第二十二話 左慈元放(さじげんほう)
長江の風は、初夏の気配を運んでいた。空は青く澄み、太陽の光が川面に反射して金色の光を撒き散らしている。
ここは呉郡――。
中国東南部、現在の江蘇・浙江にまたがる米の大穀倉地帯。孫堅が都とした建業の外れに、豊かな自然と、噂の“黄金の巨大うなぎ”が棲むといわれる漁場があった。
「うなぎ釣りですよ、うなぎ!洛陽の戦いが終わった今こそ、休息と癒やしの時間です!」
陽気に宣言したのは、大塚京子。Xwatchの開発者であり、剣人の親友にして美人で元気な理系女子だ。彼女の隣には、周瑜がクールな表情で釣竿を握っている。
「ああいう、ぬるぬるっとしたの、少し苦手なんだけど……まあ、やってみます」
そんな二人に続いて現れたのは、学者然とした装いの幸美教授と、孫策。さらに、孫剣――高木剣人、も加わり、総勢5人の“未来人&孫家のうなぎ釣り隊”が今ここに結成された。
「Xwatch、長江の鰻のありか、マッピング開始。……なし?……あれ?」
と、京子が眉をひそめたそのときだった。
「ふむふむ、にぎやかでよいのう……まさか、ここで天女に会えるとは」
ぬらり、と水辺の葦の影から現れたのは、白い髭を伸ばした仙人風の老人。麻の長衣を羽織り、腰には妙にピカピカした壺を下げている。
「おや、誰ですか?」
幸美教授が問いかけると、老人はぴたりと足を止め、ゆっくりと首を回した。
「わしは左慈。仙人じゃ。天界と人界を往来し、不老長生の術を会得した者ぞ」
「えっ、あの有名な、変化自在の左慈仙人……?記録によれば、曹操の前で神通力を披露し、姿を消したという……」
幸美教授が驚いたように口にすると、左慈はご満悦の様子で胸を張った。
「そう、その通りじゃ。だが今は……美女に囲まれてうなぎ釣りとは、仙人冥利に尽きる。はっはっはっ!」
「……あの、左慈さん。なぜここに?」
「おぬしら、玉璽を持つ孫堅の配下じゃな?」
その名を聞いた瞬間、剣人と孫策、京子は一斉に姿勢を正した。
「まさか……孫堅殿のことを?」
「ふむ、予言してやろう。そなたらが長江のうなぎを釣り終える頃、建業には一通の書状が届く。差出人は袁紹の従弟――袁術じゃ。『劉表を討たん』と、盟を求めてくるじゃろう」
「……本当に未来が見えるんですか?」
京子が目を丸くした。
左慈は神妙な顔になったかと思うと、くるりと手を回し、ポンと何かを取り出した。
「ほれ」
目の前に現れたのは……中国風の、水着?
しかも――。
「こ、これは……!」
ハイレグのきわどいデザインに、全員が一瞬固まった。
「お主らが水に入るのなら、わしが用意してやろうと思ってな」
「左慈さん、それはちょっと……!」
京子が赤面しながらうつむく一方、剣人は爆笑していた。
「何そのセンス!昭和かよ!」
一同がずっこけているその横で、剣人が真顔でXwatchを操作していた。
「……海中探査ドローン、投入。ターゲット、長江下流域、深度30メートル」
まるで軍事作戦のように展開される探査。
やがて、ドローンが捉えた映像が、Xwatchに転送されてくる。
「これ……見てください!」
そこには、巨大な穴――まるで地底神殿のような空間に、光るうなぎの大群が渦を巻いている光景が映っていた。
「うわ、ほんとにいた……!」
「黄金のうなぎ……!しかも、巨大……!」
「これは研究対象に……!」
女子たちのテンションが一気に上がり、水着への抵抗もどこかへ吹き飛んでいた。
「やるしかないですね!」
「はい!」
京子と幸美教授が、左慈の持ってきた水着を持って茂みに向かい、数分後――。
「えーいっ!」
水しぶきを上げて飛び込む二人。その姿に、左慈は口を開けて見惚れていたが、直後、幸美教授が無言で彼の頭を叩いた。
「見すぎです」
「す、すまぬ……」
数時間後。
「うなぎ、確保しました!」
岸に並べられたのは、十数匹の黄金うなぎ。まるで太陽の光を受けた金属のようにきらめいている。
「これ……食べられるのか?」
「ええ、日本の蒲焼きにしてみましょう」
幸美教授が、現代の調理キットを開き始めた。幸美教授と手分けして、素早くうなぎをさばき、タレを絡めて焼いていく。
香ばしい香りがあたりに広がり、左慈ですらよだれを垂らし始めた。
「お主ら……この時代の食のレベルを超えておる……!」
「ふふふ、だてに教授やってませんよ」
その夜、焚き火の明かりの中、全員でうな重を囲んでいたとき。
遠くから、馬の蹄の音が響いた。
「手紙を届けにまいりました!」
文官が息を切らして現れ、孫堅のもとへ巻紙を手渡す。
孫剣がその手紙を読むと――。
「袁術からだ。『劉表を討つにあたり、そなたと盟を結びたく思う』」
「……左慈さんの予言、的中ですか」
「この戦、受けるべきか……」
焚き火の周囲に、沈黙が広がった。
だがその静けさを破ったのは、左慈だった。
「戦を選ぶも、退くも自由じゃ。じゃが、選んだ道の先で何をなすか、それこそが“天命”というものじゃ」
「天命、か……」
剣人――孫剣は、再び火に目を落とした。
「っていうか、なんでいるの?」
――夕飯
鰻の香ばしい香りが、建業の夜風に溶けていく。焚き火のそばでは、箸を手にした剣人と孫堅、京子たちが、笑いながらうな重を頬張っていた。
「はあ……最高。日本の夏よりうまいって、どういうことだよ……」
そうつぶやいたのは剣人。京子が用意した飯盒と共に、電通大から持ち込んだ炭火コンロが大活躍していた。
そのとき、ふわりと白衣が翻り、幸美教授が皆の前に立った。
「さて、うな重タイムも一段落したことですし……袁術からの手紙の真意について、私からご説明いたしましょう」
周囲が静まりかえる中、幸美教授はXwatchを空中にホログラム投影し、中国全土の勢力図を表示した。
「袁術は、名門袁家の嫡流を自称しています。一方、袁紹は彼の従兄弟で、どちらも漢王朝における権威を巡って激しく対立しています。袁術にとって、袁紹と手を組んだ劉表は目の上のたんこぶ。そこで、孫堅を使って劉表を討とうというわけです」
「なるほどな。俺たちが見てきた洛陽の戦いも、全部その伏線ってわけか……」
剣人がうなずく。
「ええ。さらにややこしいのが、公孫瓚が袁術と結託し始めていて……袁紹は東、袁術は南、公孫瓚は北から、それぞれ漢の再建を狙っている。これはもう、大混乱の序章です」
幸美教授が図を拡大し、勢力間の矢印を示す。
「つまり、袁術が孫堅に手を伸ばしてきたのは、劉表を倒すことで背後を安全にしたいから……」
「その通り。剣人、冴えてるわね」
そのときだった。外から、元気な声が響いた。
「わああっ!いい匂い!うなぎの香りだーっ!」
駆け込んできたのは、誰あろう、孫策伯符だった。その後ろには、周瑜。
「ねえねえ!周瑜と僕の分もある?」
「はうっ……!う、美周郎……!」
「え?びしゅうろう?」
「ううん、こっちの話!周瑜くん、あなたに最高の料理を用意してあげるわ!」
幸美教授がどこからともなく取り出したのは、南伊豆の郷土料理――ひつまぶし用の特製器具だった。
「これぞ、南伊豆・幸美流、ひつまぶし!」
炊き立ての飯に、タレがしみ込んだ香ばしいうなぎを乗せ、さらに出汁をかけて三種の食べ方を提案。周瑜が一口食べた瞬間――。
「……これは……!味の計算式がある……!食材の組み合わせ、香気成分の分布……!」
「料理の美学を即座に分析!?何その分析力!」
「剣人くん、彼は絶対、我らの未来に必要な人材よ!」
幸美教授が目をキラキラさせながら剣人に耳打ちする。
「まあ、イケメンは正義ってやつだな……」
剣人は苦笑しながらも、どこか安心していた。この周瑜という青年――確実にこの乱世の未来を大きく変える鍵を握っていると、直感していたのだ。
赤壁の戦いは、まだ先の未来だった。




