今日の松本屋敷は朝から賑やかです 1
「いくら何でも、まずいのでは?」
「何を言っている、かわいい大姫の寝顔などそうそう見られるものではない。まして今日、大姫は『裳着』。一人の女性となるのだぞ。最後の機会だろう?」
「とはいえ、大姫の寝顔を見ている所を巴御前に見つかりでもしたら……」
「幸い、今朝早くから巴御前の姿は見えん。大方、朝一番で遠乗りにでも行ったのだろう。まさに好機!」
私の寝所の出入口の戸の前で興奮気味の義高兄様と、戸惑い気味の義重兄様の声がする。
戸か開いて、兄様達が中に入ってくる。
「む……。起きていたか……残念だな」
「おはよう、大姫。」
義高兄様は少し残念そうな表情をしてから明るく笑い、義重兄様は元気よく私に挨拶してくれる。
「おはようございます。義高兄様、義重兄様」
私は、ぼうっとしている頭を目覚めさせるように礼儀正しく挨拶する。
身体が弱かった私をいつも気にかけ、一緒に暮らしてきた兄様達。今は別れて暮らしているけど、何くれとなく松本屋敷を訪れ、私をかわいがってくれる。
「しかし、巴御前の姿か無くて安心した。こんな所を見られたら……」
義重兄様が、ほっとした声て言う。
「うん。そうだな」
義高兄様が相槌を打ったのを私はにっこりと笑うが、つぎの瞬間、私は顔をひきつらせ、真っ青になる。
「どうした、大姫。具合でも……」
義高兄様が心配そうに私を見つめる。私は震えながら、ゆっくりと兄様達の後ろを指差す。
「夜討ち、朝掛けはいかにも武家の兵法……しかし、些か対象が違いますよ。義高殿、義重殿」
氷のような冷たい声と、黒い気を背中から立ち上らせた巴母様が、兄様達の後ろに立っている。
声の冷たさと怒気に、錆び付いた金具のような動きで振り向いた兄様達の後ろ襟を巴母様はしっかり握る。
「妹とはいえ、女性の寝所に押し入るとは……少し身体を動かしましょうか?その方が朝餉も美味しく召し上がれるというものです」
巴母様は、兄様達を引き摺るようにして兄様達と寝所を出ていく。
引き摺られ寝所を後にした兄様達と巴母様と入れ替わるようにして、小百合かか様がやってくる。
「かか様……兄様達大丈夫でしょうか?」
私は不安な表情を浮かべる。
「大丈夫でございます。義高・義重と巴母様は血は繋がってなくても、義高・義重巴母様に『孝』を尽くし、巴母様も義高・義重を『慈母』に接しておられます。あれは、悪戯を叱る母親と同じです」
小百合かか様は、全て見切ったような口調で私に話す。
「さ、お支度を……義仲様のお出迎えに間に合わなくなります」
小百合かか様が私に告げ、私は支度を整える。
「大姫、やっと来たか」
私が屋敷の広間に顔を出すと、待ちくたびれたように義仲が声をかけてくる。
私は座敷の一段高い場所に座る父上の前に座り、頭を下げる。
「今日は大姫、そなたの『裳着』。正式な披露は後日だが、今日は本当の身内だけで祝いたくてな……。と、いうのは建前。巴から姫の想いを聞いてな」
にっこりと父上が笑う。
私の『裳着』が決まった日、巴母様に私は一つのお願いをした。
『お世話になった、中原の爺様、婆様。叔伯父上様達にきちんとお礼がしたい』
と……。
巴母様は、頷いて私を抱きしめると、父上や義高兄様、義重兄様達も巻き込んであっという間に段取りを決めてしまった。
「小百合。巴が不在の間、よく大姫を育て守ってくれた。礼を言う」
父上が廊下に控える小百合かか様を私の横に座るように命じると、頭を下げる。
「小百合……。私からも礼をさせて下さい。よく大姫を育ててくれました」
父上の座る段のすぐ下の脇に座る巴母様も頭を下げる。
「大姫様は、義仲様と巴御前様からお預かりした大切な姫君でございます。一命に賭けても大切に御養育するのが、使命でございます。礼をされるような事はしておりません」
小百合かか様は、胸を張って答えるが、少しだけ涙声なのが分かる。
「これからも、巴と共に姫の事よろしく頼む」
義仲父上が、小百合かか様に優しい声で告げると、小百合かか様は礼儀正しく頭を下げて答える。