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願いごとのその先、は  作者: 青壱はな
本章 回想
3/32

回想 2


 それは初めて王都に行った時。お母様の友人のハルムヘイマー伯爵夫人のお屋敷でのこと。

 早々にお茶会に飽きてしまった妹の面倒を見ながら、伯爵夫人ことクローディアおば様自慢の庭園を見て回っていたら、何と兄と鉢合わせしてしまったのだ。

 ハルムヘイマー伯爵家は俗に騎士伯と呼ばれる伯爵家で、当主は代々騎士という家柄。故に都にあるお屋敷で、多くの少年達を騎士見習いとして預かっていた。そして、()()兄を騎士見習いとして預かってくれた先もこのハルムヘイマー伯爵家だったのだ。

 だが、そんな事情など知りもしなかった当時の私はとにかく、()()兄がいる、という事態に驚愕し凍りついた。凍りついたのは言わずもがな、驚いたのもあるが、兄の形相が恐ろしいことになっていたから。

 兄はそんな私に頓着せずにあっという間に歩み寄って目の前に立つと、唖然としている私の腹を思い切りグーパンしてくれやがった。あまりよく覚えていないけど、痛いとか何とか、そんなものより驚きが強かったように思う。いや、痛くなかったわけじゃないけど。そのまま前のめりに倒れ込んで咳き込み、込み上がってくる吐き気と格闘しながら、ああ兄は未だに私のことが嫌いなんだな、とぼんやり思ったのを覚えている。何をしたわけでもない、唯そこにいただけの私を問答無用で殴るほどには、と。

 気がつくと妹の泣き声が聞こえてきて、ああ何か声をかけなくちゃ、私は大丈夫、と言ってあげなくちゃ、と思った。けれど咳やら吐き気やら、おまけにお腹も痛いやらで、呻き声しか出せなかった。困ったな、お母様達が慌ててここに来そうだな、と地面に膝と額をつけた状態で考えていた私は、全く気づいていなかった。兄が、私に更なる暴行を加えようとしていたことに。


「何をするつもりなんだ! 止めろよ! 相手は女の子達じゃないか!」


 聞きなれない()()()の声に何とかに頭を持ち上げると、白いシャツの、そんなに大きくない背中が見えた。――今でもその背中を、鮮明に思い出せる。とても眩しく輝いて見えたことを。

 その背中の持ち主に、どけ! お前には関係ない! と喚いて飛びかかっていく兄をぼんやりと眺めながら、ああ止めなくちゃ、と思うものの、少年で見習いとはいえ日々訓練しているだろう3歳歳上の男に情け容赦なく腹を殴られた衝撃は大きく、身体は全く動かないし、お腹が痛くて声も出せない。出るのは呻き声だけ。

 だがそこにそう間を置くことなく、救いは訪れた。少し(しわが)れた、けれどよく通る声が、何をしている、と争う2人の少年に割って入ったのだ。2人の少年は途端に争うのを止めて、姿勢を正す。

 そこへ、お母様達が現れた。

 現状に目を()めたお母様は、まあ、と声を上げるとドレスの裾が汚れるのも構わず私の側に駆け寄り座り込むと、妹を宥めながらも、大丈夫? どうしたの? と心配そうに顔を曇らせながら私の背を(さす)ってくれた。温かいお母様の手の感触に、ほっと安堵したのを、これもまたとてもよく、覚えている。男に暴力を振るわれる経験を、長いこと忘れていた。とても恐ろしいということを。だから、守ってくれる存在があるということに、心底安堵したのだ。

 結局、兄と私を助けてくれた男の子の諍いの原因や経緯の精査は、私が落ち着いてからになった。兄は何やら不満そうに私を睨みつけていたが、私を助けに入ってくれたおじ様が、この屋敷の主であり自分の上司――というと語弊があるが、まあ分かりやすくいうならそんなもので、また養い親のようなものでもあるハルムヘイマー伯爵だった為、不満の言い様もなかったのだろう。

 私はといえば、伯爵は随分と公平な方で寛大な方なのだな、と思ったものだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()ならば――いや、元の世界でも、かな?――10歳の、それも女の子の言うことなどをまともな証言として聞こうとは思わないものだ。だが伯爵は私だけでなく、5歳の妹の言うことにまできちんと耳を傾けてくれた。

 結果、白いシャツを着た少年の「偶々通りかかったらダライアスが小さな女の子を殴りつけ、更に蹴り飛ばそうとしていたから止めに入った」という主張が通った。こうして我が兄ダライアスの凶行は、我が家の人間だけでなくハルムヘイマー伯爵とクローディアおば様までが知るところとなった。

 話を聞いたお母様が真っ青になって、おば様と一緒に医者を呼び出す騒ぎになってしまったのは余談だが、この一件で兄は、数日後に行われるはずであった従騎士への昇格が不意になったのだ。――私への怒りが増したことだろう。

 帰りの馬車の中で、ふと思いついた。今日、お母様が私と妹を連れてハルムヘイマー伯爵家を訪れたのは、兄を従騎士まで育ててくれたお礼を言いに言ったのではなかったのだろうか、と。正式なお礼は、父と2人で改めて行う予定だっただろう。でもそれに先駆けて、大事な息子を育ててもらったお礼を伝え、更には頑張ったであろう愛息子を労い、誉め、妹達と一時の和やかな時間を過ごさせてやりたいと、そう考えていたのではないだろうか。騎士道精神が身についていれば、仲が悪かった妹との関係も改善し修復できるだろうし、未だ一度も会っていない末の妹とも会わせられるし、仲良くもできるだろう、と期待を抱いていたのではないだろうか。

 それが全て打ち砕かれてしまった。お母様の浮かない表情を垣間見てしまった私は、酷く申し訳無い気持ちになった。それと同時に、なぜ兄はあそこまで私を嫌うのか、ととても憂鬱な気分になった。

 唯一の救いは、兄が初めて会った妹には手を出さなかったこと。その妹が、その後大泣きしたことなどすっかり忘れたかのように伯爵家の庭を楽しそうに駆け回ったことだった。――ついて回った私は疲れ果ててしまったが。

 結局、兄はこの件によってその年に予定されていた従騎士への昇格はなくなった。最終的に翌々々年まで従騎士になることはなく、予定より2年遅れてぎりぎりの年齢で従騎士となったのだ。



微修正。(2019.8.6)

更に微修正。(2019.8.9)

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