正直怖かった
君が救ってくれたあの日から、僕は君のものだ。
命を懸けて君を守ろう。
あなたの眼は優しい色をしていた。だから放っておけなかったの。
どうか、自分を大切にしてあげて。
とある田舎町の片隅で、私は危機に直面していた。
この土地は治安が悪く、ガラの悪い連中がどこにでもいる。そんな奴らに捕まれば、金品の強奪はもちろん暴力を浴びせられる事が普通らしい。
私は隣国から商談のためにこの町へ訪れた。商談相手がこの土地で会うことを指定してきた、と聞いた時には頭を抱えたものだ。しかし、悩んでいても仕方がない。私は覚悟を決めた。
最低限の金銭と旅に必要な物達を持って国を発った。
そして、ついさっき到着したのだ。
まだ町へ入って数分も経っていない。旅人が珍しかったのだろう。私はごろつきにとって格好の的となった。
いかにもな格好のごろつき達に囲まれてしまった。抵抗は虚しく、建物の裏手に連れていかれた。
案の定、金を出せと言われた。恐怖があるのは確かだ。でも、ここで簡単に引き下がるわけにはいかない。
「申し訳ないけれど、あなたたちに渡せるお金は持っていないの。今から大事な用があるから逃がしてほしいのだけれど……」
強気で言ったつもりだが、声が思うように出なかった。最後の方なんて自分でも聞き取れないほど小さな声だった。
男達は機嫌を悪くしたのか、片頬を引きつり上げている。
どうやってこの男達から逃げよう。走っても追いつかれそうだし。私の力では殴りも蹴りも効かないだろう。
素直に逃がしてくれればありがたいのだけれど、そうもいかないよね。
「女、旅人だろう。この町へ何をしに来た」
中央に立っている、わりと細身で雰囲気的に一番強そうな男が言った。探るように目を細めてこちらを見てくる。
納得の質問だ。こんな荒れた町へ好んでやって来る者などいないだろう。私もできれば来たくなかった。
「人に会うためよ」
その男の眉がぴくりと動いた。
「もしかして、コウとかいうやつじゃないだろうな」
「あなたには関係ない」
とっさに答えていた。怪しまれただろうか。
そもそも、なぜコウという名が出てくるのだ。ここでは有名人だったりするのか?
それよりまずいな、人に会いに来たと言ったはいいが、その事を深く追及されるのはごめんだ。
コウという名が出てきたから尚更。
「女、もし本当にコウって奴に会いに来たんなら、やめとけ」
「は?」
え、今なんて言った?やめとけ?
予想外の言葉にびっくりした。
さっきまで恐怖でいっぱいだったのに、今それは全くない。
その男は、さっきまでとは違う雰囲気になっていた。何かに怯えているような……?
「なぜ、やめた方が良いのかしら」
男の視線がゆっくりと下を向いた。前髪で表情が見えない。何を考えているのだろう。
「おまえら、この女は俺に任せて先に戻ってろ」
表情は相変わらず見えないまま。男から発せられた言葉にそこにいた全員が驚いた。
「あの、でも……!」
「アオさん……?」
周りを取り囲んでいたごろつき達が狼狽えている。アオと呼ばれた男は身動き一つしない。
ゆっくりと、声だけ聴こえてきた。
「もう一度言うぞ。先に戻ってろ。いいな」
その言葉にしぶしぶ背を向け始めるごろつき達。
「……早く戻ってきてくださいね」
心配する声も聞こえてきたが、アオという男は何も答えなかった。
その場に二人きりになり少しの沈黙が流れる。
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
相変わらず下を向いたままのその人に声をかけてみる。少しの間があってその人はゆっくりと顔を上げた。何とも言えない表情。
無表情にも見えるが、私には、今にも泣きだしそうなのを必死に堪えているようにしか見えなかった。
「おまえを襲うのはやめだ。すまないな、怖い思いをさせて」
ぶっきらぼうに放たれた言葉だが。多少の誠意が感じられた。
「いえ、やめてくださりありがとうございます。でも、なぜ?」
今なら逃げられる。そうは思っても、理由が知りたかった。なぜ急に態度が変わったのか。
私の質問にどう答えていいのか分からない様子だ。その人の視線は一点に定まってなかった。
「まずは名を名乗ろう。俺はアオ。この町の情報屋みたいなことをやっている」
「アオさん……」
相手の名を覚えるように、名を復唱した。
「アオでいい。よければお前の名も知りたい」
「ではアオと呼ばせてもらいます。私は翠蓮といいます」
よろしくという意味を込め、軽く頭を下げた。アオは、その意を察してくれたように、ひとつうなずいてくれた。
私から話すべきことは、今は何もない。でもアオは、何か話したいことがあるのだろう。何かを考えているみたいだ。私は、アオの考えがまとまるまで静かに待つことにした。
「俺さ」
恐る恐る言葉を発したアオは、話すことを決意したように、私の目を見て話し始めた。
「コウの事よく知ってるんだ」
……どういうこと?
「最近この町に来てこそこそ何かやってるのは知っていたんだ。もしかしたらあいつに近付こうとする女が来るかもしれない、そう思って……半信半疑だったが、さっきお前が人に会いに来たと言ったから、コウという名を出してみた。……お前、嘘つけないだろ」
「あ……」
いつも正直に生きているわけではない。でも、さっきは焦っていて、嘘をつくことを忘れていた。
「まあいい、おかげでお前を助けることが出来るかもしれねえからな」
「え?」
さっき襲おうとしてきた人が、今度は助けると言っている。
こういう時、どういう反応をしたらいいのだろう。
「あー、簡単に説明する。俺とコウの関係は……まあ、コウに会ったら分かると思うからあえて言わない。ただ、昔から知ってる仲なんだ」
相槌の言葉すら出てこなかった。
「で、さっき言った、あいつに近付こうとする女がいるかもしれないって事なんだけど……まあ、簡単に言えば、追っかけだ」
「追っかけ?」
さっぱりわからん。
「コウが好きで追っかけてくる女って言った方が分かりやすいか」
「すっ!?」
好きとは、ライクではなくラブという意味だろうか。私は姿を見たことが無いから分からないが、よほどの色男なのだろう。脳裏で、会いたくないなと思ってしまった。
見ればすぐに分かると聞いていたが……色男を探せということだったのか。
「あの、もしかして、コウというお方は、遊び人なのですか?」
「んー、ただの遊び人じゃないから厄介なんだ」
アオは、とても苦しそうに話している。
「どういうこと?」
言葉を選んでいるのか、少しの間があった。
「コウは、気に入った女を片っ端から自分のものにしようとするんだ。コウは容姿がいいから、それで好きになる女が多くてな……コウは、自分に気がある女を、最初は優しくもてなすが、時期を見計らったように、一人ずつ、傷付けていくんだ」
「傷付ける?」
「ああ。薬でな」
もしかしなくても、麻薬……?
「警戒心の抜けきった女に何らかの方法で薬を盛る。その薬ってのが、あんまり良くないやつでな。どこで手に入れてるのかは分からない。ただ、その薬は下手すれば人を殺すことだってできる」
麻薬の売買は国が禁止している。殺傷効果のあるものなんて特にだ。禁止をしても、隠れて売買されていることは知っていたが、まさか、コウは麻薬の密売人なのだろうか。
「ちょっと、頭がついて行かなくて、すみません。コウという方はいったい何者なの?」
なぜこの者はこんなに詳しい事を知っているのだろう。そしてなぜ私に教えてくれるのだろう。
「一言で言い表すことは出来ない。ただの悲しい奴だが、救いようのない悪人だ」
詳しくは教えてくれないようだ。ただ、覚悟して会いに行かねばならない事は分かった。元々、うまく話が進むとは思っていなかったので、ここで注意されて少し安心した。それなりの心の準備が出来るから。
「悲しい人というのが何かは分からないけれど、教えてくれてありがとうございます」
「じゃあ、コウに会うのは諦めてくれるんだな?」
「いいえ、会いに行きますよ」
「……は?」
「ここまで来て、会わずに帰るだなんて出来ません。いくら危険な人物であろうと、ここで引き下がるわけにはいかないのです」
そう、私は大事な商談のためにここまで来たのだ。危険があるから引き返す、そんな事出来るわけがない。
「おまえ、俺の話聞いてたか?」
「はい、聞いていましたよ」
「じゃあ……」
「貴重なお話をありがとうございました。今からそのコウという者に会ってきます」
じゃあ、行くのをやめろ。そう言いたかったのだろう。あえてその言葉を遮った。
「……どうなっても知らないからな」
「……はい」
アオが話してくれたから、十分に気を引き締めることが出来た。怖いし不安だし、本当は行きたくない。でも、もし本当に行かず、相手の機嫌を損ねたら、恐ろしい人であれば、これから何かしらの敵意を見せてくるかもそれない。
それに、手ぶらで帰るなんて、そんな格好悪い事出来ない。
私は、余裕だという表情でアオを見た。アオは、納得がいかないと顔に出ていたが、それを言葉にはしてこなかった。ただ一言「無事を祈っている」そう告げて私の前から姿を消した。