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 アイリス=ミナルダは女の私でも思わず惚れてしまいそうなほどに美しい女性である。


 輝くような金糸のような髪に、吸い込まれるような深い青の瞳。

 その上、思わず飛び込みたくなるほどの豊満な胸にはギッシリと優しさと誰をも穏やかな気持ちにさせてしまうほどの癒し効果が詰まっているのである。


 そりゃあ王子が惚れるのも無理はない。


 彼女は現ミナルダ家当主が平民出の使用人に産ませたとはいえ、今やミナルダ夫人が認めるほどに立派な公爵令嬢である。

 王子も出来ることなら彼女を正妻に、いやせめて側妃に迎えたいと考えているに違いない。

 だがそれが今はまだ実現できない理由がある。

 なにせ建国当初より決められた、五大貴族の家から順番に嫁を取るなんてしょうもないしきたりのせいで、この代の王子の正妻には私がなる予定なのだ。

 私が妻として、王子妃として王家に迎え入れられるのは私が学園を卒業してからのこと。それに王家のルールとして正妻を迎い入れてから三年は側妃を迎えられないことになっているのだ。

 つまり王子がアイリス様を側妃として迎い入れるには最低でも三年半は我慢しなければいけないのだ。

 だがそれまで果たしてアイリス様は結婚せずに待っていてくれるだろうか?

 確率としては半々、あればいいくらいなものだろう。


 王子の側妃と言えば聞こえはいい。

 実際に自分の娘を是非にと名乗りを挙げる貴族も多いだろう。


 だがミラルダ家は当家と同じ、五大貴族なのだ。

 その上、当主様は夫人と揃ってアイリス様の旦那様にふさわしい家を探していると言う。

 目に入れても痛くないほどに溺愛している彼らが後三年以上の期間もの間、アイリス様を未婚のままでいさせることを承諾するだろうか?

 待たせられる期間に対してあまりにもリターンが少なすぎるのではないだろうか?


 私は出来ることならこの座をアイリス様に譲りたい。

 彼女こそあの王子の隣にふさわしい女性なのだから。


 私は五大貴族の一つ、リストラン家に産まれた。

 そしてたまたま今代の王子とリストランの長女が結婚する順番だからという理由から王子の婚約者になった。

 いわゆる政略結婚という奴である。

 家によって決められた結婚。

 ロマンス小説なんかではそれに抗って好きな人と手を取ってーーなんて展開もある。実際に極まれにではあるが、結婚を前に使用人とどこかへ消えていったおろかなご令嬢の噂を耳にする。

 たいていは逃げはせずとも、お相手を好きにはなれず、貴族の娘としての役目だけはしっかりと果たしたりするものである。


 だが私は王子のことは嫌いではない。

 頭の出来はいいし、顔立ちだって立派だし。

 その上五大貴族の家の長女にたまったまこのタイミングで産まれただけの、『公爵令嬢』という地位を産まれながらにして与えられた平々凡々な女を見捨てずにいてくれるのだから。


 いや本当に。

 よく18にもなるまで他の女性に思いを寄せなかったなと関心する。

 私みたいな女が一番身近だったとはいえ、城に足を運べば必ずといってもいいほど魅力的な女性とすれ違う。つまりは城に暮らしている王子はほぼ毎日女性の中の女性みたいな存在な人と出会っているということではないのだろうか。

 そうに違いない!


 私も一時は恥ずかしいな~なんて思って、くすんだ金色の髪を使用人に時間をかけて毎日手入れしてもらったこともありましたよ。

 けど、産まれ持った色は変わらなかった。仕方ない。ということで二ヶ月で諦めた。

 人間、諦めが肝心なのだ。

 その代わりに王子からまるでエメラルドのようだとお世辞をもらった、母から受け継いだ新緑の瞳をチャームポイントとしてゴリ推していくことにした。


 ありのままの自分を認めるのは大事なことなのだ!

 決して努力するのが面倒くさいとかそういうのではない。


 外見は無理でも、王子の婚約者として選ばれたのだからには、せめてそれに恥じないような人間になろうという努力もした。


 ピアノのレッスンもバイオリンのレッスンも、センスがないと自覚していながらも父に頼んで先生を呼ぶ日を増やしてもらった。


 勉強は比較的得意と言える記憶する分野を中心に、将来王子のお役に立てるよう、各国の言語や歴史を頭に詰め込んでいった。


 その結果、学園内テストでは一番自信のあった第二外国語でアイリス様と10点以上の差をつけられて負けた。


 初めから絶対敵わないってわかってたけど、もう無理じゃない?って悟ったのは今から二ヶ月も前のこと。

 そして王子がアイリス様に惚れているらしいという噂を耳にしたのが一週間前。


 この一週間、私はこれからどういう身の振り方をすべきなのか考えていた。

 寝ても覚めても難しいことを考えていたせいで、思わず二個三個とスコーンに手が伸びてしまったのも一度や二度のことではない。

 そのせいでなんだかお腹のあたりがぎゅうっと締め付けられるような気がするが、これも乙女の悩みというもののせいだろう。


 侍女のマーガレットには「それって普通胸ですよ。お嬢様のはただのオヤツの食べ過ぎです!」なんて言われたが胸とお腹なんて誤差である。


 なので今日の分のオヤツももちろん要求するつもりだ。

 頭を使ったらその分だけ糖分を補給するのは当然のことなのだから。



「お嬢様、明後日はクロード王子とお茶会のご予定があります。今日のところは少し控えられてはいかがでしょう?」


 だからクロッテッドクリームとイチゴのジャムをたっぷりとつけたスコーンを口へ運ぶ手を止めるつもりなど毛頭ない。


 明日のお茶会で私は、この一週間で私が頭を悩ませながら絞り出した案を提示する予定だ。

 お父様とお兄様には頭を抱えられ、ため息まで漏らされた。

 だがこの案がいかに素晴らしいことか熱弁すること約二刻。

 最終的には「王子にもそのままのことを話せばいいさ……」という言葉を勝ち取った。


 もしもこの案が通れば私はこんなに贅沢にスコーンを頬張ることは出来なくなるだろう。


 だからこそ、今の私は今食べられるだけのスコーンを食べておくのだ!




「ねぇ、ミリアーナ今なんて言った?」

「ですから、私が修道女になり、リストランテ家の養女としてアイリス様を迎えれば王子はアイリス様を正妻として迎い入れることが出来ます。確かに少し時間はかかってしまいますが、アイリス様は現在での立派な淑女でいらっしゃいますから一年ほどで迎い入れることが出来るでしょうと申し上げたのです」


 私の考えに穴などない。

 正妻として迎い入れるのであればミラルダ家のご当主様も異論はないだろう。

 他の五大貴族からは文句がでる可能性もないわけではないが、二代前の王子の婚約者は庭師の男と駆け落ちをしている。その結果、他の家から養女を取ったのは周知の事実である。


 いっそのことこれを期に、こんな古くさい慣習などなくしてしまえばいいのだ。

 第一王子の婚約者選びが新しくなると手間はあるだろうが、第二王子以降は毎回話し合いだのなんだので決めているのだからたかだか一人増えたところでそう変わりはしないだろう。


 ーーだというのに、なぜ王子は端正な顔を歪めているのだろうか?


 まさかアイリス様に思いを寄せているのを隠せているとでも思っていたのだろうか?


 婚約者である私の耳に入るほどに噂は広く広がっているというのに?


 噂を聞いてすぐになるほどと納得してしまうほど、アイリス様に熱い視線を送っていたのに?


 聡明な王子に限ってそんなことはないだろう。

 ただ私からそんな提案をされるなど露ほども思っていなかったせいに違いない。


 王子が判断を下すまでいくらでも待とうではないか。

 王子と私の真ん中に用意されたケーキスタンドに手を伸ばして、一人でその味を堪能する。


 そういえばこれも最後になるかもしれないのよね……。

 少しでも多く食べとかなくっちゃ!!


 何か言いたげに視線を寄越す王子のことはとりあえず無視をして、早くかつ上品に口へ運んでいく。


 とりあえず全種類1つは食べたわよね?と確認していると、ようやく考えはまとまったように、王子は重く閉じていた口を開く。


「ミリアーナ」

「はい、なんでしょう?」

「君は一つ勘違いをしている」

「勘違い、ですか?」

「ああ。私はアイリス=ミナルダに想いを寄せてはいない。ましてや彼女と妻として迎えたいなど考えたこともない。私の妻は君一人で十分だ。側妃だって取るつもりはない」


 王子は真面目な方だ。

 私もそれを失念していた訳ではない。

 だがまさか側妃を取るつもりはないと言い出すほどに強情だとは思っていなかったのだ。


 側妃なんて取らない王族の方が珍しいというのに、勢いでそこまでいってしまうとはよほど図星をつかれたのが痛かったというわけだ。


「王子、隠さなくてもいいのです。私はわかっていますから」


 私と王子は婚約者でもあると同時に幼なじみでもあるのだ。

 そんな私に遠慮なんてしなくてもいいのになぁ……。


 年頃の男の子を持つ親の気持ちってこんな感じなのかしら?

 初恋の相手を当てられるのってやっぱり恥ずかしいのかしらね。


「だから隠してなどいないのだ! 私はミリアーナだけを愛している!」

「ご冗談を」

「冗談などではない!」


 こんな顔を真っ赤にする王子なんて初めて見たわ。

 普通は目の前の女に包み隠さずストレートに愛を告白する方が恥ずかしいと思うけど。

 私相手に恥ずかしいとか思わないんだろうなぁ……。


 修道女になれば男性と会う機会なんてめっきり減るだろうけど、女性として産まれたからには女性らしさ?みたいなものは身につけておいた方がいいかな?


「アイリス嬢はおろか、他の女性になど目もくれたこともない。ミリアーナ、君を一目見た時からずっと君だけを愛してきた。君と巡り合わせてくれた神に感謝したことも一度や二度もことではないんだ。信じてくれ……」

「私に気を使ってらっしゃるのでしたら、お気になさらず。私だけでなく、誰もがあなたがアイリス様を愛してらっしゃることを知っています。障害があるなら私もそれを取り除くのに協力もしますから。ですからどうか王子は真実の愛をはぐくんでください」


 ロマンス小説のヒロインに憧れたことはなかったけど、ヒロインの背中を押す友人役には憧れていたのよね。

 だって格好いいじゃない?

 彼女達のお陰で世界中の少女が夢見るヒロイン達が何人も羽ばたいていったのだから。


 私とアイリス様は会えば少し世間話をするどころか、決まった言葉を二三交わす程度の仲である。

 友人役なんて出来るはずがないとわかってはいるのだ。

 だがヒロインをいじめるご令嬢役なんかにだけはなるつもりはない。


 陰ながらでもいい。

 私は私の推すヒロインに幸せになってほしいのだ。


 私の思いをほんの少しだけ包み隠してお伝えしたのだが、なぜか王子の表情は冷たいものへと変わっていく。


「そうか……。君を唆した輩がいるんだな? 君にそんな戯れ言を囁いたのは、私達の未来を邪魔しようとするのは誰だ?」

 そのくせ口だけは笑っていて、いつだかお兄様が『氷の帝王』と言っていたのが今ではわかるような気がしてきた。


「ミリアール。そのふとときな輩の名前を私に教えてくれないか?」

「え?」

「私達の、未来の国王夫婦の仲を邪魔しようとする者はこの国にはいらないだろう?」


 その日、私は誰の名前も答えることが出来なかった。

 正確に誰から聞いたのか、私は覚えていなかったのだ。

 ただ間違えてはいけないと本能が告げていた。


 そして半年後、卒業式の日。

 その選択が正しかったことが証明された。


 なにせアイリス様の周りを固めていた、自称アイリス様の友人は一人も式には参加していなかったのだから。


「アイリス様、ご友人の方は今日は出席なさっていないのですね?」

 不思議に思ったのは私だけではないらしく、勇気を振り絞った一人のご令嬢はアイリス様に尋ねた。


 すると彼女は綺麗な顔で笑みを作ってこう答えた。

「彼女たちは私の友人などではありません。私を祭り上げて、その恩恵をむしり取ろうとした愚かな者達です」


 美しさと正反対なほどに鋭く突き刺さるナイフのような言葉に近くにいた者達の背筋は凍った。


 けれどそれはきっと私の比ではないだろう。


「ミリアーナ様。私は五大貴族の一つ、ミナルダ家の娘でございます。私は一生王家に忠誠を誓っておりますわ」


 ドレスの端を摘まんで、淑女の礼をしながら告げたアイリス様の瞳はあの日の王子の物と同じだったのだから。


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