決別について —— あるいは、読者としての向き合いかた ——
※ 誤字報告機能を使った指摘をちょうだいしたので、ちょっとだけ、後書き欄に追記してます。(2019/5/6)
どうも、レモネード・イエローです。
今日はですね、決別について……、というか、こういうサイトでの交流について、ちょっと思ったところを述べて……だべっていきたいと思いますのでございます……、とまあ言った次第でね。
作家同士、あるいは、作家対読者の交流を見ていて、思うのですよ。
おもしろい文章を書く作家が、作品以外で自身の意見を述べてたりするのを見て、「え、こんな人だったの」とか……、あるいは、感想をもらった際の返信で、「え、なんでそこでキレるの」とか……。
そしてほら、皆さんの周りにも一組くらいはいらっしゃるんじゃないかと思うのだけど……、お互い嫌い合っている作家さん、犬猿の仲というか……、私は茶化して、「ワンちゃんサルちゃん」って呼んでるのだけど。……私のお気に入りさん同士でもいますよ、ミズチャンアブラチャン……いや、たぶんブロック機能とかで、いったんこじれたのがそのままってだけの場合もあるのでしょうけど(よりを戻せないこともないけど……的な?)。あと、コメント欄でやり合うもんだから、不快に感じた周囲のユーザさんがたが介入して、引き離したりね……。(ああ、私は基本的に、ブロック機能は必要だと思ってます。特に、作家にはね。「なんでそこでブロック?」とかはたから見て思ったりすることもあるけど、それはそれぞれの感じ方次第であって、与えられた権限の行使に対して、アドバイスとかはあっても最終的に決めるのは各々なわけだし、他者が口出しすることは良くないとも思うから。)
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読み手視点のエッセイとか拝読してて、作品は好きだけど、作者が怖いみたいな……だから気軽にアプローチできない、みたいな思いに触れて、でもそれって当然だよな……なんて思ったりもして。(作家ってのは、妙なところでキレたりするもんです。ええ、それが常人にはわからない。ピンとこない人は、過去の有名作家の逸話でも検索してみるといい。)
それが当然じゃないって思うのはきっと、作家対読者の適切な距離感が、こういうサイト、あるいはSNSのために一気に縮まってしまったからなんじゃないかしら、とも……。
地下アイドルってのにも近いかしら。アイドル対ファンの関係だったものが、なんだかお友達みたいな関係にまで落ちてしまって……とか……、ちょっと遠い? ……まあいいや。
とにかく、「作家」っていうのが、ひとりの人間としてとらえられてしまう……とでもいうのかしら。で、作品が好きだった人たちはその作家のほんとの人となりを知ってショックを受ける……みたいな?(素敵な作家は排泄行為をしないもんだと思い込んでるファンタジーな読者とか……は、まあいないだろうけど。)
ここで、毎度おなじみ、オスカー・ワイルド作品『ドリアン・グレイの肖像』から、ハリーのことばを抜粋するね。
"The only artists I have ever known who are personally delightful are bad artists. Good artists exist simply in what they make, and consequently are perfectly uninteresting in what they are. "
「私が知っている芸術家にかぎると、人として愉快なやつってのはダメな芸術家だ。良質な芸術家はただ単に彼らの創造物の中に存在するわけで、結果としてそれを創ったものの身には、彼らの至極退屈な部分が存することになるのだ。」(拙訳)
わかるかしら。
つまり、意訳的に要約すると……、「創作者の魅力的な部分ってのは作品に現れるものだから、彼自身と関わったって、案外つまらない人間だったりするものよ」っていう……。
そしたら、生身の彼と、彼の作品と……じゃあどっちがほんとうの彼なの? って話にもなるのだけど。これはまあ、彼の作品のファン/彼自身と暮らす妻(作品はちんぷんかんぷん)の二視点の物語でも書いて考察してみたらおもしろいんじゃないかなって思うのだけど。
「私はあの人のママレードが好きなことを知っている。朝五時に起きて湖の周りを散歩することを知っている。だけど、あの人の書くものはてんでわからない。私、あの人のファンのかたと会話していると……、実は私の知っているあの人は、ほんとのあの人じゃないんじゃないかしら、とか……。ふしぎなものよね、毎日顔をつきあわせているいる私が知らなくって、じっさいろくに会話したこともないファンのかたが、あの人のことようく知ってるなんて……」—— とかね。
ちょっと脱線しちゃった。どうする? ……戻そうか?
そう。だからつまり、どっちが本物かっていうのは置いといて、作品に注がれた彼と、彼自身に残った人間性っていうのは別物だって思うわけ。元は同じだけど……なんていうのかな、動脈と静脈? それとも心室? ……わかんないね、別にいいや。
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文字だけの交流で、妙に息の合う人、魅力的で楽しいなって思う人ってのはたまにいるもので。その人の一言一句が「作品」といえてしまうような……もちろん、じっさい書かれて投稿されている作品も素晴らしくて。……だからつまり、その人のことばは、生身のその人よりもその人の作品に近いような感じで……。
でも、そういう人って、仲良くなりすぎるのが怖い気がするの。お互い踏み込みすぎると、いつか絶対決別するな……って。だからって、惹かれちゃうのはほんとだから、仕方ないのだけど……。
あとは、コメントなどでの個人的な交流じゃなくても、あまりにも美しい作品を描く人。……大抵どこかあやうい部分を持ち合わせていて……つまり、私にとって……。それでも惹かれて、やっぱり作家自身と語り合いたくなるのだけどね……。
ああ、ほんとに素敵な作家同士って、いつかは決別する運命にある者同士なんじゃなかろうか……とも思ったりして。
もちろん、相互の交流を控えることで、我慢することで、それを避けて、長いこと表面上の関わり合いをつづけることは可能で、できればそれがいちばんいいのだろうけど……なんだろう、作品を通しての、本来の作家対読者、読者対作家の関係……?
ランボーとヴェルレーヌに想いを馳せる。そして、ワイルドとアルフレッド・ダグラス……
決別した、宿命の詩人たちのロマンに……
乾杯……。きゃ。
—— なんて。
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さて。これまたワイルドの例の著作から。
こんどは序文からの抜粋ね。
"No artist is ever morbid. The artist can express everything. Thought and language are to the artist instruments of an art. "
「まったくもって、芸術家ってのは病的なんじゃない。芸術家はすべてを表現できるのだ。思想と言語は彼らの芸術を創る道具なんだ。」(拙訳)
この後に、善悪は芸術のマテリアルだとかなんだとつづくんだけど……、
ここであえて「病的」ということばを使っているというのは、裏を返してみれば、はたから見ればそう見えるってことなんだよね、きっと。
病的な作品を描くやつって、病的だと思われるし……反対に、立派なものを描いた暁にゃ、「ああこの作家はどんなに立派な人格者なんだろう」と思われてしまう……
そして、不用意に近づこうとするものを混乱させてしまう……
というかね、
それを「病的」というかどうかは別として、そしてそれが現れるのが、創作物のうちにかその人の普段の言動のうちにかってのも別として……
創作活動してる人ってのは、みんな訳ありだと思う。
本人がどれだけ自覚しているか、あるいは、周りにどれだけバレやすいかは別として、彼らの内面には、なにかしら異質なものが備わっているのだと思う。
だから、その人の作品や、記す文字たちに惹かれるんだとも思う。
まあ、あれですね。魅力的な芸能人ってのは、だれだっていつか逮捕される可能性を有しているわけで……
え、もう脱線は要らないって? そもそもこの話の軸って、あるのかしらね。
まあ、先入観はよくないね、って話でもあり、
きみは結局、作品にその人を求めるのか、それともその人自身に求めるのか……ってことでもあるのかな、って話でも……ってことなのかしらね。
さて、迷い込んでしまったところで、今日のお話をおしまいにするね。
毎度おなじみワイルド語録の原文(クオテーションマーク内)は、「プロジェクト・グーテンベルク」(http://www.gutenberg.org/wiki/Main_Page)というサイトから。
↓サイト内の "The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde" のトップページ? みたいなとこのURLです。
http://www.gutenberg.org/ebooks/174?msg=welcome_stranger#chap05
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こういうの考えるのって、ことばを交わし合うものでもない気がするから、感想欄は閉じときますね。
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[追記 2019/5/6]
誤字報告機能を使った、漢字の開きかた? などに関する文体のご指摘をちょうだいしました。
ただ、誤字というわけではなかったので、ごめんなさい、適用はしてないです。
IDからたどってみたら、公開作品や活動報告などアップされていなかったので、いきなりメッセってのもびっくりされるだろうし、こちらからお声はかけなかったのだけど……、スルーしちゃうのも申し訳ないんで、ここで失礼します。
あ、ひとつだけ言い訳を。
閉じ括弧前の句点、私も普段はつけない派です。現代の出版物は慣習的につけないのが普通らしいので。
今回は特別で、引用部分に対応する拙訳の箇所だったので、引用部分(原文)の" ." に対応させるためにあえて句点をつけました。ま、なくてもいいのかもしれませんが。
って、ここで言っても、たぶん見られてないかな……^^;
でも一応。
ありがとうございました。
レモネード・イエロー