拾われました。4
俺はとある商家……それも割と名の通る大きな商家が抱える専属の護衛騎士のひとりだ。護衛騎士、なんて、ふつうは貴族とか高貴な身分のひとが抱えるもの。多少大きいくらいの商家では必要に応じて傭兵を雇ったり、一応警備の人間を雇ったりもするけど、護衛騎士を雇うなんてまずしない。
傭兵であればまあ、その実力はピンキリだけど、護衛騎士の肩書を名乗ることを許される身となると、総じて相応の実力を必要とされる。その上で雇い主への忠誠はもちろん、それなりの教養やら立ち居振る舞いも求められた。
つまり、外に出しても恥ずかしくないようにしろ、ということだ。
俺の雇い主はそれほど厳格というわけでもないため、必要なときに相応の言動さえ取れれば、ふだんはある程度砕けていても構わない、という方針をとってくれている。あくまでも貴族ではないから、というのが大きいのだろうとは、同僚の談だ。おかげで職場の空気もよく、働きやすい職場であるといえた。
とまあ、そんなわけで。護衛騎士を専属で雇えているということだけでも、職場であるその商家の大きさが知れることになるわけだ。
つまり。
そのぶん、当然のように敵も多いということ。
俺は基本的にその商家の一人娘であるお嬢様の護衛を担当するひとりだったのだが、なにせ一人娘ともなれば、それはもう格好の標的にされてしまうわけで。特に両親からの愛情も深いと知られていればなおさらと言えるだろう。
幼いころから命なり身柄なりを狙われることもしばしばあったお嬢様は、それゆえにどこへ行くにもなにをするにも必要と思われるだけの護衛がついていた。……いや、うん、息苦しいだろうな、とか、かわいそうだな、とか思ったことも多かったけど、いまそれはともかく。あのときも、そうして狙われてしまったのだった。
お嬢様の母親、つまり奥様のご実家は、ヤナンの村よりもっと東。国境付近の町にある。そこに祖父母を訪ねて行くことは、そこまで高い頻度でということはなくとも、ある程度定期的にあった。途中、ブロッサの森を経由するのは自然だし、同様の旅程を組む場合のスタンダードな道筋とも言えるから道の舗装もきちんとされているし、本来ならそんなに危険がある場所ではなかったのだが、まあ状況だけ見れば狙いやすいタイミングでもあっただろうな感も否めない。
というわけで、お嬢様を乗せた馬車が襲撃に遭ったのだ。
襲撃自体はかなしいかな、珍しいということもないのだが、いかんせん町や村のように常駐する警備兵とかがいるわけでもなし、なのに襲撃者の数がざっと確認できただけでも十数人程度はいるという悪条件のもとだった。敵がどこの手のものかまで探る余裕もなく、とにかくお嬢様の安全を最優先した結果。
俺が、囮としてその場に残ったのだ。
それなりに腕に自信があったとはいえ、いくらなんでも無謀すぎたとは自覚している。だけどあのときお嬢様についていた護衛は俺を含めて三人で、俺以外のふたりだって護衛騎士である以上腕は立つけど、お嬢様付きの侍女もいれば馭者だっていた。庇いながら相手取るには分が悪いのが事実。敵の伏兵やら増援がいないとも限らないから、余計に。
道の舗装はなされているといっても、周囲が木に囲まれた視界の悪い場所には違いなく、そうした諸々の条件を鑑みればやっぱり俺が囮になってお嬢様を逃がすという選択がベストではあっただろう。もし逃がした先にも待ち伏せとかあったとしたら、そこでは残りのふたりにがんばってもらえばいい。
そんな俺の判断を、即決が状況を分けると知るほかの護衛騎士ふたりは顔を顰めながらも了承した。……お嬢様は、最後まで泣きながら嫌がっていたけど。
実のところ、俺、お嬢様に嫌われている感じがあったから、ああまで泣いて引き止めようとしてくれたのは、正直ちょっと意外だったというのは余談だ。
たぶんみんな心配してくれているだろうから、落ち着いたら生存報告できたらいいなと思う。
とにかく、必死だったし無我夢中だったしで、正直あの場に残ってからの記憶は改めて思い出そうとしても曖昧で、自分が死にかけたというのはわかるけど、襲撃者たちがどうなったかとかもわからない。シアが結構すごい状態だったと言っていたことや、うっすらと残る記憶から、たぶん結構仕留められたんじゃないかなーと思う。
……というか、結構すごい状態って……死屍累々というか地獄絵図というか、そんな感じだったんじゃないかと思うんだけど……シア、トラウマになっていたりしないだろうか。改めて訊いて思い起こさせるのもよくないかもしれないし、ちょっとよく様子を見ておこう。
とりあえず、そうして死にかけた俺は、シアに助けられて一命をとりとめたわけだ。で、いまに至る、と。
ひとまず当面の目標としては、まず怪我を治す。これいちばんだな。で、シアに恩返しをして、間を見て職場に生存報告をする。
よし、ふわっとしてるけど、方針決まり。
そう考えてひとり頷いたところで、部屋の扉が開かれる。え、急に⁉ いやでも置いてもらっている身でノックしてほしいとか過ぎた要望かもしれないし……。
ちょっと困惑してしまった俺の視線の先で、シアが横手上方へ視線を向ける。それから、あ、とちいさな声を上げた。そしてそのまま無言で廊下に戻ると、ぱたんと扉を閉める。
え。あ、いや、別に俺、なにもしてないけど⁉ ふつうにベッドに腰かけてるだけだけど⁉
シアの行動の意味がわからずますます困惑していると、すぐに扉をノックする音が耳に届いた。
…………うん? あれ。もしかして、そのために戻った、とか……?
まさかこころの内が読まれたんじゃあ……なんて非現実的なことを考えてちょっとだけ戦々恐々としてしまった俺は、間をあけてもう一度ノックの音が響いたことで我に返る。
「あ、はい!」
声を上げれば、改めて扉が開かれた。当然ながら、そこにいたのはシアだ。
「ごめん。うっかり失敗した」
「えーと……ノックのこと?」
「そう。師匠いなくなって長いから、必要なの、忘れてた」
シアはこの部屋、読書のために使ってるって言ってたし、そのときに本来の主が不在になってしまっている以上、ノックをする必要なんてないだろう。ノックをしない、が、習慣として上書きされてしまったほど、シアは長くひとりでいたのかと思うとなんとも言えなくなる。
同情するなというほうが正直難しいとは思うけど、それをくちにしていいかはわからない。俺は、自分の身の上を憐れまれたいとは思わないから、余計に。
ちょっとだけ視線は泳いでしまったけど、とりあえず深く触れない方向にすることに決めた。
「いや、うん。気にしなくていいよ。俺は置いてもらってる身だし。けどまあ、一応、ノックしてもらえたほうが助かるかな」
「うん。次は大丈夫」
力強く頷くシアに、思わずすこしだけ息が漏れる。たぶん、選択、間違ってなかったんじゃないだろうか。ちょっと会話しただけだから本質は違うかもしれないけど、シアって割とさっぱりしてるよな。
シアは俺のそばまで来ると、持っていた桶を床に置く。
あれ。この桶、中に水、入ってないけど……。
桶の中身は何枚かのタオルと、治療用の道具だった。それはそれで確かに必要ではあるけど……。もしかしていったん中身を置いて、それから水を汲みに行くつもりなのだろうか。うわあ、手間かけて申しわけない……。
「えーと、シア、場所だけ教えてもらえたら、水汲み俺がしてくるよ」
桶の中身を近くの椅子の上に移動させていたシアに提案すれば、シアはきょとんと目を瞬かせた。
「え、必要ない」
「え、いやだって、水、必要だろう?」
「うん。水は必要。でも汲む必要ない」
……どういうことだろう。シアのことばの意味がわからず首を傾げていると、シアは桶の中を指さした。
すると驚くことに、みるみるうちに桶の中に水が溜まりはじめていく。
「え。……え⁉ な、なにこれ⁉」
「? 水」
「いやいやいや、水だけど! 水だろうけど! どこから出てきたんだ、これ⁉」
ものの数秒とかからずに、桶の中が水で満たされた。しかもぱっと見すごくきれいな水だ。そのまま飲み水でもいけるかもしれない。違う、そうじゃない。水の成分とかそういうのじゃなくて、どこから湧いてきたんだ、この水。
「わたし、魔法得意。治癒魔法以外」
「え。……えええっ⁉ シア、魔法が使えるのか⁉」
「うん」
いやまあ確かに、これ、魔法によるものですって言われればそれは納得だけど、まさかここで魔法が使えるひとに会えるとは……。
……え。シア、貴族とかじゃない、よな……?
「シアって、もしかしてその、貴族のひと……?」
だとしたら俺、不敬罪に問われるんじゃあ、と、ちょっとばかりおそるおそる問えば、シアは不思議そうに瞬いたあと、ふるりと首を振った。
「違う」
否定が返ってきて、思わず胸を撫で下ろす。でもそうなると一般人で魔法の才能がある珍しいひとってことになるよな。その場合だとそれはそれで貴族のひとに養子として取り込まれる……もとい引き取られることが多いと思うんだけど。
「でも魔法が使えるってことは、貴族のひととかに引き取られるはなしとかあったんじゃないのか?」
「ない。ここにいれば、絶対ない」
……なんかすごい言いきるな。もしかしたらそういうはなしがあっても、師匠さんってひとが断ってたのかもしれない。それならそれで、貴族に対して断れる師匠さんってひとは、なにもの感がさらに強まるんだけど。
「それより、からだ拭く。脱げる?」
「あ、うん。まだ痛み止め効いてるみたいだから」
「それはそう。師匠印だから」
おお……また謎を深める師匠さん。薬師ではないらしいけど、この痛み止めひとつをとってみても、すごいひとだったんだろうなと思える。
そんなことを考えながらとりあえず上衣を脱いだ。
「そういえば、ちょっといまさらなんだけど、この服って師匠さんのもの?」
俺のものではない服は、シンプルな無地の上下。俺のもとの服はたぶんというか、まず間違いなく使いものにならなくなっていただろうと思う。
身長はそれなりに高いけど、そこまでガタイがいいってわけじゃない俺が着ても割とゆったりしてるし、師匠さんってもとはけっこう大きな男のひとだったんだろうか。
俺の問いかけに、シアはまた斜め上方に視線を向けた。……いや本当、そこになにがいるんだ。
「……師匠、女」
間を置いてシアが出したこたえはそれだったんだけど、そう紡ぐシアがなぜか訝しそうにしている。確かに、俺が内心で抱いた師匠さん像を思えば、そのこたえでもひとまず否定には繋がるだろう。でも、会話としてはちょっと違うともいえるし、そう考えるとシアが訝しむのもわかる。
問題は、訝しむシア自身のこたえがそれなんだけど、というところだ。……なんでシアが自分のこたえに納得していなさそうなんだ……。
「えーと、じゃあこれって」
「それ、リツカの。以上」
以上って。え、訊くなってこと?
「……以上じゃなかった。替えもある。以上」
「あ、う、うん。ありがとう……」
「どういたしまして」
えー……なんかもう、疑問しか増えないんだが。
全然なにも解決してないけど、これ以上訊かれたくないようだし、無理に聞き出すほどのはなしでもないかと自分を納得させる。隠されると気になるのは事実だけど、それを問えるだけの立場にもなければ、関係性も築けていないわけだし。
仕方ない、と思いながら、これは訊いてもいいのだろうかと思う別の問いをくちにした。
「……ところでシア、俺をこの服に着替えさせてくれたのって……」
「? わたし」
デスヨネー。
ほかにだれがいるよってはなしだから、わかっていた。わかってはいた。でもすごい精神的ダメージがくる。
「リツカ?」
「あ、いや、うん……。……ありがとう、ございます……」
「どういたしまして」
消沈しつつも礼をくちにする俺に、シアの様子は一切変わらない。いや、変わってほしいわけでは決してないんだけど。ないんだけど……っ!
からだを拭いて手当をしてくれるシアに、下半身は自分ですると死守した俺の行動は、きっと間違ってなんかいなかったと思うのだった。