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1-05【真実と決意と】

 降り注ぐ眩い光に目が覚めた。

 瞼を開けると、雲一つない空の中心で太陽がこれでもかと自己主張をしている。

 上体を起こし、辺りを見回す。草木の揺れる小高い丘。眼下に広がる森からは、蝉たちのうるさいくらいの大合唱が聞こえる。

(ここは……?)

 記憶を辿るが、一致するような光景はどこにもない。そもそも自分はどうしてここにいるのか。確か、でいだらぼっちに叩き潰されそうになったと思うのだが……。

 困惑に立ち尽くしていると、子供たちの笑い声が風に運ばれてきた。声は徐々に大きくなり、木々の間から二人の少女が顔を出す。懸命に駆ける幼い少女を、小学校高学年くらいの少女が黒い髪をなびかせながら追いかけている。

(クロ! じゃあその前にいるちびっこは……もしかして、彩花?)

二人は無邪気な笑顔を浮かべ、一直線にこちらへ向かって走ってくる。珊瑚の姿が目に入っていないのか、一目散に衝突コースに入る。

(あぶなっ⁉)

勢いよく飛び込んでくる幼い彩花を抱き止めようと構える珊瑚だったが、その手はするりと宙を掻いた。驚く珊瑚の身体を、その後ろから駆けてきたクロが通り抜けていった。

(何これ、どうなってんの?)

両手をまじまじと眺めると、その向こうの景色が透けて見える。恐らく自分は実態としてここにいない。夢の中のように霞がかった思考が、それだけを認識した。

「おーい、危ないぞ」

「楽しいのはわかるけど、気を付けなさいね」

クロたちが駆けてきた方向から声が聞こえる。見ると、二人の男女が肩を寄せて歩いていた。時折目配せする様子は仲睦まじく、互いの左手にはめられた指輪が太陽の光を反射して綺麗に輝いていた。

しかし突然、元気に走っていたはずのクロがその場に蹲る。それに気付いた彩花が、心配そうにクロの元に駆け寄る。

苦しそうに胸を押さえるクロ。やがてその身体から、黒い何かが霧のように滲み出てきた。

(暴走⁉ 危ない、彩花!)

黒い霧は触手のような形を成し、見境なく暴れ出した。それに気付いた男女が慌てて走り出すが、すぐ傍にいた彩花にその脅威が迫る。彼女のの顔面からは血が噴き出し、膝が逆方向に捻じ曲がる。

直後、男女は二人の間に割って入る。身を挺して彩花を守ろうとする彼らだが、その背後には彩花が反射的に展開した風の刃が迫った。そうして、その切っ先は二人の身体を──

そこで突然、モニターの電源を落としたかのように周囲の景色がブラックアウトした。

「見たでしょう? これが、あの日起こった全てですわ」

 突然の声に驚いて振り返ると、そこには膝を抱える彩花がいた。その姿は既に幼子ではなく、いつもの十八歳の少女へと戻っていた。

「朱赤の言葉で全てを思い出しました。黒の力が奪ったのは私の右目と左脚だけ。お父様とお母様を殺したのは、わたくし自身ですの」

 消え入りそうなか細い声。最愛の両親を事故とはいえ己の手に掛けた。その自責の念はどれほどのものか、珊瑚には想像すらできない。

「でも……でも、事故だった。仕方が無かった」

 なんとか絞り出した言葉は安易な慰めでしかない。蹲る彩花は、ただ静かに顔を膝に埋めた。

「関係ありません。わたくしが殺したという事実に変わりはないのですから……っ」

 ほどなくして小さな嗚咽が漏れ始める。珊瑚は今度こそ、その小さな背中に掛ける言葉を見つけられなかった。

 目を伏せ、彩花と同じように座り込む。

一面黒の世界を見渡すが、どこまで広がっているのか、どこがその境目なのか推し量ることもできない。この空間の中では、重力すらも曖昧だった。

「私たち、死んだのかな」

 誰にともなく、珊瑚は疑問を投げかけた。涙を流し続ける彩花からの返事は期待していない。ただ、静寂を恐れて独り言ちただけであった。

『死んではいないよ。今はまだ、ね』

 だがそれに答える声が一つ。鼓膜ではなく、脳に直接思念として届いた。

「誰⁉ どこにいるの⁉」

『ここにいるよ。この世界を構築する全てが、ボク自身』

 真っ暗な世界に、輝くような白い肌がぼんやりと浮かび上がった。

背は高く、女性ならば誰もが憧れるプロポーション。芸術品の様に美しい女性が、腰を超えるほど長い髪をさらりと指で流した。

(うわ、綺麗な人……)

 彫刻染みた完璧な容姿に見惚れる珊瑚。その視線に微笑みを返すと、女性は再び思念を飛ばした。

『この姿で会うのは初めてだね、珊瑚ちゃん。そして──彩花ちゃん』

 突然フレンドリーに話しかけられるが、一体誰なのか見当もつかない。首を傾げる珊瑚をからかうように、女性は小さく微笑んだ。

『わからないなんて酷いなぁ。一晩同じベッドで寝た仲じゃない』

「同じベッドぉ? 何言って……って、ちょっと待って。あなたまさかクロなの?」

 その答えに満足してか、その女性は大人びた美しさには少しミスマッチした、人好きさせる明るい笑顔を浮かべて見せた。

『大正解。これがボクの本来の姿だよ。君たちよりよっぽどお姉さんなんだから』

 そう言って胸を張る彼女は、確かにクロの特徴をそのまま受け継いでいる。いや、受け継いでいるというより、順当に成長したらこのようになっていたのだろう。神に愛されたとしか思えないその肢体を頭のてっぺんからつま先まで眺め、珊瑚は感嘆の溜め息を漏らした。

「っと、こんなことしてる場合じゃない。クロ……さん。ここは一体どこなんですか?」

 我に返った珊瑚はそれでも戸惑いを隠せない様子だが、対するクロは『クロでいいよ』と朗らかに笑った。。

『ここは、そうだね……ボクの精神世界、とでも言っておこうか。二人が化け物に潰されそうになった間一髪のところで、肉体ごと無理矢理引っ張ってきたんだ。助けるためにはこれしかなかった。ごめんね』

「精神世界、ねえ……」

『あんまりピンと来ないかな? まあ、それもしょうがないか。この辺の認識は、【根底】に近づかなければ理解できないからね』

 ちろっと舌を見せて笑うクロは意図せず妖艶で、珊瑚の鼓動が少しばかり跳ねた。

 だがクロはすぐに真剣な表情に戻ると、まっすぐに珊瑚の目を見つめた。

『だけど、二人はそろそろ出て行かなくちゃいけない。あまり長い時間ここにいたら、ボクの意識と混ざって分離できなくなる』

 ふと両手を見ると、その指先は黒く染まり、輪郭がどこかぼやけていた。言葉の意味を全て理解できたわけではないが、このままでは危険なのは間違いなさそうだ。

『これから君たちを現実の世界に戻すよ。なるべく安全なところに飛ばそうと思うけれど、そう遠くへはできそうにない。本当にごめん』

「そんな、クロが謝る必要なんて──」

 珊瑚の唇が、クロの人差し指によって閉じられる。

『珊瑚ちゃんは優しいね。本当に……』

 悲しげな笑顔を浮かべるクロに、珊瑚はかける言葉を見失う。

そんな二人を呆然と見つめていた彩花が、やっと口を開いた。

「お姉、様……?」

 驚愕に見開かれた瞳からは、絶えることなく涙が溢れ続けている。

『久しぶりだね、その呼び方。ちょっとくすぐったいかも』

 照れくさそうに笑いつつ、彩花の元へと移動する。頬を伝う涙を拭い、その肩を抱いた。

『……彩花ちゃん、本当にごめんなさい。ずっと、ずっと謝りたかったの』

「お姉様は何も悪くありませんわ。わたくしが、わたくしが……」

『違うの。全部、ボクのせいで……』

 そのまま、クロと彩花は声を上げて泣いた。まるで本当の姉妹のように、互いを強く抱きしめながら。

 十四年越しの謝罪と、これまで一度も叶わなかった対話。それを眺める珊瑚もまた、堪え切れない感情を溢れさせた。

『……そろそろ時間だ』

 どれくらいそうしていただろうか。ひとしきり涙を流し終えると、クロは優しく彩花の髪を撫でた。

『二人とも、準備はいい? 目が覚めたらすぐに逃げるんだ。決してあの化け物に追い付かれないように』

「……お姉様はどうなりますの?」

 不安そうに瞳を揺らす彩花。そんな彼女を再び抱きしめると、クロは儚げに笑った。

『ボクはこの化け物をなんとかして食い止める。ボクを通してマナを供給されているんだから、ボク自身が生命活動を停止すればこいつも止まる』

「そんな……それじゃあお姉様は!」

『いいの。ボクにできるのはこれくらい。もう、誰にも迷惑をかけるわけにはいかないんだ』

 パチン、とクロが指を鳴らす。それと同時に黒一色だった世界が、現実の景色と織り交ざっていく。

『さあ、行って。意識が呑まれる前に』

「お姉様! 駄目です、待って!」

『ありがとう、彩花ちゃん。最期にこうして君とお話ができてよかった。ずっと夢だったんだ。君と手を繋いで、お喋りしたいって……っ』

 目に涙をたっぷりと浮かべながら、それでもクロは笑顔で二人を見送ろうとする。その手を掴もうとする彩花だが、伸ばした腕は空を切った。

「お姉様ァ!」

 彩花の姿が、一足先に精神世界から消えていく。悲痛な叫びを、クロは泣き笑いで見送った。

『珊瑚ちゃんもありがとう。守るって言ってくれたこと、本当に嬉しかった』

 惜別の言葉。きっと自分も笑顔で別れを告げるべきなのだと、珊瑚自身も理解していた。そうすることで、目の前の彼女は憂いなく己の使命を成し遂げられるのだと。

「……クロ、私はね」

 だが、珊瑚はそれ以上に理解していた──

「私は、何かを犠牲にしなきゃ手に入らないものなんて、反吐が出るほど嫌いなの」

 翡翠珊瑚という人間は、自分でも嫌になるほど頑固で、我儘で、へそ曲がりなのだということを。

「私は絶対に諦めないわ。あなたとの約束を必ず果たす。だから、クロ──死ぬな」

 豆鉄砲を食らった鳩の如く、クロは呆然と口を開く。まさかこの期に及んでそんな言葉を向ける人間がいるとは、露にも思っていなかった。

『……ふふっ』

 思わずクロは吹き出してしまう。それを皮切りに、堰を切ったように笑いが止まらなくなる。

涙を弾けさせながら、それでも楽しそうに笑うクロを、珊瑚は僅かに眉をひそめて見つめていた。

「……どうして私が格好つけたこと言うと、みんな笑うわけ?」

『いえ、ごめんなさい。そうじゃなくて……ふふふっ』

 なんとも不思議な子だ、とクロは改めて珊瑚をそう認識した。尤もそうでもなければ、見ず知らずの自分を「守る」などといったセリフを吐くことはできないだろう。

(本当に──心の強い子)

 無理矢理に抑え込んでいた願いが、クロの胸に溢れ出してきた。死への恐怖と、生への執着。

化け物と無理心中することなど本望ではない。もっと生きていたい。生きて、この子たちと共に歩んでいきたい──と。

『大龍穴』

 薄まっていく意識の中、クロの声が珊瑚の脳内に響く。

『大龍穴を塞いで。少しの間だけでもいい。龍脈を通じて【根底】から無限に供給されるマナを止めることができれば、あの化け物は自重に耐えきれずに崩れ落ちるはず』

「わかった。その方法は?」

『ごめんなさい、そこまではわからない。でも、きっと何かあるはず。……あってほしいと、願ってる』

「オッケー。それが聞ければ充分よ」

 根拠など欠片も無い。本当に可能かどうかもわからない。だけど珊瑚は確かに、その覚悟を口にした。

「絶対に助ける。クロも、彩花も、全部──」

 断固たる決意を胸に、珊瑚の姿が現実世界へと還っていく。それを見送りながら、クロは静かに呟いた。

『頼んだよ、珊瑚ちゃん。……待ってるから』

 再び闇に包まれた世界で、微かな熱が生まれていた。




「──っ!」

 まるでジェットコースターが急降下するような浮遊感に襲われながら、珊瑚は目を開いた。

 辺り一面は深く木々に囲まれている。大龍穴の広場からそう遠くは離れていないようだ。

 それがわかったのは他でもなく、でいだらぼっちの姿がまだ視認できるからだ。しかしその背丈は羽化直後の倍近くに膨れ上がり、周囲の木々は赤く燃え盛っている。

「……お姉様」

 囁くような呟きに振り返ると、先に帰還していた彩花が力なく座り込んでいた。未だにクロとの別れから立ち直れずにいるのだろう。

 だが、いつまでもそうしてもらっては困る。今から為すことには、彩花の協力が不可欠なのだ。

「彩花、行くわよ」

 うわごとの様に繰り返す彩花を見下ろしながら、力強く言い放つ。対する彩花は生気のない瞳で、消え入りそうな声を返した。

「何処へ……?」

「大龍穴を封じるわ。でいだらぼっちを止めるの」

 でいだらぼっちが咆哮を上げる。怪獣映画のような叫びが地響きを伴い、周囲の山々に反響した。

「……言ったでしょう、あの化け物はお姉様が何とかすると」

「だから、そのクロに約束したのよ。絶対に助けるって」

「そうですか。本当に、どこまでもお花畑な頭ですわね」

 しかし、もはや彩花にその気力は残されていなかった。天を仰いで倒れると、その場に四肢を投げ出してしまった。

「ちょっと、何してんのよ。時間が無いの」

「時間など関係ありません。無理です」

「無理なんかじゃない。絶対に何か方法が──」

「無理ですの‼ もう、わたくしが‼」

 木々が薙ぎ倒され、更に火の手が上がる。どこか遠い場所を睨みながら、でいだらぼっちは大きな一歩を踏み出していく。

「……無理ですわ。わたくしはもう、一歩も動けません。動く意味も、生きる意味もありません」

「彩花……」

「お父様とお母様をこの手で殺し、現実から目を背けてお姉様を逆恨みした。挙句朱赤に良いように利用され、その行く末がこれです」

 でいだらぼっちの上空から、黒い雲が広がっていく。夜の帳よりも深く昏い闇が足元を覆った。

「消えてしまいたい。お姉様がその身を犠牲にして化け物を止めるというのなら、わたくしもこの命でもって罪をあがないます。これ以上、こんな苦しい思いをしたくない……!」

 両手で顔を覆い、視界を塞ぐ。彩花にはもう、流す涙も残されていなかった。

 でいだらぼっちの足音だけが、鈍い揺れと共に響き渡る。それすらも彩花にとっては、遠く他人事のように感じられた。

「……じゃあ、もういいのね?」

 しばしの無言の後、珊瑚は最後に問うた。

「あんたのこれまでの人生も、これから続く未来も。もう、全部捨てちゃうのね?」

「それで構いません。わたくしはもう、わたくしの人生に意味を見出せない」

「……そう、わかった」

 珊瑚はそれ以上は言わなかった。ただ悲しげな瞳を彩花に向け、細い息をひとつ吐いた。

 横たわる彩花の元へと近づき、その傍らに片膝を着く。まるで遺体に祈りでも捧げるかのように、その身体へと手を伸ばすと──


 力任せに、胸倉を掴み上げた。


「いらないんなら、それ頂戴」

驚愕に目を剥いた彩花に、鼻頭が衝突しかねない距離で珊瑚は語る。しかしその意味を掴みきれず、彩花は呆然と瞳を揺らす。

「何を……」

「いらないんでしょう? だったらあんたの人生、私に頂戴」

 わけがわからない、と彩花の表情が物語っている。しかし珊瑚はそんなことを気にも留めずに捲し立てる。

「いいじゃない、捨てるくらいのものなら。悔しいけどあんたの人生には、私が逆立ちしても手に入らないものがたっぷりと詰まってるの。それを目の前でポイ捨てされるなんて、ムカついてしょうがないのよ」

 生まれながらの色術の才だけではない。傍若無人とも言える自由極まりない立ち振る舞いや、傲岸不遜とも取れる絶対的に揺るがない己への自信。それらは珊瑚が手に入れることが出来なかったもの、ずっと羨み続けてきたものだ。

 強く憧れながら、それと認められずに反発もした。だが、今なら素直に言える。緋乃彩花は、翡翠珊瑚が欲しがった『強さ』の具現なのだ。

「あんたのいらないもの、罪も弱さもひっくるめて丸ごと全部引き受けてやる。だから──」

そこで珊瑚は言葉を区切ると、大きく息を吸い込み、そして一気にそれを放った。

「あんたの全部、私に寄越せ!」

 身勝手極まりない屁理屈を、珊瑚は真正面から彩花にぶつけた。

 死を望む人間に、生を強要すること。それがどれだけ残酷なことなのか、珊瑚自身も理解していた。だけどこの想いは止められない。他の誰の為でもなく、自分が成したい事の為に、今ここで彩花を失うわけにはいかない。

そんな珊瑚を見つめた彩花は、乾いた唇を静かに震わせた。

「貴女、本当の本当に頭がお花畑なのですね」

そんな我儘が通用するはずもない。誰が死のうが生きようが、諦めてしまった者にはもはや関係の無いことなのだから。

「……わたくしの人生を寄越せって、一体どうすればよろしいんですの?」

 だが不思議とその提案は、絶望の淵にある彩花には面白おかしく魅力的なものに感じられた。

時に人は、甘く包んだ偽りの優しさよりも、棘をはらんだ剥き出しの感情を好むものなのかもしれない。特に、嘘に疲れた人間は。

「どうって……ああもう、知らないわよそんなの。とりあえず今は黙って私に協力しなさい」

「呆れ返るレベルの馬鹿ですわね。馬鹿。ばーか」

軽口を返す彩花の瞳に、徐々にいつもの光が戻っていく。それは輝かしい緋色となって、昏い義眼に煌びやかに灯る。

「わたくしの人生は安くありませんわよ。貴女にその対価が払えまして?」

「はあ? 買い手が付いた途端にそれ? アコギな商売してんじゃないわよ」

 すっかりいつも通りの憎まれ口を叩き合い、互いに口の端を歪める。

 どちらともなく差し出した腕を、迷う事なく握り返した。

「改めて名乗らせて。翡翠珊瑚。緑が宗家、翡翠の娘よ」

「緋乃彩花。赤の次期宗主筆頭候補。《風》の天才術士ですわ」

 並び立った二人の目には、もはや一点の曇りもない。

 握った手のひらから伝わる熱が、想いが、重なり合って一つとなった。




「……で? アレ、どうする?」

 言いつつ二人はでいだらぼっちを目で追った。見上げる巨躯は更にその体積を成長させている。山々の連なるその奥地にいるとは言え、これだけの大きさになれば一般人にも観測されかねない。珊瑚はあまりのスケールに現実感が湧かず、「地元にあんな高い建物無いわね」などと暢気な感想すら抱いていた。

「どうするって、結局全部丸投げじゃありませんの」

 据わった目で睨み付ける彩花に、珊瑚は小さく舌打ちを返す。先程熱く交わした握手はどこへ行ってしまったのか。

「うるさいわね。色術を用いた戦闘経験なんて私にはないんだから、あんたの意見を最優先に聞いておきたいのよ。何か文句あんの?」

「相変わらず威勢だけは宜しいようですが、それが人に助言を頼む態度ですの? ……まあ、そうですわねぇ」

顎に手を当てながら、彩花はふむと唸る。当たり前だが彩花とて、凝固したマナで全身を構築した化け物など、目にするのも初めてなのだ。打ち倒すことは現実的ではない。となるとクロの言った「大龍穴からのマナの供給を断て」という指令を遂行する方法を模索すべきであろうと彩花は判断した。

「もう一度同じような封印を施す、というのは到底無理でしょうね。わたくしも切った張ったは得意とするところですが、封印術式は専門外です。そういうのは本来、緑や青のお家芸ですからね」

 含みのある流し目。それを受けた珊瑚は開き直るように両手を振った。

「はいはい無能で悪うございました。あーあ、なんか無いかしらねぇ、大龍穴の傷を塞げるもの」

「そんな瞬間接着剤みたいな気安さで……」

「──接着剤?」

 軽はずみに出た単語であったが、何故か珊瑚はそれに反応を示した。見ると、その顔には「妙案得たり」と大きく書かれている。

「なんですの?」

「あるじゃない。封印の岩に穿たれた穴をピッタリと塞げる、これ以上ない優れものが」

「……嫌な予感しかしませんが、一応聞いてみましょう」

疑いの眼差しを向ける彩花だが、珊瑚はそんなものを気にせず、自信満々に小さな胸を張った。

「天叢雲剣。あれならぴったり塞げるでしょ?」

らんらんと輝く瞳が、迷いなく彩花を射抜く。対して、彩花の表情は曇りに曇った。

「本気で仰ってますの? 今の天叢雲剣は継承を行われないまま、契約者である朱赤が死亡しております。略式で契約を試みるのは、相当な危険を伴いますのよ。わたくしとて触れた瞬間に身を焼かれる覚悟は必要です」

病室で潤が伝えた『神器の力を賜ることが出来るのは、神器とその契約者の両方が認めた者に限られる』という制限。それは一時的に八咫鏡の力を借りた彩花に限った話ではなく、神器を正式に継承する際にも適用される。その制限を超えて神器を継承するためには、数日間に及ぶ盛大な祭祀を執り行う必要があるのだ。

いくら死んだとは言っても、天叢雲剣には未だ持って「朱赤赦豪」の名が契約者として記憶されている。そんな状態で略式的に契約を交わす事など、至難の業どころか不可能と言って過言は無いのだ。

「そんな事は百も承知よ。だからって、そもそも大龍穴を塞ぐなんて現実離れしたことやろうとしてるんだから、現実離れした手段を用いるしかないでしょ」

「相当無茶がある暴論ですけれでも……はあ、こういう時に代案がパッと浮かばない自分を呪いますわ」

今一度彩花は思案する。納得したわけではないが、珊瑚の理屈にも一理はある。それにもう時間が無い。遂には諦めるように深い溜め息を吐いた。

「本来の所有物でない八咫鏡を用いて化け物の相手をしつつ、天叢雲剣と略式契約を行って、大龍穴を塞ぐ。……わたくし、命がいくつあれば良いのかしら」

「……ごめん。口出すばかりで、全部あんたに押し付ける事になるわね」

守るだなんだと宣っても、結局最後は他人任せ。その無力さは、何度となく痛感するところであった。

「お気になさらず。守護の護符も効力を失ったようですし、貴女にできることはもうありませんわ」

「返す言葉もない……」

「ですが」

落ち込む珊瑚であったが、彩花は至って真剣な表情で続けた。

「この身は貴女が拾い上げた命、つまりは貴女の所有物も同然。わたくしの成す事は貴女の成す事なのです。それをゆめお忘れなきよう」

「……うん。そうさせてもらうわ」

「ええ、ただ信じて待っていればいいのです。貴方の風は、見事大義を果たして見せましょう」

それだけ言うと、彩花は未だ咆哮を続けるでいだらぼっちに向き直る。深呼吸と共に目を閉じ、精神を研ぎ澄ませると、周囲の空気が激しくうねった。

「鏡よ、鏡──!」

それは幼い頃に友人と読んだ物語、そこに聞いた懐かしいワンフレーズ。神器の正式な契約者ではない彼女は、祝詞の代わりにそれをを神器へ呼びかける合言葉にしていた。

翡翠色の線を通して、大いなる存在が自分の元に降りてくるのが感じられる。それは彩花の気に呼応し、緋色の風を纏って顕現した。

八咫鏡。緑の宗主に歴々受け継がれる、絶対的な『守り』と『癒し』の象徴。こうして発現させるのは二度目だが、手にしているだけでも精神力が大きく削られるのがわかる。でいだらぼっちの足止めも、そう長い時間はできないはずだ。

(いいでしょう、短期決戦はわたくしの真骨頂。望むところですわ)

天叢雲剣と大龍穴の位置は精霊たちの通達により正確に把握した。後は、やるだけ。伸るか反るかは天のみぞ知る。

(まるで博打。ですが、例えそうだとしても──)

「守ってみせます、必ず」

「当たり前でしょ、死んだらぶん殴るからね。……行きなさい!」

張り上げられたその声が、張り詰められた弦を放つ、音速の矢となった彩花は、一世一代の大勝負へと飛び出した。

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