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サラリーマン最後の日④

 いつの間にやら時刻は朝の五時。

 カーテンの向こう側の空は既に白んできている。

 五鬼熊のアパートは歩いてオフィスに行けるレベルで近いらしい。それでも移動を考えると寝るには少し時間が足りない。

「仮眠するなら起こしてあげるよ~~」とは言われたが、ここまで背負ってもらって介抱もしてもらって、しかも俺が酔い潰れていた店の代金も払ってくれたらしい。だからそこまで甘えることはできず。

 結局二人して、退屈な動画をみながらコーヒーに口をつけている。

 ベッドを背に横並び。


 ちなみに汗がひどかったのでシャワーだけは甘えさせてもらった。シャツは多少匂うだろうが、社内に引きこもる技術職は気にしない。それに何日も徹夜で残る人達に比べればマシと割り切る。


 視線の先では毛玉がゴロゴロとくつろいでいる。

 にゃあ――と。

 世の中猫好きは多いらしい。動画サイトに人間以上に厚遇な甘やかされた猫様の動画が沢山アップされていて、五鬼熊が操作しなくても延々と自動再生されている。あくまで客人でチャンネル権を持たない俺としては、変ないやらしい動画が再生されて気まずくなることがないから助かっている。


「……猫はいいな」

「猫派~?」

「いや犬派」

「あてぃしは猫かなあ」


 飼うなら犬派だ。「いいな」と言ったのは単に羨ましかっただけ。

 時には丁寧に体を洗われていたり、家主の留守中にトイレットペーパーを散乱させたり、特別な理由もなくご馳走を振舞われたり、狭い所も高い所もお構いなしに走ったり飛びまわったり……。

 動画の主役は何もしなくても全てが与えられていた。自由な生活も。


「そういえばさ~。マジで死ぬつもりだったんだねえ」

「……言ったのか、俺」

「言った言った! べろんべろんになりながらぜーんぶ吐き出したよ! 仕事がつらい~とか、生きててつらい~とか、もう楽になりた~いとか!」


 恐る恐る腫れ物に触るみたいにではなく、ケラケラと笑い飛ばしてくれるのは逆にありがたい。まあ情けない所を見られたのは少し恥ずかしいが。


「すまん。このことは誰にも言わないでくれ……」

「言うわけないじゃ~ん。一緒に酒を浴びた仲だもん、そこは信じてよ~」


 うりうりと言いながら肩をぶつける五鬼熊。長い髪からどことなくいい匂いが香ってくる。代わりにアルコール臭はだいぶ抜けたようだ。


「そういえば……助ける時。何で俺だって思ったんだ?」

 

 うろ覚えだが言っていた気がする。『やっぱり』と。


「うーん、『色』かなあ?」

「『色』……? ああ、スーツの?」

「そうそう。見覚えあるな~って」

「そんな違うか? 俺は別にそんな柄とか色とかこだわってないから、よくある誰でも着てるようなやつだと思うけど」

「全然違うよ~。どんよりした今にも死にそうな感じの色だったよ~」

「なんだそりゃ」


 ……まあ確かにそんな色だけど。


「でも、なんで助けたんだよ」

「……ごめ~ん。あはは、迷惑だった、かなあ」

「あ……いや……」


 寂しげな笑顔を見せられて俺は直ぐに訂正。


「迷惑じゃない。少なくとも五鬼熊のおかげで一晩楽しい酒が飲めたんだ。だから感謝してる」

「ほんと~? よかった~」

「でも……危ないだろっ。一歩間違えたら一緒に落ちてたかもしれないんだぞ」

「そこはだいじょ~ぶ!」

「いや、大丈夫って……」

「こう見えて力には自信あるんだ~。だから大丈夫! あてぃしを信じなさ~い」


 心配して言ったつもりだったが……謎の自信に満ちた五鬼熊に、俺は何も言い返せなくなってしまった。


「仮に、大丈夫だとして……」

「……う~ん?」

「どうして俺を助けたんだ?」

「そうだなあ。……ちなみに翔悟ちゃんは何て言って欲しいのかなあ?」

「いや、別に俺は」

「例えば『秘かに翔悟ちゃんの事が好きだったから』――とか?」

「っ……」


 それは……言って欲しい。期待してないと言えば嘘になる――が、


「おっさんをからかうなよ……」

「あはははは!」


 三十六年もかけて培った俺の精神防壁は伊達じゃない。それこそ猫のように、分かりやすい玩具を目の前に吊るされて引っかかる程甘くはないのだ。

 それに俺には、何百万再生もされてる小猫みたいな可愛げはない。だからこんな美人に赤裸々に告白される対象ではないことくらい理解している。


「でもそうだなあ。やっぱり目の前で誰かに死なれるのは気分悪いし」


 まあそれはそうだ。


「会社の近くだったし、もし知ってる人だったら余計に嫌だし~。見たことある格好だなあ……もしかして会社の人だったりして? ってなると、あてぃしはなおさらやっぱり見過ごせないかなあ」


 確かに、それもそうだ。


「あとそれに……いやでもコレ言うのちょっとハズいかなあ」

「おいおい、人を散々辱めといてそりゃないだろ」

「まあそうだよね~(笑)」

「そうだそうだ!」

「じゃあ~、ここから先の話は秘密ね」

「いや流石に今日あったことは俺は何も言えねえよ……」

「それもそうかあ!」

「……というかお前こそ、今日の事は本当に誰にも言うんじゃねーぞ!」

「もう分かった分かった~。今日の話はぜ~んぶ二人だけの秘密! これでいいんでしょお?」

「ああ」


 流石に居酒屋の俺の記憶にない話は言いふらされたくないし、朝まで五鬼熊と過ごしたなんて知れ渡ると会社に行きづらくなるからな……。


「それで……飛び降りようとしてる翔悟ちゃんを見かけた時、あてぃし、そんな所に命を捨てちゃうなんて勿体ないなあって思いまして」

「……勿体ない?」

「そ~。だから。そのまま捨てるくらいならあ、あてぃしに欲しいなあって」

「何を」

「翔悟ちゃんの命」


 手の上に、柔らかい手のひらが、そっと重なった。

 俺を見る彼女の顔は、まるで愛の告白をしているようだった。

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