回っていないのが分かる。だからってどうしようもないが。

「あーん……」

 そして、開けちゃった。ルルはついにその小さな口を、上品に半分くらいまで開け、ハルの食べかけを、ついについに受け入れてしまった。

「おいし?」

 ハルが小首を傾げて問い掛けて来るが、はっきり言って味なんて分かりっこない。美味いというか熱い。顔が頭がふっとーしそうだよぅ。

「お、美味しいよ……あ、ありがと……」

 こう答えるのが、いっぱいいっぱいであった。てか、なんか、甘かった気がした。

「あ、じゃあルーちゃんのもちょうだいな」

 わざとやってんだろこいつ。

 勿論そんなわけはない。ハルはただ単純に、ルルに気を使わせないよう自ら進んであーんを求めている。ルルは、自分のそんなマメな性格がさいわ……災い、した気がした。

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