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しかし感情の種とは性質も抑制の可不可も関係なく、気付いた時にはもう発芽していたり無意識の形に変質していたりもするから性質が悪い.1

 帰路、というものは、どれだけ時間が経っても忘れる事のない唯一の導だ。

 人間が持つ帰巣本能からくる、指標。潜在意識が定めた帰るべき場所へと導く、求める能力。引き合う能力。

 だが帰巣本能とは、一概に場所だけを示すものだとは言えなくなる事がある。

 “人が人に帰る”

 親子や双生児が、遠い場所から引き合うというのはよくある話。それだけ、人にとっての“帰るべき人”というものが強い役割を持っていると言えるだろう。

「ただいまー!」

 大きな声を上げて、三年ぶりとなる我が家の玄関を盛大に開け放つ。鍵は空いていた。ハルは自分を待っていてくれる人がいる事を確信した。

 茶色のタイルの玄関に、程良く方方を向いた靴。夕陽色に落ちた陽光に、やんわり応えるオレンジ色の常夜灯。真っ直ぐ伸びる廊下の奥から聞こえて来る、一対の声。どちらも笑っていた。三年前と変わらない様子で、ころころと、たおやかに、暖かく。

 そんな声々の調子が変わったのは、ハルがただいまと言ってから、ほんのすぐ。用意がない以上、ただちに出迎えはなかった。故に靴を踵で脱ぎ散らかして、玄関を飛び越えて、廊下を突っ走り自ら求めに行く。どこか懐かしい、帰るべきところへ。

「ただいま! お姉ちゃん、シスター!」

 廊下の奥、突き当たって右にあるリビングのドアを、ハルは勢いよく開け放った。

その威勢の良い声に対して、紅茶でくつろいでいた二人の人物が一斉にハルの方を見る。

「ハル!?」

「まあまあまあ!」

 ひと際驚いた表情を見せているのは、ハルの実姉『シオン・ハルシオン』ハルの無二の姉妹であり、前都市陥落の際に生き残った唯一の家族である。

 一方シオンの向かで朗らかに驚いているのは、街角の教会の一人娘であり、そこの熱心な修道女でもある『プリシア・グローリー』シオンとは同い年で、ハルシオン家がこのルーブルシアに移住すると同時に執行された母リルハの葬儀からこっち、シオンの抱え込んだ“不都合”な事情が引っ掛かるような時はいつも彼女の世話になっていた。

 というよりも、プリシアは根っからの世話焼きで、おまけにお人好しであるため、不自由なシオンを見て放っておけなかったのだ。おまけに、ハルシオン姉妹がルーブルシアに転がり込んで来るまでの顛末が自分と被って見えてしまうらしい。自身の不幸を嘆いての身の振りではないが、不幸であると称される自分と立場を重ねて見た上で、限りなく近い境遇にある彼女達を目の前にして、やはり見て見ぬ振りは出来なかったのだろう。

 また、シオンとプリシアはお互いに持ちつ持たれつの関係でもあった。

「お帰りなさい、ハル」

「えへへ、ただいまお姉ちゃん!」

 三年前のあの日、意気揚々と家を出た頃と同じ、開け放ったような笑顔が輝く。周囲にの笑顔を誘発するような、華やかな笑顔。シオンが、一番好きな笑顔だ。

 そして、駆け寄ったハルを抱き止める彼女の右腕は、肩から先が失われていた。

「元気そうで良かったわ、ハル」

「シスターも、お久し振り!」

 また、二人を見詰めるプリシアの右目も、今はその光を完全に失っている。

 彼女達だけに当て嵌まる事ではないが、都市の陥落を見て来た者の中には、こうして何かしらの傷を擦り付けられているケースが多かった。避難の際受けたダメージから来る肉体的なもの。それと、喪失感、恐怖から受けたダメージにより精神に鉛を植え付けられた者は、往々にして心身の底に大穴を抉られる。また、肉体的な喪失は、精神にも多大な傷を残す事がある。

 シオンも、かつてはそうだった。母を奪われ、己の“武器”としていた腕を持って行かれた喪失感から、一時期喪心し掛けていた事があったのだ。

 その時シオンを支えてくれたのが、リルハの葬儀を受けて以来目を掛けてくれていた、教会の娘のプリシアである。邂逅当時こそ同情を掛けられていると思い込んだシオンが強い拒絶反応を示していたが、今ではほぼ毎日、それこそ家族のように顔を合わせるようにまでなっていた。まるで同い年の姉妹が増えたようだと、不思議な感覚にあるという。

「ハルったら、連絡もなしに帰って来るなんて……」

 女性にしては割りと身長のあるシオンに対し、ハルは凡そ百五十と極めて小柄なため、まるで小さな子供が大人にするように、ハルの小さな頭はシオンの腹の辺りにすっぽりと埋まってしまう。自分の腕の下に顔を埋める困った妹の頭を撫でながら、シオンは人一倍慈しみ、全身で包み込む。左手で頭を撫でてやると、ハルは嬉しそうに目を細めた。

「まさかお暇をもらえるなんて思わなかったから、急いで帰って来ちゃった。ごめんね、お姉ちゃん」

 ハルは一歩引いてシオンを見上げると、そう言って悪戯っぽく笑った。事実、これはハルにとっても降って湧いた休暇だったのだ。

 例年、新人の入隊直後は、比較的平坦である陸隊のデスクの上にも、細々とした事務処理が爆発的に増える。どれにしても至急の仕事はそうないが、それらを日々の訓練や軍務と並列進行していくのは極めて非効率だ。そこで、事務員や責任者は、それら厄介な処理を数日掛けて一息に処理する事にした。以前は時間を惜しみ入隊直後からすぐに訓練を開始する流れがあったようだが、シンネイの区画長就任と同時にこの方式が採用されて以来、効率、士気共に良い色を残すようになったという。やはり、適度の休暇は必要という事だろう。

 この帰宅は、その際併発的に生まれた空き時間を利用したものだった。届け出さえあればグラウンドやアリーナを使った自主訓練も可能だが、登録処理の済んでいない新人の場合はそうはいかない。未登録の名を提出したところで、受付で突き返される事だろう。そうと分かった新人達は、毎年この時期に挙って帰宅するのだ。新人で唯一例外があるとすれば、司令部所属の人間だ。彼らはその登録や申請といった書類の類を捌く立場にあるのだから。故、カナも、今季は実家に帰れそうにないと電子メールでハルに告げていた。

「ほら、制服が皺になっちゃうから、早く着替えてらっしゃい」

「はーい」

 シオンに促されたハルは、意気揚々と鼻歌交じりにリビングを出て行った。スキップするような軽快な足取りは、ハルの嬉しげな心境を物語っている。いや、あれは相当に浮かれた様子だ。シオンの迎えに応える際の抱き付き方からも、久方ぶりの帰宅に沸いている様子が見て取れた。

「もう、ハルったら全然変わってないんだから」

 まるで子供っぽさの抜け切らぬ妹に嘆息するも、シオンの声は明るかった。

「ううん、そんな事ないと思わよ」

 そこに、それまで客観から眺めていたプリシアが補足を流し込む。一見、ハルは三年前と変わらないと思っていたが、シオンとは違った位置から妹を見ていてくれるのも、シオンがプリシアという女性に見出した魅力の一つ。

「なんだかちょっと、背筋が伸びたみたい」

 縁の下の力持ち。彼女は、非常に近い位置から、そっと背中を押して、支えてくれる。

「それと、制服が似合っていたわ」

「まあ、ね」

 確かに、初めて見た筈のハルの制服姿だが、不思議とよく馴染んでいて、まるで昔からあれを身に着けていたようであった。細身な上に顔も小さく、素材自体が整った顔立ちであるため被服のこなしの良いハルだが、相手が軍服ともなると勝手が違う筈だ。だがその勝手の違う筈の制服でさえも、彼女にはよく似合っている。ハルの小動物のような愛らしさと、都花である百合のバッジをネックに付けた凛々しくも清楚な女性用の軍服は、ミスマッチ故互いを引き出し合うのか意外な程映えていた。

「でもねぇ……」

 ただ、シオンにとっては気が気でなかった。

どんな服でも着こなす彼女は、そう、三年前と変わっていない。

 過度に暢気だが、素直で人見知りをしないハルだけに、環境に対する摩擦が起こるという事はまずないだろうと、シオンは踏んでいた。学校に行くにしても習い事を始めるにしても、ハルの順応性は旅立つその先駆けとしてはあまりにも頼もしい。だがそれと同時に、その暢気過ぎる性格は、これから彼女がゆく道中に於いてはただの不適合な剥き出しのサンダルでしかないのだ。

 若干十五歳の少女に「軍人になれ」というのも酷な要求だ。シオンやプリシアを始めとした周囲の大人達は、守るべき対象である子らにだけは、絶対にその要求をしてはならないだろう。未来に向かって死を植え付けるなど、人として恥ずべき行為だ。そこに必要悪などという理屈が入り込む余地はない。

 ただ、ハルは自薦して都市の楯にその身を捧ぐ事を選んだ。あの時のハルの眼は、シオンは今でも忘れる事が出来ない。

 ハルの決意だ。忘れようとも思っていない。それは背中を支えようと思うと同時に、辛くもあった。

アルアトリアでの作戦の鎮静化以来、ルーブルシアは、有史以来とも呼べる未曽有の平穏に身を浸している。ディザスターは寄るところには群がるように迫るものの、寄らぬところにはとことん寄り付かない性質を持つ。まるで野生の生き物が篝火を恐れるかのように。なんでも上院の発表曰く、ディザスターは本拠点を制圧されたため、ただちに逃走を開始したのだという。

 つまり今現在ディザスターにはこの界隈を侵略するだけの体力は、残されていないという事だ。そしてその状況は、五十数年という異例の長さで、今もこうして人々の安穏を許し続けている。

 それが、都市にとってどんなに恵まれた事か。同時に、長過ぎる平穏がどれだけ危惧すべき事なのか。そのどちらも優位であるのだろうと、特にハルの安否が関わってくるとなって以来、一過性の安穏にシオンは忙しなくなる自分を薄々と感じていた。

「それでも、やっぱり心配よね」

 ハルももう十五の子だ。自分の身くらい自分で守る事が出来るだろう。都市の前衛として矢面に立つ妹を思う自分は、果たして過保護なのだろうか?

「そう思って当然だと思う。だってハルだもの」

「そうよ。本当にあの子ったら、目を離したらどこに行ってしまうか分からないもの」

 シオンに同意するプリシアの善意の言葉だが、冷静に考えずとも、どうも二通り以上の解釈が出来そうだった。だがシオンは敢えて、後者を取った。無防備な妹にやきもきする姉を、浅い所から見繕って。

「さ、それより夕飯にしましょ。今日ぐらいは美味しいもの、作って上げないとね」

「素直じゃないんだから~」

 プリシアがシオンのためにと手を出す時と言えは、例えばいつも、こんな時であった。


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