第四章 鬼の軍勢
「ハハ・・・助かったのか?マジで?」
レイアーズはその場に崩れ落ちた。
「どうした?さっきまで余裕そうだったじゃないか。」
ソウルはレイアーズを起こそうと手を貸すが、どうやら完全に腰が抜けているようで立てないらしい。
殆ど放心状態だったレイアーズが動けたのは親友である(とレイアーズは思っている)ソウルが殺されそうだと瞬時に思ったから。
そして隣にソウルがいれば何だって倒せると半ば本気で信じたから。
だが、それでもミェナイツェと言う恐怖は拭い去れず、心のどこかで「自分はここで死ぬんだ」とレイアーズは思っていた。
「う・・・ん・・・」
「ハリア?大丈夫?」
「クライス?え・・・と・・・ここは?・・・!・・・そうよ!ミェナイツェは!?村の人は無事なの?」
「落ち着いてよハリア。ミェナイツェならフィルさんが倒したよ。村の人は・・・残念ながら・・・」
そうハリアに告げて眼を閉じる。
あのミェナイツェの棍棒での一撃だ。
たぶん生きてはいない。
「ありがとうクライス。立てるわ。」
そう言ってハリアはクライスの手から逃れて立ち上がり、フィルに近寄る。
「フィルさん?」
「呼び捨てで良い。」
「そう?じゃあフィル?助けてくれてどうもありがとう。正直、油断していました。ミェナイツェにではなく、この村の悲惨な現状に。私とした事が無様な姿を見せました。以後注意します。」
「気にするな。礼ならばそいつにするが良い。ずっとお前を支えてその場から動かなかったのだからな。」
当然、クライスは戦闘に参加する事は出来た。
だが、そんな事も忘れてクライスはハリアを支え続けたのだ。
「さて、お前ら・・・お前らは反省だ。」
「は?」
「え?」
フィルの言う「お前ら」とはソウルとレイアーズの事だ。
二人は予期せずといった表情でフィルを見る。
「分かっているのか?お前死に掛けただろう?今、命があるのは単に運が良かっただけだと理解しているのか?」
フィルはソウルを睨み、容赦なく糾弾する。
「大体、私に最初から任せておけばもっと早く済んだのだ。命を危険に晒した分だけ損なのだぞ?」
「ああ。」
ソウルは鬱陶しいと露骨に顔に表しながら、適当な相槌で聞き流す。
そのソウルのおざなりな態度にさらに言葉を重ねようとするフィルだが、そこにレイアーズが割り込んだ。
「まあまあ。助かったからいいじゃないか。」
「今後も助かるとは限らん。」
フィルはそう言い捨てて、先程ミェナイツェが打ち壊した小屋の方に向かう。
恐らく、生き残りがいないかどうかの一応の確認だろう。
「悪い。助かった。」
「素直じゃないなぁソウルも。それをフィルに言えよ。」
「直に助けられたのはお前だからな。」
「それにしても、お前があそこまで我を忘れるとはねぇ・・・なんかあったか?」
「分からん。」
「ふぅん。」
レイアーズは少し考えるような素振りを見せたが、やがて手に持っていた剣を上空に向かって投げ、
「≪シュルノウ≫」
そう呟いて、前を向いた。
上空に向かって投げられた剣は、最高地点に到達し、やがて落ちるかと言うところで捻じれて消えた。
フィルはミェナイツェに壊された小屋の前に立っている。
瓦礫をどけ、殆ど血の海と化している小屋の中を見渡しても、生き残りなどいるようには見えない。
「チッ・・・」
フィルは舌を打ち、小屋から視線を外した。
後ろを振り向けば、ソウルとレイアーズ、クライスとハリアは何事かを話し合っている。
顔からは緊張感が抜け、無事を喜んでいるようだ。
「(妙だ・・・)」
フィルが違和感として感じているのはミェナイツェのこと。
このミェナイツェは今までフィルが相手にした事のあるミェナイツェより遥かに巨大だった。
普通のミェナイツェと比べて、体格が桁違いなのである。
「(この程度は突然変異と見ても良いだろう。だが・・・)」
確かに、体格が大きい事で戦闘能力も普通のミェナイツェより高い。
しかし、それでも実力者の揃っているレギオン『フィレス』が全滅するような強大な敵ではない。
それは自らの目で見て確信した。
「(『フィレス』が全滅するような何かがあるんだ・・・何かが・・・)」
フィルはしばしその場で黙考する。
フィルが小屋の前で何か考え事をしている間、ソウル達は帰路に着く準備をしていた。
「一ヶ月と言われながら、まさか言いつけられたその日に終わるとは思っていなかったなぁ・・・」
「そうか?ルグダンが襲われて、巣はその近隣となれば、この程度で終わるのは自明の理だと思うが?」
ストラートからルグダンへはゆっくり歩いても半日掛ければ辿り着く。
ソウル達は近くまでは校長が用意したらしい馬車(馬と呼ばれるモンスター『ホウルス』が引いている乗り物)で送られて来たのでなお早い。
空は軽く赤味が差しているが、まだ夜と言うには早い時間帯である。
「もういいでしょ?早く帰りましょうよ。私はこんなところはもう耐えられないわ!」
「ハリア・・・」
辺りに満ちる血と屍の香りはいつまで経っても消えず、ハリアは震える体を必死に抑えながら気丈に振舞う事で何とか自我を保っているようだ。
それが分かるのか、クライスはずっとハリアの手を握り、気遣う声を掛ける。
その事も、まだハリアがなんとか気を保っていられる一因かも知れない。
「おぉい!フィルゥ〜!何してんだ?帰ろうぜ〜!!」
いまだ小屋の前で立ち尽くしているフィルにレイアーズは大声で呼びかける。
フィルはこちらを振り向き、そして表情を驚愕の色に染めた。
「何だ・・・と・・・」
そのフィルの反応が理解できず、思わずと言った感じでソウルもレイアーズも後ろを振り向いた。
既に後ろを向いていたクライスとハリアは声も出せずにいる。
「そんな・・・」
それは大群。
ザッと数えておよそ二十頭のミェナイツェの大群だ。
その大群が真っ直ぐこちらに向かって来るのが見える。
「何だってんだよ!」
ソウルは悪態を吐くと、すぐにその場から、とりあえずフィルのいるところへ走った。
遅れてレイアーズとクライス、ハリアが続き、一応四人は同じ場所に固まった。
「案ずるな・・・私が全て殺る!だからお前らは下がっていろ。」
フィルが一歩前に出て、震えるハリアをそっと自分の後ろへ隠す。
−グヴォォォオオ!!−
「キャァァアア!!」
その時、後ろから雷鳴のような咆哮が轟き、振り向けばそこにも二頭のミェナイツェがいる。
ハリアはその二頭を見て半ば発狂したような叫び声をあげたが、何とか気は保っていられたようだ。
− − − グヴォォオオ!! − − −
その上、その鳴き声に呼応するかのように大群のミェナイツェは続けて鳴き上げ、間違いなく真っ直ぐにソウル達を目掛けて真っ直ぐ向かって来る。
「何だと!?」
フィルの驚愕の声も間に合わず、背後にいたミェナイツェは手にした棍棒を振り上げ、ハリアに向けて打ち下ろす。
「≪シーレット≫!」
−ガキィン!−
しかし、ハリアの脳天に炸裂すると思われた棍棒の一撃は、掌を構えたソウルの前に停止する。
ミェナイツェの振り下ろした棍棒は交差する二本の白光に防がれ、それ以上前には進まない。
自身の魔力に応じて防御力を増す、防御に関する基本的な下位魔法≪シーレット≫だ。
「いいぜソウルゥ。そのままぁ!」
−グ・・・ヴォォオオ!!−
再び剣を手にしたレイアーズがソウルの≪シーレット≫に阻まれて動かないミェナイツェの右腕を切り落とした。
途端、ミェナイツェの体勢が崩れ、正面に向かって倒れる。
その隙をレイアーズは逃さず、首筋に刃を突き立てた。
そこから赤い血が噴水のように噴出し、
「まずは一匹!次ぃ!!」
レイアーズは何の躊躇いも無くその剣から手を離すと、上空に向かって掌を突き出し、何かを握るように拳を握り、そのまま引き抜くかのようにグッと右手を正面に突き出した。
次の瞬間には、レイアーズの手には、簡素な拵えだが鈍く銀色に閃く一振りの大太刀が握られていた。
レイアーズはことさらに魔法の技能に秀でてはいない。
その代わり、それを補って余りある剣術の才能があり、しかもレイアーズ独自に応用した≪シュルノウ≫で自由自在に中空から武器を取り出す事が出来る。
「駄目だ下がれ!」
それはソウルの叫び。
レイアーズはその言葉にピクリと反応すると、バックステップで一気に下がる。
その瞬間、ついさっきまでレイアーズがいた場所を一本の閃光が駆け抜けた。
もう一頭のミェナイツェが石刃を振り抜いたのである。
「お前ら・・・」
「意外か?だが、俺だってレイアーズだって、同級生の間では化け物級と称されて久しい。初めこそ慣れない実戦で動揺したが、冷静に対処すればこれくらいは動ける。」
「そうか・・・それは悪い事を言ったな。」
フィルが何について謝ったのか、ソウルには良く判断が付かなかった。
ソウルが口を開いている間も、ミェナイツェの挙動一つ一つを見逃すまいとジッと見つめ、細かい事を考えている余裕が無いというのも一つの理由ではあるが。
「ここは大丈夫だ。だからフィルはあっちの二十頭を頼む。流石にあっちは無理だ。だが、お前なら大丈夫だろ?」
「ハッ!分かって来たじゃないか!よし、ここは任せた。待ってろ。あの程度、三百跳んで七秒で片付けてくれる!」
フィルは不敵に笑うと身を屈める。
ソウルは何となくフィルの機嫌がとてつもなく良いように感じたが、しかし今はそんな事を考えている余裕などない。
「お前ら・・・死ぬなよ。」
「無論だ。」
「おぅよ。」
フィルは最後にそう言い残し、ソウルとレイアーズがそれに応えたのを確認すると、こちらにいたミェナイツェを一頭片付けていた間に随分近寄って来た大群に向けて駆け出した。
「さて、二人で戦うのも懐かしいなレイアーズ。」
「最後に一緒に戦ったのっていつだっけ?」
「忘れた。」
「だろうね。」
軽口を叩き合いながらも、ソウルとレイアーズの視線はミェナイツェから一切外れない。
今現在、二人の集中力は極限状態まで高められている。
−グヴォォォオオ!!−
ミェナイツェが再び吠える。
そして殺意に燃えた血走った眼をソウルとレイアーズに向け、棍棒と石刃を構える。
しかし、真っ直ぐ向かって来るかと思われたミュナイツェは急に体の方向を変えた。
「しまった!」
ソウルがそう悔やむのも束の間。
ミェナイツェはハリアとクライスに向けて棍棒を振り上げていた。
「チクショウ!」
完全に不意を突かれたため、ソウルもレイアーズも反応が遅れ、助けが間に合わない。
このままではハリアやクライスに棍棒が振り下ろされてしまう。
だが、ソウルにはどうにもできない。
−ガシャァン!!−
無情にも棍棒は振り下ろされた。
「う・・・」
レイアーズは飛び散る血をイメージして思わず目を背けたが、ソウルは、真っ直ぐ見据えていた。
棍棒が直撃する数瞬前、唐突にクライスから莫大な魔力が放出され、それがミェナイツェなど軽く一呑みに出来るほどの圧力を持っていたからだ。
「そう言う事だったのか・・・凄い。」
「流石は三級生・・・俺には出来ん。」
ミェナイツェの棍棒での一撃はクライスによって阻まれた。
勿論、クライスが身を呈して防いだ訳ではない。
「ハリア・・・大丈夫?」
「ええ。」
棍棒による重い一撃からクライスとハリアを守ったのは、岩に似た漆黒の何かだった。
−ジュギャァア!!−
やがて、両翼を大きく広げたそれは、敵を威嚇するような鋭い鳴き声を発する。
ミェナイツェは覚えず、数歩よろめいて後ずさった。
「召喚師・・・」
ソウルのその呟きが全てを表している。
数多の魔法の中でも最高級難度と言われる上位魔法の一つ『召喚魔法』を専門に扱う魔法師の事だ。
その難度は発動に関してだけではない。
召喚する相手との契約が必要なのだ。
その契約を結ぶためには、相手に『いつ何時如何なる状況で呼び出されても命を掛けてその者に尽くす』と思わせなければならない。
故に、より自我の強い生物相手に契約を結ぶのはほぼ不可能と言われている。
つまり、どんな生物であれ、召喚魔法を使用する事が出来る時点で、その者の魔法の技能が特別だという事が分かるのである。
「その姿・・・サイフォリオン?」
レイアーズが憧れるような眼をしてクライスに問う。
「はい。名をクルークといいます。」
岩石のように硬い漆黒の龍鱗を纏いし蒼眼の竜。
岩翔竜と呼ばれし獣型幻獣属のモンスター、サイフォリオンだ。
「もっとも、亡き父の形見ですので、僕が自分の力で屈服させたわけではないですが・・・」
召喚師の家系では親が契約していた生物が子に受け継がれていく場合も多い。
だが、生物の方が子供を自分の術者と認めなければ、結局契約は結べない。
実際はクルークもクライスの力に屈服しているのだ。
要は、クライスは謙虚なのである。
−グヴォォォオオ!!−
一瞬とはいえ戦慄を覚えた自分に喝を入れるかのようにミェナイツェは再び咆哮し、石刃を振り上げてクルークに叩きつける。
−バキン!−
だが、その漆黒の体に傷が付く事も無く、ミェナイツェの握る石刃はアッサリと砕け散った。
「私・・・何もしてないわ。」
「そうだね。」
ふと、ハリアが呟き、クライスはそれに応える。
「私・・・格好悪いわよね?」
「そうかもね。」
クライスは否定しない。
「でも、今なら大丈夫じゃないかな?」
「ええ。私も・・・行くわよ!!」
瞬間、ハリアからも爆発的な魔力が生まれる。
「ハァァアアア!!」
−バキッ!−
気合い一声。
ハリアはミェナイツェの懐まで一歩で踏み切ると、顎を思いっきり殴り飛ばした。
ミェナイツェは大きく吹き飛んで地面を転がり、よろよろと立ち上がったが再び倒れる。
異形の生物だって、人獣型の生物は人と体の構造がそう大きくは変わらない。
顎に強い衝撃を受ければ脳が揺れ、まともに立ってはいられないのだ。
「はい!もう一丁上がりぃ!」
その隙を当然逃さず、レイアーズは首筋に刃を突きたてた。
「終わった・・・んでしょうか?」
血を噴き出して動かなくなったミェナイツェを見ながら、クライスは脱力するように呟いく。
その後、クルークに「ありがとう」と一言告げ、クルークは嬉しそうに一鳴きしてから中空に掻き消えた。
「もう・・・嫌よ。」
ハリアは服に泥や血が付くのも厭わずその場に座り込んだ。
「いや・・・まだだ。」
ソウルの呟きは背後を振り返りながらの物。
そう、まだフィルが約二十頭のミェナイツェの大群に突っ込んだままだ。
「「「「!!」」」」
だが、そこにあった光景を見て、四人は声を失った。
「ゼェゼェ・・・」
息も絶え絶えになりながら、それでもなお凛としてそこに立つ一人の少女がそこにいた。
死屍累々のミェナイツェの屍の山の上、フィルはミェナイツェの持っていた棍棒を杖代わりにして何とか立っていながらも、それが毅然とした姿勢に見える程、その姿は美しくも神々しくもある。
「ハァハァ・・・」
肩で息をして、その場から一歩も動けなくなっているフィルに四人は駆け寄る。
「何だ?片付いたのか?」
フィルはあまり物事を考えられなさそうな虚ろな眼をこちらに向け、声を出すのも辛そうにそう問う。
「ああ。」
「終わったよん。」
ソウルとレイアーズがそれに答え、フィルはそれを見て驚きつつも安心した表情を作る。
「そうか・・・そいつは悪かったな・・・確かに、お前らを見くびっていたらし・・・い・・・・・」
途端、力が抜けたようにフィルはフラリとバランスを崩し、ソウルは無意識のその体を支える。
不遜な態度とは裏腹にその体は軽く、体つきは柔らかい。
だが、女性特有の優しい香りはフィルからは一切感じ取れなかった。
「どうした?」
「気を失った・・・」
ソウルは頸動脈に指を当て、生きていることを確認してからフィルを抱き上げ、
「帰るか・・・」
そう呟いた。
空はいつしか闇色に染まり、周囲の鮮血の赤すらも塗り潰している。
レイアーズ、クライス、ハリアはそれに応え、村を出て歩き出した。
やがて少し歩くと、来たときに乗っていた馬車が最初と変わらぬ場所で待機しており、
「あの校長・・・一回殴り飛ばそうぜ。」
そのレイアーズの言葉にやっと皆笑顔を作った。
☆
「鬼の軍勢撃破。予定外要素出現。至急情報伝達を要求する。なお、『フィレス』の人間の生殺与奪の権限は、以降『クレア』にあるものとする。」
暗き影は蠢き、やがて夜の闇すらもその身に包む。
今はまだ、その姿も真意も見ることは適わない。