しかし感情の種とは性質も抑制の可不可も関係なく、気付いた時にはもう発芽していたり無意識の形に変質していたりもするから性質が悪い.2
川底の流砂のように細かい焦土の土は、舞い上がる粉塵やアレルギー性、残留した放射線による発癌性などといった直接的なもの以外にも、多くの影響を与える。
例えばそのうちの一つに“計器やレーダー類への強い干渉力”がある。
焦土の砂は観測機器が用いるあらゆる物質、例えば電波、電磁波、赤外線などといったものに対し、非常に強い反応を示す。流砂一粒一粒の密度が高いのではなく、周囲に特殊な磁気を発しているのが原因だと言われている。その影響は極めて厄介なもので、深刻な時は、数百メートルより向こうとは無線通信さえも行えなくなる程だった。
対象の熱源を捉えるサーマルセンサーを用いればある程度の観測こそ可能なものの、あれは対象との距離が開くと途端に信頼性に欠ける機器になってしまう。雨など、天候の不安定な時期にも弱い。それに、人類が観測すべきもの――つまりディザスターはその体表を変温性の細胞によって覆っているため、少数での接近に対しては、サーマルセンサーでは不都合となる場合が多い。よって、現在では荒れた天候の日は、ほとんど目視による敵影の観測が主流となっている。
尤も、今日のような快晴であれば話は別だ。大気中の焦土の濃度も低いし、なにより春先にも関わらず湿気が多い。こういう日は、レーダーやソナーも案外まともな仕事をしてくれる。
だが、だ。
「司令。レーダーに影が……」
そう言い掛けて、西方区画指令室は一度静寂に突入する。
この場合困るのは、部下の報告をまとめ、上手い事捌かなくてはならない司令官だ。
「あ、あれ……」
「なんだ」
観測機を担当するのは、アーサーの隣席に座る強面のオペレーターのレダだ。今年で実働十一年になり名実共に円熟期を迎えた、司令であるマジソンにとっても信頼の置ける男である。
そのレダが、煮え切らない様子で幾度もレーダーとやりとりをしている背中を見るのは、マジソンでさえも一抹の不安を覚えてしまう。種がある場合、尚更だ。
「今、第三岩壁の辺りで小さな反応があったんですが……」
「見間違いじゃないんですか?」
不満げにレーダーを見詰めるレダに、アーサーが横から茶々を入れる。アーサーが横からぬうと覗き込むもパネルには微細な焦土粒子の粉塵が、ゆらゆらと、静かに表示されるばかりで、レダの目に引っ掛かりそうな異物はどこにも見当たらなかった。
「きっと見間違えですよ。レダさん疲れてるんじゃないですか?」
難儀な顔でなんども唸るレダを、茶化すように、アーサー。だがそれを見るマジソンの視線は冷ややかだった。
「お前はこの都市を壊滅させたいのか?」
「あ、いえ、そういうつもりで言ったわけでは……」
マジソンの冷たい視線が、アーサーの背中に突き刺さる。思わず脂汗が垂れて来て、アーサーは自身の定位置である通信席に、おずおずと戻って行った。
「確かにそうであれば、最良ではあるが……」
若い部下の調子の良さに浅く溜め息を吐きながらも、その浅はかさを羨ましくも思う。若いうちは良い。軽んじていても、上司がいるうちは後ろ盾があるのだから。
とは言えアーサーに正当性を求めるならそれはそれでレーダーの不調、あるいはレダのミスを認める事になので、後味だけは若干苦くなるが。
マジソンは椅子に深く座り直し、腕を組んで思案に入り浸る。
嫌な予感は、していた。それは丁度、今朝方の“家庭訪問”を招き入れる事が決定した時からだ。
思い出すのは先日、唐突に議員に連れられ同席した、都市間会議での事。どうやら“あれ”は、またしても、自分にとって大きな転機となる出来事を持って来たらしい。
よもやこの区画が、このような大義にピンポイントで起用される事になろうとは思っていなかった。それだけに、あの時ばかりは年甲斐もなく、過去に覚えのない程総毛だったものだった。まるでいつの間にか存在すら忘れ合っていた幼馴染に、死角から声を掛けられた時の焦燥感に似ていた。
完全に忘れ去っていたわけではない。ただ、いつしか大人になり、思い出す事を忘れてしまっていたのだ。
「妖精の教師、か……」
しかし、教師とはよく言った物である。マジソンは表情こそ極度に変えぬものの、教師という表現に馳せた思いとの強い食い違いを感じていた。
上層部がなにを隠蔽する、あるいはしているつもりかは知らないが、当時はまだ前線におり、アルアトリア反攻作戦を生き抜いたマジソンからすればあれは到底教師などと呼ぶべき代物ではない。
今でもよく覚えている。増援が望めなくなった所属元の左翼部隊がいた一角の空に、あれは光翼を羽ばたかせ、まるで虹の尾を引くように飛来した。
それが、なにをしたのか。マジソンは薄れる意識の中で、大破した機械外郭ゴーレムから這い出し、家屋の影で打ち震えながらそれを見上げていた。
支柱のように大地に突き刺さった閃光が、周囲に群がるディザスターの軍勢を貫き次々に焼いて行った。閃光は、どうやら空から降って来たものらしい。物理的な破壊に対し抗体を持つディザスターには熱線や電流などの有効兵器を用いる必要があるが、マジソンはそれまで、あのような色彩が発生する兵器を見た事がなかった。
圧倒的火力。速度。精密性。全てをして、現行の兵器類を一足で凌駕するだけの兵装。
それは狂おしく、まるで身を捩るように、ディザスター達を食い荒らしていった。
まるで生物だった。それまでの攻勢がまるで嘘のように蜘蛛の子が如く分散していくディザスターに対し、それはまるで捕食者にでもなったかのように、両手に抱えた兵器で以って一方的な食物連鎖を繰り広げた。
逃げる背中には容赦なかった。立ち向かう敵の殿すら、暖簾でもかき分けるように次から次へと葬り去っていき、周辺を食い尽すと、それはその場からいなくなった。
左翼側の攻勢は、ただ一機の翼が介入した事で大いに覆ったのだった。
「………………」
それから、二十年の月日が流れた。まさか今、先日の都市間会議の席で再び相見える事になるとは、果たして誰が予想出来ただろう? あの日自分の命を救った存在は、今度はこうして、同じ命を脅かそうとしている。
これは偶然か。はたまた必然か。
あれが、あの時預かった命を迎えに来たとでも言うのか?
「……………………」
考えに、耽る。あれは、なにを得るべく、何を求めてここに来たのか。
あるいは、あれが持って来たものを。あれが連れて来たものを。
そして、そもそもいったい誰が。なんのために……?
「一応、監視の目は緩めるな」
「は」
今までこんな事は怒らなかった。前線にいる時も、一線を退き司令部に異動となってからも。それはつまり、数十年に一度、あるいはそれ以上のなにかが起ころうとしているという事に相違ない。
マジソンは唇を噛む。誰もが信じて疑わなかった平穏が崩壊する音が耳の奥に離れない。
そう、少なくともあれが関わっている以上は、今回も穏便に済むような事態では済まないだろう。振れる事と言えば、殺るか、殺られるか程度の差でしかない。
どちらにせよ、それと同時に起きたレーダー観測のノイズの煽りは、彼にとってあまりにも後味が悪かった。まるで、この先に立つ、不協和音の魁のように聞こえて。