終末クリエイターズカフェ
「先輩。絵を辞めちゃうんですか?」
「僕はもう絵を描かない。絵描きとして生きていく自信がないんだ。底辺の生活をしていた著名な美術家もいるけど、僕にはできない。絵描きより実生活をとるよ」
僕は鉛筆を二つに折った。二度と握らないために。未練を残さないために。こうして僕の高校生活は終わった。
「はぁ。また不採用通知か。これで3ケタの大台に乗ったな。はははっ」
高校を卒業してから就職活動と不採用通知が届く日々。自宅でため息ばかり。何だか卒業してから腑抜けたかもしれない。絵を描かなくなってから何もする気が起きないというか、僕自身がぽっかりと無くなったような、覇気を失ったような気がする。
「……違う。絵を描かなくなったせいじゃない。就職できないのも僕自身のせいだ。絵は関係ない」
僕はこうして自分自身を無理やり奮い立たせた。
「ん?」
不採用通知の山の中から覚えのない封筒を発見した。
「終末クリエイターズカフェ?聞いたことないぞ」
……百社以上の会社に履歴書を手あたり次第、送ったため、覚えていないだけかもしれない。とりあえず中身を確認してみよう。
「さ、採用だって?」
封筒の中に採用通知が入っていた。
「……連絡してみるか」
僕は身に覚えのない会社に連絡することにした。終末クリエイターズカフェへ。
「……ちゃん。兄ちゃん。兄ちゃん」
「……?」
誰かの声がした。
「ッ!」
僕は慌てて上半身を起き上がらせた。異変を感じて眠っていた意識が一気に覚醒する。
「大丈夫か?兄ちゃん。何故こんなところで倒れているんだ?」
僕は周りを見渡してみた。見たことのない場所だった。白い内装の機械チックな廊下。左右に扉のようなものがいくつか並んでいた。よくSF映画に出てくるような近代的な扉だ。僕は何故こんな場所にいるんだ?
「兄ちゃん。新しいスタッフさんか?受付まで案内してやろうか?」
起こしてくれたのは盆栽を持っているおじいさん。僕はこの状況にちんぷんかんぷんだったが、考えていても答えは見つからない。このおじいさんの言う通り、まず受付に行ってみることにした。
「はぁい。終末クリエイターズカフェ受付でぇす」
ポインポイーン。
「須辰さんや。この子が廊下で倒れておったんじゃが知っているか?」
ポインポイーン。
「あらあら。えっと、今日からウチで働いてくれる筆代スミキ君だっけ?」
ポインポイーン。
「あ、ボクジュです。筆代墨樹」
ポインポイーン。
「あらあら。ごめんなさいね。漢字難しくて」
ポインポイーン。くっ!目の前で跳ねる大きな胸が気になって仕方がない。異常事態だというのに。
「あたしは終末クリエイターズカフェの受付をしている須辰 富美、スタツフミよ。よろしくね」
大きな胸が特徴的な女性だった。ここはネットカフェのような空間で、倒れていた廊下は個室の通路のようだ。
「エルちゃん。筆代君の相手をしててもらえる?まずはお客様からよ」
須辰さんは先ほどのおじいさんと話をし始めた。代わりに、受付の共有スペースで紅茶を飲んでいた女の子が僕の目の前に来た。
「あわ、私は阿市華 エル、アイチカエルと言います。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
深く深く頭を下げて挨拶をしてくれる。お辞儀というより前屈だな。阿市華さんはベレー帽をかぶり、セーラー服にエプロンという変わった格好をしていた。エプロンには黒いシミや細かいスクリーントーンの切れ端が見えたので、この子は漫画描きだと直感でわかった。
「筆代さんは新しいスタッフさんなんですか?」
「え?そ、そうみたい。どうやって来たのか、わからないけどね」
阿市華さんはクスクスと笑う。冗談ではないんだけど。
「ここは終末クリエイターズカフェ?って言うのかな。どんなところなんだろう?」
「終末クリエイターズカフェは終末、つまり死ぬまでここでクリエイトするためのカフェですよ」
「え?えぇ?し、死ぬまで?」
聞き違いかと思った。
「はい。命をかけて創造するクリエイターの集まりなのですよ、ここは。私もその一人です」
……この子の誇大表現だろうか?死ぬまでとか冗談にしか聞こえない。適当に聞き流すことにした。
「エルちゃんや」
盆栽おじいさんが阿市華さんに話しかける。須辰さんとの話は終わったようだ。
「ようやく婆さんに捧げる盆栽が完成したぞい。わし渾身の一品じゃ。これで心置きなく逝けそうじゃ」
「入魂お疲れ様でした。盆田おじいちゃん」
「じゃがエルちゃんを置いておくのは少々心配じゃな。そこの兄ちゃん。ここで新しく働くんじゃろ?ならエルちゃんのこと嫁にもろうてくれんか?盆田才蔵、最期のお願いじゃ!」
「ぼ、盆田おじいちゃん!いきなり何言ってるの!筆代さん困ってるじゃないですか!」
盆田おじいさんは僕の手をしっかり掴んで離さなかった。唐突にこんなこと言われても困ってしまう。阿市華さんも顔を真っ赤にしてオロオロしていた。
「あ、あぁ。あぁ。急にこんなこと言われても困るわな。じゃがエルちゃんのことくれぐれもよろしく頼むぞ、兄ちゃん」
ようやく手を離してくれた盆田おじいさん。愛想笑いしかできない僕だった。
「さて。老いぼれはそろそろ退散しようかの。エルちゃん。グッドラーック!じゃ」
「グッドラック!盆田おじいちゃん」
二人して親指を立てている。何故そこで英語?というツッコミを我慢しつつ、盆田おじいさんが去っていくのを僕たちは見送った。
「えっと筆代……えっと、スミ?キ?君だっけ」
「ボクジュです。墨樹」
「あーそうだったね。ごめんなさい。そして終末クリエイターズカフェへようこそ。改めてよろしくね」
と僕たちは握手を交わす。ポインポイーン。やはり大きな胸に目が行ってしまうのは男のサガだ。
「コホン。我々終末クリエイターズカフェスタッフは最高の環境でクリエイターたちを支援し……えっと何だっけ。とにかくお客様に気持ち良くクリエイトしてもらうために全力を尽くすお仕事です。はい、何か質問はありますか?筆代……えっと、ス?」
「ボクジュです。質問があります。終末というのはどういう意味なんですか?」
「はい、良い質問ですね。ス……じゃなかった。ボッキ君!」
「ボクジュです」
「そうだったわね。終末とは死ぬまでということです。盆田才蔵さんもその一人で、今しがた最期の作品を納品しにきたところなのですよ」
「そうなんですか。盆田おじいさんはこの後どうするんですか?部屋に戻ったみたいですけど」
「もちろん最期を迎えるんです」
……僕は嫌な予感がして全身に寒気が走る。冗談だと思っていたのにそうは聞こえなかった。本当に死ぬつもりなのか?僕は盆田おじいさんを追いかけた。ゴーゴーという音と振動が鳴る部屋を発見。僕はその部屋の覗き窓から中の様子を見た。
「うわあああああああああああああぁーッ!」
中には盆田おじいさんが倒れていた。口元からは血が流れていた。し、信じらない!
「ど、どうしたの?大声出して」
須辰さんと阿市華さんが追ってきてくれた。
「ぼ、盆田おじいさんが倒れていますよ!た、大変だ!は、早くた、たた助けないと!」
「待って。その部屋はすでにガスで充満してるから開けてはダメ」
「って、なおさら早く換気しないと危ないじゃないですか!」
「あの筆代さん?盆田おじいちゃんは終末を迎えているのですよ?邪魔をしてはいけません」
阿市華さんはそう言った。
「何を言っているんだ!このままじゃあ本当に死んでしまうじゃないか!」
「スミキ君。これは終末クリエイターズカフェの契約だし、それを承知でみんなクリエイトしてるのよ」
「ボクジュです。いや、今はそれどころじゃない。そんなバカな。おかしいでしょ。このままだと本当に死んでしまう……ッ!」
ガゴガゴガゴッ!ゴゴゴゴゴッと大きな音がなる。盆田おじいさんのいた部屋が動き出し、部屋ごとどこかへ消えてしまった。下にレールが敷かれており、代わりに空きスペースを塞ぐように壁が運ばれてきた。あっという間の出来事に僕はへたれこんだ。
「……な、なんだよこれは。どうなってるんだよ」
「大丈夫ですか?」
「な、なんで人が死んでいるのにそんなに冷静でいられるんだ?この状況がわかっているの?」
「んー。でもみなさん自ら望んでこのカフェに来てますから。私もその覚悟は出来ています」
「何言ってるんだよ!絶対おかしい!死ぬなんて間違ってる!自殺が許されるわけがないじゃないか!」
「人は自由です。生きる自由があるなら、自ら死ぬのもまた自由。盆田おじいちゃんは最期の作品を納品し、納得して死んでいったのです。それで良いと私は思いますし、むしろ羨ましいくらいです」
「いや、だから……うぅっ」
もう片方の肩に須辰さんの手が乗せられた。
「一般論としてスキミ君の言うことが正しいし、私もそう思う。でも一般論が通じるのは一般人だけよ」
ポンポンと二回肩を叩かれる。話はこれで終わりと言わんばかりに。僕自身納得していないが、非一般論を前に動揺してしまい、口を噤んでしまった。
「それじゃあエルちゃんにスメッキ君を施設案内をお願いしようかな?」
うんうんと頷きながら須辰さんが話を切り替えるためにそう提案した。
「えっ?わわ、私がですか?」
「スランプ中だし、良い気分転換になるでしょ?お姉さんナイスアイディアー」
「私は良いのですけど、ご迷惑なのでは?」
「……」
「ほら。スミキ君も可愛い女の子に案内してもらえて喜んでるみたいだし」
「私にはそう見えませんけど」
「こら!スミキ君。お仕事の時間ですよ!」
「うわわっ!」
急に僕の目の前にたわわなオッパイが飛び込んできた。へたれこむ僕の両肩を掴んでくれたのだが、ちょうど俯く視線の高さに大きな胸しか映らなかったので驚いた。
「さぁスミキ君!元気出して仕事始めよう!」
強制的に考えを中断させられた。思うところはあったが、素直に従うことにした。
施設内はクリエイターたちがクリエイトする工房と呼ばれる個室。食事のための受付前共有スペース。リラックスルーム。浴場にプールにコンサート会場なんて部屋もあり、かなり充実していた。
「次はクリエイターさんたちを何人か紹介しますね」
僕たちは工房前の通路へやってきた。今も一つ抜けたスペースがなんだか物悲しい。
「まずは王都 真知、オートマチさんです」
工房の呼び鈴を鳴らすと、白衣を来た女性が出てきた。瓶底メガネで化粧っ気のない、いかにも研究者という雰囲気だ。
「やぁやぁ。キミが新人スタッフ君か。私はロボット心理構築を研究している。端的に言えば人工知能さ……って、何かテンション低いな?何かあったのかい?」
「えぇ。実はかくかくしかじかで……」
「なるほどね。それでショックを受けたのかい。なら良い方法がある。新人君、よく見ておけよ」
すると王都さんは阿市華さんの背後に忍び寄る。
「……って!うわっうわわぁあああああああぁーッ!な、何するですかーッ!」
「きひひっおっぱい大きくなったかい?」
王都さんはもみもみもみみーっと阿市華さんの胸の大きさや重さを測るように撫でる。
「ふむふむ。76cmと。新人君、どうかね?これくらいのおっぱいは好きかい?足りないならキミが直に揉んで大きくしてやってくれ」
「うわ、うわうわうわうわーッ!な、何を言ってるんですか!真知さん!」
唖然としてしまう僕。その間も顔を真っ赤にして王都に抗議する阿市華さんだった。
「愉快痛快奇々怪々。やっぱり元気の源はエロ。新人君の視線はエルのおっぱいに釘付けだな」
「うわーうわーうわーっ」
阿市華さんは恥ずかしさのあまり胸を隠してうずくまってしまった。僕はそんなつもりじゃなかったんだけど。
「ふむ。新人君は受付嬢のようにドデカ盛りおっぱいのほうが好みだったかな?」
「んぎゃっ!ふ筆代さんもやややっぱり大きい胸のほうが好きなんですか?ガガ-ン」
真っ赤だった阿市華さんの真っ赤だった顔が今度は青ざめてしまった。
「プッ。あははははっ」
「おお。新人君が笑った」
「えぐぐっ、何で笑っているんですか?筆代さん」
「あーごめんね。なんだか元気出た気がするよ」
「そうかい、それは良かった。これから新人君にはお世話になるんだし、シケたテンションで居られるとこっちまでロー入っちゃうしさ。じゃあ改めてよろしく」
僕たちは握手を交わした。
「お近づきのしるしに良い物をあげよう。私が開発したおたすけ判断くんだ。人工知能を作る上で人間はどう判断するのか?のメカニズムをモデルにしたおもちゃさ」
王都さんは僕に卵型の機械を渡してくれた。中央に液晶モニターがあり、その中には天秤が映っていた。
「人間はどう判断するのか?まず天秤を想像してみてくれ。例えば私の話を聞くかどうか判断するとしよう。Aの皿には聞く。Bの皿には聞かないという選択肢を用意する。そして判断材料にキミが持つ情報・記憶・体験談などを重りとして皿に乗せていくわけだ。キミがロボットにロマンを感じるならAの皿に。はたまた機械が苦手ならばBの皿に重りを乗せていくんだ。
最終的に重いほうの判断が選ばれる。今キミは私の話を聞いてくれているな?なら、その行動を決定したのはこのような心理作用があったと考えられる。
ただ、頭で理解していても判断できないときが来るだろう。そのときはおたすけ判断くんに判断を委ねてみると良い。きっとキミの助けになると思うよ」
判断ができないとき……か。
「ちなみに私は死ぬつもりはないから安心しろ。フル人生使ってもロボット心理構築なんて完成しないからな。それじゃあ私は研究に戻るよ。グッドラーック」
そう言って王都さんは工房に戻っていった。死ぬつもりはない。その言葉に僕は少し安心した。みんながみんな死ぬつもりじゃないんだと。
「そういう人もいますね。それが良いか悪いかは置いておいて」
それから何人かのクリエイターと出会う。ギターを持ったイケメンバンドマン。
♪~ キミは僕に好きだと言ってくれたね~
♪~ だけどキミすぐに他の男を好きになった~
♪~ あれは午後のお遊戯会のかけっこのとき~
♪~ もも組のケンちゃんが一番になったから~
♪~ 足が速いとモテるよね~そう思った五歳の夏~
「……五歳って何だよ!かけっこで一番って何だよ!確かに足が速いだけでモテるよね!その時期はさ!」
園児大好きZOOさん。
「美しき異端であれ!B反!B反!」と叫びながら、ダメージジーンズみたいなダメージ着物を作る肝乃 美衣反、キモノビイタンさん。
変形カツラを開発するカブラーニャ・テルテルさん。このカツラはなんとボタン一つでプロペラが飛び出し、勝手に飛んでいくのだ!僕はいらない機能だと思うけど。
その後もクリエイターに出会ったがみんな楽しそうだった。終末を迎える者とは思えないほどに。
ピリリリ。ピリリリン。須辰さんから内線電話で、すぐに戻ってくるようにとのこと。僕たちはすぐに共有スペースに戻った。
「あー戻ってきた。デート中にごめんね」
「デ、デデデデート?ち、違いますよ!……多分」
わかりやすい反応をする阿市華さん。
「スミ君には私と交代制で受付業務をやってもらおうと思っているの。クリエイターたちは不規則な生活をしてるからいつ何時こうした呼び出しがあるか、わからないから気を付けてね。早速お客様の相手してみて」
受付には須辰さんの他にもう一人の背の高い黒ずくめの男がいた。
「私は九里歌 絵四里、クリカエシリ。占い研究をやっている。新人スタッフの人か?」
「は、はい。よろしくお願いします」
「んにぬにぬにぬ……パパイヤ!わかりました。今日のごはんはカレーでしょう」
……僕は目を丸くする。急に唸ったと思ったら、何を言い出すのやら。
「……えっとスミ君。絵四里ちゃんは食事をしたいらしいの。大変だろうけど慣れてね。変わった人が多いから」
「……は、はい」
それは工房案内されたときに感じていた。それはともかく僕は受付奥のキッチンからカレーを用意する。どうやら決まって金曜日はカレーらしい。不規則な生活のクリエイターたちのために、海軍仕様とのこと。
「先ほどは失礼した。私は占いを信じていないのだ」
「そうなんですか……ええええええええええぇーッ!」
聞き流すところだったが、あまりも衝撃発言で僕は大声を上げてしまった。占いの研究をしているのに信じていないなんて。いやそれ以前にさっき占っていたような?
「新人君に真実の見つけ方を教えよう。それは疑ってみることだ。疑っても疑っても覆せないもの。それが真実だ。心に留めておくと良い。だから私は占いを疑い続けている」
「はぁ……」
「……ウェッホゴヘェッ!ゴボッ!ゴァアアアアアアアアアァー!」
「す、すみません!カレーが辛かったですか?」
「九里歌さん。水です」
「す、すまない。阿市華君。ゴクゴクゴクッゴボアアアアアアアァーッ」
九里歌さんは水を飲み干す。
「グェエエエエエエホッゴホッ!……ところで新人君は何かクリエイティブなことをしてなかったか?阿市華君と同じ星の導きを感じたのだが」
「え?え?どういうことですか?九里歌さん」
横から阿市華さんが食い付く。さすが女の子。占いに敏感な反応。
「うむ。私が開発した辛口カレーでヒーヒー占いによると何だか二人からはスパイシーな香りがするのだ」
……ズバリ当たっていた。当たっていたのだが、辛口カレー占いという胡散臭さがバカっぽさを引き立てている。そもそもスパイシーな香りってカレー食べてるからだろ?というツッコミはグッと我慢した。
僕の過去なんて隠す必要もないだろうと思い、軽い気持ちで絵を描いていたことを打ち明けた。
「な、なんと!これでカレー占いの信憑性が増した。運命的中率30%に修正しよう」
意外と低かった。
「阿市華君。キミに与えた占いを覚えているか?」
「はい。待ち人来たり。暗雲に光差し込み。でしたよね。あ!もしかして!」
「きっと彼のことだろう」
そんな会話に目の色を輝かせていたのは阿市華さん。少々興奮気味だが、僕としては困惑してしまう。
「ちなみにどんな占いをしたんですか?」
「リサイクルおみくじだ。使用済みおみくじを再シャッフルして引くのだ」
すごく罰当たりな感じがします。
それから僕は終末クリエイターズカフェで正式に働くことになった。運命的な出会いを感じてしまった阿市華さんの強い勧めもあって。
阿市華さんとは絵の話をするようになった。一度は捨てた絵なのだけれど、阿市華さんが描く少女漫画というジャンルに興味が沸いた。いや、単純に阿市華さんの描く漫画が面白かった。
特に地味系女子の主人公が超人気アイドルの同級生と身体が入れ替わるストーリー。アイドル生活に一変して華やかになり、元の地味だった自分の身体もアイドルによってオシャレにキレイに変わっていく様は見ていて気持ちの良い。こちらの変身願望を刺激してくれる。最終的には元に戻るのだが、この体験のおかげで主人公も地味系女子から生まれ変わっていくハッピーエンド。
ただ僕は楽しく読ませてもらったのだが、阿市華さん曰くこの作品は失敗作だという。その理由は背景や小物のデッサン絵に納得していないようだった。漫画は物語以上に絵で語る作品だ。スランプの原因もその辺りにあるみたいだ。
「自分でもわかっているんです。重要な場面なのに、私が描くとスカスカになってしまうんです。このままでは一生完成させられません」
そう言って阿市華さんは肩を落とす。僕はそのことで思うところがあった。もし漫画が完成しなければ阿市華さんはこのまま死ななくて済むのでは?と。
僕は阿市華さんの絵についての相談に何も答えなかった。
そんなある日。見たことのないおじさんが食堂で酒を飲んでいた。クリエイターの方だろうか?引きこもり型のクリエイターもいるので未だ出会ったことのない人もいるのは事実だった。とりあえず挨拶はしておく。
「受付嬢はいるか?」
おじさんはそう言った。
「交代制なので、今は寝ていると思います。起こしてきましょうか?」
「いや良い。酒を楽しみながら待つとしよう。これが最期の晩酌だからな」
僕はその言葉にピンと来た。この人も終末を迎えようとするクリエイターなのだと。このままでは死んでしまうと思った僕は考えを改めるように命を大切にするようにと説得を試みた。
「作品ごときで死ぬなんて、バカなマネはやめてください……あひょーーん」
音もなく超接近してきたおじさんは勢いの付いた左ストレート。僕は数秒間の宇宙遊泳を楽しんだ後、そのまま意識を失ってしまった。
……ここはどこだろう。僕は薄っすらと目を覚ます。とても良い香りがする。周りがお花畑みたいだ。僕は何故こんな場所にいるんだろう?と疑問に思いつつ、周囲を観察してみる。ちらほらと白い人影が見えた。みんなどこかへ向かっている。
「最近白い着物を着るのが流行っているのかな?みんなそういう格好をしているんだが」
とりあえず、僕もみんなと同じ方向へ進んでみることにした。数分も歩けば川に到着した。みんな列になり、船に乗って川を渡っていく。僕も急いで列に並んだ。
「待ちなさーいッ!」
チャララララーチャララララーッ♪と軽快なバックミュージックが響く。戦隊ヒーローのようなテーマ曲に合わせて奇抜なコスチュームの男が立ちはだかる。
「ッ!な、何だお前は!」
「天国極楽来てみて地獄!三途の川の渡し舟!船乗リンダーとは俺のことよ!」
シャキーン!という効果音が聞こえてきそうな戦隊ポーズを決める船乗リンダー。
「お前にこの川を渡る資格は無い!下界に帰るが良い!船乗リンダァーキーック!」
「あひょーんっ」
僕は船乗リンダーの飛び蹴りを喰らい、再び宇宙遊泳を味わった。世界が暗転する。
「……ぶですか?大丈夫ですか?筆代さーん!」
「んがっゲホゲホッ」
「あ!筆代さんが生き返りましたよ。良かった!良かったです!」
「イテテッ。船乗リンダーめ!蹴られた頭が痛い」
「ふな……へ?」
どうやら僕は現世に戻ってきたようだ。倒れていた僕を心配そうに阿市華さん、須辰さん、見知らぬおじさんと介抱してくれていた。
「悪りぃな。兄ちゃんがつまんねーこと言うからついカッとなって」
「こちら、出嘉 烏賊雄、デカイカオさん。元刑事の人よ」
思い出した!僕はこのおじさんに殴られたんだっけ。
「おじさん!いや、出嘉さん!死ぬなんてバカなマネはやめてください!」
「……兄ちゃんは何もわかっていないようだな。終末クリエイターってのは作品に入魂することで生き続けられるのさ。その作品に魂を宿してな」
「何をワケのわからないことを!死ぬなんて間違っている!考え直してください」
「止めてくれるな、兄ちゃん。俺の人生なんて後悔しか残ってねぇ。後悔の塊さ。てめぇの幕引きくらい自分で付けるさ」
「出嘉さ……ぐっ!」
頭に痛みが響く。僕は出嘉さんが手を振って去っていく後ろ姿を追いかけることができなかった。
「なんで。なんでこんな、ことに……」
「出嘉さんはある死刑判決が出た事件の告発本を書いたの。証拠品の捏造・隠蔽。暴行による容疑者へ自白。マシコミを利用した社会的影響の拡大。強行判決。冤罪の可能性が高い事件。自分が深く関わっていたのにそれを正すことが出来なかった。そんな後悔の思いをこの本に残したの」
「そんな本を完成させたからって死ぬ必要なんてないじゃないですか」
「それは違うわ。完成させる覚悟を、それだけの魂を込めなければこの本を完成させることができなかった。そこまでしなければ出嘉さんが書くべき本は完成しなかったし、こんな告発本を世間に出せば無事では済まされないでしょうね」
「……」
「筆代さん。花火って火を付けなれば咲かないんです」
阿市華さんは悲しそうな目でそう言った。
出嘉さんの死から数時間が過ぎた。僕はあれから自室でずっと考えていた。やっぱりおかしいよ。死んでしまうなんて。
僕は身体を起こす。意を決して行動を起こす。阿市華さんを呼び出し、僕は自分の考えをぶつけた。
「ここから逃げよう!」
阿市華さんはギョッとする。当たり前だろう。突然こんなことを言われたら。だけど、僕は阿市華さんが心配だった。きっと作品を完成させれば死んでしまうだろう。
はっきり言ってそこまでする理由を僕は全く理解できない。死ぬ必要がどこにあるのか?死ななくても作品なんていくらでも完成させられるはずだ。わざわざその一作品のために命をかけるなんてバカだと僕は阿市華さんに訴えた。
「私はそうは思いません」
「なっ……!」
僕は言葉に詰まる。そんなバカな。そんな返事が帰ってくるなんて思っていなかったから面食らった。
「百年成さずに生きるより、十年それを成すためだけに生きる濃密な人生。私なら後者を選びます」
「僕は阿市華さんに死んでほしくないんだ」
「ありがとうございます」
阿市華さんはそう言い残すと去っていった。僕はかける言葉を失っていた。
「……」
僕は自室で再びベッドで横になっていた。僕は阿市華さんの強い決意に何も言えなかった。この決意をどうこうすることはできないのだろうか。どうしてなんだ。何故わかってくれないんだ。あれから僕は悩み続けていた。僕の感覚がおかしいのか?死ぬのが当たり前なのか?
「ピィーーーーッ!」
「うわわわっ!なんだなんだ?」
部屋から妙な機械音が響いて僕は飛び起きてしまった。
「おたすけ判断くん、起動しました!判断してほしいお悩みを入力してください」
何かと思えば、王都さんからもらったおたすけ判断くんが何かの拍子で起動したようだ。すっかり忘れていた。せっかくなのでおたすけ判断くんに相談してみた。
「ピィーっ。音声入力完了。漫画描きを止めさせる皿と応援する皿の天秤が作られました。次に各皿に乗せる判断材料を入力してください」
判断材料。僕は思い付くままに入力していった。一般的な考え方、ここに暮らす人たちの考え方、そして僕自身の素直な考え方。それらが重りとして天秤の皿に乗っていく。最終的に死んでしまうという重りが乗った途端、ドシンと天秤は大きく傾いた。
「おたすけ判断くんの結果は止めさせるべきです」
当然の結果だと思う。だが僕に阿市華さんを止めることができるのだろうか。
それから数ヶ月が過ぎた。結論から言えば、僕は今、阿市華さんの原稿アシスタントをやっていた。自分でもどうしてこうなったのかわからなかった。
「あら?いらっしゃい。ボッキー君」
「せめてスミキにしてくださいよ。須辰さん」
「?」
僕は食事を取りに共有スペースまでやってきた。そこには須辰さんがいた。
「エルちゃんはどうしてる?」
「今日も机に向かって黙々とペンを走らせてますが、まだスランプからは脱却できてませんね。んがー!と叫んでますよ」
「そっかー。心配だね。はい、お待たせ。いつものラードバーガーとハイテンションドリンクよ」
終末クリエイターズカフェでの定番メニュー。健康被害が確実に出そうな食事だが、三日三晩飲まず食わず眠らずで創作できる素晴らしい食べ物だ。僕もそんな生活サイクルに慣れてしまっていた。
「それにしてもスミキ君がクリエイターズになるとはね。わからないものね」
「僕にもわかりませんよ。どうしてでしょうね」
「ふふっ。きっとバカな人ほど愛したくなっちゃうのよ。私の好きだった人も終末クリエイターズになっちゃったの。刀鍛冶として」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。彼が残してくれたものはこの守り刀だけだったなぁ」
須辰さんは短刀を僕に見せてくれた。その刀身はまるで宝石のように吸い込まれるほどに輝いていた。お高そうだ。
「彼が命をかけて作りたかったものがこれだったなんてね。本当にバカだと思うわ。本当に愛すべきバカだったと」
須辰さんは短刀を見つめながら優しそうに微笑んでいた。
「さて僕はそろそろ仕事場に戻ります。ごちそうさまでした」
「はい。がんばってね」
僕が阿市華さんの手伝いをすることは正しい判断なのか、わからない。だけど命をかけてがんばっている人を純粋に応援したい気持ちはあった。
阿市華さんに言ってあげよう。スランプは節目の時期で竹は節目があるから丈夫で強くなるんだよってね。