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エックスデーへ②

「……はあ? 大魔王?」


 ミルクの入ったコーヒーをズズッと啜る。火傷に気を付けて恐る恐る口を付けたが、氷とミルクのおかげで熱すぎず温すぎず丁度いい温度に調節されていた。


「魔王って、漫画とかゲームに出てくるような異世界とかのアレか?」

「あはははは、まさか~。あてぃしがそんな何形態も変身を残してるボスにみえるかなあ?」

「俺には優秀な若いエンジニアにしか見えねえな」


 強いて他の候補をあげるなら、彼氏の一人でもいそうな女子大生の寝起きか、美人秘書の意外なオフの姿って感じだ。というかビール片手に酔っぱらってたヤツと同一人物にも見えない。


「異世界はまだ行ったことないから知らないけどお……日本にはねえ、昔から『大魔王』って呼ばれてる存在がいたのさ」

「どんな奴なんだ?」

「天狗だよ~」

「天狗って……あの鼻が長い妖怪の?」

「それは鼻高天狗。有名な天狗の一つだねえ。確かに天狗と言えば鼻が高いとか、翼があるとか、見た目の事ばっかり言われるけど」


 言いながら五鬼熊は俺の鼻をつついた。

 俺に止められる寸前で身を翻して躱し、続けて、


「でもそれだけだと侮ることなかれ。その中でも特に巨大な力を持っていた大天狗は大地を作り替えたり災害を止めたり、あるいは逆に疫病を流行らせたり……人々に恐れられ、崇められていてねえ。だから『大魔王』なんて異名で呼ばれてたんだあ」

「なんだか神様みたいだな」

「実際、大天狗ともなると当時の神と渡り合ったらしいね~」


 まるで怪獣大決戦だ。無力な人間側からしたらたまったもんじゃない。


「そしてその一人こそ、このあてぃし~! 生まれは大和国、葛城山でつら~い修行を重ねて己を鍛え、時には苦しむ民の病を治し、時には悪事を働く鬼を呪術で懲らしめる……伝説の大天狗にして大魔王、役小角えんのおづの!」

「おお、なんか凄そうだな」

「……の弟子!」

「おお?」

「…………の末裔!」

「おお……なんていうか、一気に凄みが消えたな」


 弟子ならともかく、末裔となるとなんというかもう「俺の遠い親戚には芸能人がいるんだぜ」の方がまだ威光がありそうな気がする。サイン貰えそうだし。


「それで自称・大魔王の末裔さんが何だって?」

「さてはま~ったく信じてないでしょ~?」

「そりゃあまあ……だってなあ」


 今時中二病でも使わなそうな安直な二つ名だし。あまりにも子供っぽいネーミングだ。五鬼熊も酒癖が悪いだけかと思いきや意外と変な趣味を持ってるんだな。

 そう思ってると、五鬼熊は何か言いたげな目で俺をじっと見て、面倒くさそうに溜息一つ。


「確かにあてぃしは異世界を滅ぼさんとする悪名高い大魔王のような神威も、えんの行者様のような通力も持ってないよお?」


 なら何ができるのやら。何か面白い手品とか?

 俺がマグカップを傾けて薄っすら苦いコーヒーとミルクの甘味を楽しんでいると、五鬼熊は指先を俺の眼前に突き付けた。


「……?」


 何も起きない。

 だが五鬼熊はイタズラ成功とばかりに、いししと笑っている。

 それでも何も変わらず――いや、


「……っ!?」


 何も変えれなくなっていた。

 コーヒーを一気飲みするつもりじゃなかった俺は、中身を口に含んで味わっていた。だが、動かない。手に持ったマグカップが一ミリも動かなくなっていた。

 マグカップが空中に固まった……? そんな馬鹿な。

 このままだとコーヒーをこぼしてしまう。ありえない話だが、コーヒーで溺れてしまう。俺はむせ返るように慌てて体ごと前に傾けてマグカップを戻そうとした。

 が、駄目だ。びくともしない。

 コンクリートの壁かと思う程、何もかも。

 腕も、腰も、足も。全身が、だ。

 肉体が物に触れている感覚はある、だが微動だにしない。呼吸は変わらない。口から溢れ、服や手足に垂れ流されるコーヒーの暖かさも感じる。なのにどうすることもできない。


「いわゆる『金縛り』ってやつだねえ」


 にんまりと口角を上げながら俺の異常を観察している五鬼熊。細めた眼はまるで俺の心を見通しているように俺には感じた。


「目を凝らしてごらん。自分の体と、周りをさあ」

「? ……っ!」


 何なんだ、これは……。

 俺には何も理解できない……。

 ただ言われた通り目に力を入れてよく見ると、奇妙な世界が見えた。

 例えるなら巨大な蜘蛛の巣だ。

 半透明の糸のようなものが五鬼熊の部屋には張り巡らされていた。どろっとしたそれは俺の体と重なっているもう一人の俺を様々な角度から捕らえ、癒着。見事にその場に固定させている。

 はっと気が付くと、世界は再び元の形を取り戻した。

 ごく普通の、掃除の行き届いたお洒落なワンルーム。蜘蛛の巣一つないし、さっきまで見えていた特撮の怪人じみたシチュエーションなんて欠片も残っていない。


「理解できたかなあ?」


 突如、体が動き出した。

 空っぽのマグカップが手から離れ、俺は思わず前に転ぶ。ゆっくり体を起こしながら五鬼熊のいう『金縛り』が解けたんだと気が付いた。


「はあ……はあ…………幻覚か……?」


 俺は震えた手のひらを見つめた。

 いつものように閉じることも開くことも普通にできる。

 床に転がったマグカップも手に取れば簡単に持ち上がる。軽くて使いやすいどこにでもあるマグカップだ、コンクリート製なんてことはない。


「現実だよお」


 顔を上げると五鬼熊がタオルを持って立っていた。俺の前に屈んで零れたコーヒーで汚れた俺の口元や体を拭いて、最後に床を掃除し始める。


「あてぃしの力で翔悟ちゃんの魂を捕まえたんだ~。ぺとぺと~ってね。だから翔悟ちゃんはマグカップが動かせなくなったり体が動かなくなったりしたんだ」

「俺の魂を……?」

「そう! これが『大魔王』五鬼熊ムーナちゃんの力なんだよ~!」


 ……『大魔王』かどうかはさておき、少なくとも普通の人間ではないのは確かなようだ。天狗というのもあながち嘘ではないのかもしれない。


 さて、と五鬼熊は前置きして、俺に再び近づいた。

 俺の胸を――正確には心臓のあるだろう場所を、指でトントンと突く。


「それで、翔悟ちゃんの命、貰ってもいいかなあ?」


 きっと冗談じゃないんだろう。YESと頷けばそのまま右手をずぶりと突き刺して赤々とした新鮮な内臓を抉り取られ、俺は脳が止まるその時まで自分の中身を見つめる事になる。あどけない表情の向こうからそんな凄みをひしひしと感じる。

 一度道路に投げ捨てた命だ。そして五鬼熊がすんでの所で拾った命でもある。

 今更首を横に振って許されるだろうか。五鬼熊は質問しているようでいて実際には選択権がないように俺には思えた。

 だから俺は、その先の事を尋ねた。


「仮に、俺の命を五鬼熊にあげたとして……それで、どうするんだ?」


 すると五鬼熊は、きょとんとあっけにとられた顔で止まり、首を捻った。


「…………どうしよっかなあ?」

「……は?」

「ねえねえ、翔悟ちゃんはどうして欲しいかなあ?」


 がくっ――……何も考えてなかったんかい!

 俺は思わず脱力して「は、は、は……」と半笑いになってしまった。生きるか死ぬかの綱渡りをしていると思ってたのはどうやら俺だけだったらしい。


「そもそも五鬼熊は、どうして俺の命が欲しいんだ?」

「翔悟ちゃんの魂の色が気に入ったからかなあ。初めて見た時から綺麗な子だなあって。決して賢くはないけど、欲にも溺れちゃうけど、一生懸命な子」

「……そりゃどうも」


 魂の色というのはよく分からないが、一応褒めてるつもりなんだろう。頭が良くないとか欲深いとか言われて正直嬉しくはないが。


「っていうか『子』って……前から思ってたけど、普通に俺の方が年上だよな? 失礼だけど、五鬼熊って実際いくつなんだ?」

「ふふ~ん。いくつに見えるう?」

「うーん、二十……五?」

「その倍以上かなあ」

「は? 五十以上?」

「正確には元の数の八倍だねえ」

「え……? 八倍って……二百ぅ!?」


 二百歳。二百年前というと……西郷隆盛?

 確か西郷隆盛が誕生したのがだいたい二百年前だった気がする。百歳超えてる長生きなおじいちゃんおばあちゃんも世の中にはいるから明治や大正生まれとかならまだギリギリ現実味があるのに江戸時代って……コイツ妖怪か? いや妖怪だったわ。


「実際さあ、翔悟ちゃんはどうしたいのかなあ」

「どうって……」

「死ぬほど辛かったみたいだけど、まだ生きるつもりあるのかなあって」

「どうだろう……辛かったのは確かだよ。どこもうまくいかなかったんだ。会社って無能には厳しい所でさ。自分が大して仕事ができないやつだってバレるとね、途端に冷たくなるんだよ――」


 次第に仕事が手につかなくなった。病院に言われて薬を飲んで休むようになったら今度は引きこもり生活。こんな状態でまた復帰できるのか不安の毎日。会社も首になり、毎月減っていく貯金額が怖くなって急き立てられるように就職活動を始めた。


「俺はどれだけ駄目な人間なんだって思い知らされた。働くのも生きるのも向いてないんだなって」

「その苦しみはこの先も変わらないだろうね~」

「どうして?」

「『四苦八苦』だよお」

「四苦八苦? 確か、色んな苦しみとかすげえ苦労する事って意味だったか」

「他にも『この世の八つの思い通りにならない事』って意味もあるんだよねえ。その内の一つが『生まれる苦しみ』なんだって」

「生まれる苦しみ……」

「この世に生まれた時点でたくさんの事が思い通りにならなくて苦しいって事らしいよ~。残酷だけど、この言葉を考えた人はよく分かってるねえ」


 ひどい話だ。だが、きっとそうだろう。人が生きるというだけで遭遇する困難が無限にある。段々と歳を重ね、体の自由もゆっくりと奪われていく。なら、


「好きに使えよ」

「うん~? いいのかなあ?」

「この世界じゃ俺は役立たずだ。社会に必要とされてない人間だ。そんな俺を五鬼熊は『綺麗』だと言ってくれた。『欲しい』と言ってくれた。なら、使ってくれ。いっそ楽にしてくれるなら……それでもいい」

「うんうん。その意気やよ~し!」


 五鬼熊は俺の手を引いて、


「なら二人で傷心旅行に行こうかなあ、異世界に!」

「異世界……?」

「翔悟ちゃんはまだこの重くて生きづら~い世界しか知らない。でもねえ、世界はまだ他にもあるんだから生きやすい世界に行けばいいんだよお!」

「そんなことが……で、できるのか?」

「大魔王に不可能はないよお。弟子の、そのまた末裔だけどね~」

「は、はは……スケールがデカいな……」


 異世界に旅行? 海外すら行ったことがない俺からすれば異次元だ。

 ありえない、フィクションだ。だが五鬼熊ができると宣言しただけで俺はもう信じることができた。


「キリよく出発は来月の三十一日でいいかなあ。丁度日曜日だし」

「なんでだ? すぐには行けないのか?」


 手帳を開いている五鬼熊を横から覗き込む俺。打ち合わせや納期、各種予定が刻まれた機密事項盛りだくさんの社外秘スケジュールの最後の土日に「旅行準備」「出発!」と追加された。


「行けない事もないけど、翔悟ちゃんにしっかり稽古をつけてあげないとだし~。異世界には何がいるか分からないからね~」

「う……確かに。よろしくお願いします、五鬼熊師匠」

「うむ。くるしゅ~ない」


 それに、と五鬼熊は言葉を続けた。


「もう会社に戻らないつもりなら、退職届が必要でしょ~?」

「……流石きっちりしてるな」


 マナー講師曰く、退職はどれだけ遅くとも一ヶ月前には伝えるべし――らしいからな。


「それから後もう一個」

「なんだ?」

「もしどこの世界に行っても翔悟ちゃんがうまくいかなかったらねえ」

「おい、縁起が悪いな……まあ、なくはないか。……いかなかったら、なんだ?」

「あてぃしが責任取って、今度はちゃあんと看取ってあげる」

「……ああ。頼んだ」


 ここまで頼もしく生殺与奪の権を握ってくれるやつは、この世界には五鬼熊くらいだろう。あまりにも頼もしくて、どの道死ぬかもしれないのに、俺は少し穏やかな気持ちになった。

いつも評価してくださってる皆さん、本当にありがとうございます!

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