なにを思ったか、それこそが本人の行動原理を決めるものなのだから、なにをすべきかが大義であっても根幹にあるものは変わらない.2
その日の、もっと早くの事だ。西方区画防衛隊司令部に、見慣れぬ周波数による通信が届いていた。
「司令、外部より入電です」
青主色の無機質な指令室は扇形で、軸の位置に当たる入口から見て奥に行く程床は低くなっており、高低差が付けられている。入ってすぐにある司令席から、一目で室内が見通せるようにと採用された形態だった。文字通り、最も高所に置かれた司令席が、ここの扇の要になるというわけだ。逆に構造上最も位置の低い最奥の席には、奥の壁一面に埋め込まれたスクリーンに最も近くあるべきオペレーターが座る。
外部からとは即ち都市の外……焦土を足元とする、外の饐えた世界からの通信という事だ。
「繋げろ」
「はい」
司令席から、白髪の上から司令帽を深々と被った男が言い下した。西方区画の防衛活動の指示を統括する『マジソン・バージニア』指令室に腰を据えてかれこれ十余年になる、ベテランのブレインである。事西方区画の仕様については、都市の誰よりも勝手を把握していた。
「『アオサギよりユリカモメへ。妖精の教師は家庭訪問を所望する。娘の部屋は片付いているか』……との事です」
通信手は訝しんだが、マジソンが眉一つ動かさずにまじまじと見てやると、彼はただちに詮索する意思を放棄させられた。これは自分が知るべき事ではないと思ったのだ。
通信手である青年『アーサー・ジェフェリー』は、先日二十四を迎えたばかりの青年だ。まだ若いが優秀で、通信手として理解するべき心得と領分もよく弁えていた。そういった事項も承知した上で、彼は通信手の役職を選んだのだという。故にマジソンも、彼にあまり多くを語ってはいなかった。それに、アーサーには部下としての信頼こそあるが、いざ機密が転がり込めば司令官としての責務は全うしなくてはならない。
「『茶の用意と掃除は済ませた。娘はもう待ちわびている』とだけ返しておけ」
それに従い、アーサーは身体を画面に向け直すと外部の発信元へ、マジソンから言い渡された原文をそっくりそのままキーボードに叩き付けて送り返した。外部からの通信は、それに対する了解の一報が届くなり、それっきりなくなってしまった。指令室に、入電前までの静寂が戻る。
指令室の無音と同時に右端のスクリーンの一角に、ある物が進入して来た。そのスクリーンは、焦土船ドックの監視映像を映し出していた。数席の焦土船が映ったノイズ混じりの映像の表面に、白字で『ライヴ』の文字が薄らと表示されている。
その映像の中央に、一台の焦土船が滑り込んで来たのだ。ドーム型のブリッジを前方に据えて、尻尾のような甲板がそれに引き摺られている。通称“スリッパ型”と呼ばれる、最もポピュラーな形状の焦土船だ。焦土船はゆっくりと停船すると甲板下段に備えられた人間用のハッチを開き、駆け付けた誘導員による先導を受けている。
焦土の砂を払うようにして地表を滑るホバークラフト方式艦船の事を、焦土船と呼ぶ。現在では都市間の移動手段のシェアの八から九割を、この焦土船が占めていると言って良いだろう。車輪がまるで機能せず、臨機応変な対応が必要で、且つ目立つ事の出来ない焦土世界に於いてこの焦土船が頭角を現したのは妥当と言える交通網の変革であった。
長い事焦土の鋼砂を受けて白い船体のあちこちを赤茶に汚した白い焦土船は、ドックに入ると、まずは牽引車両に引かれて整理用のスペースに入る。焦土船は疎らに停泊したルーブルシアの戦艦と輸送船を横目に進み、ゆっくりと、壁に船の尻を向けて左側三番目のスペースに腰を落ち着けた。ドック内の焦土船の種類が雑多になっているのは、ルーブルシアの港湾が軍港の役目も兼ねている要港だからだ。
港の構造上、艦船同士はお互いに中央ストリートを挟んで対面し、見詰め合うような形になる。こうすると一見、軍艦がある以外は街の車両パーキングとなんら代わり映えしないように見える。事実、見学者と整備士とサポーターの声が飛び交うばかりのドック内は至って平穏で、パーキング同様、やはりなんの異常もなく見えた。ただ言えば、他の都市より久しぶりに来客があった事で、ドック内がやや浮き足立っているといったところか。
アーサーは首を傾げた。果て、如何せん目立つ仕草の一つでさえも御法度とされるこの焦土世界に於いて、あの焦土船は、なぜわざわざあのようなカラーリングを? と思ったのである。それだけではない。あれは、めっぽう変わった焦土船だ。まず真っ白なカラーリングを第一に、あれは形状からして輸送船と思われるが、キャリアーの役割を果たす筈の甲板には、何一つも積荷がない。がらんとした甲板の上に、三、四メートル四方程度のカバーがテントを張っているだけであった。あれでは、一見積荷には見えない。あのサイズのカバーでは、フェアリーの一機程度を悠々と囲えるのが精々であろう。乗組員の私物だと言っても誰も違和感は抱かない。そう、あれが機密的な物であると確信しているアーサー以外は。そして、なによりも……。
(通行証……?)
規約上、港に入る際焦土船は全ての積荷の検査を強制される。軍港に入った焦土船に大きな爆弾でも積まれていようものなら、資源と土地を略奪する第三者の侵攻をまんまと許す魁にもなりかねないからだ。それ故、稀に訪れる検閲を強制されない通行証持ちの焦土船には、他の都市の要人が搭乗している可能性がある。ただその時は、お付きの護衛艦数隻以上が共に港に雪崩れ込んで来るのが常だ。そのため、現地にいる者には予めある程度の情報が先行して配信される手筈になっている。だが、この港の慌ただしさからして、今回はその情報も一切伝わっていなかったように思われる。そもそもオペレーティングを担当するアーサーの下にそれが届いていないのでは異様と言う他なかった。
故にアーサーは、あの焦土船に対しかつてない違和感を抱いた。
そして、あの焦土船をまるで見守るように一切動じないマジソン司令の態度、振る舞い。彼はどうやら、この焦土船の来訪を事前に知っていた――という事らしい。そして、先程の暗号通信と、それに対する司令の応答。示し合わせたように口を割って出た語群。
妖精の教師という単語。そして、家庭訪問。
なにかが入った。ここルーブルシアの要港に、得体の知れない何かが。
その何かが何なのかは、アーサーには察しようがなかった。ただ分かるのは、近いうちにルーブルシア内部で、家庭訪問と称される何かが行われるという事。また、それに当たって、都市の眼耳口であるアーサーの見知らぬところで、片付けと称された何かが行われていたという事。そして、茶の用意までもがなされていた事。
他の都市の要人を歓迎するにしてはあまりに不都合な、機密の多い暗号の羅列。迎え入れるに当たっての非効率性を物語る、ドックの慌ただしさ。
司令、もとい上層はいったい、何を考えているのだろうか。だがアーサーにはこれ以上詮索をする権限もない。あと三十年もすれば、よもや軍の上層に持ち上げられて、この時の事実を抹消されていない範囲で知れる時が来るかもしれない。だがそうなるためには、ここでこれ以上の詮索は無用の重荷だ。だが、もし何かの拍子に中身を知ってしまった際の処遇が、左遷程度で済めば良いが。