「クロッカス」と「オニユリ」
どうも。
花シリーズ第二弾となります。
ぼちぼち書いていきたいと思います。
今回は少し棘のある内容となっています。
どちらの花にも棘ないですが。
夏は想像よりも早く終わりを告げた。かすかに昼の熱が残った部屋で、窓も開けずに私はひぐらしの鳴き声を聞いていた。裕司と別れて一週間、この部屋には沈んだ空気が漂っている。変化によって何もかもが歪められてしまったかのようだ。何が変わった訳ではないはずなのに。
そのせいかどこへ行くにも気力が起きなくて、大学の研究室と買い物へ赴く他は家を出ることはなかった。目の隈もひどく、注意も散漫だ。二度、大学を休んだ。私がここまで体調を崩したのも珍しいことだ。
私の部屋は彼のくれたものばかりだ。誕生日にくれたペアのネックレスに帽子、本、ぬいぐるみ。そして花。裕司は花を贈るのが好きだった。花をあんまりくれるものだから花瓶を二つも買った。あいつは「日本人らしく遠回しに自分の気持ちを伝えるのが奥ゆかしくていいだろ」なんて言っていた。でも正直私の心には響かなかった。伝えたいことは口で言わなきゃわからないでしょう。
彼が私に最後に贈ったのはオニユリだった。タグには彼の直筆で花言葉が綴ってあった。「華麗」と「愉快」だ。前者はまだわかるが後者は私を呆れさせた。男というのは大抵鈍い、だから私の気持ちにも態度にも気付かなかったのだろう。これを受け取った私には愉快でもなんでもない。
この花を貰ったときはもう振ろうと決めた後だったけれど、いつもの習慣で飾ってしまった。花に罪はない、枯らせてしまっては可哀そうだから。
僕はいつもの癖で、仕事帰りに花屋に寄ってしまっていた。帰路に花屋があるのだから仕方がない。もう日は沈みかけていた。
振られて一週間、彼女とどうすればよりを戻せるかばかり考えていた。愚かだ。そんな方法残されていないのは分かっているのに。会社と自宅の間に彼女の家があるせいかもしれない。金曜日の帰りに花を買って彼女の家に行くことが喜びだった。
ただ徒然と店内を眺めていると、色とりどりの花の中に青いクロッカスの花が目に入った。これだ。花言葉は「愛をもう一度」だ。それ以外は思い出せない。これをプレゼントしよう。こういう形でしか僕は自分の気持ちを表すことができないのだから。花屋の店員も顔馴染みだが、また彼女にプレゼントですかと問われて僕は困った。ええ、まあそんなものですと答えておいた。
僕にはやはり彼女が必要なのだとこの短い間で気付いた。しかし遅すぎた、そんな自分に憤慨した。彼女を恨みもした。しかしそれに本物の嫌悪はなく、ただの道化的な感情だった。どこか演技じみて滑稽ですらあった。今更彼女が僕に振り向いてくれないことも簡単に想像できた。でも別れてから思い浮かぶのは、彼女が喜んで花を受け取ってくれる姿ばかりだった。初めてプレゼントしたときの顔は、今でも忘れられない。
これを贈って最後にしよう。もしこれで復縁できなかったら、僕らの関係はおしまいにしなくては。
ひぐらしは飽きずに鳴き続けていた。西日はまだまだ厳しく、部屋を悲しい色に染めている。私はさっきから身じろぎひとつせずにソファに身をゆだねていた。
突然インターホンが来客を知らせた。あいつだ、きっと。何故かあいつの来訪だけは予想が的中する。いい時も悪い時も、だ。ドアの前で私は沈黙した。
「ドアは開けないで」
開ける気は毛頭ない、よっぽどそう言ってやろうかと思った。
「あんたか。一体何の用よ。私は今更会いたくなんてない」
とぶっきらぼうにそう言った。
「わかっているさ。最後に、比奈に花を渡しに来ただけだよ」
とあいつはしおらしく小さな声で言った。
「花、花。あんたはいつもそう。私なんて見ようとしない。あんたが愛していたのは私じゃなくて花よ。自分の感情なんだから自分の口で伝えられないの。寄こした花が枯れて捨てるたびに、私は辛かった。それなのにあんたは私の気持ちも知らないで」
「そっか。臆病者でごめん。でも、これで最後だから」
「帰って。もうあんたの声なんて聴きたくない。お願いだからもう私の家に近付かないで。ここにあんたの居場所なんてないのよ」
私はそう一方的に突き放した。同時に乾いた涙と、渇いた笑いとが零れ落ちた。扉を背にうずくまり滔々と流れゆくそれらに身を任せた。今がどうであれ昔は愛していた。だから今もまだその慈しみの心が一ひら残っているみたいだ。
「ごめん。もう来ない」と細い声が聞こえてきた。それきり音はしなくなった。
すすり泣いているうちにいつのまにか日が傾き、夜が今か今かと顔を覗かせようとしていた。立ち上がってのぞき穴を見るとあいつはいなくなっている。その代りに花束が置かれていた。小さな青い花の束だ。嫌気がさしながらもそれを持って部屋に戻り、ソファに座った。ラベルにはクロッカスとある。彼のやり口は知れている。裏返すとやはり書いてあった。「愛をもう一度」と。
私は花瓶を用意しようと立ち上がった。あと一週間は立ち直れないだろう、と私は思う。空いた花瓶の隣には例のオニユリが生けてあるが、もう枯れかけてしまっている。その姿を見てオニユリのもう一つの花言葉を思い出した。
「そう、嫌悪」
あの日から三日が経った。返事が来るならせいぜい今日までだろう。僕は会社でも落ち着かなく、ふとすると彼女のことを考えていた。もし彼女とよりを戻せなかったら僕はどうなるんだろうとか、もし連絡がくるならどんな調子でくるだろう、それになんて返そうとか考えた。酷い言葉をかけられたはずなのに。
僕は終業してすぐ帰宅の途についた。居ても立っても居られなくなってしまったのだ。夕に染まろうとしている街、しかし花屋からはまだ煌々とした明かりが漏れている。店先の花は派手なものが多い気がする。とても目を引かれるものばかりだ。
花屋を過ぎ、彼女の家の前を通り過ぎる。すると、丁度彼女が外に出てきた。なにやら大きな袋を抱えている。どうやら僕にとっては見たくないものらしい。しかし彼女はそれをわかっているのか、僕に話しかけてきた。
「あら、奇遇ね。お勤めご苦労様。あんたのおかげで吹っ切れたわ」
彼女は笑顔だった。昔とは違う、不気味な雰囲気を持っていた。この上ないほど美しく見えた。
「どういう意味なの、それ」と恐る恐る聞いてみる。怖いもの見たさかもしれない。
「あんたの取り柄といったらひとつしかないじゃない。そういえば私、就職決まったわ。あんたとは二度と会わなくて済む場所。それじゃ、さよなら」
彼女はゴミ捨て場に袋を置き、意気揚々と僕の前を去っていった。僕はきっと、苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。
これで一通り片付いたはずだ。あいつが寄こしたもの全部、ゴミ袋にまとめて捨ててやった。思い出深いものも大方捨てた。いざやってしまうとせいせいする。それが私を苦しめていたと思うと憎らしい。
私の部屋に私の日常が返ってきた気がする。新しい日常も、晴れ晴れと迎え受けられるだろう。夕に染まった花瓶が窓を彩っていた。その花瓶を見て、私は渇いた微笑を浮かべた。
「あの花瓶、高かったもの」




