プロローグ
第八回MF文庫Jライトノベル新人賞第四期応募作品です。
作者初の公募への挑戦作品です。二次落ちなだけあって出来は凡百かもしれませんが、皆様の暇潰し程度にでもなれれば幸いです。
プロローグ
少なくとも私は、数多くある鳥かごの中に居ながら、一方的に享受される幸せに浸れているだけで満足だった。今目の前にある些細な幸福を社会的に噛み締めていられれば、もっともっとと、貪欲に幸せを求め囲おうとする欲も薄れるというものだ。それを家畜根性だと、悪く言う人もいる。でも、共感してくれる人もたくさんいる。そのほとんどが今以上の幸せを見た事がない人だけれども、そんな多様な考えこそが、私にこの鳥かごを、一人で住むには大き過ぎる世界として見せていたのだ。だから私は、この小さな世界こそが、自分の住むべき世界だと認識出来ている。尤も、私達の世代は昔の世界の姿を知らないから、適応するとか認めるという以前に、生まれながらにしてこの世界の人間になってしまったのだけれど。
時々、思う事がある。もし、昔の世界の人達が今の私達を見たら、どう思うのかな、と。
その人達は、私達にとっては別世界の住人……異世界人……とか? そう考えると、なんだか怖い。昔の人達と私達の間に違いなんてないっておじいさん達は言っているのに、この世界で生まれ育った私達は、昔の人達に異世界人である思われなければならないから。
でも、昔の世界の人って、どんな人何だろう? 私が知っているのは、昔、外の世界には海という、大きな大きな真っ青な塩の水の水たまりがあって、更にその向こうには外国という島があって、そこは文化も環境もまるで違う世界だったという事。それから、昔は今と違って、世界を覆う、一面の焦土がなかったという事。でも私は聞いた話でしか、昔の世界の事を知らない。
それにしても、焦土がない世界……それはいったい、どんな世界何だろう? 焦土がないなら、今ある焦土は、どこに行ってしまうのか? よく分からないけど、焦土はみんな、昔は街や道路だったんだって、学校では教わった。そんな世界はまるで想像がつかない。もし焦土全部に人が住んでいたら、人が多すぎて、食べ物がいくらあったって全然足りないじゃないか。しかし先生が言うには、その発想もあながち間違ってないらしい。今では城壁の向こう一面に広がっていて、触れる事さえ出来ない焦土が全部畑や道路に変わったら……それはつまり、あいつらに怯えなくても良い、そんな世界だという事なんだと思う。もし……そんな世界があったら、私は
少女の語りは、そこで破壊された。セピア色の石畳の街道を、小さな窓から見下ろす二階の部屋に少女の部屋はあった。途中で逃げたように雑に投げ出された鉛筆が、窓際の机で開きっぱなしにされたノートの隣に転がっていた。それはやがて、窓から吹き込んだ生温かい風に靡いたページに煽られて、床に叩き付けられ、剥き出しの芯を砕いた。
それでも日記帳は、望まぬ風の手によって捲られ続ける。生温かい風はやがて灰と火の粉を含んだ熱風へと変わりながらも、ただただ叩くようにページを捲り続けた。窓の下、街中で荒れ狂う、千切れた緋色の光が波のように盛り、熱を伴ってうねった。光輝の焔は純白のレースのカーテンを焦がし、少女の部屋を掻き毟り、踊り狂い、砕き、そこを焦土へと落とした。
一昨日まで人が笑えていた街並みが、全て灰となって荒野に沈むまでさほど時間は掛からなかった。この世界の終わりはいつも唐突にやって来て、こうして人々の営みを変えてゆく。
しかし、少女はまだ生きていた。炎に呑まれる前に、鉛筆と思い出の地を投げ出して命からがら逃げ伸びていたのだ。
生き残った全ての民の乗る、避難用の城塞型超巨大焦土船。あってはならないこの日のために、古くから代々管理され続けてきた物だった。
外敵から逃れるように、船は荒野を走る。一国の絶望を全て乗せ、地表擦れ擦れを滑るように流れ、荒れ狂う暁に背を向ける。その背から遠ざかるのは、夕陽を背に崩壊してゆく祖国のみ。後にそれも、砂に変わる。
この世界に生きる限り、どこまで行っても、絶対的な存在から逃れる事は出来ない。それはここにいる誰もが分かっていた。それ故に、泣いていた。森羅の恩恵と、万象の閨怨に打ち震えながら、その理不尽な仕打ちの傷を舐め合うように、震える身を寄せ合って。
少女はこの焦土船で一番大きな後方の甲板に出た。焦土船は背もたれを前方に向けた椅子のような形をしており、少女がいるのは丁度、人が腰を掛ける天板の最先端。そこはこの焦土船に於いて、燃え盛る故郷を最も都合良く展望出来る場所であった。
少女の足元には、日光を吸い込む黒いタイルが一面に広がっていた。タイルは微弱ながらソーラーパネルとしての機能も兼ね備えている。尤も、永劫空を遮られた世界にとっては無用の長物であると言っても誰も反論出来ないだろうが。
甲板には、少女の他に誰もいなかった。先んじて誰かが踏み入った形跡もない。ここに来たのは、都市からの脱出以来では少女が初めであるらしかった。
少女は、甲板の外周を一周なぞる手すりから顔を出し、故郷の方へと流れて行く流砂を見下ろした。
ずっと下。焦土船の足元。一面の砂。一見砂漠のように見えるこれは、焦土と呼ばれる、かつて人工物だった物の燃え滓だ。旧人類が発明した、はるか昔の決戦兵器による焦土作戦。大昔の大量殺戮兵器の名残は皮肉にも形を変え、大切な物を燃やしながら人類を守り続けている。国土と思い出という、尊い対価を払い続ける事によって。
今一度、顔を上げる。少女の古郷の都市は、今も太陽の下で燃え続けていた。
少女がかつて過ごした国は、この一国だけだ。だがどうした事だろう。遠ざかり、まるで焚き火のように小さくなっていく故郷を見詰めていると、記憶にあるはずのない不思議な既視感が少女の心をざわめかせた。それに伴い湧き上がって来るのは、悲しみと悔しさがこもった無自覚の涙だった。はっとして、目元をごしごしと拭う。どうして私が泣いているのだろう。遠くなっていく故郷を呆然と見詰めてしまうだけの喪失感はあった。だがそれは、悲しみとは違う。今は悲壮感より困惑が先に立って出ていた。では少女の涙はどこから溢れ出たものか。物言わぬ少女の瞳は、故郷の向こう側にいったいなにを映していたのか。
「ハル!」
声は突然掛けられた。故郷への追憶から引き戻された意識に驚いて振り返ると、椅子型焦土船の背もたれに当たる壁の麓のドアがこちら側に向かって開いていた。
「カナちゃん」
そこから、少女の幼馴染が顔を出していた。癖のない黒の長髪に、ただでさえ釣り目の顔付きを一層険しげに引き締める赤縁の眼鏡。彼女も少女と同じく、先程、故郷から追い出された身の上の少女だった。
「シオンさん、眼を覚ましたって! 早く!」
その一言を聞いて、少女……ハルの飄々とした表情が変わった。どこを見ていたのか分からない眼は見開かれ、しな垂れていた前髪は気流に乗って羽のように舞った。
それと同時に駆けだすハルの挙動は、とにかく早かった。手すりを突き飛ばし、姿勢を崩しながらも呼ばれるがまま、甲板の通用口に飛び込む。並走してくれているカナも辛いのは変わりない筈なのに、姉が運び込まれた緊急治療室までハルを案内してくれた。
「少しだけ怪我の痕は残るかもしれないけど、命に別条はないって」
しかも気を使って、気に掛かる部分に補足までしてくれる。
「ほんとう?」
「ええ」
到底同い年とは思えない程、カナは頼もしく、そして優しい。
だがそんな幼馴染に向かって、ハルは酷な事を問う。ハルは、自分でもなにを言っているのか分からなかった。だが口を突いて出たのは、等身大過ぎる、愚かしくも未だ危惧し続けている事であった。
「カナちゃん……」
「なに、ハル?」
「お母さんは、無事なのかな……」
質問に、カナは、ハルの顔を見て答える事が出来なかった。
「ハル……」
恐らく、身近な者が死ぬという事を知らないのだろう。彼女達の年齢柄滅多に体験するような事ではないが、ハルは、最も身近で起こった死の実感を未だに覚えていないのだ。
カナはハルに掛けてやる言葉が見付からなかった。事実など今はぶつけられない。俯瞰からは、ハルはいつも通り、元気に走っているように見える。だがそれが、いざ死を間近に見てしまった時、どうなってしまうのか。大いに沈み込んでしまうハルの姿など今のカナには少し考え着きさえしないような事だった。だが、もしそうなった時には、元気なハルに戻ってもらえるよう、自分が出来うる全力の限りを尽くそうとは思った。
続きは順次投稿していきますので、お楽しみに。