第五章 戦闘訓練
今更ですが、この世界での距離や重さ、時間に関する単位とその概念は現実世界と同じです。
別に新しい規則や別の法則を考えるのが面倒だったとかそういう訳ではありません。
ええ、違いますとも。
馬車がストラートの町に辿り着いたのは日の登り始める早朝の事だった。
ソウルを始め、レイアーズもクライスもハリアも、皆疲れで馬車の中では泥のように眠りこけていた。
「着いたか・・・」
町の全容が見える少し前にソウルは目を覚まし、短い睡眠ながらも体力が回復しているのを感じた。
「おい、起きろレイアーズ。」
「んあ?」
間抜けな声を出しながらレイアーズもゆっくりと体を起こす。
その声に反応してか、ハリアとクライスも目を覚ましたようだ。
「眼を覚ましたか。では、行くぞ。」
「フィル・・・」
少なくともソウルが眠りに付くまでは意識を失っていたフィルの声を聞いて、ソウルはやっとフィルも目を覚ましていた事を悟る。
だが、その顔色は若干悪く、呼吸が荒い。
「お前、魔力が・・・」
「いらん気を回すな。私は大丈夫だ。」
魔力と体力には通ずるものがある。
例えば、どちらも消費すれば息が切れる事。
もっとも、体力が消費した際に体が求めているのは酸素である事に対し、魔力を消費した場合いには、空気中に微量ながら存在する魔力の残滓を少しでも体内に取り込もうとしての事だが。
「だが・・・」
「気にするなと言っているだろう。それよりも、今回の件についてさっさと校長殿に報告する事の方が先決だ。」
もう少し休むことを提案するソウルに対し、フィルは頑としてそれを受け入れない。
「だったらさ。ソウルが背負って行けばいいんじゃない?」
「は?」
「何だと?」
「それが良いわ。いつまでもここでグダグダと話している意味はないしね。」
「ちょっと待て・・・私は・・・」
「はい、文句言わな〜い。」
そう言う訳で、ソウルは問答無用でフィルを背負って行くことになり、フィルも渋々ながらソウルの背中にしがみ付いた。
「チッ。」
「舌打ちしたいのは俺だ。まったく・・・なんだってこんな・・・」
「何か言ったか?」
「いや・・・」
ソウルは背中にフィルの舌打ちや文句を聞きながら、レイアーズらと共に魔法学校へ向けて歩き出した。
☆
「・・・以上が今回の大まかな顛末です。」
「御苦労じゃった。君らなら確実にこなしてくれると信じておったよ。」
校長ことルウォーズは人の良さそうな笑みを浮かべながらそんな風に言い放った。
そこに他意の入り込む余地はなく、純粋に信じていたように見て取れる。
「では、失礼する。」
そう言ってソウルは校長室から出て行こうとした時だった。
「おっと。フィル君は残ってくれたまえ。用事があるんでの。」
「分かった。」
まだ顔色が悪いながらもフィルははっきりとそう言い、その場に立ち止まる。
ソウルも思わず足を止めたが、フィルの「さっさと行け」という言葉を受けて校長室を出た。
「あれ?フィルは?」
校長室を出るなり、待っていたレイアーズが声を掛けてくる。
ちなみに、ハリアは「事後報告に私は必要ない」と言ってクライスを連れて家へ帰ってしまった。
「用事があるんだそうだ。俺達にもう用はないそうだから、今日の所は帰ろう。どうやら、今日一日だけ休みをくれるらしいからな。」
「そうかい。だが、今日は寝よ・・・疲れた・・・」
ソウルとレイアーズは他愛もない事を話しながら、魔法学校を後にした。
☆
「では、真実の報告を聞こうかの。」
「真実とは?」
現在、校長室の中にはルウォーズとフィルの二人しかいない。
「ミェナイツェ如きに『フィレス』が全滅するとは思えんでの。確かに二十頭は脅威かも知れんが、それでも『フィレス』が全滅するほどではないじゃろう?」
「突然変異種が何頭か混ざっていた。体格が普通のミュナイツェの倍近くある。」
「それが原因かの?君がそれほどまでに消耗する敵じゃ。相当に強かったのかな?」
「いや、確かに強かったが、私の消耗は敵の強さには関係ない。それより、あの場にミェナイツェ以外の悪意の残滓を感じ取れた。あそこには何かがある。」
「その何か。調査を任せられるかの?」
「無論だ。」
「では、頼もうかの。それともう一つ。君の言う『才ある者』はいたかね?」
「ああ。」
「それは良かった。では、今日のところはこれで終わりにしよう。手を掛けさせて済まなかったのぉ。」
「いや。」
そうして、フィルは校長室を後にした。
☆
翌日。
「では、我こそはと思う者は前へ出よ。」
あらゆる授業の中で、生徒に最も人気のある≪戦闘訓練≫の授業、すなわち生徒同士の模擬戦である。
日頃の訓練の成果や自身の成長、宿敵との力の差を測る絶好の機会なのだ。
「俺が出る。」
真っ先に立ち上がったのはソウル。
好戦的な性格をしているソウルも多分に洩れず、この授業は好きだった。
勿論、互角に戦える相手がいてこその話ではあるが。
「そうか・・・では、レイアーズ=クルストス!立て。」
「俺!?」
ソウルの実力はクラス内では他を軽々と凌駕している。
実際に戦って、ソウルとまともに相手が出来るのはレイアーズくらいなのだ。
「さっさと出て来いレイアーズ。叩きのめしてやる。」
「言ってくれるぜ。この前俺が作った新魔法で返り討ちだ。」
お互いに戦闘前の儀式とも言える挑発を終えると、教師に指示された間合いで二人は立つ。
開始の合図と共に魔法を発動すべく、すでに両者の魔力は練り終わっている。
「では・・・始め!」
教師の合図と共にまず動いたのはレイアーズだった。
「受けてみな!≪ジールレーゲン≫!!」
ソウルの周囲に矢を象った魔力の塊が光を纏って無数に出現する。
それらは一斉にソウルに向かって射出され、途切れる間もなく次々とソウルに襲いかかる。
「どうだ!」
砂塵が巻き上がり、ソウルの姿はその土煙の中に紛れている。
「この程度か?」
「ウソん・・・無傷ですか・・・」
やがてそこから現れたソウルの姿には掠り傷の一つも無く、ソウルに襲いかかった筈の矢は全て地面に叩き落とされていた。
「では俺の番だ。≪ファイエル≫」
「げ・・・」
魔力で具象化した炎の塊をぶつけるだけの簡易な基礎魔法≪ファイエル≫。
だが、単純な魔法である分、練り込む魔力の絶対量で威力は桁外れに変わる。
「ヒィ!・・・っと・・・危ねぇ〜」
ソウルの掌から射出されたのは人間など軽く一呑みにされるほど巨大な炎の弾丸。
それがレイアーズ目掛けて迸り、しかしレイアーズはその身こなしで何とか避ける。
レイアーズを逸れた≪ファイエル≫の弾丸は背後の壁を粉砕し、破片を辺りにばらまいて消失した。
「遅いんだよ。」
「へ?」
「≪ウィグル≫」
「おごっ!」
ソウルが発したのは風の弾丸。
周囲の空気を一点に集め、圧縮して射出する下位魔法だ。
それがやおら立ち上がったレイアーズの腹部に直撃し、レイアーズは堪らず後ろへ吹き飛び壁に激突する。
「≪エルトルイレイト≫」
すかさずソウルは≪エルトルイレイト≫を発動、そして連射。
見事に、レイアーズの首の両側、そして両脇下、股下の壁が打ち抜かれる。
殺傷能力の高い魔法なのでソウルはこの魔法を実際に人間に当てた事は無い。
「ハハ・・・降参・・・」
だが、相手の戦意を奪うには十分で、レイアーズは腰が抜けたようにその場に座り込み、自身の負けを宣告する。
「よし!それまで!!では次!」
≪戦闘訓練≫は勝ち抜き方式である。
勝った場合は次に来る相手とも闘わなくてはならない。
それにも勝てばさらに次。
負けるか、動けなくなるまで続く生き残りレースなのだ。
ちなみに、以前ソウルはクラスの人間を一人で全員抜いたことがある。
「どうした!?ソウル=エルトライトを倒せる、我こそはと言う者はおらんのか?」
勿論、これは授業であるためこの戦いについても成績が付く。
ハイレベルな戦いだったり、クラス内の実力者を倒せればそれだけ点数も高い。
ソウルを倒せれば最高点級なのだが、今の戦いを見て全員尻込みをしてしまって出て行こうとする者がいない。
「私が行こう。」
「ん?お前は・・・そうか、ではフィル=ライシェイ!」
そこで名乗り出て来たのはフィル。
先程まで下らぬとばかりに隅の方で眺めていただけのフィルが、何を思ったのかソウルの前に躍り出て来た。
「レギオンに所属していた実力見せて貰おうか?」
「・・・」
しかし、戦い前の儀式ともいえる挑発のし合いには応えず、ただ待機位置で開始の合図を待つのみ。
「始め!」
教師によって戦闘開始を告げられた。
「魔法障壁を全魔力を使い切るつもりで張り、一秒たりとも緩めるな。」
「何だと?」
しかし、まずは出方を窺おうとしたソウルにフィルはそう言い掛ける。
「そうすれば、お前ならば致命傷くらいは避けられるかも知れん。」
「は?おい!ちょっと待て・・・」
ソウルの頭の中に、ミェナイツェの腹部を吹き飛ばしたフィルの姿が思い出される。
同時に、二十頭のミェナイツェの死体の中に立っていたフィルの姿も。
「では、覚悟。」
スッとフィルは足を前に踏み出し、そこからソウルの懐まで瞬時に踏み切る。
あまりの速度にソウルはフィルの接近を遮る事が出来ず、フィルがソウルの胸に掌をそっと当てがうのを防げなかった。
「クッ!」
ソウルは反射的に魔力を防御の方向に練り込み直し、言われた通り全魔力を注ぎ込むつもりで魔法障壁を作り出して全身に纏った。
−パカァン!−
ミェナイツェの時も聞いた風を断つ快音。
瞬間、フワリとした浮遊感と吹き飛ばされる圧力を同時に感じ、気付けば背後の壁に打ち付けられ、地面に倒れて空を見上げていた。
「ゲホッ!ゲホッ!」
ソウルは立ち上がろうとするが、そのダメージはソウルの予想以上に大きく、体の内側から轟く痛みで起き上がる事が出来ない。
何とか寝返りを打って腹這いの姿勢になるも、腕にも足にも力が入らず座る事も出来ない。
「ふん。これを受けてその程度のダメージか・・・」
「何・・・だと?」
「もう話せるのか?流石だな。」
「・・・」
「まあいいさ。用がある。業後、ストラートの町を出て南に三キロの湿地帯に来い。」
「何?」
それだけ言ってフィルは振り向き、「次の戦いは棄権だ」とそれだけ教師に呟いてさっさと観衆の中に戻る。
途端、ポカンとしていた群衆からざわめきが広がり、一気に闘技場全体を包み込む。
「凄い!あのソウルに勝つなんて!!」
「いや・・・別に・・・」
「フィルさんだったよね?今の何の魔法?」
「さっきのは・・・」
「最後の時、何て言ったの?」
「気にす・・・」
「それより、さっきの俺にも教えてよ。あれでソウルに目に物見せてやる!!」
「いや・・・だから・・・」
そして、見る見るうちにフィルの周りに群衆は群がり、フィルは予想外と言う表情で戸惑っている。
その様子を眺めながら、ソウルは先程のフィルの言葉を反芻していた。
「(南に三キロの湿地帯・・・ロドルア河浦か・・・何でだ?)」
ふとフィルを見れば、鬱陶しそうにしながらもどこか生徒に囲まれて嬉しそうなフィルの姿が見え、余計に疑問は膨らむ。
だが、いつまで考えても分かる道理はない、とソウルは考えるのをやめ、やっと我に返った教師が俺を医療室に運んで行くのに黙って頼っていた。
☆
今日一日の過程が終了した事を告げる鐘の音が響き渡り、どこに行こうとするのかを問うレイアーズの追及を避けながら、ソウルはストラートの町を抜け出してフィルの指定したロドウラ河浦へやって来た。
フィルは既にそこで手を組んで仁王立ちで待っていた。
「速いな。同時に授業が終わったのに何で先にいるんだよ。」
「お前が家に帰って一度身支度を整えている間に、私は真っ直ぐここに向かっていたからな。その差だ。」
フィルは憤然とそう言い放つ。
機嫌は良くも悪くも見え、一体なんの用なのか余計にソウルは訝しむ。
「で、何の用だ?」
「何の用だと思う?」
逆にフィルはそう訊き返してきた。
その表情は心なしか愉快そうで、どうやら相当に機嫌が良いらしい。
「分かるわけ無いだろう?」
「フフ・・・そうだな。」
含むような小さな笑いだが、ソウルは初めてフィルの笑顔を見た気がする。
月並な言い方だが、「笑顔は可愛い」とソウルは思った。
「お前には零顕の才能がある。」
「は?」
「現在、零顕は恐らく私一人しかいない。私に零顕を伝えた師は亡くなったからな。師は言った。『零顕を後世に伝えよ。』と。」
「それで、零顕の才能がある人間を探していた、と?」
「話が速いな。だが、零顕の才能がある人間など一握り中の一握りしかいない事を、私はあらゆる人間を見て行く中で知った。お前は私が初めて見つけた零顕の『才ある者』だ。」
「なるほど。つまり用ってのは・・・」
ソウルはゆっくりと噛砕きながらフィルの話を呑みこんでいった。
「そうだ。今からお前に零顕を伝える。」
「それは一朝一夕で出来るもんなのか?」
「そんなわけないだろう?今日は零顕の理屈のみの説明だ。」
「俺はそう言うのが一番嫌いなんだが・・・」
「案ずるな。できる限り分かりやすく纏めた。あまり長い話にはならん。たぶんな。」
そう言ってフィルは話し始めた。