はたちの君へ~いろはさんへの誕生日ギフト小説~
いろはさんへの誕生日ギフト小説です。
日付が変わって三連休が始まった。始まったばかりだけれど、まだ昨日が終わっていない。いろはにとって、今はまだ金曜日の夜。
「は~…」
思わずため息が漏れる。
特別な日の始まりはいつものように原稿用紙とにらめっこ。書いては丸めてくずかごへ放り投げる。アイディアが出てこない。連休明けの締め切りが恨めしい。
日付が変わった瞬間からメールの着信を知らせるメロディが鳴りっぱなしだ。その都度内容を確認して、返信する。こんなことをしている場合じゃないのに…。でも、せっかくメールをしてくれた人の好意には少しでも早く応えてあげたいと思う。
「やーめた!」
いろははペンを置いて原稿用紙をしまった。この日のために用意しておいた缶ビールを冷蔵庫から取り出した。そして、プルトップに手を掛けた瞬間、インターホンのチャイムが鳴った。モニターに映っているのは出版社の担当だった。いろはは玄関のドアを開けた。
「どうしたんですか?日下部さん。締め切りは休み明けのはずですけど…」
担当の日下部はにっこり笑って後ろ手に隠していたものをいろはの前に掲げて見せた。それはシャンパンと色とりどりのガーベラの花束だった。
「いろは先生、ハッピーバースデー!」
いろはは手にしていたビールの缶をそっと後ろに隠した。
「あ、ありがとうございます…」
「どうしたの?うれしくないの?あっ、ごめん!もしかして、お邪魔だったかな?」
そう言うと、日下部はシャンパンと花束を玄関に置くと、慌ててドアを閉めた。いろはがあまりにも戸惑った表情したものだから、日下部は勝手に思い違いをしたのだった。
ガーベラは季節感漂う秋の花。黄色やオレンジ、赤や白など花の色が多いので華やかなイメージがあり、その花言葉は『希望』『前進』などがある。
シャンパンはテタンジェのコント・ド・シャンパーニュ ロゼ。
ただ、驚いてしまっただけ。うれしくないはずがない。いろははすぐに日下部を呼び止めようとドアを開けた。突き当りのエレベーターの階数表示ランプが7、6、5と変わっていく。いろはは部屋に戻って携帯電話を手に取った。迷わず、日下部の名前を呼び出して通話ボタンをプッシュした。
『おかけになった番号は現在電波の届かない場所に…』
「うわあ!エレベーターか」
けれど、いろははそのまま通話ボタンを押し続けた。数回繰り返すと電話がつながった。
『あれ?いろは先生?』
「日下部さん、戻って来て!」
『えっ?いいんですか?』
いろはは電話を切って部屋を見渡し焦った。部屋中に丸まった原稿が散乱している。片付けようとした瞬間、チャイムが鳴った。
「作家らしいお部屋です」
原稿が散乱した部屋を目の当たりにした日下部が言った。
「なんだか恥ずかしいわ」
「ガーベラの花言葉を知っていますか?」
「確か、希望とか前進とかだったかしら」
「その通りです。そのくずかごには僕の希望が詰まってます」
「日下部さんの?」
「そうです!僕がいろは先生の担当になった時から、いろは先生はその丸めた原稿の量だけ前進してきたじゃないですか!」
「それは日下部さんが我慢強く私のワガママを聞いてくれたから…」
「ワガママなんていくらでも聞きます。それが僕の仕事ですから」
そう言うと日下部はシャンパンの栓を抜いた。グラスに注がれた淡いピンク色の液体は細微な気泡を漂わせ輝いていた。日下部が先にグラスを掲げた。いろはもそれに従った。
「改めて、ハッピーバースデー!いろは先生、二十歳の誕生日おめでとうございます」
「日下部さんったら、なんだか照れるわね…」
日下部はシャンパンを一杯だけ飲み終えるといろはの部屋を後にした。帰りしなに「締切は守って下さいよ」そう言ってウインクをした。いろはも自分のグラスに残ったシャンパンを飲み干すと、再び机に向かった。
「初めて飲むお酒が一人ぼっちの缶ビールじゃなくてよかった」
そう呟いてペンを握った。握ったけれど、意気込みとは裏腹に瞼は次第に重たくなった。
「今日くらいサボっても罰は当たらないかな…」
柔らかな秋の日差しが窓から差し込んでいる。いろはは体を起こすと両手を思いっ切り伸ばして背伸びをした。窓を開けると冷たいけれど、爽やかな空気が部屋中にあふれてきた。いろははパーカーを羽織ると財布と携帯だけ手に取って部屋を出た。
「ん?」
エントランス脇の駐車スペースに日下部の車が停まっていた。いろはは運転席の窓ガラスをノックした。
「あ、おはようございます」
「こんなところで何してるんですか?」
「いやあ、お酒を飲んで運転は出来ないでしょう…」
「じゃあ、一晩ここで?」
「ええ、まあ…」
照れくさそうな日下部の表情がなんだか可笑しくて、いろはは笑ってしまった。
「ちょうどよかった。近くに評判のパン屋さんがあるの。よかったら、一緒に買いに行きましょう。シャンパンのお礼にコーヒーくらい淹れてあげるわよ」
まるで、新婚の夫婦のように二人は腕を組んで歩き出した。
いろはさん、誕生日おめでとうございます!