拾われました。2
さっきから言っているその師匠さんって、薬師なのだろうか。だとしても、これほど効果の高い薬を作れる薬師なんて聞いたことがないけど……。
あ、でもそういえば、ヤナンの村にとてもいい薬があるって噂なら聞いたことがあるな。俺が襲撃を受ける前、その森のそばにあったのは確かにヤナンの村だったし、もしかしたら噂の薬を作っているのが師匠さんってひとなのかも。
それにしても、いい薬、のレベルを軽く凌駕してるんじゃないかって思えるけど。
「……師匠、探してなかった?」
すこし考え込んでいると、少女がはじめて表情を変えた。といっても、ほんのちょっと、ちょっとだけ不思議そうに、くらいだけど。
そうして小首を傾げる彼女に、俺は首を振る。どこも全然痛まないから、いっそ怪我のことさえ忘れそうになるんじゃないかと思えた。
「いや。通りかかっただけだよ」
「……そう」
ひとつ頷き、少女はふいと自分の横手、その若干上方に顔を向ける。なんだろうとその視線を追ってみるけど、壁にあたるまで気になるようなものは見当たらなかった。壁にもなにがあるということはなさそうだけど、と、今度は俺のほうが首を傾げる。
少女はそのままなにやらまたひとつ頷くと、再び俺へと振り向いた。
「わたし、治癒魔法は使えない。師匠印の傷薬、致命傷には使ったけど、あんまり残りないから、ほかの傷は自力で治して」
「え、あ、うん」
「この部屋、使っていい。拾ったから、面倒見る」
「え、えーと……ありがとう」
「どういたしまして」
はなしかた、ちょっと独特な子だな。淡々としているのはともかく、すこし片言じみている気がする。もしかしたら異国の子なんだろうか。
治癒魔法は使えないって言ったけど、治癒魔法なんて使えるほうが珍しい。そもそも、魔法自体使えるひとはすくない。そのための才能を持っているひとって、だいたい貴族とかに取り込まれるらしいから、お偉いさんとかになら魔法を使えるひとも結構いるみたいだけど。たまに庶民にもそういう才能持っているひともいるけど、俺みたいな一般人にはそうお目にかかれるものじゃない。……まあ、職業柄まったく見たこともないってことはないけど。
それはともかく。
「そういえば、助けてもらっておいて自己紹介もしてなかったな。俺はリツカ・フラン。改めて、助けてくれてありがとう」
「…………」
少女の視線がまた横手上方に向けられる。緋色の双眸をまっすぐに、どこに向けているのだろう。
なんか不思議な少女だな。独特、ってさっき思ったけど、それとあわせてもそう思う。
彼女はそうしてまたひとつ頷き、俺へと向き直った。
「シア」
「え?」
「なまえ。シア」
「シア……」
反射的に繰り返すと、彼女は俺へとこくんと頷く。
シア。……これは、警戒されているんだろうか。
まあ別にそうすべきってことはないんだけど、家名を名乗った俺に対してなまえだけを告げたシアは、俺に家名を教えたくないのかなってちょっと思う。この国では平民でも一応家名は持っているし。もしくは……家名を、知らない状況か。
いまの時代、この国では孤児はそう珍しくもない。治安が悪いというほど悪いわけではないけど、賊なんてあちこちにいるし、人買いもいる。いまでこそ戦争なんてしていなくても、すこし遡ればその歴史には簡単に辿り着くし、爪痕もまだまだ残っているくらいだ。……賊や人買いも、その爪痕のひとつといえるだろうし。
かくいう俺だって、もとは孤児出身だ。たまたまいいひとに拾ってもらって育ててもらえていまがあるけど、それがどれだけ幸運だったか、いまならわかる。
だから……うん。語りたくないこともあるかもしれないし、深く訊くのはやめておく。なまえを教えてくれただけよかったと思うべきだろう。
「シア、迷惑ばかりかけて申しわけないけど、しばらくよろしくお願いします」
「…………」
「シア?」
なんだろう。俺のことば、どこか変だったかな。
シアは一度くちを開きかけたけど、そのくちを一旦閉じて、また横手上方に視線を向ける。もしかして癖なのだろうか。けれど今度は頷くわけではなく、なぜか目を伏せる。
「どうかした?」
思わず問いかければ横目で視線を向けられたけど、すぐに彼女は視線を上げ、今度こそ頷いてから俺へと振り向いた。
「……なんでもない。痛み止め、効いているうちは動けるけど、怪我治ったわけじゃないから、無理はダメ。動きすぎると傷開く」
「あ、うん。気をつける」
「うん。おなかは? 空いてるならいま食べておいたほうがいい」
あー……確かに。痛みが戻ってきたら、食事ができないどころか、食欲も吹き飛びそうだし。あんまり世話になりすぎるのも申しわけなく思うけど、現状、そんな遠慮ができる状態にないのは事実だ。
「えーと、じゃあお願いしてもいい、かな?」
あまりにも図々しすぎるんじゃないかという葛藤から窺うように問えば、シアはなんでもないようにひとつ頷くと、待っててと残して部屋を出て行く。
残された俺は特にすること……というかできることもないため、ぐるりと部屋の中を見渡した。
家具や調度品はそれほど多くもない、簡素な部屋。本棚がすこし多く、それでも収まりきらないらしい本が椅子や棚の上にも置かれている。棚や机の上には私物らしいものも置いてあるし、ここは客間じゃなくてだれかの部屋なんじゃないかと思えた。
俺の怪我やシアの様子から考えて、しばらくはここに置いてくれるようだったから、たぶんシアの部屋ではないだろう。あとシアがくちにしていた人物となると、師匠さんなるひとだけど……。
……シアの怪我が、気になる。
左頬を覆うガーゼもそうだけど、彼女が着ていたシンプルなワンピースから覗く腕や足にも包帯が巻かれていた。それに、髪もまったく切り揃えられていなかったし……。
脳裏によぎる、虐待の文字。そういえば、意識がはっきりしてはいなかったけど、言い争うような声を聞いた気もする。
そう思い至ると、さあっと血の気が引いていく。
もしそうなら、俺なんてお荷物を抱えたら、シアの立場はより悪くなるのではないか。俺を拾ったせいで、もしシアがひどい目に遭わされたとしたら……。
矢も楯もたまらず、痛み止めが効いているのをいいことに、俺は勢いよくベッドから飛び出ると、そのまま部屋からも飛び出した。
シアはどこに……。
直前の会話から、たぶんキッチンにいるだろうとは想像がつく。けれどここは他人様の家。その勝手なんてわかるはずがないから、どちらに向かえばいいかなんてわからない。そもそも他人の家を勝手に動き回ること自体、よくはないだろう。
けど、そんなことさえ頭から飛んでいた俺は、とにかくシアを見つけようと勘で動く。ひとまず扉が閉まっている部屋は避けて進める場所を進んでいくことに決めたのだが、シアの姿は廊下のすぐ先の部屋で見つかった。
「! シア!」
「? リツカ?」
転がり込むようにして現れた俺を、シアはきょとんとした表情で迎える。よかった、折檻とか受けていないようだ。
ほっと息を吐く俺に、シアの淡々とした、けれどその中に不思議そうな響きを宿した声が降る。
「なにかあった? ごはん、まだ作ってる途中」
「あ、いや、えーと……」
しまった。いくらなんでも単刀直入に虐待を受けていますか? なんて訊けないし、そもそもその心配をするくらいなら、むしろ部屋で息を殺していたほうがよかったんじゃないか、俺。
もし俺を内密に助けてくれたなら、俺が堂々自分の存在を知らしめるのはなにより悪手だ。たとえ俺を助けたこと自体は知られていたとしても、騒がしくすればするだけシアの立場を悪くするだけだろうに、俺、なにやってんだ……!
「リツカ?」
「う……。そ、その……そう、えーと、ご家族に挨拶とか、したほうがいいんじゃないかなって……」
いや、本当に虐待されてたら、それ困るだけだろ! なんでこう、うまい言い回しとかできないんだ、俺……!
内心で自分の至らなさに頭を抱えていると、シアはなんでもないことのようにさらりとこたえた。