表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/24

第十八話 劉表景升(りゅうひょうけいしょう)

洛陽の空は、戦火の余韻を孕みながらも、どこか静けさを取り戻していた。


瓦礫と化した宮殿の一角で、孫堅は玉璽を手にしていた。龍が巻きつく四寸四方の玉の印は、月光を受けて神々しく輝いている。


「……ついに見つけたか」


孫堅の声には重みがあった。その横で、京子は誇らしげに微笑んでいた。


「これ、私が見つけたんですよ?」


「おう、忘れはせぬ。お主は我が軍の“吉兆の星”よ」


孫策も笑いながら言った。「まさか未来の技術を使って古の皇帝の証を発見するとはな……京子、あんたすげぇよ」


その場にいた者たちは、皆が京子の発見を讃えた。だがその中で、静かに思案にふける人物がいた。幸美教授――である。


「……このまま洛陽に留まるのは危険です」


「どういう意味だ?」と剣人。


「この玉璽というのは、帝権の象徴です。これを手にした者は、正統なる天下人として見なされる。袁紹が見逃すはずがないと思うのです。」


その言葉に、場の空気が引き締まった。


―玉璽とは

◆ 玉璽とは何か?


玉璽とは、「ぎょく」で作られた「」、すなわち皇帝専用の**公式な印章ハンコ**です。これは単なる装飾品ではなく、**皇帝の命令やみことのりを正式なものとするための国家的なあかし**でした。


幸美教授はつづける。


正式名称、

「伝国の玉璽でんこくのぎょくじ

または「受命於天、既壽永昌」(天命を受け、すでに寿いのち永くさかんなり)と刻まれていたとされています。

歴史的背景として、 **始皇帝(秦の始皇帝)**が中国を統一した際に、「伝国の玉璽」を作らせたとされます。

この印は、天命を受けた正統の皇帝のみが所有できると信じられていたため、その所有者が「正当な天下の支配者」と見なされました。

以後、漢王朝をはじめ、魏・晋・隋・唐など、王朝が変わるたびに「玉璽」の奪い合いや継承が大きな歴史的事件の焦点となりました。


「……いっそ、呉へ帰還すべきでは?」


その声は、静かでありながら、内に炎のような焦燥を宿していた。


孫堅軍は董卓との連戦で疲弊しており、洛陽もすでに灰と化していた。反董卓連合軍の足並みは乱れ、袁紹や袁術の思惑が交錯し、連合の名はすでに虚ろだった。


剣人の言葉は、すでに多くの者が心の奥で思っていた問いだった。


だが、誰も口にできなかった。


沈黙の中、孫策が立ち上がり、弟のように接してきた剣人をまっすぐに見据えた。


「今はその時ではない……と父上は、お考えのようです」


その眼差しには、苦悩と覚悟、そして父への絶対の信頼が宿っていた。


そのとき——


「よい」


帳の奥、光を落とさぬ位置から、孫堅文台の声が響いた。


すべてを見通すようなその声音は、静かなる水底のように深く重く、皆の思考を飲み込んだ。


孫堅は、帳の下で何かを懐から取り出した。


それは、漆塗りの木箱。朱の封を施された、帝室の象徴。


箱の蓋を開けると、そこには一つの宝玉が、夜の灯に鈍く煌いていた。


玉璽ぎょくじ——


かつて霊帝が所有していた、天子の証。王朝を継ぐ者が持つべき宝印。


それが、いま、この男の手の中にある。


孫堅は、その神秘なる輝きを見つめ、誰にも語りかけるように、そして誰にも語らぬように、呟いた。


「……玉璽は、天下を号令する剣である。しかし、今はまだ抜くべきではない」


剣人は、思わず言葉を呑んだ。


孫堅の表情は、怒りでも野望でもなく、まるで祖国を思う詩人のようだった。


「この玉璽により、多くの血が流れよう。だが我らは、天下を誑かすために剣を取ったのではない。民を導くためにある。この玉は、いずれその剣を抜く者に、ふさわしき時を教えてくれるだろう」


静かに、彼は玉璽を木箱へ戻し、その蓋を閉じた。


「時が来るまで、故郷で静かに眠らせるのがよい。剣を抜くのは、乱世の風が収まり、真に光が見えたときだ」



だが、その言葉を、もう一人——否、もう一匹と呼ぶべきかもしれぬ存在が、ひそかに耳にしていた。


幕舎の裏。糸のように張られた縄の上を、鼠のような軽やかさで這う一人の影。


袁紹が洛陽に放った密偵である。


彼の名は、孫剣も知らぬ。孫策にも、孫堅にも知られぬ者。


だが、耳はすべてを聞いた。


玉璽が孫堅の手にあること。


それを今は使わぬという決断。


そして、それを未来の剣へ託すという言葉。



密偵は、すぐさま風に乗って闇へと溶けていった。


「孫堅、貴様……玉璽を……!」


その報せが袁紹のもとへ届くまで、そう長くはかからなかった。


そして、それがのちに孫堅と袁紹の間に、深く避けがたい亀裂をもたらすこととなる。


だが今はまだ、誰もその結末を知らない。


ただ夜は静かに、更けていった。


玉璽が封じられたその瞬間から、乱世の未来が、また一歩、動き出していた。――


場所は変わって、袁紹のいる、反董卓連合軍の本部では、軍議が開かれていた。袁紹は、孫堅が戦果を得たという密偵の報告に眉をひそめる。


「……洛陽の宝を手に入れたというのは、誠か」


「間違いございません」と進言するのは袁術の家臣、紀霊である。「玉璽を得て、孫堅はひそかに呉へ帰還しようとしております」


袁紹の眼が鋭く光る。「それを許せば、我が正統性は……いや、連合軍の名が廃れる」


「ご命令を」


「劉表に伝えよ。荊州の兵をもって、孫堅の帰還路を塞げ」


「はっ」


劉表景升りゅうひょうけいしょう


劉表は、後漢末期の政治家・儒学者であり、荊州(現在の湖北省を中心とする地域)を支配した群雄の一人であった。息子には、劉琦、劉琮がおり、蔡氏は後妻である。


孫堅が長沙に戻るのに、必ず通らなければならいのが、劉表が守る荊州の地であった。


劉表は前漢の景帝の子孫で、漢王朝の皇族に連なる名門の出身。若い頃は太学で儒学を学び、「八俊」や「八交」などの清流派名士に数えられた人物でした。

党錮の禁では宦官勢力に反対し、追放されるなど、正義感と学識を兼ね備えた人物として知られており、黄巾の乱後、劉表は荊州刺史に任命され、現地の豪族である蔡瑁や蒯越らの協力を得て、荊州北部を平定したのでした。


数日後。


孫堅軍は呉への帰還を開始していた。玉璽を守るべく、軍を分けての進軍である。だが、その途中、急報が入る。


「前方より、劉表の軍勢が迫っております!」


「なにっ!? なぜ劉表が……」


剣人が叫ぶ。孫策は唸るように言った。「奴ら、袁紹の指図か……!」


その時、幸美教授が静かに前に出た。


「皆さん、聞いてください。いまこそ、新たな戦術が必要です」


「“分断擬態作戦”です」


「分断、擬態……?」


幸美教授は指を鳴らすと、京子と孫剣を呼んだ。二人はすぐに応じ、それぞれの開発装備を確認する。


「未来からもってきた防具は、衝撃を吸収するだけでなく、敵の目を欺く色彩変更の機能と構造を持っているわ。つまり、将軍や、軍師、歩兵、誰が孫策、孫有、孫堅か、どの軍が、本物か分からなくなる」


「そして、スカウターと再設計したYwatchとZwatchの機能で、味方の軍の位置を把握させる。これで囮部隊と本隊、どちらに敵が迫っているかを、相互に教え合い、煙に巻く作戦よ!」


剣人が頷いた。「つまり、偽の孫堅隊を編成して、敵の主力をそっちに向かわせ、本隊は玉璽を持って別ルートで脱出……か」


「ええ。孫策さんには、囮部隊の指揮をお願いしたい」


孫策は真剣な面持ちで頷いた。「まかせてくれ。俺は“偽の主力”を演じる」


「じゃあ、俺たちは……本物の玉璽護送隊か」


剣人が笑った。


夜明けとともに、擬態作戦は始動した。


孫堅の鎧を着た孫有が、堂々と陣頭に立つ。一方、剣人、美世子、小窓、京子、そして孫堅本隊は、山の陰を通る迂回路を進んでいた。


劉表軍は、孫策の部隊に気を取られ、全兵力を投入した。まさに、幸美教授の読み通りだった。


「やった、囮成功です!」


京子が歓声をあげる。


「まだだ。油断するな」


孫堅が厳しく言ったその時、空に炎の狼煙が上がった。――敵の伏兵である。


「くっ、敵が背後にも……!」


だがその時、京子が前に立った。


「剣人、私に任せて!」


「京子!」


彼女の防具は敵の矢を跳ね返し、隙をついて突破口を開いた。京子は後方から弓道部の腕前を披露し、追っ手を射殺。


剣人が叫ぶ。「今だ、全速で駆け抜けろ!」


数刻後。


玉璽護送隊は、ついに敵の包囲を突破。呉への帰還路が、目前に開けた。


孫堅は馬上から振り返り、部下たちに告げた。


「よくぞ、耐え抜いた。これが……我らが誇りだ」


剣人も静かに言った。「でも……これで終わりじゃない。俺たちがいる限り、この世界は、変わり続ける」


空には、再び南斗の星々が輝き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ