15話:死闘
何が起こったのか、理解ができなかった。
視界に映る大男の目には驚愕の色が浮かんでいた。
「沙織!」
「沙織殿!」
明が叫んで助けに入ろうとする。
その手には松明用の棒きれが握られている。
ベンヌも助けに行こうとしている。
私は腰が抜けてしまって動けない。
沙織の行動に驚いていた大男も、一瞬で立ち直りナイフを握るこぶしに力を込める。
それを引き抜こうとしたのだろうか、ただそれよりも先に全力で握られた右腕を沙織が振りかぶった。
大男の左ほほにめり込んでいくこぶしがやたらゆっくりに見える。
リンゴを軽く握り潰せる沙織の全力の一撃。
いつの間に発動されたのか身体強化も入っているそれが振りぬかれると同時に、大男が文字通り吹き飛んだ。
大男が地面に叩きつけられる音と、ナイフの落ちる音がする。
「美花! 大丈夫!?」
自分の左腕を気にする様子もなくこちらの心配をする沙織。
「私は大丈夫...沙織、う、腕が」
殴った衝撃でナイフが抜かれたことで大量の血が流れているそれを見て、ドッと汗が吹き出す。
見ているこっちの血の気が引いてしまう。きっと今の私は顔面蒼白になっているのだろう。
「よかった、私は平気だから」
何が平気なものか、ナイフが貫通していたんだぞとツッコむこともできない。
沙織から差し出された右手をとり、何とか立ち上がる。
「沙織、大丈夫..じゃないよな」
明が私達と倒れた大男の間に立つ。
大男はもう立ち上がろうとしている。
「沙織殿。早く治療を」
「まだ動ける。先に二人にも強化をかけるよ」
怪我とは裏腹にどこまでも冷静な沙織。
どうしてそんなに落ち着いていられるのか。
いけない、今はそんなことはどうでもいいのだ。
状況を分析して何をするべきか考えるが最善。
既に大男は立ち上がっており、いつの間に拾ったのかナイフこちらに向けて構えを取っている。
後ろには障壁の向こうで激しく戦闘しているリアさん。
石の弾幕が障壁に当たりまくっているせいで良く見えないが、特に負けそうな雰囲気は見えない。
どのみちリアさんが負けたら私達はどうしようもないため勝つ前提で考えるしかない。
障壁はかなり固く流れ弾ではびくともしていない、こちらから向こうへも干渉できそうにもない。
そうなると目の前にいる大男の対処に集中することになる。
無理に倒す必要はない、時間さえ稼げればリアさんが助けに来てくれるかもしれない。
誰にも気づかれずに後ろに回り込んでくる手腕。先遣隊を襲えるだけの強さを持っている。
こちらは三人。数的有利ではあるが戦闘経験が無い。素の状態では到底勝てるものではないだろう。
その力量差をベンヌの支援魔法で穴埋めする。
「足止めに集中しよう」
「わかった。俺が前に出るから沙織は腕を治してくれ」
荷物からナイフを取り出し構える。
素手よりはマシなはずだ。
大男が動き出した。
明に突進しながら手に握っていた何かを投げた。
とっさに腕で顔をかばう明、投げられたのは石のようだ。
腕を下した時にはもう、大男は明の目の前まで迫っていた。
「やばっ」
明がつぶやくと同時に、ドスッっと鈍い音がした。
ここからでは良く見えないが、腹を刺されているのが想像できた。
姿勢から考えて、かなり深い。
だが明は苦悶の表情をしながらも大男の腕を掴み、その動きを封じた。
強化された明の筋力なら、大男の腕を抑えることができるらしい。
そこにすかさず飛んでいく沙織のパンチ。
しかし渾身の一撃はあたる直前で避けられる。
大男が体を縮めしゃがみ込んだのだ。そして沙織の攻撃をよけると同時に明を抱え上げて地面に叩きつけた。
いくら強化された筋力で拘束していようが、体重は変わらない。
勢いよく背中を打った明は意識を失ったのか動かない。
大男が明のお腹からナイフを抜こうとしていたので、咄嗟に私も突撃する。
あれを引き抜かれたら明が死ぬ。そう思い、勇気を振り絞りナイフで切りつける。
素人の攻撃ゆえに簡単によけられてしまったが、明に刺さったナイフから手を離させることに成功した。
反撃とばかりに大男が私を掴みにかかる。
掴まれたら終わり、だが不格好に突っ込んでしまった私はそれを避けることができない。
迫りくる手を見て、思わず目を瞑ろうとしたところで、またも沙織のパンチが大男にめり込んだ。
吹き飛んでいく大男。しかし今度は受け身が取れたようで、すぐに起き上がった。
沙織と大男がそのまま格闘戦に入ったので、軽く明の容体を確認する。
一目見てわかる重症、だが幸い息はある。
まだナイフが刺さっているためか、見た目には大量出血はしていない。
もしナイフを抜かれていたら、数分の命だっただろう。
「ベンヌ! この傷治せる?」
「今は無理じゃ! 沙織殿の意思がないと我には止血が精々じゃ!」
ベンヌが独自で使える魔法にはかなりの制限があるようだ。
だが止血できるならすぐに死ぬことはない...はず。
少なくともこの状況では充分。
「なら止血しておいて! 私は沙織に加勢してくる」
「心得た」
明をベンヌに任せて私はどうするべきかを考える。
沙織の状況は...若干不利といった所。
大男は無駄なく沙織の攻撃を避けて、時に受け流していたりするのに対し、
沙織はいくつか浅い傷ができている。
沙織の攻撃は大男に有効打となるが、当たっていない。
障翳を張れれば有利になるのではとも思ったが、ベンヌに明を任せてしまった。
それに加え、既に暗視と肉体強化3人分を発動している状態だ。これ以上魔術を同時に使えるのか私にはわからない。
大男と不利な戦いを続けてる沙織にその判断をする余裕は無いだろう。声をかけることすらリスクだ。
私が、隙を作らないといけない。
どうする?
考えろ...
大男のやっていたように石を投げる? いや誤射のリスクがある。体当たりを仕掛ける?
いなされて逆に利用される可能性がある。そもそもこの暗闇の中大男はなぜこうも十全に動けている?
私達のような暗視魔法をかけている?だとしたらあの悪魔というやつのもの?戦闘に特化している悪魔の暗視魔法は
ベンヌのソレと同性能なのか?もしかしたらもっと性能が低い、それこそ光を増幅させるためだけの魔法の可能性がある。
急な光を出すことで目をくらませることができないか?いや、そんな道具はない、そんな魔法も使えない。
効果がある可能性はあっても手段が無い。どうする?手詰まりだ。
けどこの調子のまま沙織が勝てるとは思えない、大男より動きに無駄の多い沙織は攻撃を当てるよりも先に痛いのをもらってしまうだろう。
私が動かないといけない。ただあるのはリスクのある手段だけ...。
時間を稼ぐにしても、気を失った明をかばいながら戦うのは無理だ。
いまここで攻めなければ...。
もうリスクは許容するしかない。
単純な模倣だがそれでも良い。
少しでも沙織が勝つ可能性を高くする。
左手で石を拾い、右手でナイフを握る。
走る。
丁度二人が距離を話したタイミングを見計らって突っ込む。
まずは投石、でかい体目掛けて投げつける。
大男が腕で弾く。片手を使わせた。
勢いをそのままに、両手でナイフを握りなおす。
刺突の構え、当たりやすそうな体を狙う。
大男が片方の腕で私の腕を掴む、それだけで勢いが殺され、刺すことが難しくなってしまった。
それでいい。
全力で足を動かし、その腕にぶら下がるように絡みつける。
石を弾いた手でこっちに殴りかかってくる。
痛い。
けど、離さない。
そうすれば、ほら
大男が目線を外す。
私もつられてそちらを見る。
そこには、完璧なフォームでこぶしを構えた沙織が見える。
私の体重を乗せているだけあって、大男の動きが鈍い。
とっさに防ごうとしていたが、沙織はその上から殴り飛ばす。
大男の左腕から骨の折れる鈍い音が鳴り響き体が宙を舞う。
大男が吹き飛ぶのは、これで三度目だ。
当然、大男の腕に巻きついていた私も一緒に吹っ飛ぶ。
幸いにも途中で振り落とされて少し転がる程度で済んだ。
全身痛い。打撲と擦り傷でボロボロ。殴られた場所もかなり痛い。
「美花! 大丈夫!?」
駆け付けてくれる沙織、背中から落ちたことで息が少し苦しいが、明に比べれば大した傷ではないだろう。
またも沙織に手を貸してもらい、立ち上がる。
「大丈夫、それよりあいつは...」
大男が飛んで行った方向を見る。
壁まで飛ばされた彼は、ぐったりして動かない。
立ち上がる気配はなく、よく見れば白目を向いている。
私達の勝ちだった。
...勝利の余韻に浸れるほど、私達に余裕はない。
とにかく大男が目を覚ます前に縛り上げる。
本当は止めを刺しておくべきなのだろう、だが気絶し抵抗できなくなった人にナイフを突き立てるのには勇気が足りなかった。
恨みはある。沙織も明も傷つけられた。
衝動的にやってしまえばよかった。
けど一瞬ためらってしまってから、もう手が動かなくなってしまった。
私達は殺されかけたというのに...。
縄はどう巻いていいのかわからなかったが、とにかく自由に動けないように足首を縛って体にもぐるぐると巻いておいた。
後ろ手に縛りたかったが、左腕が完全に折れ曲がっていたので断念した。
巻き終わったタイミングで、リアさんの方も戦闘が終わったらしい。
あっちは激戦だったようで、障壁のあった境目より向こうが大変なことになっていた。
地面も壁も天井もボコボコ。馬車が通れないくらいには状態が悪くなってしまった。
本格的に崩落しそうな雰囲気がある。
リアさんは障壁をとくと急いでこっちに駆けてきた。
「大丈夫!?」
リアさんは当たりを見回してから、明の方へと向かう。
丁度、一緒に大男を縛り終えた沙織が明のナイフを外そうとしていた所だった。
「意識は無いですが、止血は済んでます。今からこれを抜いて治療する所です」
「わかった...というか貴方も重症じゃない、明くんは私が見るからまずは貴方の方を優先して」
沙織は腕を止血だけしてちゃんと治していなかったらしい、よく見ると傷口がはっきりと残っていた。
リアさんは明の容体を確認してからナイフを引き抜いた。
明が苦悶の表情とうめき声を上げる。気絶していても反応するほどの痛みなのだろう。
心配ではあるが、リアさんなら大丈夫だろうと信じて任せる。
沙織はというと自分の治療を後回しにして私の怪我を治しに来ていた。
「...先に沙織の怪我を治しなさいよ」
「私よりも美花のほうが大事だもん、それに私は無駄に頑丈だから」
にへらと笑って見せる彼女は、自己犠牲をいとわない女神のように輝いて見える。
いくら私達より頑丈だといっても心配なものは心配だし、私よりも大怪我なのは間違いないのだ。
「私にとっては、私の軽い怪我なんかよりも沙織の怪我を優先してほしいんですけど」
「いいからいいから、ほらベンヌ」
「...うむ」
きっとこれ以上言っても聞かないだろう、沙織はこういうところで頑固なのだ。
沙織が魔術を発動させると、私の体に違和感が来た。
怪我のあたりがむずむずするというか、快不快でいえば不快寄りの感覚だ。
回復に伴い細胞たちが急速に再生しているからなのだろうか。
十分すぎるほど私に治療を施した後、ようやく沙織は自分の治療を始める。
「...結構いやな感覚だね」
「あまり慣れたくないね」
大きな傷の沙織はより強い不快感を感じているのだろう、ただその効果は絶大でものの数十秒で完治した。
じっくり観察してみたが傷跡にもなっていない。
「大精霊であるからな、只の精霊であれば傷跡は残ったであろう」
ベンヌも誇らしげだ、医療支援特化と言うだけあってかなり高度な再生医療を扱えるらしい。
それも自然治癒の範囲を明らかにオーバーした速度と回復性だ。現代医学がひっくり返りそう。
どういう原理なのかはさっぱりわからないが傷跡が残らなくて本当に良かった。
まだ大男が起きる様子がないことを確認してから、リアさんの所に合流する。
こちらも傷跡一つ残らず治療されたらしい。
割けた服と周囲を染める血が無ければナイフが刺さっていた事など信じられないほどだ。
リアさんも少なくともベンヌと同等の魔法が使えるらしい。
「...信じられん」
傷の処置を見たベンヌが驚愕し放心している。
自慢の治療能力と同等の物を見せられたらこうもなるだろう。
「少し内臓が危なかったけど、もう大丈夫」
「よかった...」
沙織も安心できたようで、張りつめていた息を吐いた。
「ごめん、守るって言ってたのに」
リアさんが申し訳なさそうに言って、頭を下げた。
「謝らないでください、貴方がいなければそもそも私達は今日を生きていたかすら怪しかったんです。むしろ感謝してるくらいです」
すかさず沙織がフォローに入った。
その通りだ、今生きてられるのはリアさんあってこそだ。
今回はちょっと死にかけたが、結果として無事だったのだ。
一番やばそうな敵を相手していたリアさんを攻める理由にはならない。
「そうですよ、結果としてこうして無事だったんですから」
私もリアさんの言葉にフォローを入れる。
リアさんにはお世話になっているのだ、あまり自分を攻めてほしくない。
「本当に不甲斐ないね...私の実力不足が招いた結果なのに」
ヤバい、凄い真面目だこの人。
「我には魂譲渡を受けた大悪魔に勝てる人族がいたことに驚きを隠せぬが...」
ベンヌまでもが援護している。
というかまた気になる用語が出てきたな。
...いや、今はそんなことよりもリアさんのことだ。
「リアさんは怪我は無いですか?」
「私は大丈夫。盗賊は...生かしておいたんだね。あっちの子を連れてくるから、明君を寝袋に移してあげて」
リアさんは少々落ち込んだ表情のまままた向こうに行ってしまった。