怒れる白
リツが僕に付きまとうようになって、二ヶ月程過ぎた頃、学校内の各家の人狼達が動き始めた。
ある日、いつもように僕が許可していないのに、リツが僕の隣で明るく喋りながら駅へ向かってる時だった。僕達の前に、同じ学校の制服を着た三人の男が立ち塞がった。リツが咄嗟に僕を背中に隠して三人と対峙する。
「あんた達、白蘭家の者だろ。何か用?」
「用があるからおまえ達の前にいる。俺の顔くらいは知ってるだろう。俺は、白蘭シロウ。なぁ、去年はお互いの存在は認識していたが、関わらないようにしてたじゃないか。なぜ、今年はおまえ達、青蓮と赤築が仲良くつるんでるんだ?まさか、二つの家が手を組んで、白蘭や黄麻を潰そうとしてるんじゃないだろうな?」
表情一つ変えず、淡々と語るシロウと言う名の白欄の人狼。彼のとんでもない勘違いに、僕は苛だちを露わにして言う。
「仲良く?冗談はやめてくれ。こいつが勝手に僕につきまとってるだけだ。僕はこいつと仲良くもないし手を組んでもいない。僕としては、どの家とも関わりたくない」
僕の言葉を聞いて、勢いよく振り向いたリツが、とても悲しそうに顔を歪めた。
「俺は…ルカとは関わりたい。赤築とか青蓮とか関係なく、ルカ個人と仲良くしたい。ルカ、俺はどうすればいい?どうすれば友達だと認めてくれる?」
「友達なんていらない。ねぇリツ、あんたが僕にしつこく構うから、白欄が現れて、穏やかな学校生活が乱されようとしてる。そのうち黄麻も出てくるかもしれない。僕はね、目立たず静かに過ごしたいんだ。だからもう、僕のことは放っておいてくれないかな」
「ルカ…」
シロウが一歩こちらに踏み出し、リツに顔を近づける。
「なんだ。赤築の人狼、おまえが勝手に懐いてただけか。あれか?物珍しさからか?」
「なに?物珍しさって」
「おまえも聞いたことがあるだろう。青蓮の、異端な人狼の話」
「それが何?」
「そこにいるそいつ、青蓮ルカ。そいつは名門青蓮家の生まれでありながら、狼に変身することも、ましてや尻尾を出すことすら出来ないという噂だ」
「チッ…」と僕は小さく舌打ちをする。
だから、そんな出来損ないの僕のことなんて、もう放っておいてくれ。
顔を後ろに逸らせた僕を見て、リツは僕がショックを受けたと思ったのだろう。僕の右手を強く握りしめて、怒りを含んだ声を出した。
「おまえ、ルカを侮辱する気か?俺の大事なルカを傷つけたら許さねぇ」
「はぁっ?」
思わず出た疑問の声が、シロウのそれと重なる。
「ふ~ん…」と呟いたシロウが、いやらしく笑いながら僕を見た。
「おい、青蓮ルカ。こいつ、おまえに相当入れ込んでるみたいだな。おまえ、変身出来ない自分の番犬をさせる為に、その綺麗な顔で赤築を誑かしたのか?」
「勝手にほざいてろ。ゲス野…」
「…っこんのクソがぁっ!」
突然、息が詰まる程の激しいオーラを出したリツが、叫びながらシロウの顔を思いっきり殴り飛ばした。
シロウの身体が数メートル後ろに飛んで、建物の壁に鈍い音を立ててぶつかる。
「ぐ…っ、くそっ」
「ルカっ」
呆気にとられる僕の手を再び握りしめて、リツが強い力で引いて走り出す。
拒否する間も無く、僕はリツに引きずられるように走り出した。一瞬、振り返ると、シロウが連れの二人に両脇を抱えられて、こちらを睨みつけていた。
ああ、面倒なことになった。僕が貶されたのに、なんでこいつが怒ってるんだよ…。
さっきの場所からずいぶんと走って来て、疲れた僕は、リツの手を離そうと強く引く。だけどしっかりと握られていて離せない。
僕は思いっきり息を吸うと、「リツ!」と大きな声で叫んだ。
リツの肩がビクンッと震え、足がピタリと止まる。ゆっくりと振り返ったリツは、泣きそうな顔をして僕を強く抱きしめた。
「なっ、なに…?離せよっ」
僕は、リツの腕の中で暴れるけど、暴れれば暴れる程、僕を締めつける腕の力が強くなる。
「リツ!」
「嫌だ。離さない。ルカ、初めて俺の名前、呼んでくれた…。すっげー嬉しい。なんか、泣きそうなくらい嬉しい…」
「はぁ?何それ。ねぇ、苦しいから離して」
「無理…。くそっ、白欄のやつ、ルカに酷いこと言いやがってっ!…ルカ、俺がルカを守るから、ずっと俺の傍にいろよ」
「だから、何それ…。そもそもは、僕は何を言われたとしても気にしないのに、リツが勝手に怒ったんじゃないか。僕が変身出来ないのは事実だ。今までにいろんなことを言われてきた。いろんな目で見られてきた。もう慣れてる。なのにリツが殴るから、白蘭のあいつ、きっと仕返しにくるよ」
「仕返しに来るとしても俺にだろ。ルカには手出しさせない」
「…リツって、人当たりがいいように見えて、頑固だよね」
「~っ!ルカ…っ」
褒めたつもりは全くないのに、リツはあろうことか、僕に頬ずりをしてきた。
「バカッ、何してるんだよっ」
僕は力一杯リツの胸を押して、身体を何とか離した。リツが、すごく情けない顔をして僕を見る。
「いつも俺の姿が見えてないのかな…って態度だったのに、ちゃんと俺のこと、見ててくれたんだ、って思って…っ。ヤバいっ、ホントに嬉しい!やっぱり俺は、もっともっとルカと仲良くなりたいっ。ルカを知りたい!」
やっぱりこいつはバカだなと思い、小さく頭を振る。ふと、辺りに目をやると、いつの間にか陽も落ちて暗くなっていた。
「ねぇ、もう遅いし帰るよ」
「え?あ、ホントだ。ここ、どこだ?」
やみくもにリツが走るから、民家も疎らな街の外れまで来ていた。
とりあえず街へ戻ろうと、一歩足を踏み出したその時、背後の暗闇から低い声が響いてきた。
「見つけたぞ…。おまえら、絶対に許さない…っ」
暗がりから白く光る何かが姿を現わす。それは低く唸り、鋭く尖る牙を見せて、緑色の目で僕達を睨みつける。
月明かりに照らし出されたのは、白い毛並みの大きな狼だった。
「白蘭シロウ…?」
「そうだ。覚悟しろ。今からおまえらを引き裂いてやる」
「ルカ、下がってっ」
シロウの後ろに、もう二匹の白い狼が見えた。
リツが僕の腕を引いて後ろに下がらせ、シャツを脱いで放り投げる。僕の上に落ちてきたシャツを受け止めて、リツを見た。
リツの身体から赤い炎が揺らめいているように見えて見惚れていると、耳が大きな尖った耳に変わり、尻尾が生え、爪が鋭く尖り、全身に赤味がかった毛がびっしりと生えた。
両手を地面につき、四つ足の狼の姿に変身したリツを見て、僕は素直に綺麗だなと思う。
なんて力強い。赤い毛並みがまるで炎のようで、美しい…。
ふと、頭に浮かんだ感情を振り払うように、首を振る。
羨ましいなどと思ってはいけない。どんなに願っても、僕は変身出来ないのだ。
すぐ傍で風が起こり、僕はハッと顔を上げる。
リツが後ろ足で地面を蹴って、シロウに飛びかかった。
ドンッ!と重い音が響き、二つの大きな身体が、それぞれ逆方向へ弾き飛ぶ。回転しながら足から着地したリツに、二匹の白い狼が噛みついた。
「グワゥッ!」
「ガアッ」
「リツ!」
リツが身体を激しく振って、背中に噛みつく二匹を投げ飛ばす。綺麗な赤毛が血でドス黒く染まり、荒い息を吐いて、リツが掠れた声を出した。
「クソっ…、三対一はマズい…。ルカっ、なんとか隙を見て逃げろっ」
「リツ…」
逃げるも何も、僕の足ではすぐに追いつかれてしまう。リツこそ、僕など放っておいて、その速い足で逃げればいいのに。
「リツ、僕を置いて逃げて。一人なら速く駆ければ逃げきれる」
「はぁ?バカ言うなっ!俺は死んでもルカを守るんだっ。ルカこそどうにかして逃げてくれよっ!」
「グダグダとうるさい。二人とも引き裂いてやると言ってるだろうがっ。だが、青蓮は生かしてやってもいいかもしれない。その綺麗な顔は、殺すには惜しい」
「何言ってやがるっ!おまえなんかに、俺のルカを渡すかぁっ!」
俺のルカ?なんだよ、それ…。
牙を剥き出してシロウの首に噛みつき、腹をシロウの尖った爪で抉られるリツを、僕は顔を歪めて見た。
リツには話が通じない。こいつといると、僕のペースが乱されてしまう。
お互いに噛みつきながら、絡まり合ってゴロゴロと転がる赤と白の狼を見る。
リツとシロウの力は、互角に見える。だけど、シロウには二匹の仲間がいる。絶対的に、リツの方が分が悪いじゃないか。これ以上、傷が増えないうちに逃げてしまえばいいのに…。やっぱり、リツはバカだ。
なんの力も持たない自分が不甲斐なくて、僕は俯いて唇を噛みしめた。その時、背後で二匹の獣が動く気配を感じた。
なぜそうしたのか、後になって何度考えてもわからない。頭で考えるよりも早く、身体が勝手に動いてしまったんだ。
リツに向かって大きく口を開く二匹の前に、僕は両手を広げて立ちはだかった。
二匹の牙は、僕の両肩に深く突き刺さる。そのまま、肩の肉を抉り取られるのだろうと、激しい痛みに固く目を閉じた瞬間、両肩にのしかかる二匹の重さが消えた。
「ルカっ!なんて無茶すんだよ!」
シロウを投げ飛ばしたらしいリツが、僕の傍に来て、血で濡れた肩を長い舌で舐めた。
僕の両肩は、痛みを通り越して燃えるように熱い。
「こ、んなの…平気だ…。リツの方が、ひどい…よ」
「俺はどうなってもいいんだっ。ルカは、傷ついちゃダメだっ!ごめん…ルカ。俺の…俺の大事なルカなのに、守ってやれなかったっ…」
「また…ふふ…大事な、って…なんだよ…」
「俺はっ…」
「ルカ様」
ロウが来た。白蘭の二匹を投げ飛ばしたのはロウか。ロウは月光に鉄色の身体を光らせながら、リツを押しのけ僕の前に来て頬をペロリと舐めた。
「無茶なさいましたね。かなりひどい傷です。早く帰って俺が治してあげます。…白蘭のおまえら、これ以上、ルカ様を傷つけるなら、俺に殺される覚悟をしろ。俺は一切容赦はしない。それと赤築。ルカ様を守ろうとしたことは感謝する。が、そもそもは、おまえがルカ様につきまとうから起きたことではないのか?ルカ様のこの傷は、おまえのせいでもある。二度とルカ様に近寄るな」
真っすぐに首を伸ばして順番に睨みつけ、その青い瞳に怒りの炎をたゆらせて、凍るような冷たい声で、ロウが言い放った。
再び僕に向き直り、前足を曲げて僕のシャツの襟を咥え自身の背中に放り投げる。僕は、大好きな柔らかい毛並みに頬を擦り寄せて、強く抱きついた。
「ルカ様、しっかりと掴まっていて下さい。少し急ぎます」
「ん…わかった」
ロウが立ち上がると、「あ…」と小さく声が聞こえた。
視線を後ろに向けると、人型に戻ったリツが、泣きそうな顔をして僕に向かって手を伸ばしている。
僕は、すぐに目を逸らしたけど、リツの顔が頭に焼きついて、ずっと離れなかった。