第十六章 暗雲立ちこめる王国
細かな標的がその体ギリギリの大きさの洞穴へ潜り込んだ。
ソウルはそれを追って走り、その洞穴の手前で足を止める。
「炙り出すか・・・」
魔法学校が休校となった今、学校で支給されていた昼食を自らの手で入手しなくてはならず、故にソウルはこうして町を出て、南にある小さな森で獲物を狩っていた。
狙っていた洞穴に潜り込んだ生物は獣型獣族のモンスター『ラピュール』といい、よく食用にされる一般的なモンスターである。
これと言った危険も無く、一般人でもナイフを片手に仕留められる程度のモンスターだ。
「≪スモークル≫」
黒煙を発生させて煙幕と目潰しを同時に行う下位魔法≪スモークル≫。
ソウルはそれを洞穴の入り口に向けて掌から放出する。
−ピュビャッ!−
やがて、悲鳴らしき鳴き声をあげてラピュールは洞穴から跳び出してきた。
「ハァ!」
それに合わせて、ソウルはあらかじめ抜いておいた剣を振り切ってラピュールの首を落とす。
ラピュールの胴体から噴き出した鮮血が辺りの雑草を赤く染め上げていく。
「≪レーテリング≫」
物質をその状態のまま固定し保存する下位魔法≪レーテリング≫。
その発動と同時に血飛沫がピタリと止まる。
ラピュールの肉は血が抜けると極端に質が落ちるため、このようにして即座に止血させるのが基本なのだ。
「よし・・・これで良い。」
ソウルは満足そうに頷くと切り離された胴体と頭を拾い、≪シュルノウ≫の空間に放り込むと、ストラートの町へ向けて歩き出した。
☆
「やぁ!はっ!はぁぁあああ!!!」
−ガキィン!ガキィン!バキィン!!−
目の前でレイアーズが並べられた三本の金属の棒を次々と斬り付けて行く。
最後の音はレイアーズの剣が三本目の金属の棒を叩き斬った音だ。
「流石。刃毀れ一つしてないねぇ。」
レイアーズはそうして自身の握った剣をうっとりと眺める。
間違いなく堅い金属の棒に何度打ち付けても、その剣は元の綺麗な状態を損なっていない。
最上級の業物、それは確かな匠の技であると言えるだろう。
「精が出るな。レイアーズ。」
「おぉ!ソウルゥ。何か用か?」
ここはレイアーズの幼少時の頃からの訓練場。
ここで幼き頃からレイアーズは剣を握り、最初は木の丸太を相手に打ち込み、魔法学校へ入学する頃には今の様に金属の棒を斬る事が出来るようになった。
「ハウラー=クルストスに用がある。取り次いでくれ。」
「親父に?分かった。ちょっと待ってろ。」
そう、ここはレイアーズの、クルストス家の住処。
外見は襤褸くて今にも崩れそうな乱雑な作りに見えるが、その実骨組みはしっかりとしていて、そう簡単には崩れない。
そしてこの家の大黒柱、レイアーズの父親ハウラー=クルストスはその道では有名な刀匠で、時折名のある武将や剣士などが一振りの剣を打って貰いにやって来る。
レイアーズの持っている数々の剣やナイフも全てハウラーの手掛けたもので、この父あってのレイアーズのあの戦術だと言える。
ソウルの持っていた剣は以前ロドウラ河浦でフィルに手渡された剣をハウラーに砥ぎ直して整備してもらった物だ。
「ふむ・・・」
レイアーズがソウルの頼みを聞いて家の中へ入っていき、ソウルは少しの間一人になる。
その時、フッとレイアーズが先程訓練していた金属の棒に目線をやり、何気無しに剣を抜く。
「スゥ・・・」
静かに息を吸い込み、剣を上段に持って行く。
「・・・ヒュッ!!」
そして袈裟斬りで金属の棒に向かって思いっきり振り抜いた。
−ガギィン!!−
痺れが腕を伝う。
剣は棒にぶつかり、少しの傷を付けただけで止まった。
思い切り金属にぶつけたのに刃毀れしていない剣には正直に感嘆の念を抱くが、しかし棒が斬れないのはソウルの未熟な証に他ならない。
「クソッ!」
そもそもソウルは剣の扱いを得意としていない。
むしろ魔法で大概の事が出来るソウルとしては剣の扱い方などそれこそ雑魚を狩ることができる程度に習得しておけば良い。
ただ、ソウルは性格上負けず嫌いで、自分が未熟だと認めるのは癪だった。
「なら・・・これはどうだ?」
ソウルは剣を腰の鞘に戻しながら呟く。
そして目を閉じ、魔力によって内臓に少しの負荷を掛ける。
「ぐ・・・ぅ・・・」
闘技場の時の様な無様な真似はしない。
ソウルは自身が必要量だと思う量だけ魔力を零力に変える(それでもかなり余分に多かったが)。
「はぁぁあああ!!」
そうして進入を拒む零顕の結界を出来る限り剣の形をイメージして作り上げ、そして握る。
不可視だが、形としては棍棒に近い無骨な形をしている事が何となくソウルには分かった。
ソウルはそれを振り被り、先程と同じように袈裟斬りで叩きつける。
ロドウラ河浦でフィルのやっていた零顕を剣として使う方法だ。
−バギャン!!−
斬れた、ではなく折れた。
ソウルが零顕の結界を叩きつけた金属の棒は凄まじい音を立てて根元から完全に折れ曲がっていた。
今度は腕に痺れも無い。
何の抵抗も無く零顕の結界は金属の棒を叩き折ったのだ。
「どうした!?なんか凄い落としたけど・・・って、うわ!これどうやった!?」
レイアーズが慌てて家から飛び出して来て、やや興奮した面持ちでソウルが叩き折った棒を見据える。
「お前の≪セルエル≫ってこんなに強烈なの?」
レイアーズは圧力を叩きつける基礎魔法≪セルエル≫による物だと思ったらしい。
少なくとも、ソウルの剣の腕を知っていれば、それが魔法師としての常識だろう。
「いや・・・これはだな・・・」
「まあいいや。親父、今手が離せないってよ。」
零顕だと説明しようとするソウルの言葉を遮って、レイアーズはソウルの要件の方に答える。
「そうか。なら、今度で良い。」
「後で伝えておく事はできるぞ?」
「いや、結構。」
「そうかい・・・って、あ!ちょっと待て。」
そうしてレイアーズに背を向けてソウルは歩き去ろうとし、その背中にレイアーズが声を掛けた。
「なんだ?」
ソウルは憮然とレイアーズに振り向いた。
「いやな・・・」
レイアーズはそこで言葉を切り、その瞬間、
−グギュゥゥ・・・−
レイアーズの腹が鳴った。
「・・・」
「そんな目で見るなよ。親父は剣を打つ体勢に入っちまうと一晩中あのままだし、今、俺は飯を食う当てが無いんだ。」
「で?」
その言葉を聞いてソウルは呆れて嘆息したように言葉を向ける。
「奢ってくれ。」
ソウルは思いっきり溜息を吐いた。
☆
ストラートの町の中でも特に商人の入り乱れている一角、すなわち市場。
海外からも人の集まるストラートの町で特に栄えている場所だ。
あちこちで物を売る声が飛び交い、値切りに応じない商人と客との大声での罵り合いが聞こえたり、はたまた商談が成立したのだろうかにこやかな顔で握手を交わしている光景もちらほらと見かける。
その場所にソウルとレイアーズは来ていた。
「こんなところで何すんの?そのラピュールの肉、食わないのかよ?」
「俺一人だったらそうするつもりだったがな。これでは量が少ないだろう?」
ソウルは苛立たしげにレイアーズの疑問に答える。
「そうだな・・・よし、あいつが良い。」
そう言ってソウルが指差したのは何かを怒鳴っている客に必死に頭を下げている小太りで気の弱そうな壮年の男。
「へ?何が?」
そう問うレイアーズの言葉を無視してソウルはその男に徐に近付いた。
男の方も何とか一段落ついた様で、ソウルに気付いて振り向いた。
「買え。」
そしてソウルは右手に雷をバチバチと纏いながら男が机として使っていた木箱の上に止血加工を施したラピュールの肉を叩きつけた。
完全に脅迫である。
「ま、魔法師様であらせられますか!?」
男の表情が急激に引き攣る。
魔法は訓練次第で誰にでも使えるが、しかし使える者と使えない者とでは明確な差が出る。
一般人がその肉体能力で魔法師と戦う事は自殺行為に等しい。
それ故に魔法師は一般人と比べれば一段階上の立場にいる事になる。
ウレ王国では一応は法律上魔法師と一般人は同格であるとされているが、こういった場での魔法師の横暴は殆ど黙認されており、一般人としても一種災害の様なものだと諦められている。
「そうだ。つい二時間ほど前に捕え、即座に止血加工を施してある。三百五十ゼルでどうだ?」
しかし、ソウルの言い放った金額は相場よりかなり安いもの。
勿論、ソウルは相場をきちんと理解している。
その上での交渉だ。
「いえ、しかし・・・む?これは、なかなか・・・七百ゼルで買い取らせていただきます。」
それでも実はラピュールの肉の市場での相場より安い。
しかし、その値段にソウルは満足すると、頷いてその商人から金を受け取った。
「お前って、意外と良心的なのな。」
とはレイアーズの言葉。
「そう思うか?」
「違うの?」
まず魔法師であるという事を誇張し、力を見せつけ、相手を驚かせたところで相場よりも相当低い金額を提示する。
すると一般人たる人間はどう思うか?
「こいつは相場を分かっていない?いや、この品はなかなかの物だ。こいつとはこの先も上手くやっていける。どうせ相場が分かっていないのだ。ちょっと多めの金額で買い取ってこの先も私の所へ売りに来て貰おう」とそう考える。
どうせ元手は一切掛っていないのである。
ソウルとしても商人の方としても悪い所の無い交渉が完成するという、ソウルのいつものやり方だ。
「ま、あいつとはこの先も上手くやっていけそうだ。次は二千ゼルで買い取らす事が出来る。」
相場の倍だ。
「なるほど。そういうことか。」
別にソウルは本気でそんな値段で売るつもりはない。
あくまでソウルのやり方をレイアーズに教えるつもりでヒントだけを出し、レイアーズは見事そのヒントだけでソウルのやり方を理解したようであった。
「さて、飯でも食いに行くか?」
「待ってたぜ。」
レイアーズは心底嬉しそうに頷いたのだった。
☆
居酒屋『クロウラー』。
基本的には居酒屋だが、昼間は料亭として料理を出すというどこにでもある店だ。
「あ〜美味かった。この借りはその内返すよ。」
「期待してねぇよ。」
そこから出ながらレイアーズはソウルに言葉を向け、ソウルもやや苦しくなった腹を押さえながら答えた。
この料亭は安い事で有名で、七百ゼルを全てこの料亭で使うと二人で食べきるには苦しい量の料理が出て来る。
しかし、金を残す事が嫌いなソウルらしく、きっちり七百ゼルになるようソウルは注文したのだ。
「号外だよ!!号外!号外!」
その時、一人の少年がソウルとレイアーズの前を駆け抜けた。
腰に下げてある袋には大量の紙の束。
手にも沢山の紙の束を抱え、行く人行く人に配って回っている。
魔法師が魔力による回線を各町に繋ぎ、各所で起こった事件を魔力によって伝達し、そしてその内容を紙に認めて、生物以外の物質を複製する下位魔法≪コルーピ≫によって大量に生産して配る、所謂新聞と呼ばれている物だ。
「なんだ?」
嫌に慌てた様子の少年を疑問に思ってソウルは足元に落ちた新聞を一部拾い、そしてそこに書かれてあった内容に驚愕する。
「なん・・・だと?」
「どうしたんだ?」
ソウルが尋常でないほどに表情を一変させたのを見て、レイアーズが不思議そうに横から覗きこんできた。
「え?そんな・・・」
そこに書かれてあった内容は首都ウレで起こったとある事件に関する記事。
「ウレ王国最強戦士『魔麗の剣士』及び『剛断の巨剣闘士』による国王オールグイユ=ウレ=ダリヴェルン殺害に関する記事だろう?」
ふとソウルの背後から掛けられる言葉。
当然、レイアーズのものではない。
「フィル・・・」
「何を戯けた顔をしている。」
驚いて振り返るソウルにフィルは弾く様な言葉を向け、そうして新聞に目線を落とす。
小さくチッと舌打ちをしたようにソウルは感じたが、フィルが真剣な表情で新聞の文字を追っていたので声を掛けるのはやめておいた。
「あ!いた!」
そうしていたら、今度は大通りの方から人影が二つ走って近づいて来るのが見える。
言わずもがなハリアとクライスだ。
「ねぇ!これ見た!?あの国王様が殺されたって!!」
「ハリア。とりあえず落ち着こうよ。みんな困ってるよ。」
途端に捲し立てる様に言葉を紡ぐハリア。
そのハリアをクライスが背後から背中を叩いて宥めている。
「今、見ているところだ。」
新聞には次のように書かれていた。
曰く『先日ウレ王国の国王オールグイユ=ウレ=ダリヴェルンが何者かに殺害され、遺体のあった謁見の間からは≪鋼仙の蓮玉≫と呼ばれる秘宝が失われていた。国王は一瞬の斬撃で首を切り取られており、このような事が出来るのはウレ王国最強と誉れ高い≪魔麗の剣士≫カイ=ルネストか≪剛断の巨剣闘士≫バルア=ギレくらいしかいないと断定。しかも、両名は国王が殺害されると同時に国内から姿を消しており、一層懐疑の念は深まったと言えるだろう。事の真意は不明だが、両者の目的は≪鋼仙の蓮玉≫の奪取にあったものと推定。捜査を進めていく方針であるとの事。』
「そんな馬鹿な事があるはずが無い。」
ソウル達が闘技場に行った日。
あの時、確かにオールグイユは生きていた。
話し、笑い、怒り、死人には有り得ない豊かな表情で言葉を交わしていた。
そして今日、死亡の連絡が届いたという事は、ソウル達が馬車でこの町へ帰る三日の間に殺されたという事。
そして≪鋼仙の蓮玉≫という名前。
「フィル・・・確かお前、あの時国王に何か言ってたよな?」
ソウルがフィルに問い掛ける。
ソウルが訊いているのは、フィルが最後にオールグイユに投げ掛けた一言。
「≪鋼仙の死玉≫か?」
「そうだ。」
盗まれたという秘宝≪鋼仙の蓮玉≫がそれと無関係だとはソウルには到底思えない。
「カイ=ルネストやバルア=ギレにこれを盗む理由など無い。これは間違いなくカリフィスの縁の者だ。」
「ジェシェル・・・」
ソウルの脳内に愛想の良い薄ら笑いを浮かべる男の顔が浮かぶ。
「で?これからどうするのよ!?」
ハリアが切羽詰まった様子で叫ぶように言った。
ウレの国王が暗殺されたという情報は瞬く間に他国へと伝わり、クレントリア全土を駆け巡るだろう。
するとウレ王国の弱体化を知った他国、特に大陸制覇を狙っているという噂のあるスラゼタ帝国を始めとする好戦的な国々がウレ王国に対し宣戦布告をしてくることも十分に考えられる。
「どうするもこうするも無いだろう?」
そのハリアの言葉に対し、フィルは切り捨てる様に言い放つ。
「そうだよハリア。僕達にできる事なんて・・・無いよ。」
同時にクライスがフィルの言葉に重ねてハリアに言う。
確かにその通りだ。
国王の暗殺など最早一学生であるソウル達の行動可能の範疇を超えている。
『フィレス』と同等かそれ以上のレギオンやギルドも動くだろう。
恐らくは犯人だと思われるカイとバルアの捕縛、必要に応じて処分、或いは暗殺のために。
「そんな・・・だって!」
クライスの言葉にレイアーズが諦めきれないと言った声を出す。
レイアーズは特にカイを尊敬していたようだし、ソウルにも気持ちは分からないでもない。
「いや、やれることはある!」
しかし、ソウルだけはフィルの言葉の真意を理解している。
「その通りだ。お前ら、何か勘違いをしていないか?」
諦めている様なクライスや悔しそうに表情を歪めるハリアやレイアーズに向けてフィルは傾げて言葉を放つ。
「見ろ。この文面を読んで誰がカイ=ルネストやバルア=ギレが犯人でないと断定する?否、誰一人としていないだろう。」
「要するに、カイやバルアの人間性を知り、国王暗殺などと言う所業など働く筈が無いと知っている俺達には、カイとバルアを探し出し、真相を訊くという事が可能だ。」
フィルの言葉をソウルが継いで説明する。
「ああなるほど。そうすれば、何か事情があって姿を消したカイやバルアの代わりに世間に向けて彼らが犯人じゃない事を証明できるもんな。」
いの一番に理解したレイアーズが手を打ちながらフィルとソウルの説明を解釈する。
少し遅れてハリアとクライスも頷く。
「でも、それじゃあ・・・」
「カイやバルアの居場所・・・分からないと駄目だよね?」
しかし同時に浮かび上がる問題をハリアとクライスは突いた。
ただ、その二人の疑問にはフィルがアッサリと答える。
「なんだ?お前ら気付いてなかったのか?」
フィルは新聞を裏返しながら言った。
そこにも暗殺についての記事がつらつらと書き連ねてあったが、一つだけカイとバルアの居場所に繋がる一文をソウルは見つけた。
「『≪魔麗の剣士≫と≪剛断の巨剣闘士≫が深夜にヒムリャ公国の方向へ向かったと言う住人が何人かいる。』か・・・」
記事を読み上げたソウルが軽く溜息を吐く。
それ以外に二人の居場所に関連するような記事は書かれておらず、この一文がカイとバルアへの唯一の手掛かりと言えた。
「さて、じゃあ行こうか。」
途端にレイアーズが何を発起したのかソウルの腕を引っ張って歩き始める。
「ああ・・・そうだな。」
ソウルもレイアーズの意図を察し、特に逆らうでもなく同意する。
その背後にフィルも付いて来たのが分かった。
「え・・・と・・・」
「ハリアの好きなようにして良いよ。僕はずっとハリアに付いているから。」
「じゃ・・・じゃあ・・・行きましょう。」
「そうだね。」
ハリアとクライスは多少渋っていたようだが、クライスの言葉でハリアが決意し、両者ともにソウルとレイアーズに付いて来る。
「ただし、準備してからな。」
「あ。」
ソウルの言葉にレイアーズは思わずといった様子で足を止めた。
「ハハ・・・」
「アハハハハ!」
「ふん。」
拍子抜けしたようにクライスが控え目に、ハリアが思いっ切り笑い、フィルも少しだけ表情を崩したのだった。