1話:記憶
暖かな日差しの差し込む机
耳に心地よい子守歌もあいまって、すぐにでも意識が飛んでしまいそうなほどに穏やかだった。
落ちる眼に抗い、遠くもなく近くもない黒板に書かれた文字を読み込みノートに摩訶不思議な線を描く。
おおよそ平和と呼ぶに相応しい行為を続けること数分、まどろみの中でもはっきりと聞こえる終わりの音で緩やかにその目を開く。
次の授業を思い出しまだ余裕があるともう一度寝心地の悪い腕に顔をうずめようとして...。
「どーん!!!」
多大なる衝撃にが体を突き抜けた。
「うわ! なに!?...はあ、沙織か、おどかさないでよお......心臓止まるかと思った」
驚きにより跳ね上がった顔を犯人に向ければ、そこには私の驚く顔を見れてご満悦な沙織がいた。
幼少期よりの幼馴染である親友は、こんな時期にたいそうお気楽らしい。
「んもう、美花ってば居眠り?めずらしいね」
今度は衝撃の理由が明確になった安心感から頭を腕に落とす。
「昨日はアレ書いてたの、進路希望。思ったよりも時間かかっちゃって」
普段はこんな醜態をさらさないが故に、つい言い訳が口から滑り出た。
気にするような間柄でもないし向こうも特に気にしていないからいいけども。
沙織は私の言葉を聞き流しながら、空いていた席から椅子を取ってきて背もたれに頭を預けた。
こういう行動一つとっても、自分と彼女は生き方が違うと思う。座ってないからって他人の席とか取れないって。
「あー、あれね。来週だっけ? 提出」
「今週」
「うそっ!?」
ガタッ...、っという椅子の悲鳴と声は周囲と私の呆れの視線を集めるには十分だった。
「もしかしなくても、その反応はやってなさそうだね」
「やってないぃ、どうしよう美花ぁ.....」
「いややりなさいよ」
狼狽する親友は助けを求める視線をこちらに向ける。
(いやあんたには他に助けてくれる人も、なんならなんとかできるだけの要領も自頭もあるでしょ。)
という突っ込みを口に出すを抑える。せっかく頼ってくれているのだ、頼られてやろうじゃないの。
優秀だが勉強ができない親友を助けてやるべく、放課後カフェに行く約束をした。
「私って、何がやりたいんだろう」
「私に聞かないで」
注文した飲み物が来るよりも先に話が終わりそうなことをいわないで欲しい。
「だってわかんないよ、急に一生をかけて何をやりたいかだなんて」
汗をかくお冷のコップを眺めつつ、私も返答に困ることを口にする。
...私だってわからないよ、世に生を受けて早18年近く。一生をかけてやりたい業界や仕事なんて決められない。
こっちはただ幼馴染二人と流されるままに生きてきた人生。ゲームやアニメは見てきたけど現実なんて見たくもない。
どうせならもうすぐやってくる修学旅行の予定を考えることに時間をかけたいくらいだ。
「美花はなんて書いたの?」
「進学、の少し情報系扱ってるところ」
「なんでそこにしたの?」
「どうせ仕事にするなら、ゲームにかかわるようなことにしたかったから」
私はゲームが好きだ、ラノベも好きだった。
創作が重視される現代において、たとえ会社を転々としても続けられそうだったから。
...でも。
「でも、本当にこれがやりたいわけじゃない」
奥から注文した飲み物を持ってくる店員が見える。
「じゃあ何がやりたいの?」
「それは....」
わからない。
進路希望に書いたことは嘘ではない。だが正しくもない。
最もやりたいこと、人生を捧げるべき事柄については未だに見つけられない。
ただ、どうせやらなきゃいけないなら...そんな、消極的な理由。
進学先できっと決められる。そんな漠然とした期待をこめて、せめて現段階で選べるやってもよいことを選択したに過ぎない。
「沙織は、なにかないの? これなら仕事でやってもいいこととか」
懐疑的な心を切り替えるために、沙織からの質問を無視して質問を投げかける。
沙織はうーん、とかわいらしいしぐさで考え込んだ。その愛らしさとコミュ力があればどこでもやっていけるよ。
「わからない」
たっぷり考えて出された答えは、やはり私と同じ答えだった。
荒れる海。先ほどまでのバカンスな空模様とは打って変わって一瞬にして立つのもやっとな状況になってしまった。
少し雲が出てきたと思ったとたんこれだった。せっかくの修学旅行が台無しである。
「美花、沙織。何かに捕まったほうがいい」
「明、そうだね...っと」
激しい揺れ、前から後ろへ突き抜けるうねりは自然の強さを物語る。
目的の島までまだ少し距離がある。視界に移る教師達は急な事態に慌ただしく動き回る。
「落ち着いて、大丈夫です。少し海が荒れているだけです。何か安定したものに捕ま....ッキャ!」
よろめき席へと倒れこむ担任と、それを支える生徒。
そして直後、船底から鈍く重い音が響いた。
それはひときわ大きな揺れを伴い、私達を襲う。
手すりをつかむ手は、少し震えている。
先ほどまでなぜか楽しげだった一部の男子の顔にも、汗が伝っている。
「し、沈むんじゃ....」
それは、誰のつぶやきだろうか。かすかに聞こえた女子生徒のか細い一言は思いのほか周囲へと伝わった。
正直、やばそうだ。
「大丈夫!きっと何とかなるよ!今はできることだけを考えよう」
皆の不安がたまったのを見計らって、右隣に座っていた沙織が励ます。
それを聞いた女子生徒達数人が、さらに周囲へと呼びかけを行う。
さらにそれを聞いた男子達数人が、同じ搭乗員の足腰が悪そうな人たちのそばへと向かっていく。
クラスの中心人物である彼女の言葉は、幾人かの心に届いたようだ。
気丈にふるまう彼女のその手は....私と同じく、震えていた。
そんな親友の手を、そっと握る。
「えへへ、ありがと」
彼女もまた、その手を握り返した。
こんな時に人を励ませるその人間性は、すごいと思う。
私にはできないけど...友達として、親友として手をつなぐくらいのことはできる。
「大丈夫だよ。それに、いざというときは明が守ってくれるしね」
私は視線を左隣へ座る青い顔をしたもう一人の親友へ送り、もう片方の手を差し伸べる。
「お、おう! い、いざというときは俺が守ってやるよ」
震えた声で、少し青い顔をして、沙織よりも震えた手で明は私の手を取った。
なんとも説得力のないものだ、さっきまで冷静でイケてるムーブをしてた彼はどこへ行ってしまったのか。
相変わらず怖がりなところは変わっていないらしい。
だがこのやり取りのおかげで少しは気が楽になれた。
きっと大丈夫。そんな漠然とした安心感を持てた。
つくづく、この二人と親友をやれていてよかったと思う。
...こんなことを思ってしまったからだろうか。
もし神がいるというのがいるなら、それはきっとフラグ回収の神かなんかだろう。
大きな横揺れ。
割れる窓ガラス。
入り込む海水と、誰かの悲鳴。
迫りくる死の恐怖の中で私ができたのは、二人の親友の手を強く握ることだけだった。
やけにゆっくりと感じる終わりを眺め。
そして...。
飲み込まれる直前で目が覚めた。