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本当のあなたは

「翠蓮殿。貴方にひとつ、頼み事を聞いて頂きたい。返答次第で、成立の有無を決めたいと思います」


「頼み事、ですか?」

「はい、簡単なものです」

 何を言い出すのか、見当がつかない。でも、聞かなければ、先に進めない。

「聞かせてください」

「ありがとうございます」

 コウ殿は、心の中を覗かせてはくれない。隠すのがうまいのだろう。そして慣れているのだろう。それゆえに、突然の変化に驚いた。


今まで軟らかい空気を纏っていたコウ殿から、その空気が消えた。微笑みすらも見られない。威圧感が襲ってくる。私を見るその瞳が、一瞬獣の瞳に見えた気がした。

 白から黒へ豹変した。そういう例えが似合っているかもしれない。

「貴方には、しばらくここに滞在してもらいたい」

 言葉では頼んでいるのだが、声や態度、視線では、断ることを許さないと言っている。命令されているみたいだ。

「理由を聞かせて下さい」

「貴方が美しいからです」

 即答。

 耳を疑った。うつくしい……?

 今の私の格好は、とても美しいと言えるものではない。着飾っているわけでもないし、むしろ、小汚い、と言った方が似合っている。数日、ずっと歩いてここまでやってきた。この町に着く直前に、身なりを整えたつもりだが、やはりそれでも美しいとは程遠い。

「私のどこが美しいのでしょう。ここの旅館の女房の方がよほど美しいというものです」

「ははっ。それは違うよ。君の方が何倍も美しい」

 口調が、変わった?

無表情だった彼の顔には、不敵な笑みが浮かび上がった。

「少しだけ、遊びに付き合ってもらう」

 コウ殿は、大きく二回、畳を叩いた。すると、部屋のふすまが開いて、二人の女性が入ってきた。

「二人とも、この女性に例のものを」

「な、にを、する気ですか」


「遊びだよ」


 最初の笑顔に戻っている。雰囲気もやわらかくなった……?

 ころころと表情を変えて、恐怖とすら思える。

 呼ばれた二人の女性が近づいてきて、私の手を引っ張る。

「こちらへいらしてください」

 二人とも綺麗な人だ。そんな二人に手を引かれ、抵抗することも許されず、ただ成り行きに身を任せながら、これからどうするかを考えた。

 二人に連れてこられた部屋には、美しい着物が掛けられていた。

「今からこの着物を着ていただきます」

「え、私が?なんで」

「貴方に似合うと思ったので」

「そんな……」

 この二人は何者だ。コウ殿の召使いか何かか?

 抵抗すれば、どうなるか分からない。危害を加えられたわけではないので、しばらくはこのまま従おう。もし危険になれば、どうにかして逃げ出そう。

 今着ている着物を脱いで、湯浴みをした。体を綺麗にすると、次は化粧をされ、髪を結われ、爪を綺麗に磨かれた。最後に、さっき言っていた着物を着つけられる。

 さっきまでの小汚さは、もうどこにも見られない。自分でも驚くほどに綺麗になったと思う。二人の手際の良さに、終始驚かされた。

 鏡の前に立つと、悔しいと思うほど、とても綺麗だった。自分に言える言葉じゃない。二人の技術が素晴らしいのだ。

「とても美しいです……。さあ、コウ様のもとへ向かいましょう」

 あまり気が進まないが、これも商談成立のため。そう思えば、足が動く。大丈夫、きっとうまくいく。


「驚いた。ここまでとは思わなかった」

 コウ殿は、会った瞬間、目を見開いて驚いている様子だった。

「あの……商談の方は……?」

「それどころじゃなくなった」

「え……っ!?」

 コウ殿は、私に近付くと、私の頬に右手を添えた。近さと、触れられていることに驚き、緊張して、うまく声が出てこない。手も足も震えて言う事を聞いてくれなくなった。

「あ、の……」

 これは、どういう事ですか。そう聞こうとしても、声が出ない。目が熱い。

「泣いちゃだめだよ。せっかく綺麗に化粧してるのに、もったいない」

 泣くのは堪える。言われなくたってそうする。

 この人は、何が楽しくてこんな事をしているのだろう。

「さっきの頼み事、変えようかな。俺が飽きるまで、君は俺のそばにいればいい。……って、これはただの願望か。……君を帰さなかったら、君の国は俺を攻撃してくるでしょ?……だって君は、お姫様なんだから」


 今、なんて言った。確かに「お姫様」と言った。

 ばれていた……?


「なんで隣国の姫が、こんな荒れた土地にいるのか驚いて、声をかけたんだよ。そうしたら、商談のために来たと言うから、さらに驚いた」

 コウ殿の表情に黒いものは見られない。少しでも気を抜いてしまえば、彼の雰囲気にのまれる。彼の微笑みは、何人もの女性を虜にしてきたのだろう。アオの言っていたことが少し理解できる。これは、追っかけられても不思議ではないな。

 さっきまでの近さは無くなったが、いつでも捕まえられる距離には居る。二人立ったまま、時間はどんどん過ぎてゆく。心臓の音が聞こえそうなくらい、落ち着かない。

「お姫様は、お城の中で皆から可愛がられて、愛されて、泥臭いものとは無縁の存在。そう思っていたよ。こんな所に護衛もつけず、一人でやってくるなんて、もし何かあったらどうするつもりだったの」

 あ、また表情が変わった。

 今度は、冷たくて、今にも泣き出してしまいそうな、とても辛そうな顔だ。

 どれが本当のコウ殿なのだろう。どれも嘘なのだとしたら、見てみたいものだ、本当の姿を。

「……いいですよ」

「……え?」

 私が何の前置きもなく、会話にならない事を言ったので、さすがのコウ殿も焦ったようだ。

 その焦りは、本物だと信じよう。信じたから、すこしおかしくて、口角が上がってしまった。

「コウ殿が飽きるまで、というのは無理ですが、少しの滞在ならば、いいですよ」

「……それ、本気で言ってる?」

「はい、そうですけど」

 嘘でこんなこと言えるわけがない。とんでもない事を言ってしまった。そうは思うが後悔は無い。自分で決めたことだ。

「君は、本当にお姫様?普通逃げるでしょ、泣くでしょ。……変わったお姫様だね」

 コウ殿が知る姫とは、きっと、城という名の籠の中でぬくぬくと育つ、弱さの固まりみたいな人間の事なのだろう。それもあながち間違いではない。今までの自分がそうだったから。でも、それではいけないと思った。自分で気付くことが出来た。

 私は姫だ。でも、その前に、皆と同じ人間でもある。

「私は、自分の弱さに気付いた。それだけです。まだ、そこから先には進めていない。どう進むかも分からない。姫である前に、一人の人間として、成長したいんです。貴方の知っている姫とは違うかもしれませんが、これもまた姫なのですよ」

 コウ殿の瞳が揺れた気がした。なぜだろう、今ならコウ殿の心の中が見える気がする。

「……今まで出会った女性の中で、ここまで強い女性は見たことが無い」

 コウ殿は、独り言のように、話し始めた。

「私が、少し怖い顔をすれば、それだけで泣いて逃げる女がほとんどだった。逃げなくても、恐怖で顔が引きつって、可哀想に思えるくらい、とても弱くて、すぐに壊れてしまった。いや、壊したのは私か……」

 最後の方は、やっと聞き取れるくらいの小さな声で、コウ殿は、口を閉じてしまった。何か、大事なことを話しているように思えたので、真剣に聞いたつもりだが、理解することは出来なかった。

「コウ殿……」

 思わず手を伸ばしそうになった。一歩進んだ足を元に戻そうとした時、コウ殿の瞳から、涙が落ちた。

 私は驚いて、何も動くことが出来なくなった。

 コウ殿は、一つ深呼吸をして、ゆっくりと瞬きをした。開いた眼には、私の姿が映されている。少しだけ、熱を帯びているように見えた。

「翠蓮殿。あなたは、もっと自分を大切にした方がいい」

 そう言って、コウ殿は、どこから出したか分からない小瓶を私に見せた。

「こんなに早く使うとは思いませんでした……」

 コウ殿はゆっくり近付いてくる。そして、伸ばされた腕が、私の体を抱き寄せた。

不意の出来事に頭がついて行かなかった。混乱していた上に、さらに混乱させられたから、もう、なにも考えがまとまる気がしない。ただ身を任せることしかできないはがゆさに、泣きそうになる。

「力が入っていませんよ。……それでは私からは逃げられない。逃がすつもりもない」

 耳元で聞こえてくるコウ殿の声が、甘く響く。逃げないと、そう思うはずなのに、力が入らない。

 頭のすぐ後ろで、小瓶が開く音がした。その音の直後だろう、私の口は彼の口で塞がれていた。片手を腰に、もう片方の手を頬に添えられ、それだけで、力のない私は逃げることが出来ない。なんて非力なんだろう。

 自分の弱さを嘆くのは一瞬だった。コウ殿が放してくれない事に気を持っていかれた。口が軽く開かれ、舌が入ってくる。それと同時に、唾液ではない、何か別の、さらさらとしたものが、口の中に入ってきた。これは、何の液体だろう。味がしない。もしかして、小瓶の中身だったりするのだろうか。

 思考が追いつかず、その液体を、無意識に飲み込んだ。それを確認したというように、コウ殿の唇が離れた。一瞬の間をおいて、コウ殿の口から、冷たく悲しみに溢れた声が降ってきた。


「――壊れて」


「……っ!?」

 コウ殿の言葉の意味をすぐに理解した。苦しい。喉が焼けるように熱い。

 耐えきれず、その場に崩れ落ちた。倒れたまま、両手で喉元をおさえる。

「ごめんね、量、間違えた」

 見下ろしてくるコウ殿の姿を、薄く開いた瞳に映した。

「!?……な、んで……」

 なんで泣いているの。

 悪意を込めたであろう笑顔は、その涙で悪意が消されていた。

 私は大馬鹿者だ。危険だと分かっていたはずなのに。用心していたはずなのに。アオに謝らなければ。無事では済まなかったから。

 どうやら、麻薬を飲まされたらしい。

 しばらく苦しみ、そして意識を失った。

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