は?他に好きな人がいるから婚約解消?なら囲えばいいのに。愛妾を持つななんて言わないよ?
「すまないクリスティア!婚約解消してくれ!」
「君のことは前々からバカだバカだとは思っていたが、流石にこのタイミングでそれを言い出すとは思わなかったなぁ」
クリスティアと呼ばれた女性は、土下座した目の前の男をソファーの上に座ったまま見下ろす。
「一応聞いてあげるけど、理由は?」
「好きな人が出来た!」
「相手の身分は」
「平民だ!」
「君はやっぱりバカだ」
クリスティアは男を貶す。が、彼女は別に彼を嫌いになったわけではない。恋愛感情は無いが、一緒に育った幼馴染で婚約者。なんとかしてやりたいと思った。
「仮にも公爵家の生まれの君が、平民と結婚なんて無理だ」
「だが…」
「私は君に多くを望むつもりはない」
クリスティアは男を見つめて言った。
「私は君と結婚する。そして君を支えよう。君は公爵家の後継として頑張る。そして愛しの君を囲うんだ」
「囲う…?」
「愛妾にしろ。君たちが結ばれるならそれが一番手っ取り早い」
男は目をぱちりと瞬いた。
「その発想はなかった…」
「やっぱり君はバカだ」
「でも、僕は彼女を愛しているから君と子供は作れない」
「誰にもわからないよう気をつけつつ、その愛妾の子を実子として引き取る。私の子供ということにしてやればいい。子供にとっても、妾腹であることはバレない方が将来的にはいいだろう」
「でも、それじゃあ彼女は実の子と接することができない」
クリスティアはきっぱりと言った。
「そうだな。そこを伏せずにきちんと説明して、その上でその彼女とやらが受け入れてくれるなら愛妾にする。それが良いかな。子への愛より君への愛を選べる女性なら、私も愛妾となる彼女を尊重しよう」
「嫌がられたら?」
「大人しく私と家族ごっこをしてくれ。君に平民堕ちは酷だ。君は多分、生きていけない。もし君が家を飛び出して愛しの君の元へ行っても、その女性とは早めに終わってしまうだろう」
男は俯く。なんとなく、自覚はあったらしい。
「アイザック」
男は名を呼ばれて顔を上げる。
「心配するな。私は、君の味方だよ」
アイザックは、そんな自分に甘いクリスティアに甘えることにした。愛しの彼女に話をして、愛妾になることが決まった。
「…彼女が愛妾になる覚悟を決めてくれてよかったよ」
「全部クリスティアのおかげだ!ありがとう!」
「将来子供を奪うことになると思うと申し訳ないがね。平民が公爵家の後継の愛妾になれたんだ。贅沢な日々も送れる。それで我慢してほしいね」
「タバサもそこは心苦しいと言っていたが、それでも僕との生活を選んでくれたんだ!幸せだ!」
「そうかい。それは良かった」
心底嬉しそうなアイザックにクリスティアは笑った。単純なこの子は、弟のように思う。恋愛感情は持てそうにない。子作りをしなくても後継の心配がないのは、却ってクリスティアには助かる。そう、タバサとか言う彼女をアイザックの愛妾にするのはクリスティアにとっても利はあった。
「彼女は別邸で囲うんだろう?」
「ああ。彼女が子供を授かったらすぐにクリスティアに言うよ」
「そうかい。医者は口の堅い奴を選べよ。選んだ別邸の使用人も信頼出来る奴だけだよね?」
「もちろん」
「彼女の妊娠がわかったら、私も妊娠したフリをして部屋に籠るから。生まれたら私の子供としてすぐに連れてくるように。名付けも愛妾には関わらせるなよ。変に情が湧くと可哀想だ」
アイザックは力強く頷いた。
「わかった」
「あと、公の場では妻の私を尊重しているフリくらいはしろよ?君はバカだからすぐに顔に出る」
「クリスティアのことは、いつだって尊重しているつもりだけど」
「…やっぱり君はバカだ。でも、そのままでいて」
「?」
そしてアイザックとクリスティアは結婚して、しばらくするとアイザックは愛妾を囲った。やがて愛妾であるタバサは身籠り、それは秘匿され、クリスティアは妊娠したという体で部屋に籠るようになった。そして、タバサは出産。クリスティアの元に元気な双子の男の子と女の子が運ばれて、クリスティアの実子ということにされた。
「乳母もいるからミルクの心配もないし、子供達は二人ともアイザックによく似ていて可愛いし、よかったね」
「本当にね!」
「名前はクリスティアンとアイリーンにしよう。愛妾はどうしてる?」
「それが、この数日元気が無くて…かと思ったら今日、顔を合わせた早々に子供を返せと暴れるんだ。そういう約束で愛妾になったのに。僕は理解出来なくて、頑張って宥めて慰めて、説得したんだけど…」
アイザックの困惑した表情に、クリスティアは心の中で思う。バカだバカだとは思っていたけれど、最低最悪なタイプのバカだと。だからこそ、役に立つ。
「…鎮静剤でも飲ませてやれば良い。ほら、ちょうどここにあるよ。ただ、飲み方を間違えると死ぬから気をつけて」
「ええ?」
「飲み過ぎなければいいだけさ。問題ないよ」
「…わかった」
アイザックは知らない。渡されたそれがなんなのか。無知は、罪なのだ。
「クリスティア!どうしよう、タバサが泡を吹いて死んだ!」
「声が大きいよ、アイザック。なに、君はここ数日の彼女の様子に愛情も冷めたんだろう?大人しくなってくれて助かるじゃないか」
「でも…」
「彼女は孤児院の出身で、天涯孤独。友達もいない。何人か男は居たようだけど、君の愛妾になってからは連絡していない。別邸の庭に埋めてしまえば、誰にもバレないよ。使用人たちには男と逃げたと説明すればいいさ」
「うん…」
アイザックは本当にクリスティアの言う通りに動いた。クリスティアは心の中で嗤う。
「これで復讐は果たしましたよ、姉上」
クリスティア…いや、その弟のクリストフは一人、部屋で祝勝のワインを楽しんだ。
クリスティアとクリストフは、双子である。普通、男女の双子ならそんなに似ていないものだと思うが、クリスティアとクリストフは見た目を含め何から何までそっくりだった。
そんな二人の絆は深い。クリスティアはクリストフを愛したし、クリストフはクリスティアを一番に考えていた。
「クリストフ、もし私が自殺したら、それは自殺ではないと考えてくれ」
「…姉上?急にどうしました?」
「私はアイザックの浮気相手の平民の女に毎日呪いを掛けられているらしい。腕の良い呪術師に見てもらったから間違いない」
「は!?」
「強力な呪いだ。だから…この国の呪術師を集めても、きっと誰にも解けないだろう」
「そんな…」
クリストフはアイザックを怨んだ。しかしクリスティアは言った。
「それでも私はアイザックを憎まない。アイザックの味方でいてやりたい。だから、クリストフ。もし私が自殺したら、アイザックが苦しまない形で、あの女に制裁を。頼めるかな」
「…はい、姉上」
後日、クリスティアは自ら首を掻き切って死亡。クリストフはそんな姉の遺体を自分が所有する山に運び、隠し、クリスティアに成り代わった。クリストフは、愛する女が出来て二人で遠くに駆け落ちしたことにした。
「アイザックは後継になる子供も得て、愛妾への愛も冷めた。あの憎い女は、覚悟していたはずなのにいざ子供を奪われると心を壊し、失意の底で死んでいった。あとはアイザックをこのまま僕が支えて死ぬまで幸せにしてやれば全部、姉上の思いのままですよね。ね、姉上」
クリストフは、一時の感情をまた『催眠術』で封じた。そしてクリスティアになりきる。そうすると、アイザックを弟のように思えた。あんなに憎い、姉を奪った男。いや、自分はクリスティアだ。アイザックの味方でいてやりたい。そうだ、そうだった。
クリストフ…いや、クリスティアは今日もアイザックを陰になり日向になり支える。結局はアイザックとの子はクリスティアンとアイリーンだけだったが、おしどり夫婦としてアイザックが先に逝く最期の日まで添い遂げた。