視線の先の正体は。
そんな感じで穏やかに日々を過ごし、またすこし時間が経つと、痛みもだいぶ引いてきた。怪我も結構跡が残ってしまったものもあるけど、それは正直どうでもいい。傷跡とか、割といまさらだし。
まだ完治というには遠いけど、すこしくらい運動量を増やしても大丈夫そうだ。幸い、俺の剣はシアが一緒に回収してくれていたらしい。……意識はほぼほぼなかったけど、握ったままだったと聞いた。なので、ひとまず無理のない程度に素振りと筋肉トレーニングからはじめようと思う。
俺の救出時に凄惨な光景を見ただろうシアのその後のトラウマもずっと気にかけているけど、そちらも幸いいまは大丈夫そうに見える。
狩りと同等にするのもどうかとは思うけど、耐性ができているのだろうか。
外にいると、実はシアがかなり働き者だということがよくわかる。土まみれで畑作業をし、かと思えば温室にこもり、時折狩りに出てくると言って森に入っていっては獲物を狩ってきた。その間にも掃除や洗濯もしているし、ときには俺が借りている部屋にやってきて本を持っていく。
……うーん……俺の所在なさたるや……。
とりあえず、シアがいやがらなければ料理でもかってでようと思ったのだけど、シアの許可を得て手をつけようとした直後、問題が発生した。
調理道具の一切が、使いものにならなくなっていたのだ。
「……あんまり魔法にばかり頼るなと、師匠、言ってた。けど、魔法のほうが楽だから、つい」
その台詞、前にも聞いたな、なんてちょっと遠く思ったりもした。
錆びた包丁に、カビたまな板。まな板はまあ、シアがそのあたりの木から作ってくれると言っていたけど、包丁は買うしかない。鍋類は幸い無事だけど、料理酒などはともかく小麦粉などの一切もなかった。味付けだけはと、胡椒はもちろん塩や砂糖もあったけど、シアは基本的に師匠さん印の万能草とその調味料だけで食を賄っていたらしい。
材料を切るのも魔法。火を熾すのも魔法。水を使うのも魔法。
つまり、俺に手出しできる領域になかった。
「……なんか……ごめん」
意気揚々と俺が料理するよ! なんて言っておいてこのざま。消沈どころではない。
「リツカ、なにも悪くない。謝らなくていい」
シアはそう言ってくれたけど、これですこしは恩返しできるかもと思ったんだけどな……。
ほかに俺にできることといったら、掃除……は、ひとの家を勝手にあちこち触るのは、というのもあるし……。……どう考えても、畑作業しかない。
温室は師匠さんの叡智の結晶の宝庫だろうから部外者が立ち入るのはたぶんよろしくないだろう。でも畑なら……と思うけど、これもうすでに一度必要ないと断られている。
断られてはいる、ん、だけど……。ほかにできることが思いつかないから仕方ないと思うんだ。
「あのさ、シア。助けてもらったことと、こうして面倒見てもらっていることのお礼がしたいんだ。だからせめて、畑仕事くらい手伝わせてもらえないか?」
「気にしなくていい」
「いや、シアはそう言ってくれるけど、それじゃあ俺の気が済まないんだ。シアにはほんとうに感謝してるし、本来ならもっとしっかりしたお礼がしたいくらいなんだけど、いまの俺にもできることってそのくらいしかないから」
お礼の押し付けみたいになってきていることは、正直ちょっと自覚している。これがシアの迷惑にしかならないようなら引くしかないとは思うけど、シアは迷惑そうにはしていない。……と思う。いや、シア、あんまり態度も表情も変わらないからよくわからないけど。
とにかく、ここまでだけ押させてもらって、それでもなお必要ないと言われたら、もうおとなしくしていよう。で、怪我が治ったら改めてお礼に来させてもらおう。
そう考えていると、シアはまた斜め上方に目を向け……でも、それは今回一瞬だけで、すぐにまたまっすぐに俺を見る。
「わかった。じゃあ手伝ってもらう」
「ほんとうに⁉」
おお! やった! これでちょっとは俺も恩返しができる!
と、テンションを上げたところ……。
「ちょっとシア! あなたなに言ってんの!」
……予期せぬ第三者の声が割り込んできた。
…………。
「…………え」
いや。……え。
え、ちょっと待って。待ってくれ。え。
あれ……って……。
「よ、妖精⁉」
ふわふわとシアの右斜め上方を飛ぶ、半透明の薄い翅を生やしたひと型をした、それ。
その姿はどう見ても、おとぎ話に聞く妖精の姿そのものだった。
い、いやいや、え。妖精って……そんな、実在する、のか?
戸惑い驚く俺をよそに、その妖精と思われる存在はシアに向かってことばを重ねる。
「あの畑はただの畑じゃないってわかってるでしょ! それをこんな、どこの馬の骨とも知れないヤツに触れさせるなんて冗談じゃないわ!」
「リツカ、悪いヤツじゃない」
「どーおだか! そうやって騙されてからじゃ遅いの! いーい、シア? 怪我が治るまでおとなしくさせて、そしたらさっさと放り出すの! それがいちばんよ!」
お、おお……。俺、なんかこの妖精にすごい嫌われてる……?
妖精の実在に驚いているところに、追い打ちをかける事実。え、俺なにかしたっけ? と、戸惑いを追加していると、その妖精はすいーっと宙を滑るように俺の眼前まで飛んできた。
ちいさいし、ちょっと耳は尖っているけど、ひと型の女の子だ。深緑の大きな双眸はすこしつり目がちで、勝気そうに見える。
彼女はからだのサイズに見合ったちいさな手でびしりと俺を指さした。
「あなたも! 余計なこと言わないでおとなしくしてて! で、さっさと怪我治してさっさとここから出て行って!」
「え、えっと……」
「リヴィ。やめて」
戸惑いと困惑とで混乱を極める俺は、どこに思考を持っていけばなにが解決するかもわからなくなっていて、妖精のことばにうまく返すこともできない。そこにシアの静かな声が挟まる。
妖精はあからさまに不機嫌そうな顔をしながらシアへと振り向いた。
「シアは甘いのよ」
「リヴィが厳しい」
「いいえ、シアが甘い! イスカがどんな目に遭ってきて、どうしてここで暮らしてきたか聞いているでしょ?」
「聞いた。でもリツカ、悪いヤツじゃない」
「イスカを騙した人間の中にも、おなじような人間はいたわよ」
ちらりと妖精の視線がこちらに戻る。そのまなざしはどこまでも冷たく、そして侮蔑的だった。
たぶん、リヴィ、というのが妖精のなまえかな。でもイスカというのがだれを示すかはわからない。はなしの様子からひとのなまえではありそうだけど、どのみち俺にはわからない内容だ。
「……だとしても、契約がある」
シアがまっすぐに妖精に告げれば、そのことばには重要ななにかがあったのか、妖精のほうがことばに詰まった。そしてわなわなとちいさなからだを震わせたかと思うと、あからさまに大きな溜息を吐く。
「……シアってホント、頑固なんだから!」
吐き捨てるようにそう言うと、妖精はシアのそばへと戻っていった。