サラリーマン最後の日①
人と関わるのは苦手だ。
「長谷川翔悟と申します。本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。私は前職の株式会社イカセイテックにて三年間、主に既存システムの改造案件にて詳細設計から結合テストまでを担当し、実務経験を積んできました。このような経験が御社でも――」
背中と拳にじっとりとした汗を感じながら、アパートで喉がヒリヒリするまで練習した口上を読み上げている。
人前、というのが俺はどうしても苦手らしい。何度やったって面接は『好き』にも『得意』にもならない。勝手に額から汗がだくだく染み出し、机に垂れる前に握っておいたハンカチでさっとふき取った。
「三十五歳、出身は愛知。IT業界を転々としているが、実務経験は合計で十年以上か……どんな言語ができるの?」
「主にJavaとJavaScriptです。それから、Cも経験しています。他に……簡単にですが、PHPも勉強したことがあります」
「なるほど……経歴に〇〇〇〇って書いてあるけど、これってもしかして△△△△のこと?」
「あっ、はい、そうです」
「ふーん……他には何かアピールしたいことある?」
「そう……ですね。言語ではありませんが、ローコード開発プラットフォームを使用した開発に過去に携わってきた事もあります」
「どれくらい?」
「二年ほどです」
「最近増えてきてるよね、そういう案件」
「そうですね……まだマイナーな気はしますが、新規では特に感じます」
正解だろうか、誤答だろうか。
目の前の、どこか爽やかな雰囲気をした五十代ぐらいの採用担当者の質問に答えていく。記憶を探りながら慎重に、うっかり足を踏み外して採用ゾーンからふるい落とされないように、丁寧に答える。
やがて、ガラリと話が変わる。
「給与って希望あるかな」とか。
「いつから来れる?」とか。
そこまで聞かれてようやく俺はほっとした。
これで働ける。
本音を言えば、働きたくなんてない。
向き不向きでいえば、『仕事』という概念は明らかに向いていないと思っている。得意不得意で会社を選んでいても、大抵の仕事が人と関わらないと成立しないというだけで、俺には向いてないだろう。
なんとなく、一人でパソコン触ってるのが好きで来た業界だったが――
「学生時代にもっと将来やりたいことを考えておくべきだったな……」
それでも、こうしないと生きていけないのだから我慢するしかない。
生きる、イコール、働く。
働く、すなわち、常識。
地球に重力があって人間が地面に足をつけて生きるように、いくらやりたくなくても生活のために労働する。これが世間のいう『地に足をつける』ってことだ。少なくとも俺はそう教わってきた。
少なくとも俺の日常のためには必要不可欠。俺の帰る場所を、狭い漫画だらけのアパートの部屋を維持するためにも。
九月頃。
真新しいが狭いオフィスでの面接から開放されて外に出た。まだじっとりと体にまとわりつく熱気が重く、蒸し暑い。でももうハンカチは要らなくなっていた。
◇
「長谷川くん。〇〇〇〇の確認、今週中いけそう?」
「……絶対無理です」
「えーー、なんでよ? この前、来週中って言わなかったっけ?」
「いやいやいや、手が足りないですよ。物量多すぎて間に合わないってミーティングでも打ち上げたじゃないですか」
「うーん、残念だね。とりあえず頑張って何とかしてみて」
「……っす」
何が残念だよ、お前の××××な××××の方が残念だろーが。
なんて口が裂けても言えない俺は、溜息をお供に渋々上司の難題に付き合わされている。今日も終電まで尿意と戦いながらパソコンに張り付き、少しでも進捗を進めるしかない。尿結石にならないといいのだが……。
入社して半年が経過した。
平日は汗臭い満員電車にぎゅうぎゅうに詰め込まれてコンクリートの牢獄に護送され、半日以上日の当たらないオフィスに閉じ込められる。逆に休日は足りない睡眠時間と耐えられない疲労感に半日以上ぶっ倒れる毎日。
この中で更に年間目標を立てて勉強に取り組めってマジかよ、と思うが、マジだ。業界に十年もいれば百も承知。早く仕事に慣れて少しでも手を早くしなければ続かなくなってしまう。
「感想は?」と聞かれた時、
「早く人間扱いされたい」という自分は甘いのだろう。
いや、最初から罵詈雑言が飛んでこない、働いた分だけ給料が振り込まれるホワイト企業なだけまだマシだと思う。自分は一年目という事もあってか、成長を期待した『圧』をかけられるだけで一応は人間扱いされていると思われる。逆に年下の先輩達は社内のチャットでヤの付く人が打ち込んでそうな言葉をちょくちょくぶつけられていて、見るたびに小心者の自分は不安な将来にげっそりしてしまう。
一方で同期は順調なようだった。
「五鬼熊くん、調子どう?」
「予定通りっす」
「さすが期待のルーキー。悪いんだけど、追加で今週中に△△△△の製造と単体お願いしてもいい?」
「大丈夫っす。あ~……詳細設計ってあります?」
「あーー、まだ承認してないけど終わってたと思う。田中さんに確認してみて」
「承知っす~」
中途だが、俺と同時期に入社した同期の女性。チームのお荷物になっている俺とは対照的に平然と前倒しで実務をこなしていた。年齢は知らないが――女性においそれと聞いたらセクハラ扱いされるらしい――見た感じ二十代半ば、美人なのにそれを餌にサボる事もしない。大したもんだと思う。
逆に俺は雑務を押し付けられてる上に間に合ってなくて、同じオフィスで働いているのが正直居心地が悪い。……もっと精進しないとな。
ゼリー飲料を加え、気合を入れ直す。
休憩返上だ。
いつも評価してくださってる方、本当にありがとうございます。