8話:温泉
「それで、そのナイフを買ってきたわけだね?」
「はい、いくつか見た店ではこれが一番実用的だったので」
買ってきたナイフを待ち合わせ場所で待っていたリアさんに見せる。
刃渡りが大きく血抜きのための樋が彫られており収納するケースも付属していた。
本場を名乗るだけあって現代のそれと大きな差はなく、私達の知るナイフと同じ扱いができると思われる。
「ナイフくらいあげたけど...まあいいじゃない、見る目があるね」
「ありがとうございます」
私達の選んだナイフはリアさん的に満足の行く物だったようだ。
「さて、早速だけど宿に案内するよ。ついてきて」
案内されるがまま後をついていく。
あたりは日が落ち始め、閉める店が増えてきた。
それと同時に、まるで交代するかのように明かりを灯す店が出始める。
聞こえてくる喧噪も、昼間とは違ったものに変わっていく。
店のいくつかに目を向ければ居酒屋のような店やちょっといかがわしいお店が人を集めているようだ。
そっか、.ああいうお店もこの世界じゃ合法...というかおおっぴらに出せるんだね。
なんかギャップを感じるなあやっぱ。
私の視線を感じたのか、売り子らしきお姉さんがこちらに目くばせしてきた。
それを軽く会釈で返していると、しれっと明が姉さんから目を逸らすのが見えた。
その顔は薄暗くて良く見えないがなにやら赤みがかっているようだ。
どうした、かわいいなこいつ。
「...言っておくけど、ああいうお店は高い割りに危ないから気をつけなね?」
私か明の行動に気が付いたのかリアさんが振り返らずに言う。後ろに目でもついてるのか。
「い、いや。別に興味があるわけじゃ...」
変に慌てるような声を出す明。
そこで答えたら自白してるようなものだけど。
「興味を持つことは悪くないよ、ただそれを食い物にする連中がいるから充分気を付けてねっていいたかったの」
「...はい」
項垂れる明。実際どれくらい危険なのかはわからないが、裏に怖い人がいると思ったほうがいいだろうねああいうお店は。
いや、危険なのは病気の方か。
「着いたよ、ここが今晩の宿」
たどり着いたのは他の宿よりも一回り大きい建物だった。みるからに高そう。
「空いてるのがここしかなかったからね、荷物は届けてあるから」
宿の人に部屋へと通されると、そこは4人で寝るには充分過ぎる広さの部屋が広がっていた。
隅には4人分の背嚢がある。あれが荷物だろう。
「ここはお風呂があるらしいから、せっかくだし一緒に行く?」
「やった! お風呂!」
お風呂!もう二日もまともな風呂に入っていない身としてはなんと耳に響く言葉だろうことか。
沙織はすっかり上機嫌になってそわそわしだした。お風呂好きだもんね。
「ちなみに混浴だけどアキラくんは来る?」
ピタリ、と時間が止まったかのような錯覚を受けた。
今混浴と言った? もしかして思春期の男子を混浴に誘いましたかリアさん?
「こ、混浴!? ええっとあのその...」
明が狼狽しだした。
「冗談、先に入ってくるから荷物番よろしく」
いつの間にか私と沙織の分のお風呂セットを用意していたリアさん。
背中を押されつつ、停止した明を置いてお風呂へと向かう。
...なんかかわいそうだったな。
少しだけ哀れに思いつつも、すぐに頭の中はお風呂のことで一杯になった。
中世を基準に考えると湯舟よりも蒸し風呂のイメージがある。後宮みたいな。
汗が流せればどちらでもいいのだがこっちに来てから水浴びしかしてないし気分的にそろそろ限界。
脱衣所らしき場所につき、服を脱ぐ。
やはり匂いが気になったが、それももうすぐ終わるのだ。乙女的な体裁はギリ保ったはず。
「いい肌をしてるね」
私達の体を見たリアさんがまじまじと見てくる。
「リアさんも凄いいい肌してるじゃないですか」
沙織がすかさずリアさんの肌をほめる。
実際私達は今日見かけた人たちよりは凄く健康的な肌をしているはずだ。
充分な量と栄養が確保された食事に整えられた衛生環境で育っているのだから。
けど不思議なことにリアさんも私達と同じかそれ以上の肌艶をしているのだ。魔法で保っているのだろうか。
「健康面には注意してるからね、それに私はもう肉体年齢は増えないし」
「え? だとしたら今おいくつなんですか?」
不老不死...いや、健康面に注意してるなら不死ってことはないのか?
不老長寿だとしても、私達よりは長生きしているのだろう。
「んー、まだ秘密」
リアさんは少し悩むしぐさをした後に、口に手を当てて微笑んだ。
それは外見の幼さに反してえらく妖艶だった。
お、大人だぁ...蠱惑的な何かを感じる。
「それに私からしたら君たちの方がいくつなのか知りたいけどね。ほんとに魔法を使ってないのか疑うくらいには美しい体をしてるよ」
「確かに恵まれた生活はしてましたけど...ただの高校生ですよ」
「それ多分伝わらないよ沙織」
高校生...? と首を傾げるリアさん。
「あそっか。えーっと...」
「ゆっくりでいいよ、時間はあるし」
そういって脱衣所を抜けていくリアさん。
慌ててその後をついていく。
暖簾をくぐったその先には、なんと温泉があった。
「お、おお...温泉だ」
「すごい、本物の温泉だ」
「偽物の温泉があるような口ぶりだね」
だってスーパー銭湯しか経験ないですし、本物の温泉に入るのは初めてだ。
掘って形を整えただけの穴にかけ流しされている完全な天然温泉。
ちょっと赤っぽいし変な匂いがする。これが温泉の匂いか。
混浴と言っていたが他の客はいなさそうで一安心である。
そばに置かれた桶はかけ湯のためか、蛇口とかないしなんなら石鹸とかある...のか?
というか石鹸ていつからあったんだろう、こういう時に調べられないの現代っ子としては地味にストレスかかる。
「はいこれ、使い方はわかる?」
「あ、石鹸」
リアさんが手ぬぐいから石鹸を出してきた。
セルフサービスだったのか、ともあれこの世界に固形石鹸があって凄く安心した。
ありがたく貸してもらい体を洗う。
やっぱりこれだよ、この汚れが落ちていく感覚。たまらないね。
「やっぱり不思議だなあ」
私達の隣で体を洗いながら、リアさんが言った。
「何がです?」
「色々とね。貴方達の事情は少ししか知らないけど、多くを知ってるが故の落ち着き...達観っていうのかな、そういうところを感じるんだよね。妙に落ち着いてるっていうか」
「達観?」
沙織のオウム返しの言葉に「そう」と続けて。
「沢山の知識、それと誰かの視点に立って考え事をしたことのあるような、まるで師匠を相手してるみたい。まだ何も知らないも同然なんだけどね」
どうやらリアさんの師匠はそうとうにできた人間だったようだ。
情報の伝達が高度に発達した時代に生きた私達の世代は、多くの価値観に触れて育ってきた。
誰かにとっての正義がまた別のひとにとっての悪となる。それをごく当たり前のことと認識してはいるが、昔はそうでなかったとも聞く。
十人十色の意見が渦巻く混沌とした情報社会は自分のありたい立場というものを確立させるには充分であり、同時に他人には他人の言い分があるのだと学んできた。
それらを踏まえた話し方を、達観したものと言っているのだろうか。
「さっき高校生...っていったっけ? 学校の生徒で、高い教育を受けていたって解釈でいいのかな。しかも"ただの"って言ってたからそれが君たちにとって一般的なんでしょ」
...この人めちゃくちゃ頭がいいなさては。
「よく...わかりますね」
私が口にすると「あってた」なんて少しうれしそうな表情をする。
「私だって特別な教育を受けてきたからね、凄く断片的にだけど君たちの世界を聞いてはいるし」
リアさんの師匠という人の入れ知恵だろうか、益々どんな人なのか気になってくる。
「リアさんは私達の世界についてどこまで知っているんですか?」
「何も、強いて言うなら高い科学技術を持っていたことくらいかな」
ここで体を洗い終えたので一度話を中断する。
かけ湯をしてから、三人で湯舟に浸かる。
「く.....ふぁあ...いいですね、温泉って」
「そうだねえ」
肺からたっぷり息を吐き出し、溶ける様に温泉を全身で堪能する。
静かな空気と綺麗な空を眺めて、改めて体の力を抜いていく。
少しの間静寂の時が流れるままに身を任せる。
「そうだ、リアさんはなんで私達がこんな状況にいるのか知ってますか?」
湯舟と一体化していた沙織が思い出したかのように問いだした。
「君たちがここに来ることになった要因だね。師匠だよ、本人がそういってた」
「...なぜこんなことをしたのか理由については?」
「うーん、ごめん。それは師匠に聞いた方がいいかも」
リアさんは少し困ったような表情をしてしまう。
「理由はリアさんにも聞かされてないんですか?」
「軽くは聞いてるけど、内容が内容だから」
どんな理由で連れてこられたんだ私達。
「悪いようにはしないと思うよ? 性根はいい人だから...」
「それ性格悪い人を擁護する常套句ですよ」
こんないい人そうなリアさんの師匠、実は酷い人なのではないのだろうか。
「正直返す言葉が無いや、けど実際私を会わせたのは貴方達を守るためだろうし」
「まあ、リアさんの口ぶりからお師匠さんを疑ってはなさそうなのはわかりますけど...」
「なにかあったら私が間に入るから」
というかその師匠には会えないのだろうか?
「そのお師匠さんには会えないんですか?」
本人に聞くのがいいのなら会ってみないとどうにもならない。
三人で今この世界にいるからにはもとに戻る必要は深く感じないが、理由くらいは知りたいものだ。
「次会った時にでも話はしておくよ、ただあの人探そうとするといなくなる性格してるからいつになるかはわからないけど」
「随分と難儀な師匠ですね...」
今のところ性根と頭が良くて放浪癖がある人物像しかないけど、リアさんにあえて情報渡してなさそうな所からこう...相手にすると大変な性格なんだろうなって。そんな気がする。
「本当にね。さて、そろそろ上がるよ」
そういって上がろうとするリアさん。
確かに体は温まったが、まだ少し入っていたい気もする。
「えー、まだもう少し入ってたいです」
お風呂好きの沙織は尚更の様子。
「アキラくんがまだ入ってないからね、そのあとでご飯にするからさ」
「あがります!」
「私も上がります」
「素直で結構」
ご飯に比べればこの楽園もあきらめよう。背に腹は変えられぬのだ。