エックスデーへ③
三月三十一日。
エックスデー。
「お。来たあ~~~~!」
夕暮れ時を指定して俺は人目の付かない裏道に呼び出された。
カビ臭い、無機質なビルの裏側、配管と室外機と換気口に囲まれた空間。例えるなら、もしこれがゲームだったらレアアイテムの宝箱でも置いてありそうな、道順を教わらなきゃ辿り着けないだろう存在さえ怪しい街の隙間だ。
「何でこんな場所知ってたんだ?」
「ん~~? 大天狗の弟子の末裔だからだよ~~」
まあ……妖怪って人目のつかない場所に隠れてそうだし、現代の天狗なら知っていてもおかしくないか。
「さて、異世界傷心旅行の用意はいいかなあ? けぷっ」
「……また飲んでるのかよ」
「だって旅行だも~~ん。翔悟ちゃんの門出だも~~ん。祝杯あげなきゃダメでしょお~~~~!」
「まあいいや……用意も何も、特に何も持ってきてないぞ。何も持ってこなくていいって言われたからな。まあスマホは持ってるけど、暇つぶし用に」
「じゃあ没収~~」
笑顔で手を出す五鬼熊。大魔王様に「ん~~? なんかおかしいかなあ?」って顔をされると俺も逆らえない。あえなく唯一の所持品を取り上げられる。
ポケットやジャケットを広げてもう何も持ってない事を見せると、
「で、本当に何もいらないのか? 異世界行くっていうならそれこそ色々もっていった方が良くないか? 発火器具とか」
「あはははは――そういう翔悟ちゃんこそスーツ着てんじゃ~~ん。戦闘っちゃったらどうするのさ~~。それとも異世界に何を営業しに行くつもりなのかなあ?」
「うるせえ。会社じゃこれで戦ってきたからな、これが俺の戦闘服だよ」
「ふ~~~~ん。かっこいいじゃん……んぐんぐ……ぷふぁ~~」
一方五鬼熊は体のラインが出るタイトな上下に緩くカーディガンを羽織っている。自分の武器を熟知したファッションセンス、スリットから覗く太もももまた艶めかしく男の俺は正直目のやり場に困っている。
異世界に行く格好というよりは、こっちはショッピングにでも行くような感じだ。ビール片手に酔っぱらってなければの話だが。
「まあ翔悟ちゃんのいう事も一理あるんだけどさ~~。残念なことにチェックインで全部取り上げられちゃうんだよね~~」
「チェックイン? 飛行機に乗るのか? スマホも持ち込めないとかどこの国に行くつもりだよ」
「うーん。国というかあ……あの世?」
「縁起でもない事言うなよ……」
まあ見てて、と五鬼熊は両手をかざした。
華奢な親指と人差し指を辺に見立てて正方形を作り、覗き込む。
見ててといわれても、五鬼熊の視線の先にあるのはモルタルか何かで作られたただの外壁なのだが、
「示絶流・神術『朱ノ井』~!」
「は……?」
五鬼熊が唱えると突如、四本の柱が射出された。柱は自動で噛み合わさり一つの四角い木枠に変化。丁度「井」の字に似た形状の赤い窓か何かが空中にとどまった。
「なんだこれ、窓……?」
大きさは一メートル四方もなく、位置は腰から上の高さ。妙に年季が入っていて色褪せている古い窓だ。窓ガラスはなく、向こう側にはビルの外壁……ではなく不思議な黒一色の空間が広がっている。慎重に窓枠に手をかけてみると浮いてるくせに壁にはめ込まれてるかと思うほどがっしりしている。
「どうなってんだ……」
「あてぃしが召喚した通り道だよ~」
「通り道?」
「擬似的に逆流する『生命のスープ』を再現して星の起源を辿る事で別世界に抜ける……一種のバグ技だね~」
「あー、ええっと……」
「つまり『異世界案内所までのゲート』だよ~~」
「はーん、これで異世界転生アニメよろしく神様に会いに行って異世界に連れてってもらうって訳か」
「そのとお~り! あ、まだ行かないでよ~」
つまり異空間みたいなものなんだろう。試しに石を拾って投げ入れてみると、見下ろした先の暗闇に吸い込まれすぐに見えなくなった。落下音は、
「何も聞こえないな……」
うんともすんとも。落ちたら本当にあの世に直行するかもしれない。
暗黒空間はビルの隙間から差し込む夕陽も通さない徹底ぶりで、外から中を確認するのは諦めるしかなさそうだ。だが腕を入れて反対側から見ると窓の中の腕は見えないし貫通もしてこないのは少し面白い。
「マジで何も見えないな。こんな暗いのにちゃんと目的地に辿り着けるのか? しかもめちゃくちゃ地面まで距離あるみたいだけど」
「あははははっ。この五鬼熊さんが付いてるからなーんにも心配いらないよ~~。でも一応念のため……」
そう言って俺の背後に回り込んで何やら背中をなぞっている五鬼熊。
「ん? 何だ?」
「ちょ~~っと動かないでね~~。ちゃ~んと翔悟ちゃんが目的地に届けられるようにね~~神様へのメッセージを書いておこうかなあって」
「おいおい、油性は勘弁してくれよ。替えの服はないんだから」
「う~~ん。魂に直で書いてるから一生消えないかも~?」
「もっとやべえじゃねえか。ちなみに何て書いてんだ?」
「『お届け先、どこかの世界の五鬼熊ムーナ様。ご依頼主、日本の五鬼熊ムーナ。品名、翔悟ちゃん(五鬼熊ムーナのもの)』」
「アバウトすぎるだろ。そんなんで届けられるのか? 無間地獄あたりに配送事故されないといいんだが……」
「あと『繊細な心につき取扱注意』……と」
「おい」
「これでよ~~し!」
「……オッケー」
屈伸運動をして軽く体を動かし、眼を閉じて深呼吸。
気持ちを切り替えて未知への恐怖に臨む。
「今ならまだ戻れるよ~、安心安全な現実世界にね~」
「戻ったって行く当てもねーよ」
「じゃあ~心の準備は?」
「無問題」
「持ち物はもった~?」
「期待と不安をポケットにたっぷり」
「家族にお別れは?」
「そっちはあいにく品切れで」
「結構!」
さあ、と差し出された手を俺は戸惑って、控えめに握った。
すると強引に引き寄せられ、
「え?」
気が付いたときには俺は五鬼熊に抱えられていた。
お姫様抱っこである。
三十代のおっさんにやらすな、恥ずかしっ!
それにしても、
「ち、近すぎじゃないですか……?」
「そうかなあ? でもはぐれて『きさらぎ駅』とかに飛ばされたら困るからね~」
「う……」
それはヤバイ。そうか、異世界に行くんだからそういう現代の怪談的な世界に飛ばされる可能性もあるのか……。
押し付けられてる膨らみにどぎまぎしてるのは俺だけのようで、五鬼熊は普段通りゆるっとしつつもどこかキリっと表情が引き締まっていた。
「ちゃ~んとしっかり捕まっててね~」
「お、おう」
俺は五鬼熊の艶っぽい首に捕まり、華奢な肩に身を寄せる。
五鬼熊はスリットから大胆に足を覗かせて窓枠にかけた。反射的に俺の手に力がこもった。
「……やっぱり止めとく~?」
「いや……任せとけって。落ちるのは得意だからな」
「あはははっ。じゃあ、行くよ~」
合図とともに五鬼熊は窓から飛び降りた。
異世界への旅の始まりだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!