新しい季節
二学期が始まった。
ここ葛城学園の保健室も、これからは毎日二人の養護教諭、即ち白根澤翠子と加藤誠作が在室する。
夏休み中は、夏期特別休暇で不在になるだけでなく、それぞれが研修や養護教諭大会などに出席するため、二人揃って保健室にいることは少ないのだ。
そして二学期は、健康診断に忙殺される一学期とは違う多忙さが待っている。行事ごとの健康指導や救急対応、あるいは宿泊を伴う帯同が予定されていて、傍で見ているよりも、養護教諭という職種に暇はない。
「あら、せいちゃん、今日はパリッとした服着てるじゃない」
頬に人差し指を当て、白根澤翠子は「うふふ」と笑う。
「今日は職会があるからな。また教頭にウザイことでも言われたら面倒だし」
白根澤はこの道三十年以上ご随意の超ベテラン。
今夏は都の養護教諭部会から、表彰されたそうだ。
「長くやってるだけよ」
至って謙虚な白根澤だが、養護教諭としての実力は折り紙つきだ。
だからふと、加藤は訊いてみたくなる。
「あのさ、いわゆる性同一性障害を抱えた生徒の対応って、したことある?」
「あるわよ、何人も」
あっさりと答える白根澤。
「数年前だけど、全国の小学校から高校、特別支援学校まで、文科省の調査依頼があったのよ。性同一性障害について。その時に事例をまとめておいたわ」
「へえ……覚えてないな」
それは調査の実施と報告を、白根澤が一人で行ったからである。
「そもそも、せいちゃんの好きなSDGsにも出てくるでしょ? ジェンダーの平等を実現しようって」
「別に好きってわけじゃ……ああジェンダーに関しては、まあそうだな」
白根澤はパチリと瞳を開く。
「何か、あったのかしら?」
加藤は、ボランティアで中学生の宿泊引率を行って、一人の生徒を病院に連れて行き、ちょっと言動が不安定だった生徒の対応もしたことなどを白根澤に話した。
「それで、不安定だった生徒っていうのが、男子と同じ様な格好して来たんだけど、女子だった。一緒に来た男どもも、同性として扱っていた。それはそれで、双方納得しているなら、問題なかったんだ」
「その生徒さん、女性の身体を持って生まれて、心は男性だったのね」
「そう。その子が言うには、男として扱われているのに、男性を好きになってしまった。どうやら、それが一番辛かったみたいだ」
「そう……。その生徒さん、本当に辛かったでしょうね」
「俺は話を聞くだけで、何も出来なかったよ。日頃、ジェンダーフリーとか、偉そうに生徒に言ってるくせに。……あとは、その子の親御さんや、通っている学校の先生とかカウンセラーに、任せるしかないよな」
白根澤は書棚から何冊かの書籍を取り出すと、加藤の前に置いた。
「取り敢えずは、読んでみて」
識者が書いた性自認に関する単行書の他に、文部科学省の性同一性に関する調査結果の冊子もあった。職員会議の時間まで、加藤はパラパラと書籍を眺めた。
その日の午後の職員会議では、いくつかの議題が可決されたのだが、最後の議決で会議が紛糾した。
ちなみに加藤は、長い会議は睡眠確保の時間と割り切っているので、発言も何もせず、椅子の上で腕組みをしたまま寝ていた。
だが、周囲の声は、聞くともなく聞こえて来る。
「いや、いくらなんでも無理だろう」
「しかもよりによって、国立付属の中学からでしょ? 三年生が今の時期に転入なんて、なぜ……」
「ウチは歴史ある、中高一貫男子校ですよ」
「……そういうタイプなら、やはり共学で、『特別な配慮』を受けた方が……」
紛糾した議題には、こう書いてあった。
「生まれつきの性別は女性であるが、心は男性である生徒が、当学園への編入を希望している件について。その可否を伺う」
当然だが、否定意見が多かった。
この案件は、理事長から持ち込まれたものだという。
「まあ、理事長が全ての責任をお取りになると言うなら……」
「いよいよとなったら、保健室登校でも……」
日和見な声の一つに、加藤は覚醒する。
『保健室』というワードに反応したのかもしれない。
「他に、何か意見はありますかしら?」
理事長が真っすぐに加藤を見ていた。
仕方なく、加藤は挙手する。
校長と教頭は、カマドウマでも見るような目つきをした。
「俺は、許可すべきだと思います。なぜならば……」
一人で三十分以上、加藤はSDGsやらジェンダーフリーやら、人権だとを語り続け、加藤の御高説を聞きたくなくなった教員たちは、諦めて受け入れを認めた。
「では、許可でよろしいですね」
理事長はにっこり。校長教頭はげっそりしていた。
「受け入れる生徒の名前をお伝えいたします。名前は…………」
加藤は大きく伸びをした。
新しい学期は、始まったばかりだ。
了
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参考文献:文部科学省「学校における性同一性障害に係る対応に関する状況調査について 」平成26年5月