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1-07【第一部完・幕間】

その後、私たちは意識を失っていたクロを連れ、お父様の待つ病院へと戻った。……などと簡単に言うが、彩花が精神力を正真正銘最後の一滴の搾りカスまで使い果たしたため、《風》に頼らず己の足で下山することになった。

クロを背負い、隻脚の彩花を肩で支えながらの下山という、レンジャーもびっくりの人命救助ぶり。スマホの電波が届く範囲に辿り着き、扇に迎えを頼んだ時の喜びは筆舌には尽くし難い。正直、我ながらよく生きて戻ったものだと思う。

すぐにクロの検査を行った結果、幸いなことに命に別状は無かった。だけど、目覚めるのが明日なのか半世紀後なのか、誰にもわからないらしい。それを聞いた彩花の切なげな表情が、瞼にこびりついて離れない。

だけど、悲観することばかりじゃない。なんとクロのRGB数値に変化が見られたのだ。もうクロが黒の力に悩まされることは無さそうだ。とは言え、測定するたびに変化するRGB数値に振り回され、老竹先生は毎日冷汗をかいている。

 そして、私たちの無事を確認したお父様はと言うと──

『珊瑚ぉ! 緋姫ぢゃぁん! 良がっだぁ! 本当に良がっだよおぉん!』

 涙や鼻水で顔中べしゃべしゃにしながら、私だけでなく彩花まで抱き寄せて子供みたいに泣き喚いた。老竹先生の話だと、私たちが大龍穴へと向かってからずっと、その方角へ祈祷を続けていたらしい。なんとも親バカで、誇らしい父親だ。

 ちなみに大龍穴については、お父様が回復してから改めて封印の儀を執り行った。翡翠家や瑠璃家を始めとして、赤の中では封印術式に一日の長がある紅井家など、三原色の垣根を越えて有志たちが集い、朱赤に破られる前と遜色ない強固な封印を施した。もちろん、私や彩花も協力させてもらった。

 そうして色々な問題が解決していく中──最も重大な問題だけが何の進展も見せないまま、今日を迎えてしまった。

「翡翠潤様、珊瑚様。お待たせいたしました、こちらへ」

 案内の方に導かれるまま、私たちは廊下を進んでいく。右手には見事な枯山水が広がっているが、今は侘び寂びを甘受するような気分には到底なれなかった。

 ここは赤の宗家。翡翠と違って世襲制でない赤の一族は、その時代の宗主がこの屋敷に交代交代で住んできたらしい。まるで首相公邸やホワイトハウスだ。

 隣を威風堂々と歩く父とは対照的に、私は俯いて肩を落としたまま。こういった対外的な場に出ることは珍しくないのだが、なにぶん今日の主役は私。その理由を思うだけ気が滅入る。

 青色吐息を撒き散らしていると、重厚な観音開きの扉の前に辿り着いた。赤の宗家はなんと言うか、よく言えば和洋折衷、悪く言えば節操なしで、屋敷内に統一感が全くない。その時々の宗主たちのセンスなのだろうが、詫び寂びに溢れる枯山水の向こう正面に、宝石を散りばめた大仰な装飾の大扉を設置するのは如何なものか。

「こちらでございます。さ、どうぞ」

 そんな私の胸中を無視して扉が開かれると、大企業の会議室のような室内には机がずらり。ぎっしり並べられた椅子には、スーツ姿の術士たちが既に待機していた。

(うげぇ……)

 上座に用意された椅子へ向かって進む。途中、座っていた空さんがこちらに小さく手を振っているのを見つけた。その後ろには、従者として蘇芳さんも控えている。だが、今はそれに応える気力は無い。

二人とは大龍穴封印の際に再開して無事を確認し合い、話をした。どうやら空さんはクロと同い年らしく、以前からクロの事を気にかけ、処遇を改善するよう訴えていたそうだ。あの夜もクロを連れ戻したら、命だけは奪わないようにと朱赤にかけ合うつもりだったらしい。赤の術士にもこんな人がいるのかと感謝した。

 そんな事を思い返しながら用意された位置に着くと、私たちはそれぞれ腰を下ろす。それを合図に、進行役と見られる恰幅のいい男性が本日の議題を声高々に宣言する。

「それではこれより、天叢雲剣継承問題について論じようと思う」

 ……そう。問題とは、私がうっかり契約してしまった天叢雲剣についてである。

 神器とはご存知の通り、三原色の宗主に一つずつ、代々伝わる由緒正しき宝具である。それを継承すること自体が、宗主であることの証とされてきた。

 だが今、赤の一族を象徴するはずの天叢雲剣は私の手元にある。

 一時的に大龍穴を塞ぐために用いた天叢雲剣は、正式に封印の儀を行なった後、私の手でしっかりと引き抜かれた。

 個人的にはあの場をどうにかすればそれで良かったので、天叢雲剣は彩花にでも渡して終わりにするつもりだった。だが、継承者の承認とはそう簡単なものでもないらしい。私がどれだけ彩花に譲ろうとしても、天叢雲剣自身が私の元を離れようとしないのだ。

 私も困ったが、それ以上に混乱したのが赤の一族だ。宗主であった朱赤が死に、その上神器が赤の一族の手を離れたどころか、緑の宗家の一人娘に奪われたのである。下手すれば戦争……というか、一部の過激派は既にその準備を始めているらしい。

 だが、それは私とて本望ではない。なので今後の身の振り方をハッキリとさせるためにも、こうして話し合いの場を設けてもらったと言うわけだ。

 わけなのだが……

「天叢雲剣が翡翠の娘に奪われたのは大問題だ。どう落とし前を付けるつもりだ」

「神器との略式契約など、成功例は一つとして残されていない。デタラメだ」

「この間まで色術も使えなかった小娘が! どうやって朱赤を誑かした!」

 飛び交うのは、一方的な私への非難の声。元々血の気の多い赤の術士の皆様とわかってはいたが、針の筵にされるのは精神的によろしくない。

論ずるとは何だったのか。会議は踊る、されど進まず。皆普段の鬱憤をぶつけたいがためにここにいるんじゃないかと勘違いするほどの盛況ぶりだ。果たして私はこの場に必要だっただろうか。悪口なら本人のいないところでやってほしい。

 これがどれだけ続くのだろうかと、怒りを通り越してげんなりしていると、突然隣に座るお父様が手元の扇子で机を叩いた。

 パンッと空気を震わす小気味の良い音に、全員の注目が集まる。

「……まず初めに、今回は混乱を招いた結果となり申し訳なく思う。だが、そもそもの事の発端は亡き朱赤殿の企みにあることを、皆お忘れか?」

 理の整ったお父様の言葉により、場は一斉に静まった。おお、素晴らしい。やる時だけはやる男。いつもこういう威厳のある父でいてもらいたいものだ。

「しかし、我々とて諍いは本望ではない。我が娘、珊瑚も神器の早期返還を望んでいるが、なにぶん神器自身がそれを良しとしないのだ。──そうだな、珊瑚?」

「え、ええ。この場にもご存知の方が数名いらっしゃると思いますが、既に次期宗主筆頭候補である緋乃彩花様への継承を試みました。ですが、上手くいかず……」

「それならあたしも知ってるよ。何せ、目の前で一部始終を見届けた張本人だ。なあ、蘇芳?」

「む⁉ あ、ああ。まあ、確かに……」

 私たちの反論に、空さんが助け舟を出してくれた。彩花への継承は大龍穴の封印を終えてすぐにその場で試みたため、空さんたちも立会人として同席してくれていたのだ。

 直系分家の跡取りかつ次期宗主候補の一人である空さんが証明したとなると、他の術士たちは非難するにも二の足を踏む。それを見届けて、お父様はさらに続けた。

「そういう訳で、我々としても穏便に済ませる方法を模索したい所存だ。どうか協力して、知恵を出し合わないか」

 さすがは翡翠の宗主。高圧的になり過ぎず、下手にも出過ぎない。程よい塩梅を突く見事な口車だ。こういう狡猾さは私もまだまだ見習わなくてはならない。

 再びざわざわと声が上がり始めるが、今度はいくらか建設的な意見が浮かび上がってきた。どうやら今日の遠出は徒労に終わらずに済みそうだ。

(それにしても──)

 ちらりと眼前の空席に目を遣る。椅子は置かれず、スペースが空いているだけ。赤の術士の中で序列が最も高い者が座るであろうその場所に、彩花の姿がなかった。

(どこをほっつき歩いてるんだか)

 そもそも、彩花とはあの事件以来まともに言葉を交わしていない。封印の儀では顔を合わせたし、継承まで試みたと言うのに、こちらから何を話しかけてもそっけない態度で、

『はあ』

 と返すだけだった。

(今日こそは、その曖昧な態度の原因を問い詰めてやろうと思ったのに……)

 もしかしたら避けられているのだろうか。せっかく腹を割って話せる友人になれたと思ったのに、それは自分一人の思い上がりだったのだろうか。

 会議の声は右から左へ。物思いに耽って寂しさを抱えていると、突然部屋の扉が勢いよく開かれた。全ての視線が、それを追う。

「……彩花?」

「あらあらまあまあ、雁首揃えてご苦労なことですわね。先代が存命の時は、定例の集会にも顔を出したがらなかったと言うのに」

 開口一番に嫌味を吐きながら、車椅子を進める彩花。その途中、気まずそうに顔を逸らす何名かに、わざと「御機嫌よう」と声を掛けていく。

「天叢雲剣継承問題、でしたっけ? 漢字を並べれば頭が良く見えるなんて浅知恵が通用するのは、中学生くらいのものですわよ」

 進行役の男性は不快そうに眉を顰めるが、言葉を返そうとはしない。赤の一族にとっては力こそが絶対。先代──朱赤亡き今、彩花に逆らえる者など皆無。彩花自身もそれをわかってやっているのだろう。

傍若無人にして傲岸不遜。紛れもなく、悪名高い緋姫の姿だ。

「翡翠様、封印の儀以来でございますね。その節は大変お世話になりました」

「こちらこそ。助かったぞ、緋姫ちゃん」

 ところが用意された席に到着すると、彩花は転じてにこやかにお父様と挨拶を交わす。対するお父様も軽々しく『緋姫ちゃん』なんて呼ぶものだから、術士たちがざわついている。

 流れで私にも挨拶を……などと構えたが、彩花は何やら意味ありげな視線を送ってきただけで、ぷいとそっぽを向いてしまう。

……段々腹が立ってきた。

「さて、せっかく集まっていることですし、わたくしの意見を申し上げましょう」

 そんな私の怒りも知らず、彩花は一族に対して言い放つ。序列一位の声を聞かぬわけにはいかず、全員が意識を集中させた。

「まず、空席になっている宗主の座についてですが、神器の継承が不可能である以上、そのままにしておく他ないと判断いたしました。それに代わって、筆頭候補であるわたくしを『宗主代行』と位置付け、その任を請け負うことに致したいのですが、如何でしょうか。異論なければ、わたくしは今この時より宗主代行の座に就きます」

 ふむ。少々強引ではあるものの、筋の通った意見である。それに彩花は、術士としての実力が高いだけでなく頭も切れる。一族をまとめ上げる者としてこれ以上の適任はないだろう。

赤の術士達もそう考えたらしく、これには無言で『意義なし』の意を評した。

「……よろしい。それでは早速ですが、宗主代行としてここに表明します」

 就任に際する宣誓でも行うつもりだろうか。堂々とした立ち居振る舞いはさすがのものだ。さて、宗主代行サマの鶴の一声、果たして如何なものか──


「──わたくし緋乃彩花は、赤の次期宗主として翡翠珊瑚を擁立いたします」


 ……………………は?

 あまりの展開に呆気に取られ、この場にいる全員が思考を停止させた。

 こいつは今、何と言った? 赤の次期宗主に? 擁立? 誰を?

 そんな凍り付いた空気の中で、彩花は平然と繰り返した。

「聞こえておりませんでしたの? 貴女が次代の赤の宗主です、珊瑚」

 至って真剣な顔で、当然のように言ってのける。まるで何もおかしなことは無いとでも言いたげに。

「──ば」

「ば?」

「ば……っかじゃないのあんた! そんなことできるわけがないでしょう⁉」

 至極当たり前な意見を言ったつもりだが、彩花は心底不思議そうに小首を傾げている。

「どうして?」

「どうしてって……逆に、どうして私なのよ!」

「天叢雲剣は代々、赤の宗主の所有物だと決まっております。そして現在の所有者は他ならぬ貴女。簡単な理屈でしょう」

「好きで持ってるわけじゃないわよ、こんなの! それに私は翡翠の娘よ! せっかく色術を発現して、翡翠の後継問題が解決したところなのよ⁉」

 そう。天叢雲剣をどうするかは置いておいて、私は色術士として翡翠を継ぐことに決めたのだ。

 一度は家を離れることを許可してもらった私だが、だからと言って翡翠の後継ぎをどうするか、家の方向性が固まっているわけではなかった。今まで散々迷惑をかけて、そして好き勝手やらせてもらったのだ。今度は私が一族に報いる番。そう伝えた時のお父様の喜び様ったらなかった。その期待に応えなくちゃいけない。

とは言え、まだ天叢雲剣なしではまともな色術を展開できない未熟者。道は険しいが、必ず成し遂げるつもりだ。

「それをこんな、あんたのわけわかんない思いつきでフイにされちゃ困るっての!」

「あら、そんな事を心配されていましたの? それならちゃんと考えてありますわよ」

「ちゃんとって、何を──」

「結婚しましょう、わたくしと。そして貴女は、赤と緑の初代統一宗主となるのです」

 ……いよいよもって訳がわからない。でいだらぼっちとの戦闘で頭でも打ったのだろうか。

 絶句する私を後目に、隣から爆笑が轟いた。見ると、お父様が腹を抱えて悶絶している。

「ひ、緋姫ちゃん……くくっ、最高だぜ、本当によ!」

「ありがとうございます。きっと翡翠様にはお気に召していただけると思っておりました」

 依然として腹を捩らせるお父様。それを見る彩花も、何故か満足げだ。

「だが、名前についてはどうするんだ? 俺も数千年続く翡翠の名を失うのは口惜しい」

「ご心配なく。赤の一族は名を気にしませんから、翡翠として宗主の役目を担っていただければそれで構いません」

「翡翠が緑と赤の二色を統べるか。いいね、夢がある。だが反対勢力はどうする? 皆様方の表情を見てみろ」

 広い会議室に所狭しと詰め込まれた術士たちは、皆例外なく大口を開けて放心していた。未だに現実を受け入れられずにいるようだ。

 しかしそんな彼らを一瞥すると、彩花は歪な笑みを浮かべて言い放つ。

「そういう者を説き伏せるのは、翡翠様の十八番でいらっしゃいますでしょう?」

「──違いねぇ」

「うふ、うふふふふふふふ!」

「はぁっはっはっはっはっ!」

 まるで大掛かりな悪戯が大成功したかのように、二人は高らかに勝ち鬨を上げた。

 再び意識を五次元の彼方に吹き飛ばされていた私であるが、このままではいけない。我に返って反論を行なった。

「そもそも私みたいな半端者に、実力第一主義の赤の術士が従うはずないでしょ!」

「現代最強のわたくしと契りを交わすのです。誰にも文句は言わせません」

「そっ……その結婚よ、問題は! 結婚なんて、女同士で出来るわけないでしょう!」

「ならば法を整備しましょう。それが叶わなければ、内縁という事で処理いたします」

 まずい、目がマジだ。何が何でも突き通すという強い意志を感じる。

 うんうん唸りながら頭を巡らせるが、続く言葉が出てこない。そうしている内に、そもそもの疑問が浮かび上がった。

「っていうか、あんたって私のこと……その、好きなの?」

「好きも嫌いもありません。こうするのが最適解だというだけです」

表情一つ変えずに言い切りやがった。元より期待はしていなかったが……期待はしていなかったが!

「やだぁ……愛のない結婚、しかも女同士なんて……」

「被害者面して嘆いてらっしゃいますが、わたくしの人生を寄越せと先に迫ったのは貴女でしてよ?」

「そう言う意味じゃないわよ! 意味を歪曲すんな!」

「そんな、わたくしのことは遊びでしたのね……」

「何っ⁉ 不誠実なのはパパが許さんぞ!」

「お父様は黙ってて! ああもうっ!」

 私たちの騒ぎ声に感化されて、呆けていた術士たちもめいめいに叫び声を上げ始める。混乱が混乱を招き、もはや誰にもこの場を収められない。

「ああ、どうして。どうしてこんなことに……」

 頭を抱えて項垂れていると、近寄ってきた彩花が肩に手を置いた。

「大変でしたのよ。この一ヶ月、この算段ばかり考えておりました」

「上の空だったのはそのせいか! 言葉の綾を揚げ足取りやがって!」

「お互い、もう吐いた唾は飲み込めませんわよ。残念でしたわね」

「あんたねぇ……!」

「うふふ、そう怒らないで。それにわたくし、申し上げましたでしょう?」

 そう言うと彩花は心底楽しそうな──本当に美しい笑みを浮かべ、悪戯っぽく呟いた。


「わたくしの人生は、安くありませんわよ」


してやったりと笑う彩花に返す言葉もなく、私は天を仰いだ。

悲鳴と怒号と笑い声が飛び交う会議を、意識の外に追いやる。どうか、どうか時間が早く過ぎ去ってしまいますようにと、強く強く神に願った。

──ああ、そういえば明日はクロのお見舞いに行く日だ。

 仕方がない、眠る彼女に愚痴るとしよう。もしかしたら、驚きのあまりに目を覚ましてくれるかもしれない。

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