再び、天地の交わる時
無数の星が天高く瞬く綺麗な夜。地上にある星のよく見える丘で二人の齢十歳に満たないほどに見える幼い天使と悪魔が一つの約束をした。
「ライア、私達ずっと一緒だよ」
「姉さん......。ありがとう」
幼い二人には心に与えるダメージが大きすぎたであろう。突然優しかった両親が捕らえられ、どこかに連れ去られて行ってしまったことは。だからこそ彼女たちはここで小さな手を、最愛の存在を離さぬように強く、強く握りしめたのだ。
明日の朝には二人の両親が彼女たちに贈った呪いのような魔法が発動することも知らずに。その魔法とは、二人がただの天使と悪魔として生きていけるように、今までの記憶と、天使なら悪魔の魔力を、悪魔なら天使の魔力を封じることが出来る魔法だ。二人で楽しく遊んだ日々も、両親に隠れて家を抜け出してみたあの記憶も、家族で行った人気のない、それでいて綺麗な山も、海も、空も。全て明日の朝にはなかったことになる。それでも二人は、いつまでも一緒にいられることを信じて、二人で生きていくことを約束した。
「帰ろう、姉さん。パパとママはどこかに行っちゃったけど、きっとあしたにはもどってくるよ」
ライアは少し微笑みかけて、ラエルの手を握ったまま飛ぼうとした。
「うん、そうだね。またみんなで遊びに行こうね」
ラエルもまた飛びたち、登り始めた太陽と共に二人は天高く登ろうとした。陽の光が二人に追いついた瞬間、二人は遠く離れた天と地へ引き離された。それが、本来のラエルとライアの最後の会話だった。次の瞬間から二人は兄弟がいたという記憶以外を失い、各勢力の幹部に拾われ、それぞれの人生を歩んで行く。
天界に浮かぶ宮殿、天界勢力が拠点を構えるその場所の玉座に続く廊下にて、ブーツの踵が床にぶつかる音が響いていた。金色に靡く長い髪。陽の光を反射するような白い肌、見つめ合ったものを引き込んでいくような蒼い眼。瞳孔には天使の証である紋章があった。天界勢力の幹部達をまとめ上げる総指揮官に任命されたラエルであった。
妹のライアと引き離されてから約百年。(人間の感覚にとっての十年)ラエルはあれから、ずば抜けた戦闘技術をもって、同時期より訓練を始めた天使達をなんなく負かし、先輩の軍兵をも軽々と超えてしまった。あれからラエルは、命令のままに任務を完遂し、気づけばその能力の上昇に比例し、軍級も上がっていった。今や彼女は様々な人から信頼を置かれ、この勢力にとって必要不可欠な存在となっていた。ラエルは玉座の間の扉の前でひとつ息を整え、力強く扉をあけた。
「失礼致します。陛下、此度の調査任務のご報告をしにあがりました」
凛々しく振る舞う彼女のその雰囲気は、かつての幼少期からはとても考えられない、別人のようなものだった。
「ラエルか。して、どうだった?」
答えたのは玉座に座る老人、ではなくその隣に立っていた最上位天使直属近衛兵士長兼大臣のだった。ラエルはその二人の前にひざまずき、淡々と述べた。
「あちらの勢力の動きはこちらの想定していたものより大きくはありません。ただ、前回の調査よりあの場所の魔力濃度が高まっていました。おそらくなんらかの準備かと」
「ほう。なるほど、だとするとタイミングからして『雷神兵器ケラウノス』による広範囲殲滅を目的とした神器の召喚だろう。悪魔のくせに全能神の兵器を召喚とは、生意気な事をする」
玉座に座っていた老人。熾天使の称号を与えられたその一人の天使がゆっくりと口を開いた。
「ふむ、だとするとこちらも何か対抗策を考えるべきですかのぅ、妥当なのは『戦女神アテナのアイギスの盾』ですかねえ」
「確かに、あれならばゼウスの雷を防ぐ事が出来ますな。しかし如何しましょう。防御術式の展開には攻撃術式の三倍は魔力が必要になりますが。神話上の神々の武装となればそれはまた膨大なものになります」
それを聞いたラエルは静かに身を立たせ、右手を胸の前に持ってきて言った。
「それならば私にお任せください。少しばかり心当たりがあります故、すぐに準備が出来ましょう」
「そうか、ならばこの件は其方に預けよう。任せたぞ」
「はい。必ずや我等が国を守って見せましょう」
そう言ってラエルはすぐに玉座の間を後にした。その後ろ姿を見送る熾天使、セラフィムの名を継いだその老人は呟いた。
「幼き小さな天使が、よくここまで成長したものよ......。本来なら座天使の名を継がせても良いのだがのう」
誰にともなく呟いたその台詞を聞いた兵士長兼大臣は哀しげにこう続けた。
「彼女が、彼女が災いにまつわるような存在でなければよかったんですがね」
場所は変わって地上。時は夜。小さく星が点々と空を這うその下に、大きな城が存在した。
あたりを湖に囲まれ、其処彼処の窓から場内の灯りが漏れている。綺麗な城だ。その城の一角、西に位置する棟の一部屋に、一人の女性が窓から外の景色を眺めていた。少し暗くした部屋で月明かりを反射する金髪、どこまでも深く深く深淵の闇を見据えるような闇色の眼。その面影はやはり姉に似るところがある。そう、ライアだ。あのあと、ライアは地上にある魔族が主に召喚術式に用いる膨大な魔力を貯蔵する『鬼神の洞』という場所の奥深くに飛ばされ、彷徨っていたところをたまたま調査に来ていたこちらの勢力の兵に保護された。後、この城に連れて行かれ、その頭脳とずる賢さを使って、戦闘指示司令官の座席に座っていた。しかしライアは自分の今の立ち位置に納得していなかった。
いや、さらに上を目指そうとしているわけではなく、彼女の心には一つ突っかかるものが存在したのだ。幼き日々、姉に当たる存在がいたような気がする。顔さえ思い出せないが、鮮明に覚えている事がひとつだけあった。
『ライア、私達ずっと一緒だよ』
この言葉だけは、何故か記憶が曖昧になっているあの時からずっと覚えている。もしかしたら、何か大切なことを忘れているのかもしれない。そんなことを考えていると、唐突に部屋の静寂を破るように扉がノックされた。
「ライア、居るんでしょ?あの件で報告があるんだけど、いい?」
「......構わないわ、入って」
開かれた扉から部屋に入ってきたのは、赤い髪を腰あたりまで伸ばした碧い眼が悪魔の中では特徴的な、ルビーという少女だった。彼女はライアの戦闘司令を受けて、他団体とは別行動をとる特別な位置いる戦闘員だ。ちなみにライアとは同期みたいな扱いを受けている。
「良い知らせと悪い知らせ、どっちを先に聞きたい?」
「......悪い知らせから」
「よろしい」
ルビーは椅子に腰掛け、足を組み、視線を鋭く声の雰囲気を変えて得意げに言った。
「あの剣の事だけど、魔神黙示録の七巻を読んでてわかったことがある。召喚魔力が想定の四倍は必要になるみたいだね。今のままでは予定した時期には間に合わない、方法はもうあれしかないけどどうする?ってはなし」
「鬼神の洞の幻魔か......。わかった。魔力についてはわたしがどうにかするわ。それで?良い知らせは?」
「はいこれ」
ルビーはポケットの中から液体の入った小瓶を取り出して、ライアに向けて放り投げた。ライアはそれを右手で受け取る。
「悪魔長の部屋から盗んできた。無事に任務は成功よ、バレたら灰にされるだろうけどね。......本当にやる気なの?」
「今更後には引けないわ、あとはこれをあの魔女の所に持って行くだけ。もうすぐで全てが始まるのよ」
「終わらせるためじゃなくて、始めるためにやるなんて、下手したら世界滅ぶんじゃないかね」
その時、いきなりライアの部屋の扉が開いた。部屋に入ってきたのは、色白の肌に真っ黒な髪、瞳は黄金に輝き、その背に大振りの大剣を背負った少年だった。
「ガイア......。部屋に入る時はノックしなさいっていつも言ってるでしょ」
ライアが煩わしそうに呟いた。だがその口調は少し嬉しそうだ。
「悪い。急ぎの用だったもんでな、許せ」
「それで?その急ぎの用とは一体どんなものなのかな、魔王様?」
ルビーも楽しそうに尋ねた。ガイアはルビーの同期で、共に研鑽を積んできた剣士だ。対軍戦闘を得意とし、一人で数百の軍人を蹴散らしてしまうほどの実力者で、そのルックスと戦場を舞う剣技と魔法を見た者達から付けられた異名が魔王だ。この三人を合わせて任務のタッグを組んだことも少なくない。ライアの指示、ガイアとルビーの戦法で崩せなかった戦場はない。
「天界の奴ら、俺たちの広範囲術式に対応するために魔力を求めてるらしい。もしかしたら『鬼神の洞』まで来るかもしれないな」
「なるほど、それなら魔力を取りに行くなら速い方がいいってわけか......」
「なんだ?お前も魔力が必要だったのか?あの剣に必要な魔力分は溜め込めたはずじゃなかったのか」
「それがね、あたしもさっき解ったばかりなんだけど、召喚消費魔力の他に、現界維持魔力が必要みたいなの。十分間その量の魔力を注入し続けないと、実物として召喚出来ないみたい」
ガイアは近くのカベに寄りかかり、めんどくさそうに呟いた。
「ちっ、めんどくせえ代物だな。そこまでして欲しいものなのか?」
「直接の戦闘技術を持たないわたしはこれからあの剣に頼るしかない。最悪一人で魔女の所まで行くのも考えてる。別にあなたたちには無理強いはしないし、叛逆しろなんて普通に考えて難しい話なのよ、だからなんとしてでもあれだけは取っておきたい」
ルビーは小さく息を吐いて、ライアに微笑みかけた。その瞳は哀れみにも見えた気がする。
「馬鹿ね。悪魔長の部屋に無断侵入、ならびに窃盗まで犯してるのよこっちは。ここまでして軍に居続けるのも無理な話よ」
「俺もついて行くぞ。お前には昔の借りもあるしな、あの時お前が庇ってくれなきゃ俺はここには居なかったんだ。処刑されてたとしてもおかしくねえ。だからあの時にはもう決めてた、お前の為にこの命使うってな」
ライアは少し俯いて、二人に感謝を述べ続けた、彼女の声は少しだけ震えて居た。嘘つきで、巧妙な手口を使ってここまでのし上がってきた彼女の、唯一本音を吐くことが出来る二人。
良き仲間を持ったと彼女は思った。だがこの時、天界にいるラエルも、ライアもルビーもガイアも。知る由もなかった。すでに世界は終焉に向かって進んでいたことを。
書こう書こう、と思い気づけば二年。遂に、「小説家になろう」に載せるに至りました。拙い文章ですが、これから頑張って物語を紡ごうと思います。どうぞよしなに。