第六章 零顕という物
「零顕は大分すれば魔法の一種であると言っていい。血管に沿って体中に張り巡らされている頚絡の中を通る零力・・・お前らの常識では魔力と言うのか・・・それを使うわけだから、魔法と言っても違いはない。」
「は?ちょっと待て。」
急な説明にソウルはいきなり置いて行かれそうになる。
血管に沿って体中に張り巡らされている頚絡の中を通っている魔法の源、それが魔力だ。
「今、魔力の事を何て呼んだ?」
「零力だ。零顕は魔力をこれに変換して発動する。魔力と零力は簡単に切り替えられるから、その二つは同義であると考えて良い。」
「そうか。分かった。」
何とかフィルの説明を呑みこみ、ソウルは次の説明を促す。
ソウルとて、あのミェナイツェを軽々と一撃で倒す零顕には少なからず興味を持っている。
それが使える可能性が自分にあるとするならば、それを覚えない手はない。
「そもそも零顕とは、何物も存在できない絶対空間を作り出す魔法の事だ。その用途は大きく分けて二つ。進入を拒むか、指定空間内の全ての物を消滅させるかだ。」
「えっと・・・」
今のソウルの姿を他のクラスメイトが見たら相当に驚く事だろう。
相手の言っている事が理解できずに頭を抱えるソウルなどそうそう見られるものではない。
「これだけの説明で分かる方がどうかしている。今から実技を交えて説明する。その方が分かり易いからな。」
そう言うとフィルは指をパチンと鳴らす。
途端、上空より三本の何かが降って来てソウルの目の前で地面に突き刺さった。
「何だ?」
それらは何の変哲もない剣だった。
簡素な拵えの、あまり切れ味も良くなさそうな駄剣とも言える剣だ。
「どれでも良い。一本抜け。」
そう言われてソウルは右端の剣を抜く。
重さはあまりなく、柄はよく手に馴染む。
「(ちゃんと研いであれば、中々な一振りなのにな・・・勿体無い。)」
ソウルは剣を握りながらそんな風に思った。
「まずは前者の使い方。進入を拒むだ。」
そう言ってフィルは掌を前に突き出した。
その瞬間、フィルの目の前に薄い黄色で半透明の膜状の壁が現れた。
小石一つで割れそうな軟そうな障壁だ。
「今は便宜上、零顕を展開している部分の周囲の空気を着色しているが、実際は無色透明でその存在は視認できないことに注意しておけ。」
そこにフィルからの補足。
「では、その剣で私に斬り掛って来るが良い。出来るものならな。」
そう言ってフィルは両手を広げ、無防備をアピールする。
首を跳ね飛ばしてくれと言わんばかりだ。
「やってやろうじゃねぇか。」
ソウルは手に持っていた剣をフィルに向かって叩きつける。
しかし、その剣はフィルに届く前にフィルが着色した中空でピタリと止まり、どう力を込めてもその先には一ミリたりとも進まない。
そこには何もないというのに、壁に剣を叩きつけている気分をソウルは味わった。
「分かるか?展開しているこの空間には何物も進入できない。厚さ0.1ミリにも満たぬ薄い膜状の空間でも、こうして張ってやればあらゆる物の進入を防ぐ。その部分に触ってみろ。」
ソウルは言われるがままに、剣が防がれている零顕の空間に触れてみる。
熱くもなければ冷たくもなく、触っている感触すらない。
何より、そこに空間が無いのだとソウルは感性で感じ取った。
「分かるな?これが零顕の第一の使い方であり基本形。お前が零顕を使えるようになった暁にはまずこの使い方を覚えて貰うからそのつもりでいろ。そしてもう一つ。」
フィルが掌を戻すと黄色い壁も消え、その代わり、フィル自身が今度は薄い鎧を纏っているように半透明な青色がフィルを包み込む。
「もう一度、私を斬ってみよ。」
そしてフィルはそう言い放つ。
ソウルは言われた通り剣を構え、躊躇い無くフィルに向かって振り抜いた。
「何?」
斬った感触がない。
ただ刃がフィルを素通りしたように手応えが無い。
おかしいと思って握っている剣を見れば、刀身がごっそり消え去っている。
「これで分かったな?空間に侵入する物を全て区別なく消滅させるのがこれだ。どこかに転移させるでもなく、壊すでも砕くでもない、漠然とした消滅だ。これには触れるなよ?手が消し飛ぶぞ。」
ソウルはその説明を黙って聞いていた。
そのあまりの凄まじさに戦慄を覚え、しかし同時に心躍る物をソウルは感じている。
「零顕で作り出した空間は自在に形の変更が可能だ。このようにな。」
フィルは再び掌を突きだした。
薄い黄色がグニュグニュと形を変え、やがて剣のような形を作る。
フィルはそのままそれを握って一振り。
「このように剣のようにして使う事も出来る。ただし、これは剣の形をしているだけであって剣にあらず。もう一本の剣を握れ。」
ソウルは慌ててもう一本の剣を引き抜いた。
「例えば、進入を拒む方の零顕の空間を剣として用い、このように鍔迫り合いになったとする。」
フィルが迷いなく斬り掛って来たので、ソウルは慌ててその刃を握った剣で受け止めた。
だがしかし、その圧力を止められず、ソウルはどんどん後ろに押されていく。
それはとても少女の力とは思えなかった。
「何も存在できない空間が前に出る故、その空間に侵入できない物質は押されて後ろに下がる道理だ。分かるか?このように、一切の力を使わずに鍔迫り合いを制す事が出来る。また、消滅させる方の零顕を用いた場合、」
ヒュンと空を切る音と同時にソウルの握っていた剣の刀身が根元からポッキリと折れた。
「形状が剣ならば、それすなわちこの地上に存在する全ての物を斬る事ができ、そして決して折れない剣となるわけだ。全てを消滅させると言っても、術者は例外として消滅させる空間を剣として握る事も出来る。ここまで、分かったか?」
「ああ。何とかな。」
ソウルは大まかに零顕について理解した。
何物も存在できない絶対空間を作り出す魔法≪零顕≫。
ソウルもこれを使ってみたくなるほどに、零顕は魅力的である。
「進入を拒むにしても消滅させるにしても、このように自身に纏えば最強の防御壁となる。」
フィルは自身の周りに零顕の空間を作り出しながら言う。
「また、進入を拒む空間を相手の周囲に作り出して収束させれば簡単に相手を圧死させられるし、消滅させる方は言うまでもないな。」
今度はソウルの周りに零顕の空間を作りながらフィルは言う。
「なるほど。だから『護るに無敵、攻めるに最強』というわけか。」
先程の説明を聞いて、ソウルは思わず身を引いてしまうが、恐れたのをフィルに悟られまいと内心を隠してソウルはそう言う。
「その通りだ。分かって来たな。勿論、零顕を発動するには様々な制約があるが、それは今度説明するとしよう。もう遅い。」
気付けば、空は既に暗味が掛っており、五月蝿いほどに不気味な静寂が辺りを包み込んでいた。
「だが、最後にもう一つ。」
−パカァン!−
闇の静寂の中にまたしても風を断つ快音が響き渡る。
「この音についてだが、この世界には常に空気が飽和状態で充満しているのは知っているな?」
「ああ。」
「零顕によって何も存在できない空間が作られると、行き場をなくした空気が収束して圧縮される。その時、零顕を解除することでできた真空空間に圧縮された空気がなだれ込み、小さな台風を作り出してやがて風が弾ける。そうすると今の音が鳴るんだ。」
「へぇ。」
「ん?あまり関心はなさそうだな。」
「いや、長くはならないと言っておきながら随分と長くなったと思ってな。」
「ぐ・・・仕方あるまい。零顕をお前に伝えるにはこれ以上省略できる言葉もなかったのだ。」
言い淀むフィルの様子は一種の可愛らしさがある。
「剣が一本余ったが、これはどうするんだ?」
「お前にやろう。磨けば、まだかなりの業物として使える。」
「説明に必要だった剣の本数を間違えたな?」
「な、何を・・・お前・・・私を愚弄する気か?」
「いや。」
動揺し、僅かに頬を紅潮させて怒りを露わにするフィルのその様子は年相応かそれ以下の少女の物にしか見えない。
「まあいい。今日の所の講義は終了だ。また明日、同じ場所、同じ時間だ。」
最後にそう言い捨てると、フィルはソウルに背中を向け、走り去った。
ソウルはしばし星の浮かぶ空を見上げて佇んだ後、ストラートの町を目指して歩き始めた。
「零顕・・・か・・・これが使えたら・・・俺も・・・」
思わず口から毀れた呟きをその場に残して。
☆
翌日、早朝。
「痛っ・・・朝か・・・」
ソウルは頭に走る耐え難い激痛の中、目を覚ました。
「グッ・・・なんだ・・・これ・・・」
ガンガンと響き渡り続けるそれは、頭蓋骨が脳髄にでも食い込んでいるかのような痛みを与え続け、ソウルはその場から一歩も動く事が出来ない。
「抗うな。ただ、静かに。」
突如、右脇から女性の声がした。
なんとか首を回し、目線を向ければ、そこにいたのはフィルだった。
「おまっ・・・なん・・・ぐっ・・・」
「不法侵入などとやかく言うなよ。放っておけば、死ぬぞ。」
フィルの迫力のある物言いに、ソウルは思わず押し黙る。
「私も迂闊だった。お前、戦闘訓練の時に私に吹き飛ばされて頭を強打しただろう?」
「あ・・・の時か・・・」
「頭蓋骨に罅が入り、しかも内側に血腫ができて脳が圧迫されている。その瞬間には自覚症状がなくとも、一夜もすればこうなる。ショック死級の痛みだが、よく堪えていられるな。」
フィルの冷たい掌の感触を額に感じながらソウルはフィルの言葉を聞く。
だが、痛みで意識が朦朧として来て、言葉を発する事が出来なくなってきた。
「力を抜け。今から血腫を取り除く。」
その言葉にソウルは体が強張るのを感じる。
ソウルは『手術』という技法を話に聞いた事がある。
魔力による治癒とは別に、体の各部を切り開き、直接患部を切り取る治癒法だと。
「案ずるな。手術などと言う前時代的な手法など使う必要はない。」
その恐れをフィルに感じ取られたようで、ソウルはどこか羞恥心のようなものを感じる。
「三秒だ。いくぞ?」
「な・・・に・・・?」
−パカァン!−
突如フィルの掌が触れている部分から弾ける音が聞こえ、ソウルは自身の脳が爆ぜたのかと思った。
「これで大丈夫だ。」
気付けば、痛みは完全に消え去り、体を起こせるようにもなった。
「これは・・・」
「このように零顕は治癒に使う事も出来る。もっとも、この説明ができたのは偶然の産物でしかないがな。」
「一体何を・・・」
「零顕の空間をお前の頭の中に作り出し、血腫のみを消滅させた。後は≪ヒレイト≫で頭蓋骨の修復と痛みの緩和だ。」
ソウルは話半分に聞いていた。
それ以上に恐ろしい事に気付いたから。
「待てよ?それはもしかすると、1ミリでもずれていれば・・・」
「1ミリどころか、0.1ミリでもずれていれば、脳の一部が消滅していたな。」
そんな恐ろしい事をフィルはアッサリと言い放った。
「私としても賭けだった。だが、あと五分も放置していれば確実に死んでいたお前を救うにはこの方法しかなかった。命と脳の一部が無くなる危険性。天秤に掛ければどちらに傾くかは一目瞭然だろう?」
その言葉にはソウルは納得しかねた。
「いや・・・だが・・・」
「そもそも、このような事態に陥った責任は私にある。私は命を掛けてお前の治療に当たった。結果として上手く行ったんだ。文句を言うな。だが、今日一日くらいは大人しくしていろ。教師には私から言っておいてやろう。」
「ちょ・・・待て!」
フィルは一方的に突きつけるようにそう言い放つとさっさと家から出て行ってしまった。
一人残されたソウルは悄然としながらも再び横になる。
「(あいつは・・・危険性に気付いてわざわざ俺を救いに来たのか?)」
住居の特定や零顕での治療の覚悟など、並大抵の努力じゃなかった筈だ。
と、ソウルは考える。
「(いや。あいつも言っていたな。俺はあいつが初めて見つけた『才ある者』だと・・・それを失うのが惜しいだけだ。)」
ソウルは心中でそう結論付けて眼を閉じた。
「(明日、礼くらいしておくか・・・)」
事情はどうあれ、フィルがソウルの命を救ったことは変わりない。
ソウルはそんな風に考えて、やがて考えるのをやめた。
先程の痛みが嘘のように引いて、ソウルはゆっくりと眠りの世界へ落ちて行った。