偏見~へんけん~
世の中、無駄が多いものである。
何を学び、何を感じ、何を信じ、何をしても、何もしなくても、死んでしまえば皆同じ。
死とは真の平等であり、生もまた等しく無駄である。
「無駄こそ、この世の真理なり」
そして、無駄に中二くさいこの文を読んでいるあなたの時間、それももまた無駄。
よろしければ軽く一杯いかがですか?
なんと!!今なら生ビールと焼き鳥セットで500円!!(初回注文のみ)
もれなく無駄話も付いてきますよ!!!
居酒屋「無駄話」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「うん、すごく無駄だ」
それを読んだ私は思わず呟いていた。
職場の近くにある小さな公園、いつものようにお昼のお弁当を食べようとベンチに腰掛けた私の眼に映ったのは1枚のチラシだった。
哲学的な文章に興味を惹かれ、なんとなく読んで見たけれど、まさか居酒屋の広告だったとは。
というか前半と後半で雰囲気違い過ぎでしょ!なんで読んでる人を軽くおちょくってるのよ!?無駄に中二くさいって何!?もれなく無駄話ってどういうことよ!?
ふざけた広告にひとしきり心の中でツッコミを済ませた私はチラシに書かれた住所を見る。
「案外、家から近いな」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「いらっしゃいませ、ようこそ居酒屋『無駄話』へ」
結局、来てしまった。ふざけたチラシだったけどこうして足を運んでしまった以上、私の負けの気もする。やるな、中二チラシめ!
客はサラリーマンらしきおじさん二人がテーブル席にいるのみ、とりあえず誰も座っていないカウンター席に腰を下ろす。
それにしても意外に普通の居酒屋って感じがする。和風で、こじんまりとしてて普通に落ち着く。もっとこう変なオブジェとか置いてそうなイメージだったたけど。
「お客様、ご注文はお決まりですか?よろしければ先にお飲み物からお持ちしますが?」
「あ、えーと、じゃあ生ビールと焼き鳥のセットで」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
普通と言えば、この目の前にいる店主もまた普通である。年齢は30十代前半くらいだろうか?黒髪で短く切り揃えられた髪型、やせ形でほっそりしており、和服が良く似合っている。この店主があの中二チラシを書いたのだろうか?
「お待たせしました。生ビールとお通しになります」
「ありがとうございます」
良く冷えたジョッキに入った生ビールを半分ほど一気に飲む、最初の一口がなんとも言えない幸せを私に運んでくる。
「おっ、お嬢ちゃん女の子なのに良い飲みっぷりだね~」
先に飲んでいたおじさんサラリーマンの1人が私に声を掛ける。
むう、女の子だってお酒は好きなのである。
「おじさん、女の子だってお酒は飲みます。女子はお酒をあまり飲まないっていうのは偏見ですよ?」
おじさんは私に言い返されて何故か嬉しそうだ。
「おっ、近頃の女の子にしては威勢が良いね~」
あ、全く反省してないな、このおじさん。
「偏見、ですか」
ん、店主さんが何かしゃべり出したぞ?
「せっかくお話にも出て来たことですし、今日は『偏見』について無駄話しましょう」
「偏見、についての無駄話?」
「はい、無駄話でございます。まあ、お料理が出来上がるまでの暇つぶし程度の物だと思っていただいて結構です。なにせ無駄話ですので。あと田中さん、あまり他のお客様をからかわないでくださいね」
無駄話か、まあ他にすることも無いし確かに暇つぶしにちょうどいいかもしれない。そしてあのおじさんは田中という名前らしい。注意されて何が嬉しいのか、「やっちゃった」と言わんばかりに舌を少し出して照れたような仕草をしている。おじさんの癖に「てへぺろ」とは、もっと年相応の振舞いをして欲しいものだ。
まあてへぺろおじさんは置いておくとして、
「わかりました。じゃあ偏見についての無駄話を聞かせて下さい」
「ありがとうございます。では早速ですがお客様は偏見という言葉の意味をご存知でしょうか?」
むう、いきなり質問か。なんとんなく雰囲気で使っていたせいか、いざ意味を問われると言葉に詰まる。
「え~と、物事を一方から見て決めつけてしまったり、判断したりとかですかね。あまり良い意味では使われない言葉だと思います。」
「おっしゃる通りです。偏見とは、偏った見方、物の考え方のことを言います。それは客観的な根拠なしにいだかれる判断であり、いずれも非好意的な物が多いです。」
なるほど、いるわよね~、根拠もない一方的な考えを押し付けてくる人。
「似たような言葉に先入観と固定観念という言葉があります。偏見、先入観、固定観念、この3つの言葉にはいずれも見という字が使われていますが、この言葉達が見せる世界はとても歪で、思考が制限された世界となります。」
「思考が制限された世界?」
「はい。人間、誰しも先入観を持って生きています。先入観は偏見を産み、偏見を持ち続けると固定観念になります。固定観念を持つとその人の思考はそこで止まり、世界は広がらなくなります。」
「それが・・・思考が制限された世界。」
「その通りです。見るべき物が見えていない世界とも言えます」
私はいつの間にか店主さんの話から意識を離せないでいた。程よく酔いが回った頭に小難しい話が心地よい。いつも通りの日常で止まっていた思考が動き出す。頭を使う快感が私をさらに話の世界に引きずり込む。
「私も、気づいていないだけで思考が制限されているんでしょうか?」
私の問いに、店主さんは優しい笑みを見せる。それはまるで親が子どもに見せるような顔で、そこから紡がれる言葉は諭すような穏やかな声だった、
「人は誰でも先入観を持って生きています。それは無意識に培われるもので普通に暮らしているだけでは中々気づけないものです。そうですね・・・例えば、居酒屋の広告に哲学的な文は合わないだろうとかね」
「!!!」
店主さんの言葉に私はハッとなる。
「例えば、広告がおかしいんだから店も店主もどこかおかしいはずという先入観」
「例えば、女の子なんだから酒は少しづつしか飲まないだろうという偏見」
「例えば、おじさんは舌を出して照れるのは似合わない、年相応という名の固定観念」
店主さんの言葉が私の中で繰り返される。私もおじさんも無意識の内に偏見で相手を見ていたなんて。
「世の中に蔓延る、先入観、偏見、固定観念、それに気づき、意識し、思考の壁を壊した先に見えた世界こそあなたの住む本当の世界です。」
私の住む本当の世界、か。
「はあー、店主さんの話聞いてると何だか自信無くしそうです」
「偉そうに語ってしまってすいません。つい熱くなってしまいました。私だって先入観なんていくらでも持っています。そんなに気を落とさないでください。要は無意識の思い込みですから、意識すれば良いだけです」
「私にも出来ますかね」
「きっと大丈夫ですよ。
お待たせしました、ご注文されていた焼き鳥でございます。皮、モモ、ネギま、うずらの卵となっております。」
「焼き鳥なのにうずらの卵?あっ、これって先入観?」
慌てて店主さんの顔を見ると優しい表情で私を見ていた。
それはまるで「よくできました」と言わんばかりに子どもを褒める親のような顔だった。
案外、見えないものですよね